小説『甲斐姫見参』
作者:taikobow()

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三、箱根で

 甲斐姫の一行は小田原に着いた。小田原は甲斐姫にとっても思い出深い土地だ。かつて北条氏に招かれ城下

を歩いたことがある。とても整備された城下町で海岸につながる道は土産物を売る店や料理屋が立ち並んでい

た。海で捕れる海産物はこの小田原で買い付けられ、小田原のみならず周辺の町村に運ばれていった。それが

今、見てみると明らかに寂れている。行列を見つけて一人の商人がお辞儀をして近づいて来た。

甲斐姫は

 「行列を止めよ。」

と家永に言った。

家永は前方の列に

 「行列を止めよ。」

と言った。すると次々に伝令が

 「行列を止めよ。」

と伝えて最前列の露払いが止まった。

商人は

 「甲斐姫様、お懐かしゅうございます。半次でございます。」

と言った。すると甲斐姫は

 「おお、半次か。そちの作った干物の味は懐かしいぞ。」

と言った。すると半次は

 「それは、ありがとうございます。その干物屋も今は客が来ないで困ってます。」

と言った。すると甲斐姫は

 「この寂れようは、どうしたことじゃ。」

と聞いた。すると半次は

 「徳川様の支配になって米の値段が上がりました。それに漁師が皆、江戸へ行かされて魚が思うように手に

入らないようになってしまいました。」

と言った。すると甲斐姫は

 「そうか、徳川様が。」

と言って甲斐姫は絶句した。一昨日江戸で見た賑わいは各地から人を集めて成り立っていたのだ。その現実を

見て繁栄とはなんだろうと思った。

半次は

 「北条様が懐かしいです。またあの時のような賑わいが戻ればと願っております。」

 甲斐姫は手を振り、半次と別れて行列を進めた。一昨日江戸で見た賑わいはこういうことだったのか思っ

た。徳川の江戸繁栄の裏でこのようなことが行われていたとはと甲斐姫は改めて思った。あの豊臣の小田原攻

略は何だったのだろう。世の中を平定するために寂れた町を作るなどあってはならないことだ。

 傍を歩いている前田慶次は

 「徳川様のやりように疑問を持たれたようですな。江戸が繁栄するためには各地から職人を集める必要があ

る。それが北条氏で潤っていたこの小田原も寂れる結果になる。江戸が繁栄するためにはかつて繁栄していた

町も切っていく、徳川のこれが戦略です。秀吉様もそれがいずれ大阪に刃を向ける結果になるだろうという危

惧を持たれていますが、仕方のないことだと。」

と言った。すると甲斐姫は

 「そうか、太閤様もそのような。」

と言った。

 行列は早川を渡り、箱根八里に入った。ここからは難所と言われた急坂が続く。行列は湯元に入った。ここ

は徳川家康の肝いりで観光地としての温泉旅籠がたくさんできている処だ。

 甲斐姫の輿は箱根で一番大きな旅籠に入った。ここで旅の疲れを癒すのだが、一人温泉に入って今まで見て

きたことを思い返していた。特に忍城のあった処は、かつての領民達から大変な歓迎を受けた。

 庄屋の家に招かれてから領民の持ってきた農作物で思い思いの料理を作って持て成してくれた。それは甲斐

姫にとって一生忘れられない感激となった。

甲斐姫は

 「みんな、ありがとう。私はあのような戦をして、皆に苦労を掛けたことを申し訳なく思っているのに。」

と言った。すると庄屋は

 「そんなことは良いんですよ。私等も豊臣の軍勢と戦ったという誇りができました。あの戦以来、新しい領

主様は私等を大事にしてくれます。みんな成田様のおかげです。」
 
と言った。

 その彼らとお別れする時子供達が泣いて手を振っていたのを、甲斐姫は輿から顔を出して涙を流して手を振

って応えていた。あの別れの悲しみは今でも胸に刻まれている。

 そんなことを思っていると、いきなり大男が湯船に入ってきた。前田慶次である。

甲斐姫は

 「無礼者、私が入っていたのを知っての狼藉か。」

と言って湯を手で払って掛けた。すると慶次は

 「わっはははは、甲斐姫殿。ここは温泉ですよ。しかも男女混浴。一緒に旅の疲れを取ろうではありません

か。」

と言った。すると甲斐姫は

 「お前は無礼者の上に不埒者がつくな。花も恥らう乙女に向かって。」

と言った。すると慶次は

 「花も恥らう乙女はそんな言葉遣いなどしませんよ。」

と言った。

 どうもこの前田慶次という男、一筋縄ではいかん傍若無人の輩らしい。甲斐姫は観念しておとなしくしてい

た。すると慶次は

 「甲斐姫は男を知らんようですな。それではいかん、みすみすあんな猿顔のジジイに女の初めてを捧げるな

どもったいない。」

と言った。すると甲斐姫は

 「うるさい、私は私だ。それに普通の男は私を怖がって近寄らん。」

と言った。すると慶次は

 「そのようですな、しかし私も戦人。強い弱いは一目で分かります。甲斐姫様はお強いが、それは戦場での

み、普段はそのような野蛮な方ではありません。違いますか。」

と言った。すると甲斐姫は

 「そうですか、そう思うのならそう思えば良い。だが近寄ってみろ、只ではおかんぞ。」

と言った。すると慶次は

 「おー、怖い怖い。鬼の甲斐姫全開だ。」

と言って笑った。すると甲斐姫は

 「もー、またバカにしよって。」

と言って湯を掛けた。

 どうやら甲斐姫と慶次は打ち解けたようである。

 翌日、甲斐姫一行は箱根の芦ノ湖に到着した。関所ができる以前の事ではあったが簡単な身分確かめの取調

べは受けることになっている。そこで秀吉からの呼び出し状と甲斐姫の身分証、そして家臣全員の名前の書か

れた書状を見せた。そしてすぐに通って良いことになって、次の宿場、三島へ行く街道を通ることになる。

 三島までは下りの急坂が少し続くが、しばらく下っていくとなだらかになる。杉木立が鳥の囀りをこだまし

て、なんとも気持ちの良い山道である。しかしその空気を一変する出来事が起こった。

 「まてまて、その行列、まて。」

と言って一人の若武者が立ちはだかった。

 「我は三宅高繁の弟、三宅高信である。甲斐姫様の御一行と見受けるが、兄の敵、甲斐姫御覚悟。」

と言ったとたん、横合いからいきなり三人の武者が襲い掛かってきた。

 すると前田慶次が脇差しを抜いて一瞬の内に二人を斬った。そして輿から甲斐姫が若武者姿で手槍を持ち、

飛び出して残りの一人を突き通す。それを見た高信は

 「あっ、あわわわわっ。」

という声を上げて逃げようとした。それを見て慶次が

 「逃すな、捕えよ。」

と行列の前方にいる武士に言う。すると逃げようとしたにも腰が抜けていた高信はあっさり捕えられていた。

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