小説『甲斐姫見参』
作者:taikobow()

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 それから甲斐姫は側室として大阪城で暮らしていたが、朝鮮出兵や秀吉の死去、そして石田三成の徳川屋敷

への逃走など政変がいくつもあり豊臣政権の屋台骨がかなり揺らいできていた。

 そんな甲斐姫を石田三成が訪ねてきて

 「甲斐姫様、実は東国の者達の大阪への服従心が薄れてまいりました。ここは私が中心となり今一度豊臣

を天下一と知らしめる必要があると思われてなりません。」

と言った。すると甲斐姫は

 「そうですか、それでどのようなことをなさるつもりですか。」

と言った。

三成は

 「私は西国の大名を集めて徳川勢に対して挙兵をするつもりです。」

と言った。すると甲斐姫は

 「そんな、それではまた戦が始まるというのですか。朝鮮出兵の傷も癒えていない者もいるだろうに。」

と言った。すると三成は

 「それが徳川の付け目なのです。このまま徳川が勢力を拡大すれば、いずれ豊臣は滅びますぞ。」

と言った。すると甲斐姫は

 「淀殿(茶々)には知らせたのですか。」

と聞いた。すると三成は

 「はい、先ほど知らせました。」

と答えた。

 三成はその後、毛利輝元を総大将にして大阪城の天守閣に据え、自らは大軍を率いて東へ向かってぃっ

た。

 その様子を大阪城の天守閣から甲斐姫や淀殿、そして総大将の輝元が見ていた。

甲斐姫は

 「なんとか戦を止めることはできないでしょうか。」

と言った。すると淀殿は

 「あれが三成の出した答えなのでしょう。このまま徳川家康の謀略を許しては、豊臣は生きてはいけませ

ん。」

と言った。すると輝元は

 「まさにそのとおりですな。しかしあの戦下手の三成が、また忍城の二の舞をやってしまうのかが心配で

す。」

と言った。

甲斐姫は
 
 「それは我等成田の兵が必死に戦ったからである。変な噂を殊更に言うではないわ。」

とつい言った。すると輝元は

 「これは失礼仕った。ご容赦を。」

と言った。

 三成のかき集めた兵は十万に及び、大勢力となって東へ向かって進軍した。それを東北征伐に向かっていた

徳川家康の軍はいち早く察知し小山で引き返した。徳川の兵は八万である。

 両軍は関が原で対峙し、戦端を開いた三成の西軍が優勢に事を運んだ。すると家康は押し込まれる味方の兵

を叱咤激励するが、それに伴って伝令と伊賀者を集め

 「ここは我等に味方する者達を喚起する必要がある。予め我等に組み従う意思を示した小早川の軍を刺激し

ろ。伝令は小早川へ走れ、伊賀者は小早川が詰めている処へ爆薬を仕掛けろ。」

と言った。するとそれぞれ散っていき任務を遂行する。そして家康は

 「鉄砲隊、小早川へ向かって撃て。」

と言った。するとそれまで西軍の前線に向かっていた銃口を、小早川軍が待機している山の頂に向けた。伊賀

者が仕掛けた爆薬が後ろから炸裂し、前方から徳川側の銃弾が襲う。

 すると小早川秀秋は驚いて

 「皆の者、山を降りるぞ。」

と言った。すると腹心の武将が

 「殿、それでどちらに。」

と言った。すると秀秋は

 「決まっておろう、三成の首を取れ。」

と言った。

 雪崩のように押し寄せる小早川軍の軍勢は一気に山を降りて、三成のいる陣へと向かって行った。それを見

て大谷吉継は

 「三成、小早川が裏切った。ここは我等の軍が押し留めるゆえ早く逃げよ。」

と言った。すると三成の刎頚の友である吉継の言葉に

 「吉継、お主ここで死ぬつもりか。」

と言った。すると吉継は

 「そうだ、お前と一緒に戦えて幸せな人生だった。思い出すのう忍城の戦いを。」

と言った。すると三成の

 「まて、お前を失いたくない。戻れ。」

という言葉を尻目に大谷吉継の軍勢は小早川の軍勢に向かって行った。それを見て島左近少将は

 「三成殿、この戦我等の負けです。ここは引いて下され。」

と言った。すると三成は

 「島、すまん。しんがりを頼む。」

と言って敗走の馬に乗り逃走した。

 関が原の戦いは一日で終わり、徳川の東軍の勝利に終わった。裏切りを実行した小早川秀秋は家康から多額

の報奨金と領地を貰ったが、その大部分を返した。

 大阪城では関が原の戦いの一分始終を伝令によって知らされていたが、三成が逃亡し徳川軍の勝利と終わっ

た事を知ると淀君は落胆のあまり倒れてしまった。

甲斐姫は

 「大丈夫ですか、すぐに医師を呼べ。」

と言った。すると淀君は

 「大丈夫じゃ。大事ない。」

と言った。

 翌日から、大阪城へ帰ってくる敗軍を向かいいれて傷の手当をしている女性達の中に甲斐姫もいた。

 「大変だったであろう。よくぞ戻って来られた。」

と言いながら皆を励ました。そこへ淀君も現れて

 「皆、良く頑張ってくれた。わらわは嬉しいぞ。」

と言った。

 総大将の毛利輝元は大阪城に居座り、篭城戦も辞さない構えだったが淀殿の働きもあり、徳川家康の入城を

許し、それと入れ違いに大阪城を退去した。

 そして名実共に徳川家康の勢力は豊臣を抜き、その後朝廷から征夷大将軍が任命された。

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