小説『エルゥと天使と銀の龍』
作者:間野茶路()

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一 墜ちてきた龍 4


 「何をするんじゃ!」
 思わずエルゥの前に立ちはだかるティム爺。
 男は、少し剣を引きながら、静かな声で言った。
 「そなたは斬れぬ。退きなさい」
 「どういうことじゃ!どうしてエルゥを斬ろうとする!貴様は何者じゃ!」
 「そいつは、我々が追っている龍だ。私はそいつに留めを刺さねばならぬ」
 その言葉に、エルゥははっと思い出した。あの銀の龍を倒そうとしている人間…。確かアルノワと言っていた…。
 「違う!この子は海の村の人間じゃ!」
 「龍が人間に変身しているのだ。その証拠にそいつからは、龍の臭いがする。あの龍は決して人間には懐かないので、普通の人間が、そんな臭いなどするはずが無い。上手く化けたつもりだろうが、私はごまかせん!観念しろレスパ!」
男はティム爺を押しのけ、再びエルゥに斬りかかろうとしてきた。だが辛うじてその身体にティム爺がしがみ付き、必死に叫んだ。
 「その子は昼間、海に沈もうとしているあの龍を助けたのじゃ!それでつい今しがた、龍が気を許して近寄ってきた!臭いがついたのはそのせいじゃ!その子は龍ではない!それでもその子を斬るというなら、代わりにわしにしろ!わしを、龍が化けたとして斬り殺すが良い!」
 あまりに必死な様子の老人の姿に、男は振り上げていた剣を下げた。
 「放しなさい、老人」
 「解かってくれたのかの?」
 「間違いならば斬る訳にはいかんだろう。私はその真偽を確かめねばならぬ」
 その言葉が終わると同時に、男の手の中の剣がふっとかき消えた。
 「え…?剣どこに隠したの?」
 「何じゃな、おまえさんは…」
 ティム爺とエルゥは眼を丸くさせながら、消えた剣の行方を捜そうと、男の周りを周ってみた。すると、二人はその背中に生えているモノに気がつき、思わず叫んだ。
 「うわ!翼がある!」
 「おまえさんは天使なのか?」
 「そう呼ぶ者もいる」
 男は軽く頷きながら、そう答えた。
 「じゃあアルノワって…天国のこと?」
 「どうしてその名を知っている?」
 「あの龍が言ってたよ。アルノワって人たちが自分をレスパと呼んで、倒そうとしているんだって」
 「ふむ…。他には何と言っていた?」
 「何も解からないんだって。気がついたら山の天辺にいて、街を見下ろしていて、気がついたら自分は倒されようとしていたんだって」
 「…」
 男は何かを考えている風に、押し黙った。
 (確かにこの少女からはあの龍の臭いがする。だが、もしも本当にあの龍なら、こんな演技などは出来ないだろう。明るいこの少女の瞳は本物だ)
 男は、明るく澄んだエルゥの瞳にそう感じた。
 「すまなかった。間違いを犯さずに済んで良かった」
 「解れば良い。では事情を説明してもらおうかの」
 「あの龍には関わらない方が良い。我々にも」
 「もう遅いよ。殺されようとしたんだもん」
 「ふむ…」
 男は、溜息混じりにそう頷きながら、エルゥに厳しい瞳を向けた。
 「…そうだな。確かに、君はもう遅い」
 「どう言うことじゃな」
 「私はいち早く、あの龍を倒さねばならん使命があるのだが、ここで君を放っておくわけにもいかんな。せめて自分が今、どういう立場になってしまったのかを、君は知る権利がある」
 「もったいぶらないで早く教えてよ」
 男は頷いた。
 「私はセイド。天の国アルノワに住んでいる」
 「天国かの?」
 「いや、ただ宙に浮いている国だ。この島が海に浮かんでいるのと、同じことだよ。アルノワから地上はよく見えるが、地上からアルノワは見えない。見えたとしも、とても高くに浮かんでいるので、鳥の影などにしか見えないだろう」
 「じゃあティム爺のジャイロでも行けないの?」
 「無理だろう。あまりに高い位置にあるため、どんな乗り物でも、どんな生物でも、我々の国に辿り着く前に墜ちてしまうだろう」
 「じゃあ翼の生えた人間なら、アルノワと地上を行き来できるの?」
 「そうだ」
 「本当に天使なんだね。でも母さんから聞いてたのと違うよ。天使って、大きな白い翼で、男の人か女の人か解からないような、美しい人なんだと思ってた」
 見るからに男臭い逞しい身体つきのセイドに、エルゥは正直な感想を言った。
 「イメージを壊して悪かったね」
 セイドは思わず苦笑した。こんなに正面きって、そんな事を言われたのは初めてなのである。
 「我々の中にも色々いる。君の想っている、中世的な美しいアルノワ人もたくさんいるよ。だがこれでも皆、それぞれに一番良いと思っている外見になっているはずなんだがね」
 つまりこのセイドは中世的美人のような外見よりも、このムキムキマッチョな肉体美の方が、好みという訳なのである。そう悟ったエルゥは、自分が間違えて殺されそうになったこともすっかり忘れ、何だかこのセイドにとても親近感を覚えた。
 セイドはさらに続けた。
 「我々アルノワ人は、地上の人間には無い特別な力を色々と持っている。そしてその力を使って良い行いをすれば、白い翼が少しずつ伸びてくるのだ。つまり良い行いをたくさんした者は、より大きな立派な翼になるという訳だよ」
 「じゃあセイドはあまり良い行いをしてないんだね」
 セイドは頷いた。
 「そういうことだ。翼の大きさなど興味は無いから、他の者のように、あまり地上には降りていないのだ」
 「他の人のためになる力があるのに、それを役に立てようとは思わないの?」
 「…それを言われると、返す言葉はないな。私はあまりアルノワ人には向いていないのだろう。むしろエラドールの方が性にあっているのかもしれない」
 「何?エラドールって」
 「地の底の国だ。我々アルノワ人は、良い行いをすれば白い翼が伸びていくが、逆に悪い行いをすれば翼は小さくなっていく。そして翼が無くなったのに悪い行いをしてしまったり、大きな翼を持っていても、大きな悪い行いをすれば、今度は黒い翼が生えてしまうのだ。そうなれば、アルノワからエラドールに追放されてしまうのだよ。エラドールには悪い行いを好む人種が集まり、皆、背中には黒い翼が生えているのだ」
 「悪魔…かの」
 「そう呼ぶ者もいる」
 「でも、セイドは悪魔には見えないよ。とても良い人みたい。やっぱりアルノワ人だよ」
 「ありがとう。でもアルノワ人もエラドール人も…そして地上の人間も、皆同じなのだよ。住んでいる場所と、多少、能力に違いがあるだけだ」
 「ふうん…」
 そう返事をしたものの、エルゥはあまりよく解からなかった。
 眼の前にいるセイドは、どうみても天使そのものの外見である。人間には無い能力を持っているらしいし、とても自分たちと同じとは思えなかったのだ。
 「それであの龍は何なのじゃ?」
 「あの…龍は…」
 少しセイドの口調が重くなった。あまり話したくは無いような様子である。
 だが、覚悟を決めて彼は口を開いた。その初めの切り出しは、とても信じられない内容だった。
 「あの龍は、我々が創り出した災いの化身だ」
 「な…、何じゃと…?」
 「何それ!どういう意味?」
 二人は同時に声を上げた。
 「我々アルノワ人も、地上の人間と同じと言うのは、解かってくれただろうか」
 「う、うん…」
 「じゃが、それでどうして災いの化身なんぞを創らねばならんのじゃ!わしらはわざわざ、そんなモノなど創らんぞ!」
 「我々も地上の人間と同じように、善の心も悪の心も持っている。闘争本能や狩猟本能もね。だが我々は常に、善の心で動かなければならない。しかし中には、悪の心や狩猟本能などを抑えきれない者が出てきたりするのだ。そして厄介なことに、悪の心を押さえつければつけるほど、一層大きなものとなって、いつかは爆発してしまう。過去には、そのために間違いを犯す者が後を断たず、追放されてエラドールに送り込まれる者も数多くいた。そこで我々は、ある妙策を考え出した。それは、倒しても良い存在を創り出すことだ」
 「倒しても良い存在じゃと?」
 「あの龍のことなの?」
 セイドは肯いた。
 「そうだ。それは倒さなければならない程、物凄い破壊力と強靭な生命力を持ち、一たび暴れると、この地上は焼け野が原となってしまう程の怪物でなければならない。そんなヤツが地上に降りると大変なことになる。だから、そうなる前にアルノワの地で、倒さなければならないのだ。この秘策は、とても効果があった。そんな存在を創り出すため、皆は己の中の邪悪な心や獰猛な心、そして狡猾な心などを、自らの手で創りだした卵の中に全て注ぎ込んだ。そして火の山フォボスの頂で自然孵化をさせ、適当な大きさに成長するまで待った後、皆で力を合わせて倒した。戦う者は皆、龍に自分の中の悪しき心を映したので、倒した後は、清々しい気持ちになることができたのだ。こうして我々の中の悪しき心や狩猟本能などは、龍を倒すことによって暴走することがなくなった。だがこの度は、今までに前例の無い事件が起こってしまった。龍は成長すればする程、獰猛で狡猾になる。前回の戦いでは、思った以上に龍が成長しており、かなり苦戦をした後、四名がヤツのために命を落とした。だから今回は、まだ産まれて一月もたたないうちに倒すことに決めた。するとその龍は、暴れてこちらに立ち向かうどころか、全力で逃げ出してしまったのだ。もちろん我々は追いかけた。だが追っ手を負傷させて振り切り、アルノワの地の端から転落をした。龍が地上で暴れると、取り返しのつかないことになる。だから我々はそうなる前に、一刻も早くヤツを倒さねばならないのだ」
 セイドの話が一区切りしたところで、エルゥは「うーん」と唸った。
 「何だか、すっきりしないなあ」
 「わしもじゃよ」
 「つまり、早い話がこーゆーこと?アルノワの人は自分たちが悪いことをしないために、殺しても良い程の狂暴な龍を、わざわざ創ってるんだよね?」
 「早い話がそうだ」
 「あー!何かすっきりしない!」
 「仕方が無い。…ということに、我々の世界ではなっている」
 遠まわしな言い方だったが、エルゥは敏感に感じた。
 「セイドは仕方が無いとは思ってないの?」
 「さっきも言ったが、私は少しアルノワ人から外れているようだ。そんな龍を創り出すことには興味が無いし、もちろん倒すことにも興味が無い」
 「じゃあどうして、今は倒すために降りてきたの?」
 「戦闘能力のある者は、皆、総力をあげてあの龍を倒さなければならない。いくら興味が無いと言えども、この地上が大変なことになるのは、見過ごしてはおけんからな」
 「責任感はあるんだね」
 セイドは苦笑した。
 「それで、エルゥの立場がどうのこうの、おまえさん言わなかったか?」
 「問題はそこだ」
 セイドの瞳が厳しくなった。
 その表情に、エルゥは何か、嫌なことを告げられる予感がした。

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