小説『不揃いな勇者たち』
作者:としよし()

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【6.5章】

【第二話 不眠の呪い】

 数日後、ミチルはチルルを連れてフリッツたちの野営地へと向かった。

「おはようございます! どうでしたか、昨晩は。日が暮れる前に呪いは解けましたか?」

 ミチルはさわやかな笑顔で一行の前に顔を出した。そして薄情にも、やっぱりまだ来なきゃ良かったなと思った。
 そこにはどんよりとした空気が流れており、疲弊しきった四人が頭を抱えている。ミチルは四人の顔色を伺いながら、一同が座っている横に腰掛けた。
 そして萌黄色の髪の人物を見て、思わず声を上げる。

「あの、フリッツさん、ですか?」

 ミチルがそう尋ねるほど、フリッツは衰弱していた。
 そこには目の下に大きな隈を作り、やや頬のこけたフリッツがトンネル座りをしていた。チルルなどは、その変わりように怖がってルーウィンの後ろに隠れてしまう始末だ。フリッツ以外の三人は健康そうではあるが、朝一番にも関わらず早くも疲れている。

「今日の夢はなんだったんですか?」

 ミチルが衰弱したフリッツの顔を覗きこんだ。フリッツは焦点の合わない視線で、しかし楽しげに微笑んだ。

「ピンクのモンスターが鞠の上に乗って、どこまでもどこまでも広がる大地を行くんだ。そしたらね、道の真ん中にバナナの皮があるんだよ。当然それを避けようとするんだけど、辺りは一面バナナの皮だらけ。そこでモンスターは飛び上がるんだ、もちろん鞠を背中の上に乗せてね。で、空を飛んでいくんだけど、辿り着いたのがクリストファーおじさんの経営するパン屋さんでね。モンスターが言うんだ、ソバ五人前お持ちしましたーって。それでね」
「もういい、もうやめろ!」

 聞くに堪えなくなったラクトスはフリッツを制止した。フリッツはふふふと笑いながら、首をガクリと横に傾げる。そのシュールな光景に、ミチルは苦笑いをするしかなかった。

「…これは。思ったより重症ですね」

 剣の呪い。
 それは、『不眠の呪い』だった。
 具体的には、延々と悪夢を見せられるというものだ。

 それだけならかわいいものだと思うだろう。実際ミチルもフリッツも、最初は悪夢くらい実害はないと甘く見ていた。それは他の三人も同じだった。ミチルから呪いの内容を聞かされた時、口々に大したことないと小ばかにしていたのだ。しかし今となっては、早々に対策を練らなかったことが悔やまれた。

「…正直、地味に辛い」
「…なんでこんなに地味なのよ」
「…地味すぎて話にもならねえと思ってたのに」
「…ええ、悲しいくらい地味ですわ」

 四人は一斉に深いため息をついた。パーティの面々が重苦しい空気を纏い、さすがのミチルも少し後ずさった。呪いが地味であることが、さらにこの状況に追い討ちをかけている。

 フリッツたちにさんざん地味だとけなされているが、悪夢の呪いの威力は予想以上に凄まじいものだった。フリッツが眠りにつこうものなら、次から次へとわけのわからない夢が雪崩のように押し寄せてくる。フリッツも最初は思わず声を出し、皆を起こして迷惑がられていたのだが、次第に呪いが進むと悲鳴を上げる体力すらもなくなった。周りには迷惑をかけることがなくなったが、呪いは静かに進行し続けた。
 今のフリッツは目の下には大きな隈ができ、頬もやつれてしまっている。事情を知らない者が見たら、不治の病を抱えているように見えるだろう。

 ティアラが辛そうな表情でミチルに訴えかけた。

「大食いコンテストに出場してひたすらロープを齧り続ける夢ですとか、漬物石とタップダンスを踊る夢。しかも漬物石がステップを間違えて足を踏まれてしまうなんて悲劇的すぎます。あとはモールになってずっと地中に潜っていたらどこからともなく、一生そうしてろよ! と罵倒された夢ですとか」
「最後の地味にきついですね。なんて夢見てるんですか、フリッツさん」

 ミチルはフリッツを見たが、当の本人はお花畑にでもいるかのような幸せそうな表情を浮かべて微笑んでいる。しかしその頬は明らかにこけているという、なんとも不気味な様子だった。
 ルーウィンは腕を組んで憤然と言った。

「毎日こんな感じなのよ。朝一番ティアラに治癒魔法かけてもらわないと立てもしないくらい。どうにかなんないの、これ。もとはといえばあんたの商品が原因なんだけど」
「そう言われましても、ぼくはしがない商人ですし。剣に選ばれなかったから呪いがかからなかっただけであって、特別な対策なんかはなにも」

 ルーウィンに詰め寄られて、ミチルは苦笑いを浮かべる。

「でも、フリッツさんが可哀相です。とても見ていられません」
「このままにしとくのは旅に支障が出るな。なんとかしねえと」

 ティアラは嘆き、ラクトスは頭を掻いた。ルーウィンはラクトスを見る。

「あんたなんとかしなさいよ。王宮付き魔法使いでしょ」
「呪いを解くのは専門外だ。それを言うなら、ティアラだ。腐っても聖職者だろ」
「わたくしは、かける方も解くほうもさっぱり」

 魔法の使えるラクトスもティアラもわからないとなっては、すでにお手上げ状態だった。このやりとりは何も今初めて交わされたものでなく、この三日間で何回も送り返されている。色々と方法は試してみたが、どれもこれも上手くいくことはなかった。ラクトスはがしがしと頭を掻く。

「呪いなんて基本かけっぱなしだからな。解いてやろうと思ってたら、そもそもかけないだろうし。相手が死んでも構わないくらいのつもりでかけるもんだ。皿を割るのは簡単だが、張り合わせて元に戻すのは難しい。そういうこった」
「呪いを解く方法…」

 難しい顔をして考え込んでいたティアラが声を上げた。

「わかりました! 古今東西、呪いを解くといえばこの方法しかありませんわ。古典にもよくありますものね。王子様の、愛の口づ」

 ティアラの言葉を遮って、大人しくしていたフリッツが突然口を開いた。

「ティアラ、きみの言いたいことはわかる。でも、ここはもう少し真面目に考えるべきだと思うんだ。そもそもどこの誰がどうやって何にどうするのか。きみの言う方法を当てはめるには今回のことは色々と無理があると思う。相手は無機物だしぼくは男だしそもそも王子様なんてどこに転がってるっていうのかな。それとも、ぼくがするのかなこの剣に? 唇切れそうでなんだか気が進まないなあ」
「…すみません。フリッツさんが苦しんでいらっしゃるのに」

 無表情のまま淡々と早口でまくしたてるフリッツに、ティアラは表情を凍らせた。明らかにいつもと違うフリッツに、さすがのティアラも恐怖を感じたようだ。

「わかってくれればいいんだよ」

 フリッツはそう言うと、再びぼうっと遠くのどこかを眺めはじめた。
 うーんと唸っていたミチルが口を開いた。

「誰かが呪いをかけた、じゃないと思いますよ。この呪いは、剣そのものが生み出したものだと聞いています」
「どういうことよ?」

 ミチルの言葉に、ルーウィンは訝しげに眉をひそめる。

「この剣はその刃であまりにも多くの命を奪ったため、その血で剣が狂気に染まり、人の命を奪わずにはいられなくなった、という話を聞いたことがあります」
「人間がかけた呪いじゃないとなると、皆目見当がつかねえな」

 ラクトスのため息はますます深くなった。ルーウィンは続けて尋ねる。

「剣そのものが生み出した呪い、ね。今までの持ち主たちはどうなったの?」
「悪夢を見せられ続けて衰弱死、というのが多いみたいです。それだけならまだいい方で、発狂して恋人や友人、家族など多くの人間を手にかけてしまったという話が一番悲惨ですね。悪夢に耐えかねてこの剣で自らの命を絶つ持ち主も多いそうです。どちらにしろ、最終的にはこの剣に何らかの形で血を与えて終焉を迎える宿主が多いそうですよ」

 今度はティアラがミチルに尋ねた。

「今までに呪いを解いた方はいないのですか?」
「…さあ。ぼくもそこまではわかりかねます」

 ミチルはフリッツにちらりと視線を向けた。今はもう落ち込んでおらず、近くにやってきた黄色いちょうちょをぼんやりと目で追っている。心ここにあらず、といった様子だ。眠れないのがよほどこたえているのだろう。

「そろそろ今日あたりが潮時かな…」

 空ろな瞳で力ない笑みを浮かべるフリッツを横目に、ミチルは一人呟いた。











(…結局、今日もだめだったなあ)

 フリッツは一人ぼんやりと切り株に座り込んでいた。もう三日間ほどまともに寝ていなかった。眠たくならないのではなく、眠たいのに寝かせてもらえないというのがここまで辛いことだとは思ってもみなかった。
 少し離れたところで、ルーウィンたちがああでもないこうでもないと議論している。本来なら、この地点には用事も目的もなく、さっさと通過しているはずだった。予定通りに進んでいれば、今頃は次の街を目前にしていたはずなのだ。

(迷惑、かけてるなあ。あと、眠たいなあ)

 フリッツは大きくあくびをした。もうずっと瞼が重い。睡眠不足で回らない頭で、フリッツは木々の合間から見える空を仰いだ。藍色の空に、星々が瞬きはじめている。夕食は終わり、あとはもう寝るだけという時間だ。
 しかし、今のフリッツは眠ることが出来ない。眠っても、やたらと疲れる愉快な悪夢に襲われてすぐに目が覚めてしまうのだ。睡眠不足などとは縁のなかった生活をしていたため、この衰弱と気だるさのどこからが睡眠不足によるもので、どこまでが呪いのためなのかはわからない。しかしきっと、全部が呪いなのだろう。

 背後から人の近づく気配がした。やってきたのはミチルだった。一日の仕事を終えてフリッツの様子を見に来たのだ。ミチルはぼうっとしているフリッツの正面に立った。

「相変わらずですか?」
「相変わらずだよ」
「辛そうですね」
「うん、なかなか辛い」

 フリッツは笑ってみせた。だが、ちゃんと笑えている自信はなかった。普段はひょうひょうとしており悪びれもしないミチルだが、さすがに神妙な顔つきをするようになった。

「歩けますか? ついてきてほしい場所があるんです」

 フリッツは、こんな状態のぼくに? という顔をした。

「こんな状態だから、ですよ。皆さんには、反対されたんですけど。可能性というものは、試すためにあるものだと思うので。呪いを解くヒントを捜しに行きましょう」
「呪いが、解けるの?」

 その言葉に、フリッツは反射的に疲れた顔に笑みを浮かべた。フリッツは重い腰を上げ、ミチルの差し出した手をとった。そしてミチルの導くままに、夜の森を進んだ。ルーウィンたちの野営地や商人たちの野営地の明かりからどんどん遠ざかっていく。葉が生い茂り、木の枝や根が突き出し、大きな石で足元の悪い暗い森の中を二人は進んだ。

 しばらく進むと、わずかにこぼれる明かりが見えた。おそらく小屋かなにかから漏れ出ている明かりなのだろう。窓を大きく設けていないか、あるいは意図的に隠しているか。しかし話し声などから、人のいる気配は感じられた。

「ここは…?」
「最近この辺りを荒らしている盗賊のアジトです」

 ミチルはその場にしゃがみこんで、草むらのなかに身を潜めた。フリッツも同様に身を隠す。隠れなくては、という意識が働いたというよりは、ミチルがそうしたのでなんとなく同じ行動をしただけだった。
 ミチルはなにやらポケットを探っている。そして目当てのものを見つけたらしく、取り出した。それは小瓶だった。暗くて色はよく見えないが、フリッツはそれと似たようなものを見たことがあった。

「ぼくのとっておき、スヤスヤ青色君です。これをいくつかあそこに投げ込めば、盗賊たちはたちまち眠ってしまいます。しばらくは目を覚まさないでしょう」

 盗賊を眠らせてどうするというのか。フリッツはしばらく考えた。なにしろ、思考がぼやけて頭が回らないのだ。すぐに答えの出ないフリッツを見て、ミチルは言った。

「あそこにいる人間を、出来るだけ斬って来てください。呪いの剣は古今東西、血に飢えているもの。その刃を血に染めれば、なにかしらのヒントが掴めるかもしれません。確証はありませんが、少なくともぼくはそう思っています」

 ミチルは淡々と言った。フリッツは最初、なにか簡単なお使いを頼まれたのかと錯覚した。まるで、ちょっと畑に行って野菜でも採ってきてくださいというような調子だった。
 ぼうっとした様子のフリッツに構わず、ミチルは続けた。

「呪いから解き放たれた人はいるんです。ほんの数人ですが。悪夢にうなされ、発狂して自分の周りの大切な人たちをその手にかけずに済む方法。それはそうなるより前に、この呪いの剣に血を与えることなんです。悪人の血を与えれば英雄に、無害な者の血を与えれば犯罪者に。そして、ぼくは前者の方法でフリッツさんを呪いから解放したい」

 フリッツはミチルの言いたいことがようやくわかった。ミチルの目は真剣そのものだ。
 呪いを解くため、盗賊を殺して来いと言うのだ。
 フリッツは隈のできた顔で、その瞳を見返した。

「…ごめんね、ミチル。ぼくにはできないよ」

 その返事を聞いて、ミチルはやや眉根を寄せた。

「どうしてですか? このままでは、みなさんに迷惑をかけますよ。確実に足手まといです。そうなればフリッツさんはパーティを抜けざるを得ない。旅の目的は果たせなくなります」
「それは困るな」
「それだけじゃありません。もしかしたら、明日には気が狂ってしまってみなさんを斬ってしまうかも」
「それも困るね」

 否定をしないフリッツに、ミチルはしめたと言わんばかりに畳み掛けた。

「なによりフリッツさんの命そのものが危険にさらされているんですよ」

 フリッツは一瞬口をつぐんだ。しかしその後、言った。

「…でもやっぱり、それは出来ない」

 ミチルは視線を落とした。なぜ断るのかわからないといった表情だ。

「どうしてですか? 盗賊のアジトなんて確かに危ないですけど、青色君を使えば相手は無力同然です。このままこうしていたら、フリッツさんは呪いで死んでしまうかもしれません。ならいっそのこと、勇気を持って悪を倒してくださいよ」

 フリッツは疲れ切った表情で微笑んだ。ふわふわとした頭の中で、自分の考えを伝えるための言葉を探し、そして選んだ。

「ぼくはただの冒険者で、正義の味方じゃない。だから盗賊はやっつけない。それに悪者だからって、簡単に斬って捨てていいとは思わない」
「自分が死んでしまうかもしれないのに、ですか」

 ミチルはフリッツの瞳を覗き込んだ。

「ぼくだったら、やりますよ。ぼくが死んだらチルルが一人になってしまうので」
「大丈夫。ぼくが死んでも誰も困らないよ」

 フリッツはゆっくりと言った。

「それにぼくがおかしくなっても、きっとみんながなんとかしてくれる。みんな強いから」

 ミチルにはその答えが面白くなかったようだ。ミチルはやや皮肉めいた口調になった。

「ずいぶんと信頼されているんですね。でも、フリッツさんにはそんなきれいごとを言う余裕は、もう残っていないはずです。本当はもう限界なんでしょう? 思考も体力もボロボロだ」

 ミチルはフリッツに呪いの剣を握らせた。
 それは図星だった。
 フリッツには、正直呪いによる死の実感がなかった。頭がぼんやりして、まともにものが考えられないせいもあるだろう。道徳観を捨てずにいられたのは、ただそれだけの理由なのかもしれない。しかし今、ミチルに「斬らないとあなたは死ぬんですよ」と再度言われて、ああそうかと、つい納得してしまいそうになる。
 それほどまでに、フリッツの思考能力は時間の経過と共に落ちていった。

「フリッツさんは助かる。盗賊はいなくなって助かる人もいる。いいことずくめじゃないですか」

 ミチルは言った。それは正しいことだった。
 斬ればいいのなら、それで呪いが解けて眠れるのなら、そうすればいいのだ。躊躇う必要は何もない。
 ミチルはフリッツの目を強く見た。

「行きましょう。盗賊を殺してフリッツさんを責める人間なんか、誰もいません。さあ、呪いを解きたいんでしょう?」
「…呪いを、解きたい」

 フリッツは呟いた。ミチルの言葉をただ反復しただけなのか、そうでないのか。しかしミチルはそれを聞いて、ほっとしたような表情を浮かべた。

「わかってくれたのならいいんです。さあ、気が変わってしまう前に」

 ミチルは立ち上がった。しかしフリッツが続かないのを見て、手を出して引っ張りあげる。フリッツは体力も方もそろそろ限界が近づいていた。しかし、ミチルは立ち止まった。

「そこを退いて、チルル」

 いつの間に現れたのか、二人の前にはチルルが立ちはだかっていた。
 チルルは小さな身体を盾にし、両腕を精一杯広げて立っていた。それがこれから彼女の兄がしようとしていることを止めようとしている意思表示だということは、霞がかった頭のフリッツにもわかった。

「ぼくはフリッツさんをこの呪いから救わなきゃならない。それがどんなに小さな可能性でも、ゼロじゃないならやる。フリッツさんを生かすことは、長い目で見ればきみのためにもなる。だから、そこを退くんだ」

 フリッツはミチルの言葉の意味がわからずにいた。しかしなおもチルルは二人の前から退こうとはしなかった。いやいやと首を横に振り、立ち退く意思がないことを伝えている。
 ミチルの声は険しくなった。

「これは全てきみのためなんだ、チルル。言うことをきかないと」
「言うこと聞かないとどうするって?」

 ミチルは背後に人の気配を感じ、口を閉ざした。フリッツはそのことに少し遅れて気がつく。チルルは声こそ出ないが、目を見開いて酷く驚いた。
 ミチルがいつもの調子に戻って、やれやれとため息をつく。

「ぼやぼやしてたからお客さんが来ちゃいましたよ、フリッツさん」

 三人の背後には、盗賊らしき男が立っていた。






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