小説『不揃いな勇者たち』
作者:としよし()

しおりをはさむ/はずす ここまでで読み終える << 前のページへ 次のページへ >>


【プロローグ】

 北の大陸。行き交う人もない荒れ果てた大地に、その要塞はぽつりと建っていた。
 恐れて誰も近づくことのない、漆黒竜団(ブラックドラゴン)本部。黒い石を敷き詰めた回廊に、高いヒールの音を響かせ、ルビアスは歩いた。階段を上り、目指すは直属の上司の私室だ。螺旋階段に設けられた窓から時折見える荒野には、何もない。
 ルビアスは漠然とその景色をしばし眺め、再び顔を上げて階段を上った。目的の扉に辿り着き、ノックもせずに扉を押し開く。

「ただいまぁ」

 なんとも気の抜けた声を出して、ルビアスはアーサー=ロズベラーの私室に戻ってきた。彼女の言葉に対して、返事はない。ルビアスは部屋の中を一瞥する。

「ちぇ、シアは留守か。おかえりって言葉も掛けられないわけ、ここの男どもは。本当に気が利かないわね。いいわ、自分で言うわよ。ルビアスお疲れ様、おかえりなさぁい!」

 ルビアスは両手を広げ、満面の笑みで自分自身におかえりを言ってみたが、返ってきたのは予想以上に冷たい空気と虚しさだけだった。部屋の中は相変わらずしんと静まり返っている。
 扉に背を向けるように置かれているソファに腰掛けているアーサーは後ろを向いたまま、もちろんちらとも振り返る気配はない。ルビアスは背後に忍び寄り、アーサーの頭を叩こうとしたがあえなく避けられた。アーサーは持っている羊皮紙に視線を落としたまま言った。

「命令は」
「相変わらず事務的ですこと」

 ルビアスはため息をつき、やれやれと頭を掻く。

「ボスが、今度はヒトラスのパパに会いに行けって。ま、使えるものは使わなきゃ損だものね」
「元々、お前はそのための要員だろう」

 アーサーは淡々と答える。ルビアスは腕を組んだ。

「わかってる。はぁ、類稀な美貌とスタイルを持って生まれるとどこからも引っ張りだこで大変だわ。このナイスバディで金持ちやお偉いさんたぶらかすの、いい加減飽き飽きしてきた」

 ルビアスはアーサーの腰掛けているソファに、肘掛から脚を投げ出す格好で身を投げ出した。
 艶やかな黒髪が扇のように鮮やかに広がる。大きく開いた胸元からは繊細な鎖骨と豊かな女性らしさが見え隠れし、長く細い足は楽しげに宙を揺れる。そこでアーサーは初めて羊皮紙から顔を離した。アーサーと目が合い、ルビアスは紅い唇から白い歯をわずかに覗かせて微笑んだ。手を伸ばし、アーサーの頬に触れる。ルビアスは上目遣いで、いたずらっぽく甘えた声を出す。

「怖い顔。なぁに、あたしのこと心配してくれてるの?」

 アーサーの表情は真剣そのものだった。

「そのけたたましさで、本当にお前の仕事が出来ているのか」
「そっちの心配か! ほんっとに、デリカシーないわね! 殴るわよ」

 ルビアスはアーサーの頬に置いた手ではたこうと試みたが、それもひょいっとかわされてしまった。ルビアスは唇を尖らせるが、アーサーはそんなことはまったく気にも留めない。
 しかしルビアスは気を取り直し、反動をつけて立ち上がる。再び仕事に戻ろうとするアーサーの手から羊皮紙を奪い、ルビアスはアーサーに顔を近づけた。

「あたしも色んなパパに会ってることだし。ねぇ、アーサー。そろそろ弟くんに会ってみたら?」
「…その必要はないよ」

 部屋の隅に置かれている寝台からぼそりと呟かれた声に、ルビアスは眉根を寄せる。こんな時間にもなってまだ寝台の上で寝そべっているのかと、ルビアスは呆れた。寝台に転がっているのは黒髪のなかに一筋の白線が入った、小柄な魔法使いの少年だ。

「ジンノ、あんたに聞いてるんじゃないの。あたしはアーサーに聞いてるの。アーサー大好きなあんたの気持ちもわかるけどさぁ」
「…どうして会う必要がある」

 一見無表情で抑揚のないその声音に、ルビアスはジンノの僅かな嫉妬を感じ取った。しかし、それには気がつかない振りをする。そうしてやるのが、変にプライドの高いこの少年のためでもあった。彼はまだ見たこともない会ったこともないアーサーの弟という存在に、敵意を抱いているのだ。

「だって、そうじゃなきゃ話が進まないじゃない?」

 ルビアスは妖しく微笑んだ。











【第7章(前編)】
【第一話 高級住宅街にて】

「なんだか、場違いじゃないかなあ」

 一行はロマシュという街にたどり着いたのだが、フリッツは眉を八の字にしてそう呟いた。
 それもそのはず、閑静な住宅街がずらりと立ち並び、そのどれもが驚くほど立派な屋敷ばかりなのだ。フリッツは掘っ立て小屋、ラクトスは物置に毛が生えたような家でくらしていたため、なにかの施設ではなく個人の家だと特に衝撃を受けた。
 この街はグラッセルの貴族の別荘地であったり、由緒ある名家の屋敷があったりと、裕福な暮らしをしている人々が暮らす街だった。各々の屋敷の前には美しい花々が競うように庭を作っているが、それも高く強固な外壁の合間から垣間見えるものだった。けばけばしさはなく、ただひたすら静かで、ゆっくりとした空気が流れている。

 本来ならばとても住みよい町なのだろうが、立ち寄る旅人も少ないことで、フリッツはすっかり気後れしてしまっていた。ルーウィンはさして気にも留めず、ティアラは物珍しそうに辺りを見て楽しんでいる。
 そしてラクトスはすっかり中身の寂しくなった財布を恨めしそうに睨んだ。今までの街のように、安価なものが店先に並んでいなかったため、少し買い物をしただけでこの有様だった。

「くそっ。ぼったくりやがって」
「ぼったくりじゃないわよ。ここの街、いい食材しか置いてないもの。食べたらわかるわよ、ちゃんとおいしから」

 ラクトスの心配などよそに、ルーウィンはすでに自分の小遣いで買い食いをしていた。あまりの危機感のなさに、ラクトスは眉間にしわを寄せる。

「お前はいいよな、食うのが仕事で。おれは財布預かってんだよ。今度肉食いたくなったら街で買わずに、外に出てモンスターでも狩ってこい」
「嫌よ。モンスターの肉パサパサしてるし、だいたい目の前に美味しい肉があるのにどうしてそれを避けなきゃなんないのよ」

 ラクトスとルーウィンは、静かな往来でバチバチと火花を飛ばした。
 肉は高級ワインを作るのに使うブドウを食べさせ、広大な農場で開放的に育てられたもの。魚は聖水の湧く上流で採れたもの。果物も、毎日コーラス隊が子守唄を聞かせて育てているもの。などなど、やたらコストのかかるこだわりの食材しか店先に並んでいない。一般庶民、ましてや旅をしている人間にとっては痛い出費となる街だった。
 ピリピリした空気のラクトスとルーウィンに、フリッツは眉を下げて苦笑する。するとティアラが興奮したように声を上げた。

「わあ、フリッツさん見てください! あのお馬さん、角が生えてますよ」
「うわあ、本当だ! かっこいいね!」

 豪勢な馬車を、馬ではなく、馬の額から角が生えたような生き物が引いていた。行き来する人が少ない割に道が広いのは、馬車の往来が多いためなのだろう。ラクトスが振り返った。

「ありゃイッカクだな。馬の代わりにモンスターに車引かせるとは酔狂なこった」
「グラッセルには居なかったけど、クーヘンバウムでならたまに見かけたわよ。金持ちが好んで使うの」

 ルーウィンが答え、ティアラはまたしても声を上げる。

「わあ、フリッツさん、あそこにも! なんだか変わったお馬さんがいますよ」
「うわあ、本当だ! …うわあ」

 フリッツの歓声は、すぐに残念なものに変わった。
 変わったお馬さん、もといパタ坊を連れたミチルがにこにこと現れたのだ。

「うわあ皆さん! お会いしたかったです!」

 フリッツは思わず身構えた。直近の彼との遭遇には、まったくいい思い出がなかった。呪いの剣に取り憑かれてさんざんな目に遭ったのだ。反射的に、フリッツはさっとティアラの後ろに隠れてしまった。

「まるでカモがネギしょって来た現場を見つけたみたいに晴れやかな笑顔だな。
 生憎、こっちに金はないぞ」
「やだなあもう。なにを言ってるんですかラクトスさん、今日は買ってもらいたいんじゃないんです。手持ちが少ないって本当ですか? それなら、どんな依頼でも受けてくれますよね」
「あんたが依頼だなんて、珍しいじゃない。それに、チルルがいないわね」

 いつもなら、一行を見るや否やルーウィンめがけて飛んでくるはずだった。
 
「それなんですよ。困ったことになりまして。チルルが捕まってしまったんです」

 ミチルは珍しく重い息を吐き出した。
 ミチルは街の中でも一際大きな屋敷にフリッツたちを案内した。敷地はぐるりと高い塀で囲われ、その中を窺い知ることは難しい。唯一設けられた門には、二人の門番が構えていた。

「とにもかくにも、チルルはあの塀の向こう側に囚われてしまったんです。ぼくが行っても、商人だということも信じてもらえないですし、完全に子供扱いされて保護者の居場所を聞かれる始末です」
「確かに、あんたの歳じゃ商人だって言ってもにわかには信じがたいわね」
「お願いします! もうフリッツさんたちだけが頼りなんですよ」

 ミチルは顔の前で両手を合わせた。フリッツは困り果てた顔で、皆の顔色を伺う。

「頼ってくれるのは嬉しいんだけど」
「どうしろってんだよ。おれたちはお前よりは歳くってるけど、それでもまだまだ足元見られる年齢だ。あんな豪邸、門前払いされるに決まってる。金持ちは聞く耳持たない頑固者って相場が決まってるもんだしな」

「そうなんです、正面からじゃ到底無理なんですよ」

 ミチルは意味深ににっこりと笑った。









「あぁ、急に眩暈が」

 眩暈が、と言いながら、ティアラは胸を押さえて道端に倒れこんだ。明らかに矛盾している行動に、ラクトスは呆れてため息も出ない。

「おい、大丈夫か」

 まったく心配の欠片もない低い声で、ラクトスは座り込んでしまったティアラに視線を向ける。

「持病のナントカ病が出てしまいました。今すぐに水を飲まないと、わたくし…!」
「あー、水な。っても、こんなところに都合よく水なんかないだろ」

 完全なる棒読みで、ラクトスは頭を掻いた。どこからどう見ても、目の前で連れが倒れてしまった人間とは思えない。
 ティアラは苦しそうな表情を浮かべて、右手で胸を押さえながら、左手で指差した。その先には、少し前にチルルが一行を案内した、ロマシュの中でも一際大きな屋敷の門がある。

「そこの素敵なお屋敷に行ってきて、コップに一杯水を貰ってきていただけませんか?」

 息も絶え絶え、といった様子のティアラはなんとか言葉を搾り出しているようだった。
 ラクトスはくるりと反対側を向き、閉まっている門に手をかけて面倒くさそうに言う。

「というわけで。すまんが、水を一杯くれないか」
「いや、いったいどういうわけなんだ」

 一連の三文芝居を見ていた二人の門番は思わず真顔になって答えた。
 門番たちの冷めた反応に、ラクトスは眉間に深いしわを寄せた。その半分は、恥ずかしさからくる苛立ちの八つ当たりだった。

「いや、だから見てただろ。こいつ、今すぐ水飲まないと死んじまうらしい。だから頼むよ、ほら。水くれよ、水」

 ただのチンピラのような物言いで水を寄越せと迫るラクトスに、門番二人は不信感を募らせる。

「怪しい。お前たち、さっきのわけのわからないガキに何か吹き込まれたんじゃないだろうな」

 ミチルのことだと見当のついたティアラは、関係性を悟られまいと慌てて演技を続けた。

「お願いです、どうか一杯、いいえ、一匙で良いのです。水をいただけないでしょうか?」

 見る者が見れば安っぽい演技ではあるが、ティアラが大きな瞳を潤ませて切なげに助けを求める様子は、男性ならば誰もが思わず手を差し伸べたくなってしまうような仕草だった。しかしラクトスは例外だったが。
 門番二人は思わず水を取りに戻って駆け寄りたくなる衝動をこらえながら、必死になって首を横に振った。

「残念ながら、そちらのお嬢さんがいかに苦しんでおられようとも、我々はここを離れるわけにはいかない。最近はこの辺りも物騒でな。少し目を離した隙に賊に侵入を許してしまうことにもなりかねん。
 だいたいお前なんか、見るからに怪しい。全身黒尽くめで靴も薄汚れているし、なによりその目つきが気に食わん。どうせ金に困った冒険者崩れが、物乞いにでもしにきたんだろう。さあ、帰った帰った」
「ほぉ。貧乏人相手だと思って、言ってくれるなあおっさん。誰が物乞いだって?」

 ラクトスの口の端がぴくぴくと痙攣をはじめた。ティアラが驚いて、ラクトスの服の裾を掴む。

「ラクトスさん! 騒ぎを起こしてはだめです。もっと穏便に」
「いいじゃねえか、そっちのほうが好都合だろ」
 






 通りに面した門のほうでぎゃあぎゃあと騒ぎが起きているのを、塀によじのぼったフリッツとルーウィンは遠目に見ていた。ルーウィンはそれを他人事のように面白がっている。
 門番の気を逸らすのには見事成功したラクトスとティアラだったが、計画通り穏便にはいかなかったようだ。

「あーあ。ありゃどっちみち捕まるんじゃないの」
「ねえ、やっぱりやめようよ。ちゃんと話せばわかってくれるって」

 ここまで来れば完全な不審者なのだが、フリッツはまだ思い切れずにいた。

「あんたもわかんないわねえ。ミチルがちゃんと話さなかったと思う?」
「…思わない」
「でしょ。あの子胡散臭いけど、頭は悪くないもの。きっと子供ってだけで門前払いされたのね」

 ルーウィンの言うことはもっともだった。しかし、そこでなぜフリッツたちが事情を説明せず侵入するに至るのかは、やはり腑に落ちなかった。
 フリッツはまだ混乱していたが、ルーウィンはさっさと行ってしまう。フリッツも慌てて塀から落ち、なんとか無事に着地した。塀の上で確認した様子からは、敷地内には観賞用の木々がいくつもあり、それらに隠れればある程度は進めそうだった。ルーウィンは茂みに身を隠し、フリッツもそれに習う。

「ほら、とっとと行くわよ。さっさとチルル見つけて、誰にも見られないうちに帰るんだから。こんな豪邸に忍び込んだなんてバレたら、何も盗ってなくても厄介なことになるわ」

 ルーウィンは次から次へと物陰を見つけては、跳ぶように進んでいった。フリッツは必死になってその後を追う。
 突然ルーウィンの背中が止まり、フリッツは彼女の背中に直撃した。ルーウィンに睨まれ、フリッツは身を小さくする。謝ろうと口を開けようとするフリッツに、ルーウィンは一本指を立ててそれを制した。
 よく陽の当たる中庭に、テーブルが置かれている。ティーカップやポットが置かれていることから、屋敷の誰かがお茶でもしようと準備しているのだろう。そこになぜか、チルルがちょこんと座っているのだ。ルーウィンが突然進まなくなったのは、チルルを見つけたからだった。

(チルルだね)
(案外簡単に見つかったわ。さあ、問題はこれがどういう状況かだけど)

 隠れていた茂みの葉が、フリッツの鼻をくすぐった。

「は、は…っくしょん! 痛っ!」

 フリッツは容赦なくルーウィンに殴られ、悲しくなりながら鼻をすする。
 すると、それにチルルが気づいたようだった。茂みに隠れているのがフリッツとルーウィンだと知って、チルルは顔を明るくする。そしてきょろきょろと辺りを見回した。

(チルルは気づいたみたいだけど、下手に動けないよね。まだ向こうに誰かいるかもしれないし…って、あれ?)

 ルーウィンはすでに隣にはいなかった。あろうことか、フリッツの視線の先には堂々と席に着き、喜ぶチルルと焼き菓子を頬張る彼女の姿があった。

「ふぅん、お茶するところだったわけね。このアップルパイ、美味しいわ」

 もぐもぐと口を動かすルーウィンに、フリッツは絶望的な気持ちになった。
 人がくしゃみしただけで殴ったくせに、目の前に美味しそうなものがあっただけでのこのこと出て行ってしまうとは。彼女が気にしていたのはチルルの置かれた状況ではなく、お茶が終わってしまったかこれから始まろうとしているのか、その一点だったのだろうか。
 フリッツはがっくりと膝をつき、まだルーウィンの姿が屋敷の人間に見られていないことを願った。

「お味はお気に召されましたかな?」
「ええ、まあまあね。いいリンゴ使ってるでしょ」
「ほほぉ、わかりますかな」

 ルーウィンの背後に現れた年配の執事らしき男は、チリンチリンと持っていたベルを鳴らした。

「曲者だー!」

 フリッツは頭を抱えて、がっくりとその場にうずくまった。




-84-
Copyright ©としよし All Rights Reserved 
<< 前のページへ 次のページへ >> ここまでで読み終える