小説『甲斐姫見参』
作者:taikobow()

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淀君は

 「千姫、あなたそんなことを。奈阿姫はあなたのお子ではないのですよ。その子を養女にだなんて。」

と言った。すると千姫は

 「秀頼様と淀殿がもしも亡くなられるようなことがあれば、奈阿姫もどうなるかは分かりません。徳川の大

殿様がそれをゆるすかどうか。そうなれば私が命を掛けて守ります。」

と言った。すると秀頼は

 「そうか、千そんなことまで考えてくれていたのか。」

と言った。すると淀君は

 「すまぬのう、千にそんな気遣いまでさせて。」

と言った。

 その後、大阪に集まっていた牢人達はそれぞれ各地へと旅立って行ったが、幸村だけは大阪城に残った。そ

れは徳川の狙いが豊臣の壊滅にあることを知っていたからだ。

 年が明け、大阪城にまた平穏な時が訪れたが、幸村は次の戦があると踏んで準備を始めていた。密かに掘割

の掘り起こしをしたり、大手門の強化や火縄銃の買い付けなど積極的に動き回った。それを徳川も察知してい

たのだが、それがすぐに徳川に弓引くものだという決定的な証拠にはならず春が来た。

 甲斐姫は三の丸の桜を見ながら

 「きれいじゃのう、ここの桜は関東にはない美しさじゃ。戦など無ければもっときれいに咲いたはずじゃ

が。」

と言った。すると奈阿姫は

 「関東でも桜は咲くのか。」

と聞いた。すると千姫が

 「関東でも江戸や駿府でもきれいに咲きます。しかしこの大阪城の桜は別格じゃ。」

と言った。すると奈阿姫は

 「そうか、行ってみたいな。」

と言った。

 そこへ幸村が来て

 「御三人揃ってのお花見ですか、平和な時を満喫されるのも良いでしょうが。ついさっき江戸から文が届き

ました。徳川秀忠殿からです。ただ今秀頼様が読まれている頃でしょう。」

と言った。すると千姫は

 「父からですか。ではすぐに行きます。奈阿姫もすぐに。」

と言った。すると奈阿姫も

 「はい。」

と言って従った。

 三人は天守閣に上がって秀頼から文を渡されたがそれは期待に反して、豊臣が徳川に従う一大名であるとい

う確約をせよというものだった。

千姫は

 「父は何を考えていらっしゃるのでしょうか。この豊臣がそんなに憎いのでしょうか。」

と言った。するとそれを聞いた淀君は

 「千は本当に豊臣の者になったな。それにしても江はなにをしておるのか。秀忠殿の妻であるのに何も言え

ずに夫のやりたい放題とは。」

と言った。淀君にしても妹の江が江戸城に行ったきり、文もよこさないのが腑に落ちなかったのだろう。

 大阪はまた牢人達が集まり始めていた。徳川の世になって何が変わったか言えば、関が原で東軍に参戦した

大名ばかりが優遇されて、西軍に組した大名は取り潰されたり遠地へ改易されたりしていたのだ。特に毛利家

は長州に移封され、上杉は米沢に移された。そして領地も以前の三分の一、五分の一にされることもあったの

だ。結局あぶれた浪人はもとより、以前大阪で戦った牢人達も交えてまた一戦やろうとする機運が高まってき

た。そんな動きをもちろん徳川が見逃すはずもなく、大阪に忍を送って逐一報告させていた。

 そんなとき、江戸城に豊臣から書状が届いた。それには豊臣が徳川の臣下に下るのは不承知である。と書い

てあったのである。これには徳川秀忠も怒り、すぐに駿府にいる家康に書状を送り返事を待った。すると家康

もまた大阪を許すなという書状を返してきた。これで徳川の意思は決まった。大阪夏の陣の始まりである。

 続々と大阪を目指して徳川の軍勢が押し寄せてくる。その数は凄まじい数であり、大阪は徳川によって埋め

尽くされた。それを大阪城の天守閣から淀君が見て

 「とうとうまた戦が始まるのか、ここはなんとか穏便に済ますことはできんものなのか。」

と言った。すると秀頼は

 「仕方ありませんな。これは我等が選んだ道です。徳川に従うかそれとも従わずに、独自の道を進むかを突

きつけられたのですから。」

と言った。すると淀君は

 「そうか、そうじゃのう。豊臣が生き残るのは難しくなり申した。」

と言った。すると幸村が

 「掘割は八割程掘り返しが終わりました。以前と同じとは言えませんが、なんとか防御はできるでしょ

う。」

と言った。すると秀頼は

 「ご苦労、すぐに軍議を始める。緒将を集めよ。」

と言った。すると幸村は

 「ははっ、」

と言って階下へ降りていった。

 甲斐姫は三階の出窓からそれを見ていて奈阿姫に

 「奈阿姫様、おそらく徳川の狙いはあなた様に及ぶかもしれません。その時は私に付いてきてくだされ。」

と言った。すると奈阿姫は

 「はい、甲斐姫様は歴戦の勇士ですからね。」

と言った。すると甲斐姫は

 「それは言い過ぎです。私はそんなに強い女子ではないですよ。」

と言った。

 大阪夏の陣は豊臣が戦端を開いた。城から出て野戦を繰広げ、城への負担を軽減すると共に徳川の兵を混乱

させるのが目的である。

 次々と豊臣の優勢が伝えられる中、徳川家康は大砲の到着を待っていたのだが届かない。折からの梅雨の泥

濘で大砲が填って動かないのだ。結局、大砲無しで戦うことになったのだが、劣勢になるのがどうにも口惜し

い家康は

 「何をしておる。何故弱小な豊臣を打ち倒せぬのだ。」

と怒りを露にして怒った。すると秀忠は

 「大殿様、我等を護衛に付けてくだされ。」

と言った。すると家康は

 「ええい、お前までなにを言っている。ここは大丈夫じゃ、すぐに前に出よ。」

と言った。仕方なく秀忠は

 「はは、仕方ありません。仰せのとおりにいたします。」

と言った。

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