四 選ばれた子どもたち 1
翌朝からラカイユは、船の帆の一番高い所に座り、静かに海を観察していた。
だが時折遠くに、天から白い翼の人間が舞い降りる様子を目撃する程度で、龍の姿を見つける事は出来なかったようだ。
穏やかな日が続き、船が北の国デルフィノの港町に着いたのは、二日後の夕方である。
「また会おう」
ラカイユはそう残し、一所懸命手を振るエルゥの前から天高く飛び去っていった。
「ではまず、上着と靴を買いに行こう」
ティム爺の言葉に、エルゥは元気良く答えた。
「大丈夫だよこれぐらい。靴もこれで十分」
エルゥやイファの今の格好は、ビオラ島の谷の村の人間が織った布を縫い合わせた短い丈に、袖の無い衣服、山に登るときに履く丈夫なジュナ草で編んだ靴なのだが、ビオラ島より遥かに北に位置するこの辺りは少々肌寒く、さらにこれから登るガラクシア山脈は、夏といえども、薄い布一枚ではとても寒くて過ごせないのである。
「上着と底の厚い木の靴を買いに行こう」
「そんなにお金はあるの?」
ビオラ島と違い、物を買うにはお金が必要であると知っているイファは、少し心配になってそう訊いた。
自分やエルゥはお金など全く持っていないし、突然旅に出ることになったガライも同じである。
「ほっほっほ。心配は要らん。今まで言ったことは無かったが、わしはこれでもかなり金持ちなのじゃよ」
「ホント?」
「ああ。わしは嘘は言わん」
金持ちと言われても、エルゥには全く想像できなかった。と言うよりも、お金自体があまりよく解っていないのである。
『お金』というものがあるのは聞いたことがあるが、そんなモノなど無くても、獲った魚と作った野菜を交換すれば済む話である。それをわざわざどうして、お金なんてものを間に使って、やりとりをしなければならないのだろう。イファは解かったような顔をしているが、本当に解かっているのだろうか。
しかしそれをイファに訊けば、また得意な顔で説明されそうな気がしたので、エルゥはまあいいやと諦めた。
「この街、とても綺麗だね」
街の様子に、イファは思わずそう言った。
広い道の両側には白い四角い建物が美しく建ち並んでいる。そして遠くの緑に囲まれた少し高い位置に、一層立派な白い建物が街を見下ろしている。
「あれはお城だね」
「そうじゃ。よく知っておるのう」
「本で見たよ。と言う事は、この国には王様がいるんだね」
「うむ。その通りじゃ」
「王様?何それ」
エルゥはティム爺を見上げた。
「王様とは、言わば村長のようなもんじゃ。王様がこの国を治めておるのじゃよ」
「ふうん」
そう言えば村長のカボは、みんなよりも良い位置に、少し大きめの家を建てて住んでいたなと、エルゥは思い出した。
「お城に行ってみたいな。凄く広くて綺麗なんでしょ?」
本で色々知識を得ているイファが、遠くの白い建物を見つめながら言った。
「ああ。確かに広くて綺麗じゃが…。わしは好かん。城もこの国もな」
意味ありげなティム爺の口調である。
「どうして?こんなに綺麗な街なのに?」
「綺麗なのはこの辺りだけじゃ」
「どういうこと?」
「この国は色々あってのう。聞きたいか?」
「うん!」
エルゥとイファは同時に頷いた。
「よし。では歩きながら話してやろう」
ティム爺は語り始めた。
「この国には大きく分けて、二種類の人間がおる。一つは農作物などを作ったり、レンガやガラスなどのモノを作ったりする人々。もう一つは自分では何も作らない人々じゃ。何も作らない人々は何をしておるかと言うと、国の人々が平和に暮らせるように、色々やっておるんじゃ。例えばどうすればみんなが仲良く暮らせるかを取り決めたり、また、他の国と仲良くするための決まりごとや窓口を作ったり、他の国からの侵略を防ぐための軍隊を作ったり、まあ主にこんなことをしておるのじゃ。中でも国王はこの国で一番偉くて、取り決めごとの最終的な決定権は国王が持っておる。国王の下には貴族と言う人種がおって、それぞれの街の長のような役割をしておる。ここまでは解かるかの?」
エルゥは頷いた。
「うん。何となく解かるけど…、でも国王とか貴族とかは、何も作らなくて、どうやって食べ物を手に入れるの?」
「そこじゃ。何も作らん国王や貴族たちが、どうして食べる事が出来るのか。解かるか?イファ」
「ゼイキン…だったかな?」
「そうじゃ。税金じゃよ」
「何?それ」
初めて聞く言葉に、エルゥは目を丸くした。
「税金とは国に納めるお金のことじゃ。その国に住む住人は、国を治める長や国王などに、お金や収穫したものの一部を差し出すのじゃ」
「差し出すだけで、交換はしないの?」
「人々は生活を護ってもらう代わりに、お金や物をお礼として渡すことになっておるのじゃ。また、元々この土地は国王のモノで、住まわせてもらっているお礼として、国王にはさらに差し出すことになっておる」
「じゃあビオラ島は誰の物なの?私たち誰にも何も差し出してないよ」
「ビオラ島は、そこに住んでおるみんなの物じゃ。だから税金など必要無い」
「ふうん。難しいんだね」
エルゥには、詳しい仕組はあまりよく解からなかった。
「さっきティム爺は、この国は嫌いだって言ったよね。どうしてなのさ」
ぼんやり納得しているエルゥの隣で、イファがティム爺を見上げてそう訊いた。
「うむ。だいたい税金のことを解かってもらえたところで、本題なのじゃが、この国の仕組みの様なところは珍しくは無い。普通は国を治める者と、物を作って国を支える者のバランスが取れておるが、ここではそうでは無い。納めなければならない税金が多すぎるのじゃ。城近くのこの辺りはまだ良いが、少し街を外れると、目も当てられんほど悲惨な暮らしを強いられておる」
「どうしてそんなことになるの?税金を少なくすれば良いじゃない」
「それが、国王は下々の庶民がどんな暮らしをしておるかなど、全く解かっておらん。この国の税金は、国王が六、貴族が三、そして人々の手には一しか残らん仕組みなのじゃ」
「どういうこと?」
「つまりエルゥが魚を十匹捕まえたとしたら、国王が六匹取って、貴族が三匹取って、エルゥの手元には一匹しか残らないということさ」
「ひどい!九匹も取られちゃうの?あんまりだよ!」
「でもティム爺、誰か、何とかしようとか思わないの?」
「そんなことをすれば、酷い処罰を受けるのじゃ。昔、勇気のある者が立ち上がり、革命を起こそうとしたこともあったが、みな失敗に終わって死刑になった。それから人々は大人しく従うしかないと、諦めておるのじゃよ」
「私たちは何も出来ないの?」
「まず、今の我々には無理じゃな。他人のことに構っておる余裕は無いじゃろう」
「セイドやラカイユでも無理かな」
「旅が終わってから頼んでみるのじゃな。今は我々が、無事に島に帰ることを考えよう」
「…うん。そうだね」
ティム爺の話に、エルゥは自分が何の力も無い、小さな人間であることを感じた。
世の中には自分の知らない事がたくさんある。
自分の知らない苦労をしている人々がたくさんいる。
なのに自分は、誰一人として助けることができないのだ。
少し黙り込んだエルゥに対し、イファは真剣な瞳でガライを振り返った。
「ねえ、ガライの国ではどうなの?」
「俺の国では、動ける者は子どもも大人も老人も、みな狩りをしたり物を作ったりする。そして病気や怪我や老いなどで動けない者を、みんなで護る」
「ビオラ島だってそうだよ。みんなで助け合って仲良く暮らしているよ」
「それが本来の姿じゃよ。じゃが国が大きくなれば、そうも言っていられなくなるのじゃ」
「難しいね」
「そうじゃな。…おお着いた。ここじゃ」
ティム爺は、その店の前で足を止めた。
そこは街で一軒しかない雑貨店で、古道具をはじめ、外国の商人から仕入れた珍しい品物まで、色々取り揃えた何でも屋である。
その一角に、上着や底の少し分厚い丈夫な靴などが並んでいる。
それは街の人々のためではなく、他の国から来た人々が、街の寒さに耐え切れずに購入するものだったので、値段も少々高かった。だが他に服を買おうと思うと、生地から仕立てなければならないので、ティム爺は、エルゥとイファとガライの上着と、山に登るための靴を購入し、早々に店を出た。
「ティム爺の分は?」
「わしはリュックの中に持ってきておる。さ、着なされ」
言われるまま、三人は購入したばかりの服を羽織り、靴を履き替えた。底の厚い靴や袖のある服に、何だか不思議な感覚がしたが、とても暖かくなった。
「どうじゃ?」
「うん。暖かいよ。やっぱり少し寒かったのかな」
「そうじゃろ。山は一段と寒くなるから、その時はその下にこれを着るんじゃ。今はわしが持っておこう」
ティム爺は上着の他にも購入していた服を、リュックに仕舞いながらそう言った。
「ティム爺って、ホントにお金持ちなんだね」
「ほっほっほ。おまえさんたちが驚くほどの金持ちじゃよ。…ん?イファはどうした?店に残っておるのか?」
「一緒に出てきたよ。そこの道覗いてたけど…」
店の横にある細い道を、イファがそうしてたようにエルゥは自分も覗いてみた。
そこには建物の狭間に細い道が続いているだけで、イファの姿どころか誰もいない。
「ここを行っちゃったのかなあ」
「そんなはずはないと思うがのう」
ティム爺は、何か良く無い予感がした。
聡明なイファが、一人で黙って何処かへ行ってしまうはずが無い。たとえこの道に興味を持ったとしても、誰かに一言何かを言ってから行くだろう。
「とにかく、この道を捜してみよう」
「そうだね」
エルゥたちは細いその路地を、ティム爺を先頭に捜す事にした。