【6.5章】
【第三話 残酷な夢】
フリッツ、ミチル、チルルの後ろに立っていたのは、三人の盗賊だった。
そのうちの一人が隠していた松明を掲げ、フリッツたちの姿を見定める。逆にフリッツたちにも盗賊の姿が見えた。三人とも身体が大きく、いかにもならず者といった体格だ。
「アジトの前で子供相手に倒す倒さねえの話をされるとは、おれたちも堕ちたもんだなぁ?」
「よくあるガキの肝試しだな。わかるわかる、おれも昔やろうとしたことがある」
「でもよりのもよっておれたちに目をつけるとは、お前たちも運がないな」
三人の盗賊はニタニタといやらしい笑いを浮かべている。ミチルは表面上、平静を装って微笑んだ。
「こんな遅くに夜の見回り、ご苦労さまです」
しかし内心、さすがのミチルもこれはまずいと思っていた。
フリッツは衰弱している。無抵抗な盗賊を相手にすることを前提に連れてきたのだ。この場で満足に戦えるはずがない。肝心のフリッツはまだこの状況を把握できていないらしく、ぼうっとした様子で突っ立っている。
これは自分がやるしかないかと、ミチルは考えを巡らせた。ミチルは逃げるための小細工は出来るが、自身に戦う力はなかった。夜の森、しかも土地勘のない自分たちでは森の中を縦横無尽に逃げることは出来ず、すぐに捕まってしまうだろう。仲間を呼ばれないうちに、ここにいる三人を静かかつ速やかに倒す必要があるのだ。
ドッカン赤色くんは使えない。殺傷能力はあるが、その爆音では盗賊の仲間を呼び寄せてしまう。アジトの小屋の中はまだ人の気配が残っており、この三人を派手に倒せば不審に思った仲間がすぐに駆けつけるだろう。スヤスヤ青色くんは屋外での即効性は期待できない。小屋の中ならまだしも、外では薬が空気中に拡散してしまう。そして盗賊が眠り薬を浴びたと知れば、引き返して仲間を呼んでこられる距離だ。これも使えない。
そしてミチルが行動に出られない理由。それはチルルが盗賊たちに最も近い場所にいることだ。
突然現れた大男たちに、チルルは表情をこわばらせてすっかり萎縮してしまっている。仮に逃げろと言っても、足がすくんでしまって動けないだろう。フリッツとミチル、三人の盗賊の間にチルルが残されている。
なんとかチルルだけでも、こちら側に来られればとミチルは思う。そもそもチルルが盗賊と自分との中間地点にいる限り、彼女を巻き込んでしまう恐れがあるため、ミチルの手投げ瓶は使えない。
そしてミチルの考えを読み取ったかのように、一人の男が動いた。怯えているチルルに向かって男が一歩踏み出したのだ。
「やめろ!」
ミチルは思わず叫んだ。チルルは顔を恐怖に歪ませ、逃げようと試みたがいとも簡単に捕まってしまった。チルルの細い両腕を後ろにねじり上げて、盗賊は笑う。
「安心しな。おれたちだってこんな小さな子に興味はねえからな。まあ、アジトを知ったお前らを始末したらどこか女の子供を欲しがっているところにでも売り飛ばすさ」
ミチルは髪の毛を怒りに逆立てる勢いで言った。
「その子から離れろ! 汚い手で触るな!」
「このクソガキが! 調子にのるなよ!」
盗賊が大声を出して、ミチルははっとした。思わず感情に任せて叫んでしまったが、相手の盗賊にも声を張り上げさせてはならない。ここでアジトに残る仲間たちに感づかれては、完璧に逃げ道がなくなってしまう。
ミチルは自分の無力さを悔やんだ。そして考えた。どうしたらいい。どうしたらチルルを取り返せる?
しかし考えれば考えるほど、この状況から自分の力で脱出を試みることはできないという結論が導き出される。ミチルは唇を噛んだ。なにかないのか。なにか…。
ミチルはふと、隣にいるはずのフリッツの方を見た。
いない。いつの間に。
ミチルは思わず目を見開いた。なんのことはない、フリッツはミチルの目の前にいた。呪いの剣を構えて、盗賊の前に立ちはだかっている。
「なんだぁ? このガキがこっちにいるのが」
わからないのかと、盗賊は続けるつもりだったのだろう。しかし、残念ながらその言葉は途切れた。
チルルを捕まえている男目掛けて、フリッツは何の躊躇いもなく呪いの剣を突き出した。人質をとっているにも拘らず、想像以上の速さで攻撃を仕掛けられたことに盗賊は驚く。フリッツはそのまま盗賊の鳩尾を突いた。チルルを捉えている男は一瞬息ができなくなり、急所を突かれてふらついた。
そして隙が生まれ、チルルは目の前にいるミチル目掛けて駆け出した。盗賊のうちの一人が喚く。
「おい、この!」
チルルがいなくなったことで、その場は完全にフリッツの独壇場になった。
相手が子供だと油断し、武器すら抜いていなかった盗賊を、フリッツは一瞬のうちに一掃した。それはあまりにも鮮やかな斬り込みだった。フリッツが重心を低くし、深く踏み込んで相手の間合いに入ったと思ったら、次の瞬間にはすでに一人、倒れている。慌てて残り二人の盗賊が武器を構えるが、同じ要領で一人は武器を出している最中に倒され、もう一人は武器を出し終わった頃合で倒された。
あっという間だった。
ミチルは目の前の光景が信じられずにいた。これが日頃温厚で、眉を下げて困った表情をする、あの青年と同じ人物なのか。思わず唾を飲んで喉を鳴らす。
チルルはミチルの背中に隠れて、ぎゅっとミチルのシャツを握った。ミチルはチルルの肩に手を置いて護るように引き寄せる。しかし、その視線はフリッツに釘付けになったままだった。
呪いの剣は鞘から抜かれてはおらず、盗賊はのびているだけだった。これが抜身であったら、盗賊は間違いなく死んでいただろう。ミチルは呪いの剣を持って、ぼうっと突っ立っているフリッツを見た。あまりのことに、ミチルの心臓は早鐘のように打っていた。これは、期待と興奮のためだ。これは呪いの剣の力なのか? いや、違う。この力自体は、おそらくフリッツの本来持つ力と見ていいだろう。
この気弱で頼りがいのない剣士は、やはり強い。
さすが剣しかやってこなかったと言うだけあって、技術は十分にある。彼に足りないのは、経験と自信と闘争心。今回は呪いにおかされ、躊躇いという自制がなかったのだ。
対「人」ではなく、対「的」としての斬り込み。それでも鞘を抜かずに使うあたりは、さすがといったところかと、ミチルは苦笑した。いや、単に普段は木製の剣を使っているがために、いつもと同じように剣を鞘から抜くという動作をしなかっただけなのかもしれない。
彼の他人の生への執着はかなりのものだ。しかしフリッツが生の観念を捨て去れば。
この人なら、あるいは。
自分の目に狂いはなかったのだと、ミチルは我知らず笑った。やはりこの人は、ここで呪いに殺されてしまうには惜しい人材だ。そうなってはミチルが困るのだ。
そうして笑う兄のシャツの裾をぎゅっと掴み、チルルはその表情を不安げに見上げていた。
「あの、フリッツさん。ありがとうございます」
今、どんな表情をしているのか。ミチルは怖いもの見たさでフリッツに近寄った。しかし予想とは違い、先ほどまでのぼうっとした、眠そうなやつれたフリッツのままだった。
「思ったより弱い人たちで良かったよ。なんだか眠たくて、なにも考えられなかったから」
フリッツは相変わらず隈の浮かんだ顔で笑う。息が乱れてはいない。あれぐらいの動きはフリッツの通常の稼動範囲ということなのだと、ミチルは思った。余計なことを考えていなければ、ここまで身体が動くものなのか。
いつもの彼であれば捕らえられたチルルの身を案じて、一歩も動けなかったに違いない。チルルのことを一切考えず特攻をかけた結果が、これだった。しかしチルルごと斬られなかっただけで上出来だ。
「さて。問題はこの困ったさんたちですが」
ミチルはその場に転がった盗賊三人に視線をやった。
「このまま放っておこう。風邪引いちゃうかもしれないけど」
「いいんですか? ここで殺せば、呪いを解く第一歩になるかもしれませんよ。アジトの小屋の中にはまだ盗賊がいますし、最初に話した計画もまだまだ続行できます」
ミチルは小さく声を上げた。しかしフリッツは首を横に振る。
「…本当の呪いの剣なら、数人手にかけたくらいじゃ許してくれないだろうし。これから先、何人そうしたらいいのか見当も付かない。その解き方が正しかったとして、そんなにたくさんの命を仮に奪うことができたとして、その命を犠牲にしてまで呪いを解いたぼくの命って、いったい何人分の価値があるのかな」
身体を動かしたことで頭に酸素が回ったのか、フリッツはフリッツらしい意見を口にした。ミチルは苦笑した。そもそも、フリッツに自我がある時点でこの試みを決行するのは早かったのかもしれない。しかしフリッツが自我を失えばミチル自身も危うくなるためにこのタイミングで提案をしたのだが、今回は無理だとミチルは悟った。ミチルはフリッツに向かって笑った。
「少なくともルーウィンさんたちにとっては、フリッツさんは盗賊十人分の命には相当すると思いますよ」
「それが本当なら、不謹慎だけどちょっと嬉しいかな」
フリッツは疲れ切った表情ながらも、不器用に笑って見せた。
「こういう方法で呪いを解くのはやめておくよ。でも、負けないように頑張る。今はとりあえず、たくさん食べて体力をつける努力をする。あとは良く眠れる方法を試してみるよ」
フリッツは眠そうにあくびをした。
「最近へんてこな夢ばっかりだったから、そろそろ疲れない夢が見たいなあ。草原とか、フラン村の野原でゆっくり昼寝してるみたいな。そういう夢が見たいなあ…」
「夢の中でお昼寝したいんですか?」
「睡眠に飢えてるからね…」
ミチルはフリッツの目がとろんとしてきたことに気が付いた。いかにも瞼が重そうだ。
「なんだかどっと疲れたなあ。動いたから少し目が覚めて喋れたけど、またすごく眠たくなってきた。今なら、すごく気持ちよく眠れそうだよ」
フリッツはその場に崩れ落ちた。チルルは驚いてフリッツに駆け寄った。
ミチルはまずいと思った。呪われた剣の持ち主の最期は、狂気に染まり自らの命を剣で絶つか、眠れなかった分その反動で永遠の眠りにつくか。目の前のフリッツの様子は唐突で、明らかにおかしい。受身も取らず地面にうつぶせになって、今にも瞼が閉じられようとしていた。ミチルも慌てて駆け寄り、フリッツの身体を強く揺さぶる。
「フリッツさん、寝たらだめですよ! このまま寝たら、きっと二度と」
ミチルの声はそこで途切れた。いや、フリッツの意識が途絶えたのだった。
フリッツは、深い深い眠りへと落ちていった。
その夜、フリッツは夢を見た。
暖かな午後だった。故郷のカヌレ村だ。柔らかい緑が淡く光っている。幼いフリッツはお気に入りの崖の上にいた。悲しいことがあると一人でここにやってきて、しばらく泣いて、優しい日差しと緑の薫りで癒してもらうのだ。
フリッツが寝転んでいると、二人の人物がやってきた。父親と母親だった。
フリッツは顔を明るくして立ち上がる。そして二人目掛けて駆け出した。父親はしゃがみ、走ってきたフリッツを受け止める。きゃあと言って喜ぶフリッツをそのまま抱き上げ、身体の小さなフリッツを軽々と振り回した。
フリッツが興奮してずっと笑っているのを心配した母親が父親を止める。渋々それを承諾した父親が、フリッツを地面に下ろす。母親は小言を呟きながらも、フリッツの髪の毛についた葉っぱをとってくれた。そしてフリッツは母親に抱きしめられた。柔らかい母の髪からは、ほのかに花の石鹸の香りがした。フリッツは目を瞑った。
あたたかい。
ああ、これは夢だ。なぜなら。
「わたしの望みを叶えてくれてありがとう。きみはわたしの恩人だ」
父親の声だ。しかし、中身は違う。小さなフリッツにはなぜか直感的にわかった。
これは剣の声だ。ぼく悩ませていた、あの呪いの剣だ。
「あなたの望みも、いつか叶うといいわね」
母親の声だ。本当の母親ではないと頭ではわかっていた。
もっとも、フリッツを抱きしめた時点でそんなことはわかりきっている。しかし偽者だと知っていても、フリッツは「母親」の腕から離れることは出来なかった。むしろ、ずっとこうしていたいとさえ思った。「父親」はフリッツの頭を優しく撫でた。
両親に愛される、幸せな夢だった。
パシン。
軽い音と痛みが響いて、フリッツは目を覚ました。
「…あれ。ぼく」
フリッツはまだ眠そうに目をこすった。頬が冷たい。よくよく触ってみると、水で濡れている。木々の葉は高い場所に生い茂り、朝露が落ちてきたのではないらしかった。フリッツは身体を起こして、両頬を包み込むように手をやった。涙だ。
朝もやの残る中、早起きの小鳥が控え目に鳴く頃だった。昨晩のことはよく思い出せないが、ミチルにどこかへ連れられていったのは覚えている。そこで何をしたのか、どう帰ってきたのかは記憶にない。フリッツは野営地で毛布を被せられて寝ていたのだが、その傍らにミチルとチルルも眠っていた。なぜだかほっとした。そして再び、先ほどまで見ていた夢に思いをはせた。
間違いない。十六年間の中で最も幸福な夢だった。なのにどうして、自分は泣いてしまったのだろう。
起き抜けの意識に任せて、しばらくフリッツはぼうっとした。よく寝た。非常に良く寝た朝だった。今まで悪夢にうなされ、眠れずに衰弱していたのがまるで嘘のようだった。
そしてしばらく経ってから、フリッツは一人紅くなった。誰も見ていないだろうかと、慌ててきょろきょろと辺りを見回す。ラクトスは木の幹に身体をもたせ掛けて眠り、ティアラはフリッツのすぐ近くで寝息を立てている。そしてフリッツは少し離れた場所に毛布にくるまって転がっているルーウィンを見つけた。その位置は、どう考えても不自然だった。
「…起きてるよね?」
フリッツは恐る恐る声を掛けた。しばらく反応がなかったが、やがて観念したようにルーウィンはゆっくりと身体を起こした。ルーウィンはややばつが悪そうに、顔だけをちらりとフリッツのほうに向けた。
「いや、あんまり辛そうだったから、つい」
おそらく心配になって起こしてくれたのだろう。頬を打つ、というのはなんとも彼女らしいやり方だ。しかし、そこまですればルーウィンは否が応でも気が付いているだろう。二人の間に気まずい沈黙が流れる。
「なんか、ごめん」
ルーウィンはそう言った。予想外の反応だった。彼女がからかうことなく、逆に悪かったと思うほどに、自分はおもしろいほどベソをかいていたということになる。フリッツは耳まで真っ赤になって、思わず両手で顔を覆った。
「…起こしてくれてありがとう。あと謝らないで。余計恥ずかしい」
「わかった」
その方法が少々荒っぽかったとしても、そのことには目を瞑ることにした。
ルーウィンは、珍しく気遣わしげに尋ねた。
「そんなに酷い夢だった?」
「うん。本当に酷い夢だった」
厳しく、そして頼もしい父親。優しく、しっかり者の母親。絵に描いたような幸せな家庭。
その中に自分がいる。二人の視線の先にはフリッツがいる。
間違いない。十六年間の中で、最も残酷な夢だった。
しばらくの間忘れていた、胸がつねられたような痛みの感覚を、フリッツは久しぶりに思い出した。
「…罪滅ぼしのつもりかな」
いい夢を見せてくれようとしたのか。それとも回りまわって悪夢を見せるつもりだったのか。
結局それは、フリッツにはわからず仕舞いだった。
日が昇り、木の陰に繋がれていたパタ坊が奇声を上げたことでその場にいる一同は目を覚ました。
「いやあ、目が覚めてくれて本当に助かりました。このままフリッツさんが死んじゃったら、ぼくも無事では済まないだろうなと思ってましたから」
相変わらず悪びれもせず、微笑みながらミチルはそう言ってのけた。
「昨晩は気が付いたらフリッツさんがいないんですもの、びっくりしましたわ。捜し回っても見つからず、挙句の果てにボロボロになって帰ってくるんですもの」
「ミチルがこいつの背中の上に乗せてきたんだぜ、感謝しとけよ」
「そうだったんだ。ありがとう、パタ坊」
ティアラとラクトスに言われ、フリッツはパタ坊を見た。しかしグエェと鳴くパタ坊は相変わらずおっかなく、撫でてやるというわけにはいかなかった。
ルーウィンがしゃがんで、フリッツの具合を確かめる。
「で、どうなの? ちゃんと眠れたみたいだけど、呪いはちゃんと解けてるの?」
最後の夢見が良くなかったのを知っているだけに、ルーウィンは慎重だった。フリッツは笑った。
「多分大丈夫だよ。もう眠くないし、すごく気分がいい。眠るってこんなに大切なことだったんだね」
それを聞いて、ラクトスは一安心したように息を吐く。
「やれやれ、これでやっと先に進めるな。ところで、どうやって呪いを解いたんだ?」
「それが、ぼくにもよくわからなくて」
「まあ、いいじゃない。解けたことには変わりないし。ほら、ちゃっちゃとここを発つ準備をするわよ」
ルーウィンが動き始めると、ミチルとチルルも荷物をパタ坊に積み始めた。そして身軽にパタ坊の背に飛び乗ると、チルルに手を貸して登らせる。
「じゃあ、ぼくらはこのへんでおいとましますね」
すぐにでも発とうとするチルルに、フリッツは駆け寄った。
「呪いも解けたみたいだし、もうぼくから離れないなんてことはないと思う。この剣、返すね」
フリッツは元呪いの剣をチルルに手渡した。
「おかしいと思うかもしれないけど、ぼく夢の中で少しだけあの剣と喋ったような気がするんだ。望みを叶えてくれてありがとう、って言われた」
パタ坊に騎乗しているため、ミチルの頭はフリッツからかなり高い位置にあった。ミチルはフリッツを見下ろして目をぱちぱちさせると、くすっと笑った。
「フリッツさん。ぼくなりに、呪いの解けた原因を考えてみたんですが。その剣の望みは殺戮ではなく、その間逆の、守ることだったのではないでしょうか?」
チルルは呪いの剣に視線を落として言った。
「この剣は、鍛えられると同時に何年もの間、次々と名だたる悪党や金持ちの手を渡ってきた。きっといいようには使われてこなかったのでしょうね。武器は相手の命を奪いかねない道具ですが、もともとは身を守るためにあるものです。本来創られた目的とは正反対に使われてしまった。
その無念さがこびり付いて、呪いという形になってしまったのかもしれないですね。まあ、あくまで想像です」
「ぼく、昨日のことあんまり覚えてなくて。その、眠くて。そんなに大層なことをした覚えはないんだけど」
フリッツが呟くと、チルルはなにかを思いついたかのように兄の荷物の中を探り始めた。しかし目ぼしいものがなかったのか何も取り出さず、パタ坊の背からするりと降りると、しばらくしてすぐに帰ってきた。チルルは何も言わないまま、フリッツのもとへやってきて手を差し出した。
小さな手の中には小さな花が一輪握られていた。
「受け取ってやってください。チルルなりのお礼だそうです。少なくとも、チルルはフリッツさんに守ってもらったと、そう思っているようですよ」
ミチルが言うと、チルルはこくこくと頷いた。
「ありがとう。じゃあ、もらっておくね」
フリッツがその花を受け取ると、チルルはにこっと笑って、素早くパタ坊に飛び乗った。
「剣にも感謝されたということは、ひょっとして今までの悪夢の代わりに、いい夢でも見せてくれましたか?」
ミチルの問いに、フリッツは首を横に振った。
「そうですか。また近いうちにお会いできるといいですね」
「うん。道中気をつけてね」
ミチルは手綱を握ると、チルルとパタ坊とともにゆっくりと街道に向かっていった。
二人と一匹を見送り、フリッツはまっすぐ野営地へと戻った。三人はすでに発つ準備が出来ており、病み上がりとはいえ全快したフリッツはいそいそと身支度を始めた。
「しかし今回は災難だったな。お前の不注意が招いたこととはいえ」
あとはフリッツの支度を待つだけのラクトスに言われ、フリッツは思わず小さくなった。それを見たティアラがラクトスをなだめる。
「まあまあ、もう終わったことですし。でもフリッツさんの剣も、あんまり放っておくと怒って呪いの剣になっちゃいますよ。たまにはきれいにしてあげてくださいな」
ティアラがフリッツの真剣のことを口にして、そこでフリッツは初めて気が付いた。自分は呪いの剣をミチルに返したが、その代わりに渡していた真剣を受け取りそびれていたのだ。
「あっ、そうだった! 師匠の返してもらうの忘れてた!」
「なに言ってるの? あんたのならそこにあるじゃない、ほら」
ルーウィンが指を刺す先には、木の幹に立てかけられた古びた真剣だった。フリッツが手に取ると、間違いなく本物だった。マルクスに押し付けられ、背中に背負ってきた錆付いた剣そのものだ。
「ミチルったら、いつの間に返してくれてたんだろ。別になくても良かったんだけどなあ」
「何言ってるんだ。旅してるくせに真剣の一つも持たないでどうする。まあ、いざというときは質にでもするから一応持っとけ」
「うん、そうするよ」
フリッツはラクトスにそう答え、渋々ながら古びた剣を背負った。
しばらく道を進んで小休止を取っていたミチルは、積荷の中に顔を突っ込んで素っ頓狂な声を上げた。
「あれぇ、おっかしいなあ。チルルー、フリッツさんから貰った剣知らない? フリッツさんのやつ」
木の下にちょこんと座って大人しく昼食を食べていたチルルは、ふるふると首を横に振った。パタ坊も近くの川で喉を鳴らしながら水を飲み、大きな魚影を見つけては捕食していた。ミチルは腕を組んで首をかしげる。
「絶対ここに入れたのになあ。おかしいなあ。まあ、ぼくが持っていても仕方ないと言えば仕方ないんだけど。ああ、もったいない。仕方ないかあ」
言葉とは裏腹にフリッツの剣を諦めきれないミチルの額に、チルルはこつんと小さな拳をぶつけた。
「わかってるって、もう諦めるよ。あーあ、勝手に持ち主の元に戻っていったのかなあ」
ミチルはそう呟くと、諦めて積荷を再びパタ坊の背に積み直した。
そして自分とチルルもパタ坊に飛び乗ると、手綱を握って街道を進んでいった。
【6.5章 呪いの剣】