小説『甲斐姫見参』
作者:taikobow()

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七、大阪の陣 

 関が原の合戦以降、徳川家康の傍若無人ぶりは、豊臣の威信をかなり揺らぎ崩していると言って良い程のも

のとなっていた。

 淀殿はまだ子供の豊臣秀頼をなんとか関白に推挙することを考えていたが、徳川の征夷大将軍をかさにきた

振る舞いは留まるところをしらず、とうとう江戸幕府開闢となった。

 そんなとき、江姫が徳川秀忠の後妻として江戸へ行くこととなった。

江姫は

 「甲斐姫殿、どうかご無事で。このまま徳川が勢いのままに大阪を攻めるようなことがあれば、私がなんと

か止めるように進言しますから。」

と言った。すると甲斐姫は

 「良いのですよ。江姫様でもてきることとできないことがあります。一旦戦になれば納めるのは女子では難

しいのです。その時はなんとか女子だけでも助けてくれるように言ってくだされ。」

と言った。すると江姫は

 「分かりました。どうか姉様達を守ってくだされ。」

と言った。そして江姫は江戸へと旅立って行った。

 そして数年後、元服を終えた豊臣秀頼の下に徳川家康から接見の申し入れがあった。これは秀頼という人物

がどのように育ったかを見定めるために、家康が設えたものだった。

 大阪城ではこれを受けるかどうかで意見が二分されたが、秀頼の是非会って話がしたいという言葉で実現さ

れた。

 会談は二条城で行われた。会談の内容は分からないが、徳川家康の秀頼への評価は才知に満ちていて非常に

危険な人物、自分の知っている武将で言えば、織田信長様の再来であろうとまで言っている。

 介添えで同行した加藤清正は油断のならない徳川のやり方から秀頼をことごとく守ったという。

 大阪城に帰ってきた秀頼を淀君は涙で出迎えていた。

淀殿は

 「秀頼、よくぞ無事に帰ってきた。清正もご苦労であったな。」

と言った。すると秀頼は

 「心配掛けもうした。家康殿は相変わらず腹に二心があるように思えた。備えよ、大阪は狙われておる。」

と言った。すると城に詰めていた家臣達は

 「はっ、直ちに城の防備を強化いたします。」

と言った。

 その三年後の慶長十九年、大阪冬の陣が始まる。秀頼は諸大名に参陣するように促したが相手にされず、集

まったのは関が原で破れたかつての同志達、徳川から各地へ流された牢人と言われる武将だった。

 その中でも真田幸村は異彩を放っていた。かつて忍城を攻めた豊臣の軍勢の中にあって、真田の軍勢には成

田の兵もことごとく討ち取られた記憶がある。その記憶の中に甲斐姫は真田幸村の姿をうっすらとだが思い出

すことができた。

 大阪城の大広間に真田幸村が入ってきたとき甲斐姫は

 「そなた、わらわを覚えておるか。」

と聞いた。すると長い隠遁生活でやつれたはずの幸村は

 「えーと、確か忍城で三宅高繁を弓で射抜いた姫君では。」

と討ち取った様子まで記憶していた幸村に甲斐姫は

 「そうだ、忍城成田の甲斐じゃ。あの時はよくぞ我が成田の兵をことごとく討ち倒してくれたの。」

と言った。すると幸村は

 「申し訳ない、だが戦でのこと。こちらも必死で戦った末の事でござる。ご容赦くだされ。」

と言った。すると甲斐姫は

 「そうか、わらわは嬉しいぞ。今度はお味方として大阪に参戦してくれて。」

と言った。すると幸村は

 「はは、甲斐姫様もあの時のようなお転婆ぶりは、封印されるよう願っております。」

と言った。すると甲斐姫は

 「それは分からぬが、ほほほっ。」

と言って笑った。

 豊臣の大阪周辺での兵糧買いや米屋での接収などがあって、徳川もこれを見逃すことができず、とうとう挙

兵して大阪に進軍してきた。これを大阪冬の陣という。

 豊臣側は大阪城を拠点として畿内を攻め落とし、徳川に対抗すべしという幸村の提案を蹴って篭城する作戦

に出た。すると徳川側は一気に城を攻め落とそうと堀に掛かっている橋に向かって殺到した。それを真田砦と

言われる出張った堤から一斉に火縄銃で発砲しそれを蹂躙して多数の死傷者が徳川勢から出た。

 それが合図となって合戦の火蓋が切られた。徳川の猛攻は休むことを知らず、大阪城を攻め続ける。そんな

中で淀君は

 「このまま徳川の攻撃が続けば城は持つのか。」

と心配した声で言った。すると秀頼は

 「大丈夫です、母上。我等には強い味方が大勢いますゆえ。」

と言った。

 すると徳川側から砲撃が始まった。イギリス製の大砲がズラリと並んだ丘に家康が陣取り

 「どうじゃ、これはイギリスから買ったカルバリン砲じゃ、それとセーカー砲もあるぞ。これで夜寝静まる

頃を一斉砲撃するのじゃ。」

と言った。すると秀忠は

 「それで豊臣の兵を眠らせないという作戦ですな。しかし敵を眠らせないのなら味方も同じでしょう。」

と言った。すると家康は

 「大丈夫じゃ、味方は交替して撃たせる。一晩撃たせたら次は休ませるのじゃ。」

と言った。

 昼は兵による突撃、夜は大砲による砲撃で大阪城は大きく疲弊した。

 甲斐姫は秀頼と側室との間に生まれた奈阿姫の養育係を勤めていたが、度重なる砲撃の為一時も離れること

ができなくなっていた。

甲斐姫は

 「姫様、大丈夫でございますよ。すぐに止みますから。」

と言った。それが気休めであることに奈阿姫も気づいている。しかし夜中に一時も休まず砲撃してくる徳川側

の真意は分かりすぎる程分かっているのだか。

奈阿姫は

 「甲斐姫は成田の鬼姫と言われた程の者でしょう。何故、討って出ないのですか。」

と聞いた。すると甲斐姫は

 「それは昔のこと、今は奈阿姫のお世話で手一杯でございます。」

と言った。すると奈阿姫は

 「嘘を言っても私には分かります。今すぐにでも徳川家康の首、討ち取ろうと考えているのでしょう。」

と言った。すると甲斐姫は

 「そんなことありませんよ。奈阿姫様を見捨てるなどできません。」

と言った。

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