小説『エルゥと天使と銀の龍』
作者:間野茶路()

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三 追う者 2 
 
 翌日は絶好の航海日和となった。
 エルゥたちは北のデルフィノ行きの船の乗船券を四人分購入し、早速他の乗客と共に連絡船に乗り込んだ。
 乗客はアントスやデルフィノの商人や、他の地方からの旅行者など様々で、アントスでは少々目立っていたエルゥたちでも、何の違和感も無い。
 エルゥとイファは、他の乗客と共に、波止場で自分たちを見送るコリンやマドル、エッジの三人に、甲板から一所懸命手を振った。三人も手を揚げて応えてくれている。とても短い間だったが、エルゥは三人がとても好きになった。
 「落ち着いたらイグアノスに行きたいね」
 遠くなる三人の姿を見つめながら、エルゥはポツリとそう言った。するとイファも、
 「そうだね。きっとすぐに行けるよ」
 と、にっこり微笑んだ。
 「船を探検しに行かんか?」
 不意に二人の後ろから、ティム爺が声をかけてきた。
 「行く!」
 二人は満面の笑顔で振り返った。
 デルフィノ行きの連絡船はコリンたちの船よりも三倍ほど大きく、乗務員も合わせて八十人程が乗れる大型船で、大食堂や展望室、船倉にはそれぞれ客室を備えている。
 何もかもが珍しいエルゥとイファは、ティム爺の説明に目を輝かせながら、船の探検を楽しんだ。
 「あれ?ガライは?」
 「そう言えばさっきから姿が見えん。どこかではぐれたかのう」
 甲板に出た三人は、辺りを見回してみた。
 だが、見知らぬ人々がそれぞれ語らい合っているだけで、そこにガライの姿は無い。
 「船には一緒に乗ったから、どこかに居るはずだよ」
 「じゃあ別れて捜そうよ。その方が早く見つかるよ」
 「そうじゃの。では皆で手分けして捜そう」
 「ダメだ」
 エルゥとティム爺の意見に、イファは即座に反対した。
 「大事なことを忘れているよ。エルゥは一人にさせちゃいけないだろ」
 「おお。そうじゃった」
 「僕がガライを捜してくる。ティム爺はエルゥと客室で待っていて。僕やガライ以外、扉を開けてはダメだよ」
 イファは一方的にそう言い残すと、さっさと二人の前から離れて行った。
 「気が利く子じゃのう。大人でもあんな聡明なヤツは滅多におらん」
 「うんそうだね。イファは凄く勉強しているんだね」
 「勉強というよりも、イファの持って生まれた気質じゃよ。いつも冷静で思慮深くて、それでいて他人を思いやる暖かみも持っておる。それにエルゥに負けず劣らず、可愛いしの。これは大陸からきた母親の血のせいじゃな」
 「綺麗だよね。イファのお母さん」
 「そうじゃの。よく嫁いできてくれたもんじゃ」
 エルゥとティム爺は、イファと同じ髪の毛の色、同じ瞳の色の、美しい母親を思い浮かべた。
 今から十五年前。伝承師であるイファの父親は、勉強のために本国グリンモアに滞在していた。
 ある日。島を思い出して海岸を歩いると、浜に打ち上げられている一人の女性を発見した。女性は意識を無くしていたが、命に別状は無く、彼はすぐに医者の元へ彼女を運んだ。
 女性の容態はすぐに良くなった。
 しかし彼女には全く記憶が無く、何故浜に打ち上げられていたのかも、自分の名前すらも分らず仕舞いだった。
 女性には頼る者も無かったため、イファの父親は彼女に部屋を借りてやり、何かと面倒を見ることにした。
 やがていつしか二人は愛し合うようになり、共にビオラ島に戻って結婚したのである。
 結局母親の記憶は、十五年経った今でも思い出されないままとされているが、ティム爺は、本当は思い出しているのではないかと思っていた。何もかも思い出した上で、イファの父親やイファのために、島に残っているのではないだろうかと。
 「ガライ!どこに居たの?」
 エルゥの声に、ティム爺はそちらを振り返った。
 甲板の上に、ガライがずぶ濡れで立っている。
 「すごく濡れてるよ!どうしたの?」
 「海に居た」
 「落ちちゃったの!大変!イファはガライ捜して、どこか行っちゃったんだよ!」
 「全くいつ落ちたんじゃ。しかしよく上がれたもんじゃ。さ、早く客室に…」
 エルゥとティム爺が、ガライを挟んで客室へ向かおうとした時である。
 「エルゥ!」
 イファの声である。
 「何?ガライならここに…」
 振り返ったエルゥは驚いた。
 イファの隣には、ガライが居る。
 「ガライが二人…!どういうことじゃ」
 エルゥは自分の隣にいるガライを見上げた。
 落ち着いたその瞳。
 まさか…!
 「まさか…銀の…」
 ガライの姿をした彼は、静かに微笑んだ。
 「海の中で、君がこの人をとても心配していたのを感じた」
 「無事だったんだね!良かった!」
 「エルゥ。何じゃ、コイツはまさかあの龍なのか?」
 「そうだよ。凄いでしょ!何にでもなれるんだよね」
 彼は頷いた。
 「俺が居る!オマエは何者だ!」
 自分の姿に驚いたガライは、思わずそいつに手を触れようとした。
 「触っちゃだめだ!」
 イファが止めた。
 「何故だ?」
 「龍の臭いが…」
 説明しようとしたイファを、その異変が遮った。
 「天使だ!」
 「空から天使が降りてくる!」
 甲板に居た乗客たちが、一斉に空を見上げて騒ぎ始めた。
 「来た!四人!」
 立派な白い翼を広げた影が四つ。まっすぐ自分たちに向かってくる。
 「逃げて!早く海に逃げて!」
 エルゥはガライに変身した龍の身体を、海の方へ押しやりながら叫んだ。
 「エルゥ!こいつに構っている場合じゃない!早く客室に非難するんだ!」
 イファが無理に、龍からエルゥを引き離した。
 「逃げて!早く!」
 尚も必死に叫ぶエルゥに、ガライの姿の龍は、甲板からヒラリと海へ飛び込んだ。
 「全く、自分が疫病神とも知らず、一体何をしに現れたんじゃ!」
 ティム爺は思わず、そう文句を言った。
 「早く客室に…」
 焦るイファだが、天使の姿を一目見ようとこちらに向かってくる人の流れに邪魔をされ、中々入り口まで辿り着けない。
 後少し…というところで、「おお!」と言う人々の感嘆の声が上がり、その直後、客室への出入り口に一人のアルノワ人が舞い降りて、エルゥとイファの逃げ道を封鎖した。
 「しまった…!」
 続いて一人、また一人と、アルノワ人が自分たちの周りに降りてくる。
 すっかりエルゥたち四人は、舞い降りた四人のアルノワ人と、そして乗客たちに取り囲まれる格好になってしまった。
 「我々は天の国アルノワの者だ。今から災いを退治する。関係の無い者は避難しなさい」
 アルノワ人の一人が甲板の人々にそう告げた。
 銀色の長い髪に、大きな白い翼。細く切れ長の眼に通った鼻筋の、知的な顔立ちの天使である。
 人々は口々に何か言い合いながら、アルノワ人たちの誘導の元、潮が引くように甲板から消えていった。
 次にアルノワ人は、ティム爺に言った。
 「君たちも非難しなさい。龍が正体を現し、暴れ出すと危険だ」
 ティム爺、イファ、ガライの三人は、真ん中にエルゥを置き、アルノワ人たちを睨みつけた。
 「お前さんたちが追っておる龍なら、今しがた、海へ飛び込んだぞ!早くお前さんらも、海の中に追いかけんか!」
 そう怒鳴ったティム爺に、アルノワ人の一人が涼やかな声を発した。
 「生憎我々は水に弱い。海に微かな龍の気配は感じるが、確かではない。確かな気配は、今、眼の前から感じる」
 「お前さんたちも、災いの龍を倒すよりも、たとえ罪が無い人間でも、倒して満足したいというタイプかの?」
 「何…?どういうことだ?」
 そのアルノワ人の反応に、ティム爺は「しめた」と思った。
 こいつは、セイドやラカイユのように、話を聴いてくれそうである。
 「この子に龍の匂いがするのは、あの龍を助けたからじゃ。そのために、おまえさんたちの仲間に命を狙われておる。我々はそれを何とかするために、あんたの国の偉い人に掛け合うための旅をしておる」
 「それは真か」
 「ああ。わしらにどうしてそんな嘘が考えられよう。お前さんたちは、天使と言われるお人たちじゃろ。何が真実か、見抜けんはずは無かろう」
 「うーむ…」
 そのアルノワ人は唸り声を一つあげたまま、黙り込んでしまった。
 「騙されるな。エノヴァル」
 一人のアルノワ人が、彼に声をかけた。
 「龍は老獪だ。どんな手段を使ってくるか解からん。今、眼の前に、災いの元である確証があるのを、見過ごす訳にはいかんだろう」
 もう一人のアルノワ人も、真剣な瞳で続けた。
 「そうだ。微かでも災いの可能性のあるモノは、絶やさねばならない。微かな災いが大きくなるのを、お前も知っているはずだ」
 エノヴァルは二人の言葉に軽く俯いたが、直ぐに顔を上げた。
 「確かにそうだが…。私には何故か、この子が龍とは思えない。お前はどう思う、アッシード」
 扉の前に立っていたその男は、腕組みをしたまま答えた。
 「目を覚ませ。エノヴァル」
 栗色の長い巻き毛に、少し吊りあがった瞳の、目鼻立ちのはっきりしたアルノワ人である。彼はさらに続けた。
 「龍ではない者に、龍の臭いがするはずがない。それにこの少女があの狂暴な龍を助けたなど有り得ぬ。恐らく龍が少女を喰らい、その姿を真似ているのだ。ご老人たちは龍に騙されている。災いを断つ。それが我々の使命だ」
 「逃がさんぞ!レスパ!」
 「ここで仕留めてやる!覚悟をしろ!」
 アッシードの言葉を受け、他の二人が、それぞれ手に剣を出現させた。
 「待て…!ロスネル!オーラン!」
 エノヴァルが諌めようとしたが、ロスネルとオーランの二人は、恐ろしい気迫でエルゥたちに襲い掛かってきた。

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