小説『甲斐姫見参』
作者:taikobow()

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五、長親の真意

 甲斐姫一行は三河岡崎城に入った。そこで甲斐姫は床につく。

甲斐姫は

 「すまんのう。皆に迷惑掛けて。」

と言った。すると家永は

 「いいんですよ。幸い怪我をした者も命は助かりそうです。」

と言った。すると甲斐姫は

 「そうか、それは良かった。」

と言った後、毒消しが効いたのかぐっすりと眠りについた。

家永は

 「前田殿、これから尾張に向かうことになるが、それからは山深い関が原を越えねばならぬ。また襲撃を受

けたら防ぎきれんかもしれない。」

と言った。すると慶次は

 「そうですな、しかし我々の手勢はこれだけです。秀吉様も私以外を呼ぶことはないでしょう。」

と言った。すると家永は

 「うーん、困った。」

と言ったきり黙ってしまった。

 甲斐姫は夢を見た。忍城開城の際、成田長親の顔が私を見て複雑な顔をしていたのを思い出していたから

だ。それを夢にまでみる程に思いを寄せていた甲斐姫は、福井城に居た時、淋しさを武芸に精を出しごまかし

ていたのだ。

寝言で

 「長親様、長親様。」

と言っているのを家永は聞いて涙した。

 思いとは裏腹に秀吉の側室になることを承知した甲斐姫、それを送り出すしかなかった氏長。そして秀吉の

ごり押しに屈した形で甲斐姫が側室になるのを承知せざるを得なかった長親。

 そんな三人の気持ちが人一倍分かる家永は一人、別の部屋に行って涙を流していた。

そこへ慶次が入って

 「家永殿、実はこの三河城に成田長親殿が参ってござる。」

と言った。すると家永は

 「えっ、長親様が。」

と言って絶句した。

 慶次について二階の部屋に入るとそこに成田長親がいた。家永は

 「殿、お久しゅうございます。」

と言った。すると長親は

 「家永、久しぶりだな。元気なようで安心した。」

と言った。すると家永が

 「殿、甲斐姫様が。」

と言うと長親は

 「うん、聞いておる。傷から入った毒は前田殿の御家来が出してくれたそうだな。」

と言った。すると家永は

 「はい、姫様に会いますか。」

と言った。すると長親は

 「うん、そうする。」

と言った。

 二人は甲斐姫が寝ている部屋に入った。甲斐姫はウトウトとする意識でしばらく寝ていたが、目を覚ますと

そこに長親の顔があり

 「長親様、どうして。」

と言った。すると長親は

 「甲斐が大阪へ行く前に一度会っておきたかった。なんとか無事なようで安心した。」

と言った。すると甲斐姫は

 「長親様。」

と言って泣き崩れた。

しばらく経って長親は

 「私は甲斐を手放したくはなかった。しかしあの忍城の戦でなんとか領民が助かったことを思えば、甲斐を

秀吉様の側室にすることを断ることはできなかった。あれ以上戦が長引けば皆、死んでしまうことになったで

あろう。それだけは避けたかったのだ。」

と言った。

甲斐姫は

 「それは分かっておりました。長親様は領民のことを一番に考える方でしたから。」

と言った。


 注、三河岡崎城は松平元康、後の徳川家康の居城であった。今川家、織田家に人質に取られていた元康は三

回目の今川家の人質の際に上洛する今川義元に付いて尾張を目指した。途中、桶狭間で織田信長の奇襲に遭い

義元が討ち取られ、前線で戦っていた元康は戦う意味を無くし三河城に入城した。三河城で戦力を蓄えた元康

は織田信長と同盟を組み、天下を取るため戦国の世に打って出たのだ。


 甲斐姫の回復を待って、長親は江戸へ向かって旅立って行った。後は家永と慶次に任せて。

 甲斐姫の一行はその五日後、三河岡崎城を出立し尾張へと向かって行く。この道はほぼ平坦であるが森の多

いところである。何時、伊藤又兵衛の手の者が襲ってくるかもしれない。しかしそれは杞憂であった。甲斐姫

一行が襲われたと聞いた徳川家康の命で伊賀忍者が周辺の警護に当たっていたのだ。

 無事に尾張清洲城に着いた甲斐姫一行は、すっかり回復した甲斐姫の笑顔が清洲城の城主、織田信雄や家臣

達の心を和ました。

信雄は

 「甲斐姫様、よくぞご無事で。」

と言った。すると甲斐姫は

 「ありがとうございます。信雄殿。」

と言った。

信雄は

 「この度の秀吉の命により側室となられるとは、御心中お察し申し上げます。」

と言った。


 注、織田信雄(おだ のぶかつ)は織田家の次男であり、秀吉は信長の家臣であるという意識がまだあり、

呼び捨てにしている。信長亡き後、清洲会議で秀吉の謀略により跡継ぎになれなかったという恨みもあって秀

吉憎しの思いは人一倍である。


甲斐姫は

 「いえ、私はもう蟠りはありません。それより信雄殿は秀吉様の命で烏山に行かされるそうな。」

と言った。すると信雄は

 「そうなのです。あの秀吉の猿めが我を誰だと思っているのか。」

とつい言った。すると甲斐姫は

 「そうですか、まだ秀吉殿を許してはおられないのですね。」

と言った。すると信雄は

 「当たり前です。あの者は父信長が召抱えなければ、関白などに成り上がれもしなかったのですぞ。」

と言った。

甲斐姫は

 「そうですか、人の気持ちとはそういうものですね。私も側室などにはなりたくなかった。」

と言った。

 すると信雄はいきなり泣き出した。

 「甲斐姫殿、どうかご健勝であられますように願っております。」

と言った。

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