小説『甲斐姫見参』
作者:taikobow()

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 捕えられた高信は甲斐姫の前に突き出された。甲斐姫は

 「お前は三宅高繁の弟と申したな。それにしては弱すぎる。高繁は弓矢で倒したが、その前に我等の兵を三

人も討ち取っていたぞ。それに比べてお前は部下がやられて逃げようとした。」

と言った。すると慶次は

 「この者、誰かに姫を襲えと命じられているようですな。横合いから攻めるのも行列を襲うのには必定。誰

かがこの者を使って甲斐姫を亡き者にしようとしているように思えます。」

と言った。すると甲斐姫が

 「誰だ、お前の頭目は。」

と聞いた。すると高繁は

 「ふん、誰が言うか。」

と首を横に向けた。すると甲斐姫は懐剣を持って高信の首筋に刃を向けた。

 「私を前にして白を切るとは良い度胸だ。だがさっきの腰を抜かした様とは釣り合いが取れん。近くに仲間

がいるのだろう。」

と言った。すると高繁は

 「くっ、なんでもお見通しか。」

と言ったところで矢が飛んできた。甲斐姫は輿の陰に隠れて矢を防いだが、取巻きの兵はやられたようだ。す

ると慶次が矢が飛んだ場所へと駆ける。すると斬檄と悲鳴が聞こえてきた。そして一人の男の腕を掴んだまま

連れてきた。

 「姫様、この者はどうしましょうか。頭目の名前くらいは聞けそうですが。」

と言った。すると甲斐姫は

 「そうだな、おい、お前の頭は何者だ。」

と聞いた。すると男は

 「お前が討ち取った浜田将監様の家来で伊澤又兵衛殿だ。恨みは忘れんぞ。一生恨んでやる。」

と言った。すると慶次は

 「姫様、この者生かしておいても良くありませんな。首を跳ねますか。」

と言った。すると甲斐姫は

 「良い、もうそのような血なまぐさい事はこれきりにしたい。その者解き放て。」

と言って高繁共々解き放たれた。

 二人は刀を取られて、山の中を一目散に逃げて行った。

慶次は

 「伊賀者が奴等を追いました。いずれ始末するでしょうが、伊藤又兵衛の手の者がまた襲ってくるかもしれ

ません。」

と言った。すると甲斐姫は

 「その時はその時です。私も多くの命を奪いました。当然恨みも買います。仕方の無いことです。」

と言った。

 甲斐姫の一行は三島に着き、三島大社を参拝してから宿に入った。 

甲斐姫は慶次に

 「のう、三島を歩きたいんじゃが。」

と言った。すると慶次は

 「それは良いですな。三島は富士の湧水が湧き出る処。柿田川などは見物ですよ。」

と言った。すると甲斐姫は

 「家永がうるさいから内緒で出よう。伊藤のこともあるしな。」

と言った。

 甲斐姫と前田慶次は三島の町に出た。ここは宿場町として発展した所だ。鎌倉時代前に源頼朝が三島大社に

参拝したこともあり、東海道の箱根越えの拠点として多くの宿が建っている。

 また、富士山の湧水が至る所に湧き出る処でもある。その水は宿場にとってこの上ない利用価値がある。

甲斐姫は柿田川の川岸にある大石に立って

 「のう、わらわは秀吉様の側室になって世の中は変わるのかのう。」

と言った。すると慶次は

 「それは分かりませんな。甲斐姫様がただ大阪にいるというだけでは何も変わりません。立場を利用して何

かをすれば軋轢を生むでしょう。その辺りのさじ加減が難しいとは言えるでしょうな。」

と言った。すると甲斐姫は

 「そうじゃのう。わらわは今まで父上の影に隠れていたから、何をしても許されておった。しかしこれから

は何をするのも難しい立場に立つな。」

と言った。

 甲斐姫と慶次は川沿いの石畳を跳び歩いて行った。鮎が跳びはねる静かな佇まいは一時の安らぎを与えてい

る。慶次は

 「甲斐姫様は庶民の暮らしを良くしようとお考えか。それとも側室として安全で豊かな暮らしをお望み

か。」

と聞いた。すると甲斐姫は

 「それが分からんのじゃ、側室となれば今まで以上の良い暮らしはできるであろう。しかしそれでは今まで

領民の為に戦ってきたわらわはどこへ行ってしまうか。それが怖い。」

と言った。すると慶次は

 「それを考えれば今までの甲斐姫は死んでしまうのでしょう。しかし領民の事を一番に考えてきた甲斐姫な

ら、そんなことにはならないと思いますよ。」

と言った。 

 甲斐姫と慶次は一時の川遊びを終え、宿に帰っていった。そこには家永が鬼の形相で待っていた。

家永は

 「姫様、どこへいらしていたのですか。こっちはそこらじゅう探し回って大変でした。」

と言った。すると甲斐姫は

 「すまん、家永や家臣に迷惑を掛けるつもりはなかった。わらわの気持ちの揺らぎがそうさせたのじゃ。も

うこんなことはせんゆえ許せ。」

と言った。その言葉に家永は甲斐姫の心の揺れを感じて涙した。誰も自ら望んで側室になろうと思ったわけで

はない。氏長様やかつての領民、そして現在の領民のために側室になることを承知したのだ。その気持ちを少

しでも汲んで上げる気持ちが無ければ本当の家臣とは言えないのではないか。

家永は

 「前田殿、ありがとうございます。姫は少し大人になりました。」

と言った。すると慶次は

 「いやいや、私はなにもしてやれませんでした。全ては甲斐姫のこれからに掛かっております。」

と言った。すると家永は

 「前田殿。」

と言って号泣した。

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