小説『不揃いな勇者たち』
作者:としよし()

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【第8章】
【第五話 旅の終わり】

フリッツとルーウィンは、しばらく口を利かなかった。
意地の張り合いをしているわけでも、気まずい思いをしているわけでもなかった。
フリッツはルーウィンと話すことで、力を使いたくないと思っていた。彼女の言葉は、いつも大抵、正しい。鋭くまっすぐなナイフで、フリッツの弱ったこころを突いてくる。
今のフリッツには、まだそれを受け入れるだけの余力がない。自分の内側と向き合うのに精一杯で、かといって受け入れることも出来ず、そうしてどんどん闇の中に深く潜っていく。

一方ルーウィンも、もうフリッツの堂々巡りする考えに振り回されるのはうんざりだった。フリッツが沈んでいくのを見ると、腹が立った。早く吹っ切れて欲しいと、膿を抉り出すつもりで感情に任せて食って掛かった。
しかしそれも、まだ早かった。結果、フリッツをさらに傷つけることになった。
自分ではどうすることも出来ない、せめて自分に出来ることは、フリッツに近づかないことだとルーウィンは悟った。近づけば、また余計な言葉でズタズタに切り裂いてしまう。

そうならないよう、二人はお互いに接触しようとはせず、最低限の言葉のやりとりを交わしていた。
ミチルとチルルはやりづらそうにしていたが、その重たい空気の中にある二人の意図を、彼らなりに読み取っていてくれた。

そうこうしているうちに、無事に街道に出、四人と一匹は都グラッセルへと近づいた。
生い茂る緑を抜け、広く整備された街道に出て、グラッセルの都を遠目にしたときの安堵感といったらなかった。これほどまでに心身ともに追い詰められたのは初めてだった。いつもなら、身体は辛くても、なんだかんだ言いながら楽しくやってこられたのだ。
しかし今回は、それが出来なかった。重い体を引きずりながら、一行はグラッセルの都に入り、身なりを整えてグラッセル王宮へと向かった。

王宮に着いた後、ことは意外にも早く進んだ。
シェリア女王をはじめとする国のトップたちは、フリッツとルーウィンが山間の村の壊滅の知らせをもたらすよりも早く、その事実を知っていたというのだ。ラクトスの書いてくれた手紙を見せると、拍子抜けするほどあっさりと、しかもシェリア女王に直々に謁見することが許された。面識があるということもあったが、実際に惨状を目で見た者の話が聞きたいとのことだった。
このあたりのことは、フリッツはあまり覚えていない。気力を振り絞り、かつ事務的に動いたのだろう。
シェリア女王はすぐに救援部隊を派遣することを決め、さっそく助けを遣すということだった。ルーウィンが漆黒竜団のくだりを話すと、グラッセルでも警戒を強め、目を離さないようにすると約束した。

フリッツは一つ、隠し事をした。元はこの城で勤めていた、兄であるアーサーが漆黒竜団にいたことは話さなかった。ルーウィンもその意を汲み、特に言及することはなかった。

そして、フリッツの役目は終わった。
また戻るということであれば、しばらく身体を休め、三日後に派遣される部隊と共にまたあの村へ向かえばいいと、シェリア女王は二人に提案した。






「謁見、終わったんですね。大役お疲れ様でした」

グラッセル王宮の片隅の一室で、ミチルは帰ってきたフリッツを労った。
以前王宮に滞在していた時にフリッツたちにあてがわれていた客室で、隣の部屋にはルーウィンとチルルが休んでいる。フリッツはベッドに腰を下ろし、装備を外して横になった。
頬の肉がげっそりと削げ落ちてしまっているのではないかと思うほど、フリッツは疲れていた。きっと目の下には隈ができていることだろう。
フリッツはしばらくベッドに沈み込む心地良さを堪能した。久々の感覚だった。宿屋の堅いベッドでも文句はなかったというのに、ましてや王宮のベッドで寝そべることができるとは。疲労で溶けそうになっているフリッツをよそに、ミチルは子供らしい様子で珍しくはしゃいでいた。

「まさかグラッセルの王宮に入れるだなんて、夢にも思ってみませんでした! あの絵とか、この壷とか、その調度とか高そうですねえ。いったい幾らくらいするんでしょうね」

 もとい、全然子供らしくなんかなかったと、フリッツは思い直す。

「ラクトスさんとティアラさん、きっと向こうは大変なんでしょうね」

 不意にミチルの言った言葉に、フリッツの胸はつねられたように痛んだ。
自分がこうしている間にも、ラクトスとティアラは動いているのだろう。
あんな何もない、あるとすれば黒い炭しかない廃墟で。

しかし、今くらいこうしていてもいいだろうと、フリッツは思った。ここまで来る道中、大変だったのだ。
しかし本当に大変だったのはルーウィンで、自分はただのお荷物だったことを思い出し、フリッツは罪悪感に襲われた。そして、身体を起こした。ベッドに横たわらないことで何か変わるかといえば、何も変わらない。しかし、そうするより他なかった。
相変わらず、ミチルは楽しそうに部屋の中を飛び回っている。職業病なのだろうなと、フリッツは思った。こんなに幼いにも拘らず、やはりミチルは正真正銘の商人なのだ。
調度品を触ったり眺めたりしているミチルに、フリッツは問いかけた。

「ミチルは探し物をしているんだったよね。何を捜しているの」
「どうしたんです? ずいぶんとまた唐突ですね」

 きょとんとした表情で見返してくるミチルに、フリッツは苦笑した。
いくら行商人や冒険者の行き来が盛んだといっても、子供だけで旅をする者は少ない。親がついていないのは、やはりそれなりの事情があるのだろう。最初は家出かとも思ったが、初対面ではそれも聞けなかったのだ。

「まだ若い二人が、旅までして捜そうと思っているものが気になっちゃって。そんなにまでして、見つけなきゃならないものって、なんなのかなって」

 ミチルは持っていた壷を一旦置いて、フリッツに向き直った。

「方法、です」

 ミチルは続けた。

「ぼくらが捜しているのは、チルルの声を取り戻す方法なんです。チルルは、生まれつき話さなかったわけではないんです。ちょっとしたことで声を落としてしまって。それでぼくは、チルルの声をもう一度聞くために旅をしているんです」
「……そうだったんだね」

何か事情があるとは思っていたが、そういうことだったとは思いも寄らなかった。たった二人の幼い子供たちが旅に出てしまい、両親は故郷でさぞかし心配しているのだろう。
チルルの声を取り戻す。それは一見、漠然としていて途方もないことのように思える。そもそも、生まれてずっと話すことが出来なかったのではなく、なにかの拍子に声をなくすことなど有りうるのだろうか。
 病気の一種かと思い、フリッツは言った。

「腕のいいお医者さんは当たってみた?」
「医者には相談しました。原因不明だと言われました、身体のどこにも問題はないと。ただ声を取り戻す方法はなんとなく見当がついていて、ぼくらはそれを実行に移すための決め手を探しているんです。情報収集しながら旅をして、それでお金も稼がなくちゃならないから、行商人になりました」

それを聞いて、フリッツは目を丸くする。

「なりました、って。じゃあ二人はもともと行商人の家の子供じゃないの?」
「はい。ぼくらの両親は酪農をしていました。騎獣を育てたりなんかも。パタ坊と同じ種類のものをいっぱい飼っていました」
「すごいなあ」

フリッツなど、親が修練所を営んでいたから、兄が剣士志願者だったから、それだけの理由で自分も同じように剣を取っていた。自分が闘うことに向いていないと知りながら、それ以外の道を模索することをしなかった。自分は家族と同じように、この道を歩むのが当たり前だと思っていた。
深く考えもせずに。

「今度は、ぼくが訊いてもいいですか? フリッツさんはお兄さんを捜されているんですよね。何か手がかりは見つかったんですか?」

今度はミチルが訊ねる番だった。フリッツは思わず口をつぐむ。
久々の里帰りで、両親がかつての面影をなくすほど憔悴していた。その原因が兄なら、二人を治せるのも兄だと思った。フリッツではだめなのだ。昔からいつだって、両親の気持ちを左右してきたのは兄の一挙一動だった。
しかしあの時、十年ぶりに里帰りしたあの日。両親のやつれきった姿を見て、フリッツは罪悪感を覚えた。放っておかれたのは自分だと思っていたが、自分だって両親があんなふうになるまで放っていた。お互い様だったのだ。
そしてそれをなんとかするのは自分だと、そう思ってここまでやって来た。
兄に会いさえすれば、どうにでもなると。事態は解決すると、信じて疑わなかった。
しかしその肝心の兄は。ことの発端であり、同時に救いであり、希望でもあった兄は。

「……あの事件に、ぼくの捜している兄さんが関係していて。それでぼくは今、迷っているんだ。これからどうしたらいいのか」
「お兄さんに会って、どうしたかったんですか?」
「一度故郷に戻るよう説得するつもりだったんだ。両親の具合が悪くてね。でも……」

アーサーは変わってしまった。もはやフリッツの知っていた兄ではなかった。
仮にあの兄を説得することができても、故郷に連れ帰ったところでなんになる? 
フリッツにはわからなくなっていた。

そんな様子のフリッツを見て、ミチルは言った。

「ただ里帰りを勧めるだけにしては、ずいぶん思い悩まれているみたいですね。何があるのかわかりませんけど、頑張って決めてください。フリッツさんがどうしたいか、どうすべきか」

自分がどうしたいか。どうすべきか。
それは、このまま旅を続けるか、否か。
フリッツは今一度、自分に向き合うべき時がやってきたことに、ようやく気がついたのだった。







フリッツは、深呼吸する。
そして隣の部屋の戸をノックした。返事はない。

「ルーウィン。話があるんだ。この前みたいに、もう馬鹿なことは言わない。だから……」

すると静かに、ドアがわずかに開いた。
ほっとすると、その隙間からチルルが何事かと半分顔を覗かせている。

「チルル、通してもらってもいいかな? ルーウィンに話があるんだ」

フリッツが穏やかに言うと、チルルは静かにドアを開けた。
ルーウィンは窓辺のイスに腰掛、丸テーブルに肘をついて中庭の方を見ている。
フリッツが来たことを知りながらこちらを見向きもしてくれない。やはりまだ先日のことが尾を引いているのだ。

「あの、ごめんね。あんなこと言って。きみはこの数日間、役立たずのぼくを必死に護ってくれたのに」

確かにあの発言は、いけなかった。
フリッツの命がどうあれ、ミチルたちと合流するまで、ルーウィンはたった一人で頑張ってくれた。ミチルたちと一緒になってからも、彼女は闘ってくれた。
護ってくれたこの身を価値のないものと見なすなんて、ルーウィンに対して失礼極まりなかったのだ。フリッツの命を否定することは、彼女の労力をも否定する発言だった。価値のないものを護らされたとあっては、ルーウィンも怒るだろう。

「……まあ、いいわ。で?」

機嫌は良くない。しかし、いくら待ってもフリッツへの態度が変わることはないだろう。
フリッツはルーウィンに嫌われてしまったのだと諦めていた。ラクトスやティアラが旅に加わったことで、最近は見えなかっただけのフリッツの色々な欠点が、しばらくの二人旅でまた露になったのだろう。
 その上体調不良で闘えないとあっては、それはもううんざりだと思われて仕方ない。自分はルーウィンのことを頼りにしているが、それだけではだめなのだ。
すこしはマシになったかと思っていたが、やはりフリッツなどただの意気地なしだった、そんなところだろう。

彼女が弱い人間を嫌うことは重々承知している。最初の頃よりは仲良くなれたかと思っていただけに、フリッツは寂しさを感じざるをえなかった。しかし、この状態はなるべくしてなったもので、逆に言いやすい状況かもしれないと、フリッツは思った。嫌われているのなら、今からの話も切り出しやすい。
チルルはその空気を読んで、黙って隣の部屋へと出て行った。
パタンと、ドアが閉まる。

「あの、火事なんだけど……兄さん、止めなかったんだ」
「じゃあ仲間だったんじゃない。漆黒竜団だって、いい加減認めたら?」

ルーウィンの口から出された言葉は、相変わらずそっけないものだった。フリッツは視線を床に落とす。

「わからなくなったんだ」

 フリッツは情けない声を出した。ルーウィンの視線は、窓の外のままだった。

「ひょっとしたら、兄さんは変わってしまったのかもしれない。ぼくを見てにこりともしなかった。本当にぼくの知ってる兄さんじゃなくなっていたらって思うと、どうしていいかわからないんだ」

 どうしていいかわからない。最近は、ずっとそうだ。
 ルーウィンはテーブルに頬杖をついたまま、口を開いた。

「人が変わるなんて、そんなの当たり前のことじゃない。離れている間に相手が変わってたって、なんにもおかしくなんかないわよ。ひとはね、変わるの」

人は、変わる。それはアーサーだって例外ではない。
やはりという想いが、フリッツの胸を締め付ける。

「変わってしまった兄さんと新しい関係を築くのが面倒なら、もうやめたほうがいい。あんたがどう決断しようと、あたしはなにも言わない。あんたの意見を受け入れるだけよ。拒絶されるのが恐いなら、兄さんとの思い出は綺麗なままにして大事にとっとくのね」

ルーウィンは、わかっている。
どうしたらいいのかわからないという言葉には、気持ちだけでなく、今後のフリッツの取るべき行動のことも加味されていた。
フリッツがわからなくなっているのは、旅を続けるか、否か。
そういうことなのだと、ルーウィンはわかっている。

「十年なんて年月、人を変えるのには十分よ。あんただって、前のままのあんたじゃないことはわかってるでしょ。親が止めるのも聞かずに、こうしてグラッセルくんだりまで来てるのがいい証拠だわ」

しかしその言葉は、すでにフリッツの耳には入っていなかった。

「ありがとう。ちょっと、考えてみるね」

フリッツは部屋から出て行った。
それと同時に、チルルが小さな足取りでやってくる。そして窓の外を向いたままのルーウィンにパタパタと駆け寄った。

「チルル」

ルーウィンは力なく苦笑した。そして、チルルを抱きしめた。

「また、あんな突き放すような言い方、しちゃった」

チルルにルーウィンの表情は見えなかった。しかし、その声音から、ある程度は想像がつく。
チルルは小さな手で、ルーウィンの頭を撫でた。






フリッツは一人で、グラッセルの街へと足を運んだ。
久しぶりのグラッセルは、やはり賑わっていた。以前来た時は漆黒竜団の影があり、やや活気のない様子だったが、今はそれが嘘の様だった。山盛りに積み上げられた果物はより高さを増し、女子供の行き交う姿も増え、物売りたちの張り上げる声にも活気がある。
フリッツの心境とは関係なしに、街の人間たちは忙しそうに、楽しそうに動いている。それが逆に、有難かった。
一人にはなりたかったが、本当に一人きりになってしまうと気が滅入る。自分を気にも留めない人々が往来を行く様子は、今のフリッツにとっては都合が良かった。

「おーい!」

誰かが呼ばれている。フリッツはそのまま歩き続けた。

「おーい、そこの兄ちゃんだよ。おい、そこのデコの広い!」
「……どなたですか?」

そこまで言われたからには、足を止めないわけにはいかなかった。
フリッツはつい眉根を寄せる。グラッセルに知り合いなどいないはずだ。

「やっぱりそうだった! おれだよ、おれ。元盗賊の」

フリッツは見覚えのない男の顔をよくよく見た。元盗賊の、という言葉を頭の中で反芻させる。
フリッツは思わず、あっと声を上げた。

「あの時の! 盗賊のお頭! なんでこんなところに」
「なんでじゃないだろう。あんたじゃないか、グラッセルの治水工事の話を教えてくれたのは」

 フリッツは手を打った。

「そういえば、そうだった。わあ、お久しぶりです。すっかり職人の雰囲気ですね」
「ははは、まあな。お陰さまで」

思いがけない再会に、フリッツの表情も明るくなった。
再会したのは、ガーナッシュとカヌレ村の間を拠点に盗賊をしていた元首領だった。人相は穏やかになり、肌は健康的な小麦色に焼け、日々汗を流して働く労働者といった様子だった。
少し前に盗賊をやっていた人間だとはとても思えなかった。現に今も、その隆々とした力強い腕にはいくつもの角材が抱えられている。その腕っ節を生かして、日々真面目に働いているのだろう。

「ここには来たばかりか? なんなら、案内しようか?」
「いいえ、グラッセルは二度目なので。それに、もう用事は終わりました」
「そりゃ残念だ。まさかあんたがここまで来ているとはなあ。あの気の強いお嬢ちゃんはまだ一緒にいるのか?」
「……えっと、一緒です。一応」

フリッツは一瞬、言葉に詰まった。
元首領はフリッツのその微妙な表情を読み取ってにやりと笑う。

「なんだ? 浮かない顔だな、さてはケンカでもしたか? まあ、いい。おれはあのお嬢ちゃんにも感謝してるが、あんたにも恩を感じてるんだ」
「ぼくにですか?」

フリッツは意外な言葉に目をしばたかせる。
盗賊団を壊滅させ、ルーウィンなどは盗賊たちを縛り上げて脅迫までしたのだ。恨まれることはあっても、感謝などされる覚えがない。
フリッツの不思議そうな顔を見て、首領は快活に笑った。

「お嬢ちゃんはおれたちの目を覚まさせてくれた。だが同時に、あの場で殺されてもおかしくはなかった。あんたはそれを止め、かつおれたちに仕事の情報を与え、生きていく可能性を探すきっかけをくれた。おれは中途半端な悪人だったが、これだけは言えるぜ。悪人でも、きっかけとやる気があれば人生のやり直しはできるんだ、ってな」
「どんな悪人でも。人生の、やり直し」

フリッツはその言葉を口に出した。
それは今のフリッツにとって、残酷な言葉だった。

フリッツはすぐに連想した。あの漆黒竜団の男たちも、生きていればあるいは。
あるいは善人になることができたのだろうか。何かの導きと、何かの拍子に、憑き物が落ちたように人が変わり、希望を抱いて日々を過ごす可能性があったのだろうか。
しかし、それはすでに不可能だった。
彼らの命は、フリッツが奪ってしまったのだから。

「あの。不躾な質問ですけど」

急に声が低くなったフリッツを見て、首領は調子でも悪くなったのかと首を傾げる。
フリッツは元首領を見上げた。

「あなたがこうしてまっとうな人生を送ろうとしていること、今まであなたが悪事を働いた被害者は、どう思うと思いますか。その人たちに対して、あなたはどう思いますか?」

元首領は視線を伏せた。
しばらく口をつぐんで、そして答えた。

「本当に、申し訳ないと思っている。だが、今のおれには各地を巡って謝罪に行くような余裕はねえ。かあちゃんと息子をまっとうな金で食わせる。それが先決だ。それがおれなりの償いだと思っている」

 フリッツはその答えに愕然とした。
償い? 
そんなのは自分の勝手だろう!
他人の命を殺めたら、他人を不幸にしたら。
自分も不幸になるべきじゃないのか。それが正しい償いなのではないか。
少し前のフリッツなら、こんなことは考えもしなかった。だからこそ、盗賊たちにグラッセルの治水事業のことを教えたのだ。新たな人生を歩んで欲しいと思った。思っていた。

しかし同時に、フリッツは恐ろしいことに気がついた。
自分は、殺した彼らの未来や可能性を奪ってしまったのだ。

これまでは漆黒竜団の命を奪ってしまったことより、自分が人殺しになったことのほうがショックだった。これは同じ事象であるが、同意ではない。
人の、命の、可能性を奪った。
フリッツは今まで、そんなことにも気がつかなかった。

こうして目の前に改心し、新たな人生を歩もうとしている元首領と再会し、命の可能性に気がつかされた。
奪っていい命など、失われていい命など、ありはしないのだ。
自分はやはり、とんでもないことをしでかしたのだ。

「おい、兄ちゃん、大丈夫か?」

フリッツの顔色が突然変わったのを見て、元首領は心配そうに顔を覗きこむ。
しかしフリッツは、なにかに取り憑かれたようにふらふらと、黙ったまま歩いていってしまった。
フリッツは不安定な足取りで、通りを一人、歩いた。








「フリッツさん、お帰りなさい。晩御飯ならそこに置いてあります。姿を見せないんで、ルーウィンさんが心配していましたよ」
 フリッツは黙ったまま、ベッドに腰掛けた。視線は絨毯に落とされたままだ。明らかにおかしな様子に、ミチルは首をかしげる。

「どうかしたんですか?」

 フリッツは膝の上に手を組んだ。
 そして、口を開く。

「お願いがあるんだ。グラッセルで商品を買い付けるの、やめてくれないかな。ぼくの依頼を受けて欲しい」

フリッツがなにを言おうか見通しているかのように、ミチルは微笑んだ。

「旅を、終えるんですね」

フリッツは黙って、頷いた。





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