小説『不揃いな勇者たち』
作者:としよし()

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【第6章】

【第十五話 酒と語らい】

 飲み方、酔い方には色々あると聞く。
 陽気になる人もいれば、逆に沈み込む人もいる。そして普段と大して変わらない様子で、実はこっそり酔っ払っていたり、平然としている人もいるという。その人がどういう酔い方をするかは、その時になってみなければわからない。
 そしてフリッツは、後悔していた。

「…まさか絡み酒だったとは」

 ラクトスはすでにカラッポになったビンを逆さまに向けていた。どこから持ってきたのか、ラクトスは七本ほど酒を持ってきており、それらはどれもアルコール度数の高いものだった。今ではすっかり酔っ払い、えんえんとフリッツに話を聞かせている。それが愉快なものならいいが、大概はグチやら世の中への不平不満で、さすがのフリッツもうんざりしていた。

「うう、面倒くさい。誰か、助けて…」

 何度もルーウィンやティアラに助けを求めにいこうと試みたのだが、その度に足をひっかけられて阻まれた。フリッツはぐったりと椅子の背にもたれかかり、もうずいぶんと長い間適当に返事をしてその場をやり過ごしている。

「だいたいなあ、おかしいと思わねえ?」

 顔を紅くしたラクトスは、唾を撒き散らす勢いでフリッツに訴えかける。

「毎日大人しく席について教本見て、理論覚えて試験の成績気にして。おかしいだろ、どう考えても! お前らはここに、魔法修練所に何しに来てるんだ! 貴族の嗜み? 安定志向? はっ、クソくらえだ。
 魔法はなぁ、そんなくっだらねえ枠には納まりきらないんだよ!」

 ラクトスの熱弁に対し、フリッツは「はぁ」と答える。話はどうやら、キャルーメル高等魔法修練所時代に遡ったようだ。しかしそこで、ラクトスは急に声を潜めた。

「おれは魔法が使いたかったんだ。魔法使いになりたかったんだよ。どうしてかって?」

 ラクトスが真面目な顔をして、フリッツを見た。 
 フリッツは息を呑む。
 これはもしかしたら、ちゃんとした話をしたがっているのかもしれない。酔った勢いに任せて、普段は口にしないようなことを伝えたがっているのかもしれない。
 フリッツはラクトスから、どうして魔法使いになろうと思ったかを聞かされたことがなかった。それを話してくれるということは、自分とラクトスという人間との距離が縮まっている証だ。それを今、聞かせてくれるというのだ。ラクトスは自分の意見は言うが、滅多に自分の話はしない。
 フリッツは姿勢を正して、ラクトスの答えを待った。
 ラクトスはにやりと笑い、声を大にして言い放った。

「そりゃお前、かっこいいからに決まってんだろ!」
「はい?」

 そのあんまりな答えに、フリッツは肩から崩れ落ちた。思わず目が点になる。
 そんなフリッツの様子にはお構いなしに、ラクトスは大声で熱く語り始めた。拳を握り締めての力説は、完全に自分の世界に入ってしまっている。

「考えてもみろよ、炎や光が出せるんだぜ? 凡人には到底出来ないことが、自分には出来る。それって凄いことだろ? おれが杖をかざしたら、太陽が落ちて、雷鳴が轟く! ああ、想像するだけで気分がいいぜ」

 一気にまくしたてると、ラクトスはその場にごろんと横になった。
 一方、聞かされた方のフリッツはぽかんとしたままだった。しかししばらくすると、下を向いて肩を小刻みに震わせた。その様子に気がついたラクトスが不審げに眉を寄せる。

「おい、どうした? 大丈夫か?」
「…ふふ、ふ。あははは!」

 フリッツは突然腹を抱えて大声で笑い出した。ツボに入ったようで、なかなかその笑いが収まる気配はない。笑いすぎて腹が痛くなり、ひいひい言いながらごろごろと床を転がっていた。やがて徐々に収まってきたが、また思い出しては笑うを繰り返し、ついには床をどんどんと叩き始めた。
 やっとのことで落ち着きを取り戻した頃には、逆にびっくりしていたせいでラクトスの酔いもやや冷めていた。フリッツは座りなおすと、涙を指でぬぐいながら言った。

「知らなかったな。ラクトスがそんな理由で魔法使いになっただなんて。ぼくはまたてっきり、炭を買うお金がないときに暖を取ったり灯りをつけたりできるのが便利で、魔法使いになったのかなって思ってたから」
「はん、ずいぶんと夢のない理由だな」

 大笑いされて逆に落ち着いてしまったラクトスは、壁に背をもたせかけた。それでもなぜか愉快そうな表情をしている。

「まあ、それもあるけどよ。魔法で金が出せないと知ったときは、それなりにショックだったしな」

 ラクトスはまだ赤みの残る顔であたりを見渡し、酒の少し残ったビンに口をつけた。最後の一滴を飲み干してしまうと、静かにそのビンを床に転がした。

「おれは魔法が好きだ。魔法を使える、自分を気に入ってる。というか、逆に魔法を使えないおれに価値なんかないとすら思えるな」

 酔っ払っているとはいえ、ラクトスのその言葉に嘘偽りはない。普段は口に出さない、その単純な言葉こそが、ラクトスが本当にそう思っているのだという証拠だった。こんな時でもなければ聞けない、彼の考え方や本音が、今はなんなくぽろぽろと零れ落ちる。
 なにが面白いかといえば、普段はそっけなく冷たい言葉ばかりが大半を占めるラクトスの意外な一面を見られたことだ。この場にルーウィンが居合わせたなら、きっとこの先ずっとからかわれ続けるに違いない。
 フリッツは、ラクトスに訊ねた。

「ラクトスにとって、魔法って?」
「憧れ。神秘的で、いつまでも追っかけていたいもの。おれの全て」

 そう答えたラクトスの表情は、先ほどまでの酔っ払っていた彼とはまったく別人の顔をしていた。

「お前だってそうだろ? 剣が好きでやってるんじゃないのか。剣を振ってる自分が好きでそうしているんじゃないのか」
「そりゃ、好きか嫌いかと訊かれれば、好きだよ」
「だろ? でも、あいつらは違ったんだよなあ」

 せっかくラクトスの機嫌がよくなったのに、またしても魔法修練所の話に戻ってしまいそうだった。フリッツは苦笑いを浮かべる。

「修練所のやつら。あいつらは親や家族に言われて、仕方なく魔法を身につけてやってるって感じだった。試験に落ちたら叱られるから、面子が立たないからって、好きでもないこと金かけてやりやがって。知ってるか? あいつら、自分の順位を上げるためならなんでもやる。おれの答案隠したり、実技の道具に小細工したり」

 その言い方からは、修練所時代にラクトスがクリーヴ以外の門下生からも妨害を受けていた様子が伺えた。一般家庭からの出身で、めきめきと力をつけていくラクトスが疎ましかったのだろうか。ラクトスはそんな中で、たった一人で戦っていたのだ。

「なんのための修練所だよ。なんのための勉強だよ。人を陥れるのに時間割いてる場合じゃないだろ。どうして自分を磨かないんだよ。他人の足を引っ張って、蹴落とそうとする。どうして自分が飛びぬけてやろうって思わないんだよ」

 ラクトスは一気に残りの酒をあおった。フリッツが心配そうに見守る中、ラクトスはぷはーっと息を吐く。ラクトスの目は据わっていた。

「おれはあいつらが嫌いだ。大っ嫌いだ、今でも。あんな虫唾の走る場所、よく通ったもんだ。それもひとえに、魔法を学びたかったばっかりに。嫌いといえば、あいつも嫌いだ。スカした顔して、魔法なんて何が楽しいんだって顔して、点数稼ぐことばっかり考えてやがる。そのくせそこそこ出来がいいのが気にくわねえ」

 それを聞いて、フリッツはある人物を思い浮かべた。

「それって、もしかしてクリー…」
「あぁ?」
「…なんでもない」

 やはりラクトスの前でクリーヴの名前は禁句だった。フリッツは小さくなって椅子に戻った。ラクトスはフリッツを睨んだことを少し後悔したのか、その口調は大人しくなった。

「あいつを思い出すのはやめよう。せっかくの気分が台無しになる」
「うん、そうだね。でも」
「でも…?」

 フリッツはラクトスの視線に気がつき、眉を下げだ。

「なんだか、可哀想に思えてきて」

 優等生にもなりきれず、悪の組織に堕ちた。それもグラッセル王宮にまで来て。フリッツは視線を下げた。クリーヴの人生はこれからどうなるのだろうかと。漆黒竜団の幹部に上り詰めたところで、そこに待っているものは必ずしも彼の望んでいたものではないだろう。
 ラクトスは口からビンを離すと言った。

「同情する人間が居て、はじめてそいつは可哀想なやつになっちまうんだ。だからやめてやってくれ、そう考えるのは」
「…ラクトス」

 大嫌いだ、虫が好かないと散々言っているラクトスだが、ラクトスは心からクリーヴを憎んでいるわけではないとフリッツは思っていた。心のどこかで、ラクトスはクリーヴのことを認めている。同じ魔法使いとして、一目置いているほどではないにしろ、存在を認めてやってもいい、くらいには思っているはずだ。もっとも、ラクトス本人は認めようとはしないだろうが。
 好敵手ってやつかなと、フリッツは思った。

「まあ、そんなわけで。好きな魔法で食っていけたら、おれはこの上なく満足なわけだ。しかもそれで金が貰えて、親に仕送りできるほどの余裕があれば、ますます満足なわけで」

 ラクトスはあからさまに話を変えた。しんみりしたフリッツを見ると、にやっと笑う。ラクトスは突然、勢いよくその場に立ち上がった。そして空になった酒ビンを高々と掲げた。

「おれは王宮に就職する!」
「ははは、すっかり酔っ払ってるね」

 顔を紅くして叫ぶラクトスをフリッツは笑って見ていたが、ラクトスに腕を捕まれ、無理に立たされた。

「笑ってんじゃねえよ。お前もやるんだよ、おら」

 ラクトスはフリッツの頬にぐりぐりと空きビンを押し付けた。フリッツは笑いながら、なんとかそのビンを受け取る。

「えー、どうしようかな。じゃあ。ぼくは兄さんを必ず見つける!」
「ああ、お前の目的そんなんだったな」

 ラクトスは今思い出したというような様子だった。頑張って言ってはみたが、ラクトスの反応にフリッツは肩を落とす。ラクトスは声を立てて笑った。
 もう一回だと言って、ラクトスは床に転がった空ビンを拾った。フリッツにビンを持たせて腕を無理やり伸ばさせ、自分の持ったビンを打ちつけた。

「「おれは王宮に就職する!!」」

 フリッツとラクトスは同時に言って、その後目を合わせて噴出した。フリッツは椅子に座って笑い、ラクトスは再び床に転がった。お互いツボに嵌ってしまい、大して面白くもないのにひたすら笑い続けた。
 しかし突然、破壊される勢いでドアが開け放たれた。

「うるっさいわ!! あんたたち、いい加減にしなさい! 今何時だと思ってるの!」

 どちらがうるさいのかと言い返したくなるほどの大声量で怒鳴り込んできたのは、鬼のような形相のルーウィンだった。暗くて見えにくいが、その後ろには眠そうにあくびをするティアラの姿も見える。
 フリッツとラクトスの熱は一気に冷め、凍ったように固まった。ルーウィンは動かなくなったフリッツの襟首を持ち上げると、顔がくっつきそうな勢いで睨みを利かせた。

「調子こいてんじゃないわよ、まったく。とっとと寝な! 眠れないなら、今すぐあたしが沈めてあげようか?」

 拳をバキボキと鳴らし始めるルーウィンに、フリッツは恐れおののいた。
 こうしてグラッセルの夜は更け、フリッツとラクトスは静かに就寝せざるをえなくなった。









 フリッツが寝静まったのを察して、ラクトスは与えられた部屋のバルコニーに出た。
 街のざわめきがかすかに聞こえ、風が心地よい。景色をぼんやりと見つめて、ラクトスは思いに耽った。

(以前のおれなら、こんな簡単なことで悩んだりはしなかっただろうな…)

 貧しさから来るコンプレックスだったのか、忙しさから来る苛立ちだったのかはよく分からない。いつも両親の手伝いをしていて、誰とも遊ばなかったのも一つの理由だろう。物心ついたときからラクトスは周りに人を寄せ付けなくなった。家族で手がいっぱいで、他のことにかまける余裕など無かった。それを嫌だとか辛いと思ったことは無かった。家族と居る時間だけがラクトスのすべてで、守る為ならなんでもしようと思っていた。
 もともと魔法に興味を持ち出したのも、街で魔法使い崩れの手品師が硬貨を消したり出したりして見せたのが始まりだった。初めてラクトスが金稼ぎ意外に興味を示したことに両親は喜び、そして修練所へ送り出してくれた。

(修練所を修了して、いつかおやじやおふくろを楽させてやろうって思ってたのに)

 修練所を中退するきっかけとなった一件に関して、もともとラクトスは、フリッツとルーウィンを責めてはいなかった。ただあの時は、怒りをぶつけるべき相手が居なくて、つい訪ねてきたフリッツにその矛先を向けてしまったのだ。しかしあの時は思いもしなかった。そんな相手と、まさかここまで旅をすることになるとは。

 家族と天秤にかけても、釣り合う重さのものを彼は手に入れた。
 いつまでも迷っている自分自身に、なによりも一番驚いていた。






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