小説『甲斐姫見参』
作者:taikobow()

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 注、忍城とは代々成田氏の居城で、成田氏とは小田原北条氏の傘下にあった大名である。豊臣秀吉の関東制

圧に小田原北条氏は反発し、豊臣氏が小田原を箱根や相模湾から囲むと小田原北条氏御由来家の大道寺政繁の

居城、松井田城を攻め政繁は捕らえられ、忍城への道筋を教えたとあります。そして忍城に迫った軍勢約二万

、総大将は石田三成で大谷吉継などの重臣で固められていた。対する忍城は成田氏長が北条氏の依頼で小田原

城に出向き、城代となった成田奉李が病死した後、成田長親を総大将にした。軍勢は約五百。戦いは大混戦と

なり石田三成の水攻めにも忍城は耐え、逆に豊臣側が築いた堤防が決壊して兵二百人余りを水死させる結果と

なった。

 その後も忍城は頑強に豊臣勢の攻撃を跳ね返し、とうとう小田原北条氏が敗北した後も篭城を続け、秀吉の

命により氏長が使者を送ってようやく開城となった。

  
 甲斐姫は本丸に戻ると長親はいつものとおり居眠りをしていた。伝令が味方の勝ちを報告する度に気疲れか

らか居眠りをするのが常になっている。

甲斐姫は

 「こら、長親。寝てるんじゃない。わらわが敵兵を五人も打ち倒したのに。」

と言った。すると長親は

 「うーん、うるさいなぁ。甲斐か。静かに寝かせろ。」

と言った。すると甲斐姫は

 「バカ者。お前がそんなんだからこっちは苦労するんだ。」

と言って腕を取ってねじ伏せる。それを見て家臣達は安心するのである。総大将は動かず、事の成り行きをし

っかり見定める事が大事なのだが。戦いが終わった後でもあれこれ指図する者は総大将の器ではない。それが

分かっているのか長親はわざと暗愚を装っているのだろう。

長親は

 「水は完全に引いたのか。」

と聞いた。すると甲斐姫は

 「ああ、まだ泥だらけだがな。それで豊臣の兵の脚は泥だらけだった。」

と言った。すると長親は

 「そうか、当分こっちが有利だ。だが泥が干上がってくると拙いな。」

と言った。

 甲斐姫は本丸にいる農民達を気遣って、返り血が付いている甲冑などを洗い落としてから中に入った。する

と農民達は一応に

 「姫様、またご活躍されたそうで。」

と言った。すると甲斐姫は

 「うん、皆の者。ここは絶対守る。我等は強いぞ、」

と言った。すると農民達は

 「おおーーーー。」

という歓声を上げた。

 すると疲れた顔で入ってきた正木丹波守俊英が

 「姫、このままでは我等の兵は疲れて動けなくなります。少し休ませないと。」

と言った。すると甲斐姫は

 「そうだな、相手は二万の大軍。次々と新しい兵で攻め込まれてはこちらが疲れる。動ける者は農民も使う

しかなさそうだ。」

と言った。それを聞いた農民の一人は

 「我等も元々は足軽の出です。槍を抱えて闘うことに、なんの意図わもありません。」

と言った。すると甲斐姫は

 「ありがとう。その時は遠慮なく使わしてもらうぞ。」

と言った。

 甲斐姫は自身の部屋に戻り、着ていた戦装束を脱ぎ体を拭いた。女性であることになんの気後れもないと思

うのだが、自分の体を見ると乳房が大きく張り出している。この体は誰の為にあるのかという疑念にも似た

鬱屈した感情も湧き出る。自分の気持ちは長親にあるのに正直に言えないもどかしさが女性としての幸せを遠

くさせているのだと思った。
 
 甲斐姫はこの年、十八歳である。乙女心は普通にある。幼い頃から武芸に秀でていたとはいえ、思う男のこ

とで胸を焦がすこともある。このまま篭城戦を続けてもし討ち取られでもしたら、自分の一生はなんだったの

だろうと思っていた。

 翌日、連日の晴れの天気にじわじわと泥田が干上がってくるのが見え始めた。季節は夏である。三十度を越

す気温に兵の体力は奪われ、戦局は篭城する成田側に不利となっている。

 そして三日後、豊臣側の攻撃が始まった。成田側は臨戦態勢に入ったがその時一頭の騎馬武者が間に入っ

た。

 「双方、待たれい。成田氏長様から開城のお達しが出たぞ。これ以上闘うのは無意味じゃ。石田殿にも同様

の書状が秀吉様から届いておる。」

と言った。

 双方の兵はそれぞれの陣地へ戻り、昼には開城の伝達が成田側から豊臣側へと届いた。こうして忍城は開城

したが甲斐姫はその前に鎧甲冑姿で城を出ていた。おそらくは秀吉から側室への要望があるものと思われるか

らだ。居ないものを側室にする訳にもいかず、石田三成は甲斐姫を秀吉の側室に差し出すようにとの要望書を

読み上げるだけに留まった。

長親は甲斐姫が城を出て行く前に

 「甲斐、元気でな。生きておればまた会えることもあるであろう。」

と言った。すると甲斐姫は

 「長親様、これでお別れは辛いです。私は、私は。」

と言って次の言葉は出なかった。涙が顔を伝って流れていくのが分かったが、それを拭うこともなく俯いて出

て行った。

 この忍城の攻防戦で成田側の犠牲者は水攻めで死んだ者以外は少なく、逆に攻めあぐねた豊臣側の犠牲者は

かなりの数に上った。

 こうして甲斐姫は氏長について陸奥の国、福井城へと向かった。


 麗らかな日差しを浴びている輿が一瞬止まり、馬の嘶きで目が覚めた。なんと輿のすぐそばに大男がいるで

はないか。すると大男は輿の簾を開き

 「甲斐姫様、これからは私がお供します。」

と言った。すると甲斐姫は

 「家永、家永はどこに。」

と言った。すると家永は大男のすぐ傍にいた。

 「甲斐姫様、このお方は秀吉様の命により使わされました、前田慶次様でございます。」

と言った。

 湘南の海岸線がすぐそばに見える相模湾沿いの東海道。そこで甲斐姫の一行を待っていた前田慶次。そこか

ら大阪への第二章が始まる。

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