小説『不揃いな勇者たち』
作者:としよし()

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【第7章(後編)】
【第四話 火炎の中】

 ルーウィンたちが村の中心部へと駆けつけると、辺りはすでに火の海だった。
 家々が村の中心に集中しているのが裏目に出て、家から家へ、火は恐ろしいほどの速さで広がっていく。夜になって風が強くなったことも原因の一つだろう。しかし、この燃え広がり方はどこかおかしい。

「誰かが火を点けたんだ! おれは見たんだ!」

 村人がそう叫んでいるのが聞こえた。人々は持てるだけの家財を抱え、家から飛び出している。家族を見失った者が、必死になって名前を叫ぶ。
 火の手は留まることを知らず、赤々と燃え盛る。炎は街を舐め、焼け爛れた集落は悲鳴を上げる。火炎の爆ぜる音があたりに響く。
 ラクトスは近くを走って逃げようとする男を捕まえた。

「この村の酒場ってどこだ。教えてくれ」
「はぁ? 今それどころじゃないんだよ! 離せ、離してくれ!」

 男の形相はあまりにも必死だった。ラクトスは舌打ちし、乱暴に男を放した。この混乱した中で、酒場の状況を知るのは無理があった。
 しかし急がなければ。万が一にも、フリッツがこの火事に巻き込まれている可能性も十分にある。

「誰か! 誰か助けて! 子供が、子供がまだ中に!」

 三人の耳に女性の叫び声が飛び込んできた。炎に包まれた家に向かって手を伸ばし泣き叫ぶ母親と、それを羽交い絞めして止めている村人。おそらく家の中には、まだ彼女の子供が取り残されている。

「ティアラ、これ」
「ルーウィンさん!」

 ルーウィンは言葉少なに自分の弓をティアラに押し付けた。そして燃え盛る家屋へと突っ込んでいく。

「あのバカ!」

 ラクトスは舌打ちし、杖を構える。すぐにアクアヴェールの呪文を唱え、杖を正面へと振りかざす。杖の先から青白い光が放たれ、美しい青い雫が生まれる。その雫は溢れ出し、水は細い糸のようにまっすぐにルーウィンの後を追っていった。
 すでにルーウィンの姿は炎の向こうだった。魔法を発動させたとはいえ、ラクトスは気が気でない。目標が見えない状況でこの魔法を使うのは初めてだった。果たして水の加護は効くのか。
 ラクトスは焦りから奥歯を噛み締める。ティアラはルーウィンの消えていった家をじっと見つめ、祈るように両手を合わせた。

「家が!」

 女性が叫んだ。とうとう、家が崩れ落ちてしまった。音を立てて屋根が崩れ、大量の火の粉が舞う。女性は気力の糸が切れ、その場に崩れ落ちた。そして喉を逸らして、あらんばかりの声で泣き叫んだ。

「はい」

 絶望の淵にいた女性の前に、少女が立っていた。腕には赤ん坊を抱えている。女性はその赤子を恐る恐る受け取り、二度と離さないというようにきつく抱きしめた。あまりの嬉しさに、女性は赤ん坊を抱えたままむせび泣く。

「あ、ありがとうございます。あぁ、本当に、なんとお礼を言ったらいいか」
「急いでるの。酒場の場所、教えて」

 ルーウィンは、まるで射るような強い眼差しを女性に向ける。女性はその瞳に一瞬息を呑んだが、恩人のためにすぐに言葉を探した。

「この道を行った先の突き当りです。まっすぐなので、すぐにわかるかと……」
「ありがとう」

 ルーウィンは息をつく暇もなく、ラクトスとティアラに目で合図した。しかし、ラクトスは顔を歪ませる。

「お前な! ふざけるのも大概にしろ! こっちがどれだけ」
「うっさい。行くわよ」

 ルーウィンは走り出す。ラクトスは舌打ちしたが、黙って後に続いた。ティアラも同様に追いかける。
 しばらく走って、村の中を進む。火は村にまんべんなく放たれていた。
 助けを求める人。泣き叫ぶ人。狂ったように喚く人。皆、降って湧いたこの悪夢に耐え切れず取り乱している。
 三人は道の行き止まりまで辿り着く。しかし、目の前にあるのは燃え盛る家屋だけだった。そこが酒場だとわかるようなものは何もない。
 だがしかし、突き当りといえばその建物しかなかった。もうすっかり、炎に飲まれてしまっている。先ほどルーウィンが飛び込んだ家のように、入り込む余地はない。

「……そんな」

 ここまで極めて平静を保っていたルーウィンだったが、さすがにその表情に焦りが浮かんだ。

「ここで間違いないのか?」
「それじゃあ、フリッツさんは……」

 おそらく酒場であっただろうその建物は、今ではもう半壊しており、それでもまだ燃えていた。かなりの時間が経っているとみて間違いない。
 三人は立ち尽くす。この建物の中に、生存者がいる可能性は、限りなくゼロに近い。
 その時、三人の背後から、炎に包まれた街を背景に一人の女が現れた。
 女は誰かを背負っていた。肩に回した腕を掴み、引きずるような格好でこちらにやってくる。

「……フリッツ!」

 いち早く気がついたルーウィンが駆け出した。女は黙って背負っていたフリッツを差し出す。ルーウィンはぐったりとしたフリッツを抱き止める。そしてゆっくりと地面に寝かせた。
 フリッツは煤だらけだった。衣服のところどころが燃えて、火傷している。顔色はよくないが、それでも胸は上下に動いている。それを見て、ルーウィンはほっと表情を緩めた。
 しかしそれも束の間、ルーウィンは自分の手に違和感を覚えて目を見張った。フリッツの腹部を支えた手に、べっとりと血がついている。今までに見たことのない血の量だった。

「ティアラ!」
「はい!」

 ルーウィンに呼ばれ、ティアラはすぐに治癒魔法の詠唱を始めた。両手をフリッツの幹部にかざす。暖かな光が、だんだんと広がっていく。無事に治癒魔法が発動したのを見届けて、ラクトスは一息ついた。

「ここまで悪かったな、恩に着る」
「どういたしまして」

 ラクトスが礼を言い、女は答えた。ルーウィンはそこで初めて女の顔を確認する。

「……あんた、クーヘンバウムの!」

 フリッツを運んできたのはルビアスだった。ルーウィンはすぐさま矢筒に手を伸ばし、ルビアスに向かって弓を構える。ルビアスの黒い腕輪が、静かに炎を反射させた。

「フリッツに何をしたの! 返事次第じゃ、この場で」
「あら、恐ぁい。あたしは倒れていたこの子を助けてあげたのよ。お礼を言われても、罵倒される筋合いはないわ。それにあなたはあたしに借りがあるでしょ? もう忘れちゃったの?」

 おどけたようにルビアスが言って、ラクトスはルーウィンに視線を向ける。

「何の話だ」

 ルーウィンは眉根を寄せた。ルビアスは顔にかかった黒髪を払った。

「今ここで争うのは、あんまり賢明じゃないわね。それじゃあ、あたしはここで。絶対助けてあげてね。大事な鍵なのよ、その子」
「なによ、それ。どういう意味?」

 ルーウィンの問いに、ルビアスはただ微笑んだ。
 ルビアスは踵を返すと、そのまま立ち去っていった。ルーウィンは黙って弓を下げる。ラクトスはいぶかしげに眉をひそめた。

「おい。あの女、知ってるのか」
「後で話す。でも今は、フリッツが先よ」

 ルーウィンはラクトスの視線から顔を逸らすと、フリッツの方へと戻っていった。ラクトスはルビアスの消えた方をしばらく見ていたが、やがて彼もフリッツの方へと急ぐ。駆けつけるのとほぼ同時に、治癒魔法を施しているティアラにラクトスは声をかけた。

「ティアラ、お前はロートルを召喚して消火にあたれ」
「でも、それではフリッツさんは」

 ティアラは困惑した表情でラクトスを見上げた。

「おれがやる。これでも中級の治癒魔法くらいはできる。それに、予想以上に火の回りが速い。フリッツはここからあまり動かせない。同時進行でこの火も止めなきゃ、いずれおれたちも危なくなる」

 ティアラはしばらく考えていたが、やがて治癒魔法の光は小さくした。

「……わかりました。フリッツさんのこと、お願いします」
「ああ。そっちも頼んだぞ。くれぐれも無理はするな」

 ティアラは立ち上がると、ロートルの召喚を始める。そしてロートルを呼び出すと、まだ火の手が襲い来る村の方へと駆けて行った。
 ルーウィンと目が合い、ラクトスは頷く。ラクトスは静かに治癒魔法呪文を唱え始めた。フリッツの腹部の傷口は、すでにティアラの魔法によってかなり塞がれつつあった。こうして治療を続けていれば、命に別状はないはずだ。
 しばらくしてルーウィンは呟いた。

「ラクトス」

 ラクトスはフリッツの傷を見つめたまま答える。

「なんだ」

 炎の熱気と慣れない治癒魔法とのせいで、ラクトスは異常に汗をかいていた。汗がフリッツの傷口に落ちないよう、腕で額をぬぐう。

「さっきのあれ、助かったわ」
「アクアヴェールか」

 お互いに必要最低限の、短い言葉での会話だった。

「うん。なかったらやばかった」
「ったく、突っ走りゃいいってもんじゃないぞ」

 ルーウィンは黙った。ラクトスも、口を閉ざした。
 ラクトスはそうは言ったが、ルーウィンのあの判断は正しかったとわかっていた。ああでもしなければ、あの赤子は死んでいたに違いない。そして混乱する村人からは、酒場の正確な場所を聞き出すことも出来なかっただろう。悔しいが、ルーウィンがこういう場において最も的確な判断をする。ラクトスはそれを認めていた。
 ルーウィンはおもむろに立ち上がった。

「どうした?」

 ラクトスはルーウィンの様子を察し、目は離さないまま尋ねた。嫌な予感がした。
 ルーウィンは踵を返す。

「フリッツをよろしく。なんだかちょっとやっかいなお客さんが来たみたい。相手してくる」

 ラクトスは眉間にしわを寄せる。

「くそっ、こんな時に」
「こんな時だからよ。多分火をつけたの、こいつらなんじゃない?」

 万が一この場を襲われれば、治療中で反撃のできないフリッツは命を落としかねない。できるだけこの場から離れた地点で、何者かを追い払う必要があった。
 ラクトスはフリッツにかかりきり。今はティアラもこの場にいない。動けるのはルーウィンただ一人だ。

「大丈夫か」
「まかせなさいって。じゃあね」

 ルーウィンは軽い調子でそう言い、くるりとラクトスに背を向けて走り出した。
 ラクトスの言葉が短い。それはお互い、なるべく話さない様にしていただけではない。短い返答は、ラクトスの体力の消耗を意味していた。いくら治癒魔法が使えるとはいえ、慣れないものは慣れないはずだ。今のラクトスには、余裕が無い。しかしこの惨事のことを考えると、ティアラも戻すことはできなかった。
 
ルーウィン一人でやるしかなかった。
 彼女は腕を鳴らし、駆け出す。
 一人での戦闘は久しぶりだった。








 道を少し戻った地点で、予想通り、ルーウィンは数人の男たちの姿を認めた。道がカーブしているため、ラクトスやフリッツのいる場所からは見えず、またルーウィンからも見えない。これでルーウィンもラクトスも、お互いに自分の目の前のことだけに集中できるというわけだ。
 
 ルーウィンはすぐに男たちの装備に目を走らせる。黒い腕輪。間違いなく、先ほどルビアスの腕に嵌っていたものと同じものだ。ということは、この男たちは漆黒竜団。そしてこの村に火を放ったのも、フリッツを打ちのめしたのも、おそらくこの男たちで間違いない。我知らず、ルーウィンの拳に力が入る。
 男たちの手に握られているのは棍棒や剣などで、前衛の者がほとんどだ。この人数で接近戦に持ち込まれては面倒くさいことになる。
 まだ距離はある。そして向こうは、まだルーウィンの正体には気がついていない。逃げ遅れた少女が、ただ道の真ん中で途方に暮れているだけだと思っているのだろう。

 何が何でも、この地点で食い止める。
 攻撃は最大の防御。特攻あるのみ。
 ルーウィンは弓を引き絞った。男たちの背景は燃える村。夜だとはいえ、皮肉にも炎によって辺りは明るかった。しかし男たちも炎を背にしている為男たちが影になってしまい、的としてはよく見えない。普通の弓使いであれば、その場で弓を構えるのは時期尚早であった。いたずらに矢を放ったところで、無駄遣いになるだけだ。

 しかし、ルーウィンは違う。おぼろげにでも影が見えれば、彼女にはそれで十分だった。
 ルーウィンは何の躊躇いもなく矢を放った。同時に幾本もの矢が放たれ、男たちを襲う。突然の襲撃に男たちの悲鳴が上がり、その場で何人かがしゃがみこんだ。
 一瞬にして複数本の矢を放つ奥義、スターダスト。さらに連続して使用することにより、敵は多くの狙撃手に狙われている錯覚にすら陥ることもある技だ。
 一発で、三人が倒れた。ルーウィンは表情を微動だにせず、続けてスターダストを打ち込む。
 二発目、今度は四人。まだ息はあるだろうが、これでしばらくは動けないだろう。運がよければ、煙に巻かれて死んでくれたらいいのにと、ルーウィンは思った。
 最も安全な方法は今確実に仕留めにいくことだが、さすがにそれは気分が悪い。人が死んでしまうほどの致命傷を与えるのはよくあることだが、わざわざ近寄ってまで命を奪いに行くのは割に合わない。それが彼女の持論だった。

 しかし、ルーウィンはそこで目を細める。
 もともと揺らめく陽炎のせいで、人影の数を完璧に把握できていなかった。ざっと六、七人ほどで、それならばもう全員を足止めした計算になる。しかし、ルーウィンの首筋にちりちりとした何かを感じた。
 これは、虫の知らせだ。ルーウィンは再び警戒態勢に入る。

「後ろだよっとォ!」

 ルーウィンは背後から振り落とされた三日月刀を、間一髪で避けた。だが着地する瞬間、裏拳で腹部を殴られる。そしてそれは、深く入った。
 ルーウィンの軽い身体は吹き飛ばされ、そのまま背中を木の幹に強かに打ちつける。飛ばされたのは、道の脇にある雑木林だった。かろうじてまだ火の手は回っていない。 
 立ち上がろうと踏ん張ったところへ、続けざまの斬撃。ルーウィンは避ける。しかし、完全に相手のペースに飲まれていた。男の雑な攻撃は当たりはしないものの、ルーウィンを確実に林の中に追い詰めていく。見晴らしの良い道での戦闘は不利だと考え、林に追い込んだのだろう。
 もちろん、障害物があるほうが弓使いにとっては有利な場合も多々ある。しかし今、相手が完全にルーウィンの姿を捉えている以上、見失うことはないだろう。そうなれば、木に姿を隠して狙うということはできない。間合いは完全に接近戦のものだった。後衛のルーウィンが一人で戦うにはかなり不利な状況となる。
 
 相手が下手なド素人なら幾らでもやりようはあったが、どうやらそういうわけにはいかなかった。あの雑な攻撃も、ルーウィンが避けることを見越しての、林に追い詰めるためだけの攻撃だったのだ。仲間が次々と弓矢によって倒れていく中、咄嗟に抜け出し林に身を隠して進み、ルーウィンの背後をとっただけのことはある。
 この限られた場所で、ルーウィンが戦うにはあまりにも不利だった。

「よくもやってくれたな。仲間が一瞬にして蜂の巣だぜ」

 ルーウィンを追い込み、男は一度攻撃の手をとめた。ルーウィンは斬撃によるかすり傷はひとつもなかったが、その顔は痛みに歪んでいる。先ほど殴られた時に腹と、木にぶつかったことで背中と両方を痛めていた。普通の女性であれば、簡単に気絶してしまうほど重たい拳であったのを立ち上がったのだ、無理も無い。
 そして奇襲にかけて相手が上手であったことや、赤子救出の際に思っていた以上に体力を削っていたこともあり、ルーウィンにはすでにあまり余力は残されていなかった。
 まずいな。
 しかしルーウィンは、平静を保って口を開いた。

「あんた、漆黒竜団ね。この火事、あんたたち?」
「そうだ。なかなか派手にやっただろ? こんなチンケな村一つ、無くなったって誰も困りゃしない」

 男はまるで大きな花火でも打ち上げやったとでも言うように、なんの悪びれも無く言ってのけた。

「じゃあ、この村の酒場襲ったのも、あんたたち?」
「なんだ、話が早いな。一番に火を点けたってのに。あの中はちょっとした地獄だった、お嬢ちゃんもあの場に居合わせたら人生変わる経験が出来たのにな。まあ、あの場にいた奴は皆死んでるが!」

 男は自慢げに話し、嗤った。
 そしてルーウィンも、声を出して笑う。

「なにが可笑しい?」

 男は訝しげにルーウィンを睨みつけた。目の前の少女は、どう考えても自分に追い詰められている。にも拘らず、命乞いもせずあろうことか笑い出すとは。
 ルーウィンは不敵な表情で言い放った。

「それは残念。あんたはここで、あたしにやられて終わりよ」

 正直、一筋縄ではいかないだろう。
 ルーウィンの頭に、ぐったりとしたフリッツの姿がよぎる。
 目の前の男をなんとかしなければという使命感より、どうにかしてやろうという悪意が理性を上回る。
 ルーウィンは苦笑した。



 ダンテ、ごめん。
 あんなに心得てた引き際が、わかんなくなっちゃった。




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