小説『SWORD ART ONLINE Fifth Crisis』
作者:トモ(IXA−戦−)

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Vol.10 戦乱聖夜

Side; Real 二〇二二年十二月二十三日 東京都 渋谷センター街の喫茶店
 目の前の電光掲示板では、明日から始まる『the world R;X』の大規模領土戦についての告知が流されている。豪華なクリスマスプレゼントも用意ということで、ネット界隈は盛り上がりを見せている。仕事が無ければ、香住智成も参加したいところである。
「……いやはや、CC社も頑張ってますな」
 だが、盛り上がっているのは、ネットだけである。
 ここに漕ぎ着けるまでに、様々な社会的な批判があったのは、揺ぎ無い事実である。特に、SAO事件が発生した先月七日直後の一週間ほどは、世界最大手である、いや最大手だからこそ、CC社にも脅迫めいた電話や手紙が散々に届いたくらいだ。
 ネットゲーム、もっと広い範囲で言えば、電脳世界というものに対して、政治を作る大人たちの理解や見識が、全く追いついていないのだ。二〇〇〇年代から加速度的に進歩したとはいえ、その恩恵を受け、理解をしているのは、まだ四十代が限界だろう。とてもではないが、この国の組織の中枢に届く年齢ではない。
「さて、そろそろ待ち合わせ時間なんだけども……」
 カランカランと、ドアのベルが鳴った。
 冬の冷気と一緒に入ってきた二人の女性。勝気に見えるショートヘアの女性は、開口一番、案内しようと、マニュアル通りに寄ってきた店員に尋ねた。
「すいません、待ち合わせをしているんですけど」
「おーい、潤香ちゃん、ここ、ここ」
 その女性が、目的の人物であることに気が付いた智成は、質素で静かな空気の漂う店内で、それなりに大きな声を上げた。途端に、クリスマスを前倒しで楽しんでいるカップルたちから、非難めいた視線を向けられるが、特に気にするでもなく、目の前に座った二人に、メニューを差し出した。
「コーヒー二つで」
 ショートヘアの女性は、隣に座った、何だかオドオドとしているボストンフレームの眼鏡を掛けた女性の意見を聞くこともなく、手早く注文を終えた。
「お待たせしました」
「……す、すいません。私のせいで遅れてしまって……」
「いやー、待ってないよ」
 やって来た、仁村潤香と、彼女の友人である後藤沙織に、智成は軽い調子で話しかけた。
「俺は、女性との待ち合わせなら、揃ったところが、待ち合わせ時間さ」
「私は、貴方と出来れば会いたくなかったですけど」
 ふんっと鼻を鳴らし、潤香は腕を組んだ。
「それよりも楚良さんに会えるって聞いたから来たんです」
「あー……」
 そういえば、十二年前、彼女が「カール」というプレイヤーネームで行動していた時から、彼女は楚良の事が好きなのだ。そして、その件の楚良というのは、ハセヲ、三崎亮の最初期のプレイヤーネームなのだ。
 彼の構築する人間関係の複雑さに、内心、智成は頭を抱える。
 そのうち、本当に刺されるのではと、あながち冗談でも言えない想像が出来てしまう。
「まあ、本当なら、一緒に来るはずだったんだけど、用事が出来ちゃってさ」
「用事?」
「まあ、あいつ、今、埼玉の大学なんだけどさ、論文終わったって、提出しに行ってる」
「そういえば、まだ、大学生でしたね」
 こんな事件に関わっていると忘れそうになるが、ネットの中の称号など、現実の世界では何の意味も持たない。今でこそ、アルバイトから昇格して、CC社の正式な運営スタッフという肩書きを持つ智成も、十二年前は普通の高校生だった。
 寧ろ、ネットの中に入れ込み、現実の世界と住み分けが出来なくなっていく分、現実世界での評価は著しく下がるといって良いだろう。
 ヘルバ曰く、「二つの世界は平行に存在し、境界を持つからこそ、意味がある」そうだ。今回の事件にしても、二年前のイモータルダスク事件にしても、彼女の美学に反する事は間違いないだろう。どっぷりとハッカーなどという裏社会に精通している彼女らしい発言だと、今更ながら智成は思う。
「まあ、代わりにエスコートするからさ」
「いやです」
「あらら、ざっくりやられちゃったね」
「ご、ごめんなさい、智成さん」
 そんな風に友達のそっけない態度を詫びる沙織。
「いや、そんなの慣れてるさ」
 確かに、振られるのにはなれている。あまり慣れたくないが、恋多き男には、破局も成就した数と同じだけ存在するのだ。
「さて、それよりも本題だ」
 ようやく、智成も真面目な顔つきになった。
「用件はメールに書いてあった通り」
「お父さんの居場所、ね……」
 潤香に対して、先日、智成は彼女の父、徳岡純一郎の現状について教えて欲しいと連絡を入れていたのだ。今日は、その事について教えてくれる手筈であったのだが、目の前で露骨に眉根に皺を刻んだ彼女の表情を見る限り、あまり芳しい成果は期待できなさそうだ。
 しかし、アポイントメントを取ったのは、既に一週間も前だ。智成が金沢にいたとはいえ、何故、ここまで待たされたのだろうか。
「それは、ここさ」
 潤香に答えるように、そして、智成の疑問に相対するように。
「久しぶりに娘に会えるから、だよ」
 ぬっとアロハシャツを三枚も重ね着したヘンテコな格好をした初老に近い男性が、三人の前に現れた。彼は、そのまま智成の隣に座る。顔中の無精ひげを撫で回しながら、にっこりと三人に微笑んで、ブレンドコーヒーを注文した。
「やあ、久しぶりだね。香住君」
「徳岡さん……」
「お父さん……」
 このヘンテコな格好をした男が、徳岡純一郎である。
 もう四十を半分も超えているはずなのだが、未だに若い造りを心がけている。そんな歳に似合わないのが嫌いなのか、潤香の方は、あまり会おうとしない。彼自身、一番大事なときに、仕事にかまけて、結局、家庭を潰したという負い目があるからか、務めて合おうとはしないのである。だが、そんな彼に対して、智成は用があるのである。
「実に、十二年ぶりかな。今は、CC社にいるんだってね」
「ああ。まあ、何ていうか、徳岡さんの後釜にはいるような形でね」
「うん、頑張っているようで何よりだ」
 初代『the world』の日本語版を作ったのが、彼である。多数の翻訳ソフトなどの開発も手がけ、全世界から二千万人が参加する巨大ゲームの門戸を日本にも開いたのだ。
 だが、それも十三年前の話。
「さて、徳岡さん」
 熱いコーヒーを一口飲んで、ゆっくりと同輩に語りかけるような調子で、智成は話の口火を切った。これからの事は、ネットワーク世界、そして、恐らく、人類全体の存亡に関わってくるだろう話なのである。六十億人の行く末を左右する話。
「俺は、あんたに聞きたいことがある」
「何かな?」
「あんたとCC社の間にあったっていう諍いの話だ」
「………」
 智成の真剣な眼に、徳岡は黙った。
「今更、誤魔化しはなしだぜ」
 問い質す。
「辣腕と呼ばれた程のあんたを何故、放逐したのか?」
 少々、上層部に反逆したくらいで、優秀な技術者を放り出すとは思えない。
「未帰還者とは、一体、何なのか?」
 別の目的を持った何かに左右される世界。
「知ってる事を洗いざらい吐いてくれ」
「………」
「この五度目の危機を解決するためにも」


Side; Net 二〇二二年十二月二十四日 ギルド(八咫鏡)@HOME
広大な平原を舞台にして、人が怒号を上げ、剣を振り上げる。
 クリスマスイベント、領土戦の開幕である。
 だが、そんなイベントには露ほども興味を示していない面々もいる。この@HOMEに集ったサクヤやトービアス、シャムロック、スミスも、そんな興味のない側の人間だ。大規模MMOには、得てして出会いを求めるような不埒な輩がいるが、彼女らが探す人は、危険な人物であった。
「ふむ……」
 シャムロックは、サクヤの黒くなった右手を調べる。
 解析が無事に終わり、トービアスは取り敢えず安堵の表情を浮かべる。前も、何かおかしな事になった右手だ。何かあって、暴走しては、今度こそ大変なことになる。
「それで、どうなっているんです?」
「いうなれば部分的未帰還という状態……、だな」
 沈痛な面持ちで、シャムロックは解析の結果を述べる。
 サクヤを全身解析した画面を見せながら、トービアスに伝える。その画面上では、サクヤの右手首から先が欠けていた。つまり、データがないということを意味している。眼に見えるだけの存在はあるが、そのデータが欠けているという不思議な状況になっている。
「プログラム上は表示されているがデータは欠損している状態だ」
「あの時、かな」
 灰色の空の下に佇む黒い巨木。三人は身の危険を感じて、ログアウトを図った。その黒い巨木を護るように出現した真っ黒な人形にメアリはログアウトが間に合わずに、襲われたのだ。そして、サクヤも彼女を助けようとして、この状態なのだ。
「どうやら、向こうに持って行かれたようだな」
「『持って行かれた』……?」
「恐らくだが、リアルで感じている、手のしびれも、これが原因だろうな」
 何せ、今までの未帰還者は全身から意識が消え去るのだ。彼女のように、一部分だけが消えるような状態は、シャムロックも長年、この『世界』に身を浸してきたが、初めての事例であった。だからこそ、対策の方が分からないのだ。
 考え込むシャムロックとトービアス、スミス。その傍で、サクヤは蚊帳の外だった。
「そういえば、衿の容態に変化があったと聞いているが……?」
「ああ、十一日の夜、だったかな。その時間に、ちょっと動きがあったみたいだ」
 十一日の夜というと、水の都、マク・アヌに黒くなったエリが出てきた時間帯。
 そして、大量のウイルスバグが街を占拠した時間帯。
 結局、この件に関しても、CC社は完全に隠蔽を行ったのだ。
 だが、それを聞いたシャムロックは、考え込む。
「シャムロックさん?」
「なるほど、マク・アヌに現れたのはやはり彼女か……」
「あの黒いメアリは、メアリで、衿本人ということですか?」
「え、えっと……」
 トービアスとシャムロックの間に何やら小難しい単語が飛び交っている。
 サクヤは既に頭がパンクしそうになっていた。そんな彼女を放置して、シャムロックは考え込む。始まってしまった領土戦について。窓の外では、爆煙が吹き上がる。
「事件の『犯人』が、事を急いているなら今回の領土戦も狙われるだろうな……」
「なら、中止すべきでは?」
「無理を言うな」
 トービアスの提案を、シャムロックは切り捨てた。
 そもそも、今回の領土戦は、全サーバーで数万人が参加する一大イベントだ。それを「テロの危険性があるから」という証言だけで中止することは出来ない。もっと、明確に狙われるというような確約がない限りは、流石に運営も首を縦に振らないだろう。
 悲しい事かもしれないが、このゲームには金が動いている。その利益を無視することは、一営利企業として、CC社も出来ないだろう。
 そもそも単なるネットゲームである『The World』によって、意識不明者が生まれているだとか、今回の事件の原因となっていると警察や政府に訴えたところで誰が信じるというのだろうか。「ゲームが凶器」なんて思っても見ない事だ。
 取り違えてはいけない。
 シャムロックが参加している、別件の(SAO事件)に関しては、参加していなかった一万人以外の「ナーヴギア」は全て回収されているが、あの機械本体に問題があるのであって、ゲーム自体は、他と同じ、普通のMMORPGなのである。
 既に先手を打って、運営であるCC社は、例によってマク・アヌの事件については、BBSなどの書き込みを全て検閲し、残らず削除する等で隠蔽工作を図っている。証拠はどこにもないのが、現状だ。とっさの事だったので、ここの面々も記録を残していない。
「仕方ないな、」
 そしてシャムロックはサクヤに、残酷な宣告をする。
「ひとまず敵への対策ができるまでは、絶対にログインするな」
「どうしてですか!」
「お前が犯人に捕まったら我々には切り札がなくなる」
 半ば、警告ではなくて脅迫のような言葉。だが、言っている事は正しい。
 サクヤとトービアスは後ろ髪を引かれながらも、ログアウトした。



Side; Real 二〇二二年十二月二十四日 お台場放送局 第三スタジオ
 スタジオの中は、いつも通りの緊張に包まれていた。
 既に五年を迎える長寿番組であるが、やはり放送の前は緊張すると、パーソナリティーのカルロス・アイハラは思う。気合を入れるために力水を一気飲みして、マイクの前に座る。隣のディレクターが指でカウントを始める。
 この瞬間、カルロス・アイハラは、芸人サルバトル愛原に変わる。
「サルバトル愛原の『Online Jack』!」
 タイトルコールと共にお馴染となった軽快なBGMが鳴り響く。
「さあ、今回はクリスマスの特別編成ということでお送りするぜ!」
 日系ブラジル人のカルロス・アイハラは、六年前から、この局で『Online Jack』という番組を持たせてもらっている。ブラジル人らしい陽気な彼の話のテンポが刻む絶妙なトークは笑いを齎し、そして、時として社会の闇に一人のジャーナリストとして立ち向かって行く。そのギャップが受け、長寿番組として生き残っているのだ。
「今夜は、特別ゲストがきているぜ! 早速、どうぞ!」
 彼のコールに、二人男女のペアが入ってきた。
 用意された二つのマイクの前に礼儀正しく座る。
「みんなー、こんばんわー、レイちゃんです!」
「同じく、皆さん、こんばんわー、ウサギ丸くんです」
「二人合わせて! にゅ〜くレイチェル! よろしく!」
 二人の名乗りの最後を、サルバトルが掻っ攫った。
「ちょ、ちょ、サルバトルさん、取っちゃ駄目ですよ!」
「まあ、いいやないの、ウサギ丸くん」
 早速、軽快な突っ込みが入った。
 漫才コンビ、にゅ〜くれいちぇる。
 関西出身の漫才コンビ。ニューエンタープライゼス所属でサルバトルの後輩でもある。九年前の映画で一気に躍進したが、その後は紆余曲折、結果的に、七年前のテレビ番組でその独特のキャラクターが受けて、今や押しも圧されぬ人気コンビとなった。
 二人の持ち味は、コテコテの関西方式。自然な関西弁からこぼれる、時には風刺の効いた一言が、見るものの心を掴むのである。男女だからこそできる絶妙な掛け合いというのも受けている。性差とでも言うべき、認識のずれ。それがまた面白いのだ。
 ただし、誤解されるような関係ではない。
「世間様は色々と騒いでますけど、クリスマスくらいは楽しみましょう!」
「さて、そんな二人を迎えてお送りする今夜の『Online Jack』の内容は……」
 盛大なドラムロールが鳴り響く。
「聖母の口付けから十五周年ということを記念して、ネットを題材にお送りするぜ!」
 彼のコールを合図に、スタジオの奥から、大きなボードが出てきた。
 二〇〇四年の忌まわしき「死の光」事件からの来歴が、細やかに纏められている。
「そうか、もう十五年なんやね」
「ちょうど私達が物心付いた頃かしら?」
「そう、既に十五年。その間に色々な事件が起きたのは、間違いない!」
「そういえば、五年前も菅井教授でしたっけ」
 ふと思いついたように、ウサギ丸が呟いた。
 漫才師であるが、彼らは社会派なのである。こういう面と向かって言い難い事を笑いとして昇華して、大勢の人間に伝えることが出来る人間なのだ。
「彼と一緒に『ドール症候群』っていうのを追ってはりましたね」
「お、覚えてくれていましたか!」
 菅井太一郎教授の提唱したドール症候群。
 ネットゲームの過剰なまでの遊戯によって精神感応が鈍くなり、まるで人形のようになるという症状のことである。特に小学生の頃にネットゲームをしすぎると、発症しやすいと言われているが、確かに、FMDなどのように神経に直接的に訴えかけるような道具を使えば、神経に与える影響は計り知れない。ましてや、未成熟な子供となれば、尚更だ。
 彼の論文は、多くの医者や技術者に支持された。
 だが、同時にゲームを害悪と決め付けるような教育者達にも支持されてしまった。一時、彼の論文を曲解した上に、盛大な錦の御旗を手に入れた、苛烈な教育ママたちが原因で多数のゲームが中止に追い込まれたこともある。
 そんな娯楽を潰すことを目的としていなかった菅井教授を始め、医者は精神感応の状況改善に役立つデータを技師達に提供。五年の間に、FMDも大きく改善されているのである。現在は余程の大質量のデータ、それこそ一人の人間に対して、国内の全スーパーコンピュータを使ってデータ照射するくらいの負荷を掛けねば、症例は発症しなくなっている。
「あの時は、色々と問題起こしましたからね……」
 しみじみとサルバトルは遠い目をする。
「あー、もう暗い!」
 そんな沈んだ空気を一蹴するようにレイちゃんが吼えた。
 この事件の調査の過程で、サルバトルはドール症候群が遠因らしい問題の起きていた深夜の小学校に、そのクラスの担任であった田島ミチルと件の菅井教授と共に進入するという、警備員そこのけの行動もしてしまっているのである。今でこそ、パーソナリティーであるが、五年前は突撃リポーターであった彼は、向こう見ずな性格だった。今もあまり変わっていないのだが。
「さて、その中でやはり欠かせないのは」
 三人は声を揃えて、言った。
「「「『The World』!」」」
 三人は声を揃えて、言った。
「ですよねー。そういえば、お二人は、それが縁で知り合ったんだとか」
「そうです。そうです」
「いやー、伝説の『.hackers』から、もう十二年も経ってもうたんすね」
 ウサギ丸くんの発言に、サルバトルが食いついた。
「ウサギ丸くんの言う『.hackers』といえば、第二次ネットワーククライシスを解決したという伝説の、あのパーティですか? 私もお会いしたいと思っているのですが、どこの誰なのか、全く情報が無いもので……」
「せやったら、うちらメンバーやったで」
 レイちゃんが、さらりと発言した。
「おおっと、お二人の知られざる過去!」
 すぐさま、サルバトルが食い付いた。
「なんとお二人は、伝説のパーティのメンバーなのですか?」
「まあ、メンバー言うても、後期も後期やし、外郭のサポーターやったけどね」
「『.hackers』は不思議なパーティなもんで」
 ウサギ丸くんが楽しそうに話す。
「中核となる団員がいて、彼らの思うように、皆が行動する」
「その中核メンバーの中には、かの『フィオナの末裔』バルムンクもいましたよ」
「な、なんと!」
 また伝説級の名前が飛び出してきた。
 かの『フィオナの末裔』といえば、まさに伝説も伝説の人物である。サルバトルは、伝説の一片に触れているよな気がして、興奮していた。彼も、また『the world』の住人なのである。トッププレイヤーには及ばないが、スカボローという名前でプレイしている。
「皆、あの世界が、あのゲームが大好きで、危機に立ち向いましたし」
「皆、どないしとるんやろね……」
 レイちゃんの小さな呟き。
「もしかしたら、このSAO事件にも、また立ち向かってるんかもしれんね」
 それは、完全な推測。
 だけども、不確かな伝説に縋る人間を生み出したのは、事実だった。



Side; Net 二〇二二年十二月二十四日 『the world R;X』 グリー・マレーヴ大聖堂
 世間は、クリスマスと騒いでいる。
 この『the world R;X』に於いても、総出の領土戦が繰り広げられている。
 だが、そんなことにトンと興味の無いアイナは、この聖堂へとやって来ていた。
 とても大きく複雑な細工で飾られたゴシック建築様式。
 現実の時間とは関係なく流れ続ける、黄昏色の空。
 大聖堂の向こう側には、眼を焼く様な夕日。
 エリアの真ん中にぽつんとこの聖堂はある。聖堂やプラットホームの回りは、薄く霞がかかっていて、下の方まで見ることは叶わない。まるで中空に浮いているような錯覚さえ覚えてしまうような、この幻想的な場所。
 Δサーバー『隠されし 禁断の 聖域』である。
「嘗て、この地には女神がいた」
 少女は、語る。
 その痩身に似合う、白のゴシックドレスを優雅に翻しながら、歩く。
 歩くごとに、また優雅な足音が鳴り響く。
 この地は、モンスターも出てこないために、基本的には誰も入ろうとしない。何かのイベントがある時にだけ使われるような場所であるが、非常に小規模なので、戦いには向かないことから、半ばCC社からは放棄されるような扱いになっている。
「されども、女神は愚かな人類に愛想を尽かし、この地を去った」
 大聖堂の扉を開け、中へと入る。聖堂らしく、幾つか備え付けの椅子が並んでいる。だが、それに座る人間は誰も居ない。聖堂の正面には、何かが据えられていたらしき台座があるだけである。ここに女神が座っていたらしい。そんな神話が、語り継がれる。
「これが、決して、ゲームの設定でない、ってところが怖いのよね……」
 ここの聖堂には、誰も居ない。
 だが、故に神聖、そして、最も重要な場所である。
 物語の全て。ハロルド・ヒューイックが夢見た、始まりの地。
 原始の神が生み出した、最高の女神が来臨した、聖なる地。
 黄昏の守護者の生まれた、冒険の始まりとなる、約束の地。
 死と再誕が交わり、境界線となりあがった、運命の地。
「そうでしょう?」
 アイナは、ゆっくりと後ろを振り返った。
「ゼフィ」
 彼女の後を着いてきたらしい、年端も行かない、あどけない少女。
 ゼフィと呼ばれた少女は、綺麗なサフラン色の髪を靡かせて、ゆっくりとアイナに歩み寄ってくる。身長差は頭一つ分というところだろう。だけども、身に秘めた魅力は、とても眼に見える等身では、収まりきらないものであった。
「ここへ呼んだのは、何か二人っきりで話したかったからよね」
「そう」
 ゼフィはゆっくりと頷いた。
 アイナは、彼女に呼ばれて、このロストグラウンド、この『世界』が抱える禁断の領域へと脚を踏み入れたのだ。他にも、アイナが知っている禁域はある。だが、この地を指定したのは、ゼフィがこの場所に思い入れがあるからだろう。
「それで、女神の子である貴方が何の用?」
「貴方も、私と同じ」
「……」
 女神の子。
 この地に奉られた女神、アウラ。
 ゼフィはそのアウラの娘なのである。
 カイト達が必死になって捜し求めている女神とは、言ってしまえば、究極のAI。
 銀色の髪に、白い服、名前をアウラ。
 人間と機械。確かに、出来ることは似通っている。いや、似通うように人間が機械を進歩させていったのかもしれない。だが、どれだけ進歩させようとも、機械に心は宿らなかった。だが、一人の天才の狂った愛が、新しい生命をネットの中に生み出した。
 人の感情を解し、人の感情を受け入れ、人と同じように成長していく、人の感情を読み取るなどというチャチなプログラムではない。言うなれば電子で構成された新しい人類とでも表現しようか。そんな女神には、子をなすことすら可能なのである。
「『無為』に帰ったはずの女神」
「……」
 女神を失った大聖堂の中。
 サフラン色の髪をステンドグラスから差し込む黄昏の光で梳きながら、ゼフィはたどたどしい言葉を紡ぐ。その言葉を真剣に、アイナは聞いていた。
 無表情で、豪奢なタイルの上を裸足で駆け回るゼフィ。無邪気にも見える、邪気が纏わり付いているようにも見える。母の居ない世界のことなど意に介していないのだろうか。
「騎士は、友たる猫を蘇らせたかった」
 詩的な言葉、何を抽象しているのか、さっぱり分からないが、一応、書き留めておく。
「猫は、黒い悪魔に、誑かされた」
 騎士。
 猫。
 黒い悪魔。
 まるで、この世界の元になっているネット叙事詩「黄昏の碑文」である。この作品にも、猫だとか、騎士だとか、禍々しき波だとか、そんな詩的な文章がいっぱい出てきた。
「けれども、新しい勇者が、猫を連れ帰る」
 新しい勇者。
 これは、誰のことだろうか。
「聖夜に、一つの区切りは付く」
「ちょっと、今日が、その聖夜なんだけど……?」
 そう言ったアイナの前から、ゼフィは消えていた。
「………全く」
「私も『風』に、還るわ」
 ふっと、黄昏に彼女の声が聞こえた気がした。



Side; Real 二〇二二年十二月二十四日 アメリカ ワシントン ペンシルバニア通り
 アメリカの行政の中枢ともいえるワシントンD.Cのペンシルバニア通り。
 キリスト教が阿呆なほどに浸透している、この国では、この時期はどこもかしこも赤と緑、クリスマスカラーで統一されている。こんな政治の中枢の通りにあっても、いや寧ろ、この政治の中枢にあるからこそ、誰も彼もが、職員達は浮ついている。
「何が悲しくて、クリスマスに、仕事してるんだろうね、俺」
 飴を舐めながら、今頃、日本では何をしているのだろうと思いを馳せる。
 連邦議会議事堂。
 そして、今回の曽我部の目的である連邦捜査局、Federal Bureau of Investigation、略称の方が今や有名であるFBIのビルディングがある。
「はぁ……、めんどくさ……」
 高い構想のビルを見上げて、呟いた。
 普段と同じように、リーリエと一緒にクリスマスパーティでも楽しむ心算だったのだ。少なくとも、二十日には帰国して、情報を整理、火野に提出、そして、短いクリスマス休暇を楽しむ算段だったのだ。ネットワークトラブル・コンサルタントという電脳世界における探偵業を行っている曽我部は、非常にそのあたり、時間に融通が効く。
「ま、文句言っても仕方ないな」
 彼が、年の瀬も差し迫ったアメリカへと渡ったのは、同門の渡米中の経歴を洗うためである。本来なら、サンディアゴのCC本社に出向くべきなのだろうが、何となく、CC社の上層部に不信感を抱いていた曽我部は、態々連邦警察に依頼したのだ。幸いなことに、海斗や、祐樹の知り合いがいて助かったと心の底から思う。
彼らがいなければ、一ヶ月は此方で足止めを食らっていただろう。そのまま、タイムズスクエアで年越しをしようかと、二度三度と考えたくらいである。
「時間だな、行くか」
 当然、法務局下の、この機関には簡単に入れない。
 事前にアポイントメントを取り、既に入るのも三回目なのだが、手続きが煩雑すぎてうっと惜しいことこの上ない。ネイティブな発音の英語を面倒に聞き流しながら、曽我部は身体検査を受ける。飴の袋を纏めて没収されてしまったのは、非常に痛い。
 係員に案内されるようにして、小さな会議室へと通された。
 待っていたのは、随分と物腰の柔らかな中年の男性だった。健康的に日に焼けた顔といい、不健康そうな研究肌の曽我部とは対照的に、現場で頑張ってきたという印象の男だ。
「貴方が、フリューゲル、リュージ・ソガベですね」
 男は、時代かかった抑揚の日本語で尋ねた。
「初めまして、カイト、バルムンクから、話は伺っております」
 すっと男は、ゴツゴツした手を差し出した。
「砂嵐三十郎、ウィリアム・モーリスです」
 カイトは言っていた。
 ネットの砂嵐三十郎とリアルのウィリアム・モーリスは大きく違うと。確かにその通りであった。砂嵐三十郎は明らかにロールプレイをしている。雄雄しい、逞しいという男が憧れるような表現を詰め込んだ侍のような三十郎とは異なり、目の前のウィリアムは、なんと言うか小役人という感じが抜けきらない感じだ。
「どうも、曽我部隆二です」
 ウィリアムに促されるままに、曽我部はソファーに腰を落とした。
 流石は、連邦捜査局というところだろうか、何とも質の良いソファーを使っている。肌に触れる感触が素晴らしい、その一言に尽きる。そんな心底、どうでも良い感想を抱きながら、早速会話の口火を曽我部は切った。
「ご依頼していた、茅場晶彦の件ですが」
「ええ、随分と大変な仕事でしたよ」
 ウィリアムは苦笑した。随分と無茶な注文であったと曽我部も理解しているのだが、そこは旧友からの頼みということで強引に押し通した。
 本来の連邦捜査局の仕事は、連邦刑法に抵触する犯罪捜査、警察権の行使である。
 言ってしまえば、州をまたぐ広域犯罪の捜査、外国の諜報機関やテロリストの活動からアメリカ合衆国、そして合衆国が抱える機密の保持。連邦機関・州機関・地方機関および国際的機関に対する指揮力を発揮し法執行の援助を行うこと、公的要求に対してアメリカ合衆国憲法を遵守し責任を負うことである。
 今回、曽我部が受け取りに来た、海斗から提出された「茅場晶彦の渡米中の行動」という無理難題については、最初から門外漢であるとすら言って良い。だが、事件の中枢にある日本政府は、警察庁を通し、ICPOへと国際指名手配を行っている。結果として、アメリカ政府も、このような形で足跡の洗い出しに参加しているのだ。
「ですが、この通りです」
 ウィリアムは、USBメモリを差し出した。
 自分のパソコンで見ろということなのだろう。
 不親切にも見えるが、彼の行動は正しい。
 今や、このSAO事件は世界が注目する、五度目のネットワーククライシスとして認知されている。人間をネットの中に閉じ込めるという、悪魔のような所業の経過に、世界各国の技術者やエレクトロニクス企業は、一グループを除いて、戦々恐々としているのだ。
 だからこそ、日本政府、そして、同盟国であるアメリカ及びEU連合は、茅場晶彦の身柄確保に躍起になっている。捜査員のレベルで物事を見れば、近代でも例を見ない、世界最悪の監禁事件の犯人として、捕らえれば一躍有名になる。
 同時に、国家レベルで、今回の事件を見ると、茅場の持つ技術流出の危険性を危惧しているのである。今は、狂気の天才の暴走ということで済んでいるが、彼の持ちうる技術が反米国家やテロリストのグループに渡れば、それこそ、最悪の事態になってしまう。人間の魂を電子データと化して、ネットワークの中に閉じ込める。
この件に関しても、諜報の危険性が無いか、入念に確認された上での行動だろう。
「二週間も掛けた甲斐は、ありましたか?」
「ええ、それは勿論」
 自信満々というようにウィリアムは告げた。
「随分と纏めてくださったようで、ありがとうございます」
「いえ、礼には及びません」
 謙遜するように物腰の柔らかな捜査員は、手を振った。
 何だか、本当に日本人同士で会話しているような気分になる。
「ですが、今度、日本に行った時は、是非とも海斗たちと遊びたいものです」
「今回の事件が終わったら、是非」
「楽しみにしています」



Side; Real 二〇二二年十二月二十四日 青森 津軽市 温泉旅館『夢庵』
 衣織は、今回の事件の真相に対して、亜澄と電話で話していた。
 シャムロックこと、佐伯玲子はずっとログインを続けているらしく、電話にも出ない。メールも何通か送っているが、一向に返事が返ってこない。無理もないと二人とも半ば諦めている。その中で、二人は何をするべきか、何をすれば良いのかを話し合っていた。
『思うんだけどさ……』
「何、何か思う事あるの?」
 亜澄が言いにくそうにした言葉の、そこから先を衣織は促す。
『その子が死んじゃってるのを、犯人は知らないんじゃないかな……って』
「はあ……?」
 亜澄の頓珍漢な意見に、衣織は心底呆れた。
「そんな事が、あるわけがないだろう」
 今回の事件の全容は、こうだ。
 推察が混じっているので、どこまで正確なのかは、衣織も確信が持てない。
 だが、シャムロックの言葉と、自身の経験を統合すれば、次のようになる。
 今回の未帰還者を生み出した事件は、おそらく、難病になり、ドナーが必要になった少年のために、その適合者であるドナーを探している。どんな病気なのかまでは知らないが、こうやって、全世界の人間が集るネットゲームを使う事で、情報を集めているのだ。
 直接、ドナーが見つからなくても良い。情報が手に入れば、それで良いのだ。
 だけども、そんな個人情報をおいそれと渡すわけがない。何よりも、適合者が居たからといって、ドナーになってくれるとも限らない。だからこそ、未帰還者にしてしまう。意識不明になれば、病院へと搬送される。今回は、CC社が根回しして、自身の系列の病院に入れたそうだが、本来なら、未帰還にして、そこからドナーのカルテを探す、同時に、強制的にドナーとして臓器を提供させる心算だったのだろう。
 考えてみれば、その男の子への愛情ゆえに、その人は歪みつつあるような案件だ。
「その子の事情を知っているから、ドナーを探しているんだろう」
 その歪みを許容できないほど、衣織も冷血な人間ではない。友人を傷つけたことは許せないが、それとこれとは、またパラレルに語るべき設問である。
 だが、しかし、だ。
 仮に、亜澄の言う通り、もし男の子が、既に亡くなっている事を知らないなら、それは一体全体、どんな善意の人間だというのだろうか。
 全く関係のない、それこそ血縁でもなければ、友人でもない、全く関係のない第三者が好き勝手に暴れているのだろうか。それなら、その男の子や、家族に対しても無礼千万である。善意などではない。ただの傲慢な自己満足である。
「言われた通りご飯食べて、お風呂入って寝なよ」
『うん……』



Side; Net 二〇二二年十二月二十四日 『The world R;X』コシュタ・バワ古戦場 上空
 眼下の戦場では、今年最大、そして、今年最後の領土戦が繰り広げられていた。
 CC社が豪気に上位入賞者には、レアアイテムのプレゼントを行うという事前通知が流れたために、参加人数は、過去最大となっている。SAO事件以来、多くのMMORPGにおいて同じような事件を危惧したプレイヤーから忌避され、過疎化が進んでいたが、やはり腐っても、『The world R;X』は、十二年の歴史を持つ老舗ということだ。
 目下の戦場では、勇ましい怒号が飛び交っている。
 それを上空に浮かんだ飛行船から、ハーミットは見物していた。
 ここにまで聞こえるほどに大きな叫びは、自分に向けていった言葉ではないと分かっているのに、何とも切ない気持ちに、そして、怒りで肩が震えそうになるのは、何故なのだろうか。もしかしたら、まだたかが電子データの固まりでしかない自分にも、心というものが残っているからかもしれない。
「なんて、ね……」
 そこまで考えて、そんな醜悪な考えを、頭から追い出した。
 所詮、自分は、記憶の残滓でしかない。この体は借り物である。猫には複数の魂があるというが、まさに、今の二本足で立っているだけの、このハーミット、隠者という名前は、ブラックジョークのように相応しいとしか言い用がない。
「あーあ、サクヤにもう一度、会いたかったな……」
 そんな風に、幾度か出会った青髪の双剣士の顔を思い出す。
 何事にもまっすぐで、躊躇うことなく走っていた彼女。まるで、彼を見ているようで、楽しかった。でも、もう会うこともないだろうと思うと、途端に悲しくなった。
「彼女の友達、しちゃったのは、失敗だったなー」
 悲しげに、二足歩行の猫は、ため息を付く。
 そんなハーミットの耳に、隣のカップルらしい会話が聞こえてきた。
「全く、何、ちんたらしてんのかね」
「ホントだね、こんなやり方しか出来ないなら、あたしの方が殺れるっつーの」
 その台詞。
 何とも、醜悪で、自信に満ちた台詞。
 だけども、それを高みの見物しているようでは、空虚にしか響かない。
 そう思うと、思わず口の中から、腹のそこから笑ってしまった。何て、おかしなことを言う二人だろう。所詮は、ゲームの中の世界だ。ゲームオーバーになったからと言って死ぬわけではない。そのくせ、自分たちは安全圏から高みの見物、これがおかしくなくてなんだというのだろう。滑稽だ、余りにも滑稽だ。
「テメェ、何がおかしい……」
 ハーミットの甲高い笑声に、刺激されたのか、胸倉を掴まれた。
「痛いじゃないか」
 ハーミットはどこまでも淡々と、そう告げた。
「あ、テメェ、調子に乗ってんだろ。何なら、PKしたっていいんだぜ!」
 PK、プレイヤーキラー。
 ゲームの中のキャラクターを殺すということ。それに一体、どれだけの意味があるというのだろう。所詮、現実世界での人殺しでもないのに。この痛みも何も感じない世界で、殺しを行うことにどれだけの意味があるのだろうか。
 ハーミットは、断言できる。
 嘗て、君臨し、心すらも拉ぎ折り続けたような、死の恐怖や、赤鉄の鬼人のような、ある種のカリスマを持ち合せるほどのPKなら未だしも、こんなトッププレイヤーから齎されるお零れを食み、生きているような、チンピラ風情のプレイヤー達にすごまれて、一体、どれだけ恐怖を感じようか。
 そして、自分を殺すことに、どれだけの意味があるのか。
 全くないと、断言できる。何故なら、当の昔に、ハーミットは死んでいるのだから。
「ははは、ボクを殺すだって」
 そこで、ハーミットは笑うのを辞めた。
「何だったら、ちゃんと痛みを感じようよ」
 飛行船の舳先。
 それに一文字の亀裂が走った。
 そして、亀裂の先、ハーミットを持ち上げていたプレイヤーや、何が起きたのか分からないままのプレイヤー達を乗せて、自由落下していく。高所からの落下は地を這いずり回ることしか出来ない生物の根源的な恐怖だ。落ちていくプレイヤーの顔は、恐怖で醜くゆがんでいた。醜すぎて、ハーミットの眼には、滑稽に映ってしまった。
「ふん、痛いかい」
 そんな風に、落ちていくプレイヤーに冷徹な視線を向けるハーミット。
「ああ、痛さも感じられないよね」
 残念そうに呟くと、彼は、この場所からロストした。





Side; Net 二〇二二年十二月二十四日 第三層 迷宮区 
「ったく、何が悲しくて、クリスマスまで仕事しなけりゃなんねーんだ」
 怒りを込めた蹴りを一発、トキオは傍らの石にぶち込んだ。
勿論、道端にエッセンス、装飾としてあるだけの石だから、転がりもしなければ、砕けもしない。(破壊不能オブジェクト)という赤色のエラーメッセージが大々的に表示される。そのことがますます、トキオを苛付かせる。
 彼の装束は、まるで野球部のユニフォームである。ただ、その両の手に持ち、振り回す物は、バッドやクラブではなく、時計の意匠が施された二本の剣(天秤の剣)である。
「うるせぇ、黙って仕事しろ」
 そんな苛付いている後輩に、ハセヲは苛付きながら歩いていた。
「だって、だって、今日、彩花とデートだったんだよ!」
「それはご愁傷様だな」
 トキオの文句は無視する。
 頑張ったトキオは、姫様から御褒美を貰うはずだったのだが、ハセヲが強引に連れ出したのだ。今回の行動は、トキオの戦力査定と同時に、情報の収集である。この暗い迷宮に潜り込んでいるプレイヤーから、情報を引き出すのだ。
 デート、デートと喚くトキオとは対照的に、ハセヲとしては、厄介事から逃げ切れたので、少しばかり安心している。何が悲しくて、両手に花を持ってデートしなければならないのだ。道を歩けば、すれ違う男達の嫉妬の炎で、火傷するに違いない。それは御免だ。
 第三層の迷宮区は、本当に迷宮である。大きな石造りの迷宮である。この先へ先へと進んでいくと何れボスの部屋に辿り着くのだろう。本来、大規模な攻略隊が組織されるのだが、先日、攻略組の巨魁であったティアベルが脱落、結果として大きく攻略は後退した。
 後、三層。
 攻略組、βテスターの優位が効くのは、その辺りまでである。そこから先は、誰にとっても未知の領域。まるで未踏峰の処女地を登るが如き苦難が待ち構えている。その中で、彼のような求心力の有る人間が居ないのは大きな痛手だろう。
 そんなティアベル脱落の穴は、彼と同じグループに所属していたシミター使いの、リンドという青年が代理を務めている。同時に、トキオ曰く、βテスターを眼の敵にしているキバオウなる男も、独自の勢力を築き上げていると聞く。
 これは喜ぶべき傾向だと言えるだろう。
 正直、グランドクエストのコンプリートを行えば、全員がログアウトできるという条件ならば、それこそ、古代ローマの戦争に、最新鋭の戦車と戦闘機を持ち込んでいるような状況の、ハセヲ達十二人が奮起すれば事足りる。
 だが、それだけでは足りないのだ。
 出来るだけ全員の帰還という条件が付くと、それだけでは足りなくなる。
 まさか、全員を街の中に閉じ込めて、その間に百体のボスを抹殺する。余りにも非現実的すぎる上に、人数が足りない。どれだけ頑張っても十五人までしか、人材を確保出来ない上に、最大稼動上限は六時間しかないのだ。それで数百倍の人数は抑えきれない。好き勝手に行動されて、死なれるよりは、レベリングを行ってもらい、武装を強化してもらい、出来るだけ手の懸からない状況を作り出す方が、遥かに効率的なのだ。
 それを自分たちから作り出してくれる。八蛇にしてみれば、内心小躍りして歓迎していることだろう。
「クリスマス、クリスマス……」
 カチャ、と煩いトキオの背に、ハセヲは銃口を押し当てた。
 冷たい、ハセヲの銃の圧力に、トキオは冷や汗が流れ始めた。この(ソードアート・オンライン)では分かりやすいようにと、感情表現が豊かに変わる。
「あ、あのー、ハセヲ師匠……?」
「なあ、俺達はタルタルガのサーバーを経由してるのは、分かっただろう?」
「はい……」
 ぐいっと、なおも白い死神の銃は、トキオの背中に押し当てられたままだ。
 撃鉄が起こされた音がする。あとは、引き金を引けば、トキオの体には、耳と口と尻と鼻以外に穴が開くことになるだろう。
「今のところ、誰も死んでないから問題ないんだけど……」
 ホールドアップ体勢のトキオへ静かに問いかける。
「試しに臨死体験するか?」
 ゆっくりと脅しを掛ける。
「それとも、データドレインが良いか?」
「いや、いいです……」
「なら、黙って仕事しろ」
「……すんません」
 ハセヲは、この件に対して、何か思うことがあるのか真面目に取り組んでいる。
 その中で、デートデートと喚いていては、確かに迷惑だっただろう。一回、死の枷を外されてしまうと、その分、何故かテンションが上がってしまった。やはり、生きている世界は、現実のたんぱく質とコンクリートで構成された世界なのだと、トキオは改めて認識した。この世界では、「存在」は出来ても、「生存」は出来ない。
 迷宮の壁に反射する音。
 気味の悪い音に、全身を尖らせながらも、二人は進む。
 不意にハセヲが脚を止めた。つられて、トキオも脚を止める。
 禍々しく三叉に分かれた(虚空ノ双牙)を取り出し、敵に備える。
「前から、誰か来る……?」
 この「ゲームの中」に形成されているのは、現実の世界とはまた別の一つの「世界」である。「世界」あると同時に「社会」が存在する。「経済」が存在している。だからこそ、システム的に盗難や強盗、それこそ殺人まであらゆる反社会的な行為が行える。
 勿論、この「世界」でも、それらは犯罪だ。
 だからこそ、ペナルティーとして、プレイヤーを示すアイコンが、犯罪行為を行うにつれて、グリーンからオレンジ、そして、最悪のレッドへと落ちていく。そこまで落ちてしまえば、もう光の当たる街の中へは帰ることが出来なくなってしまう。
 だが、それでも狂った人間というのは、幾らでも存在する。いや、寧ろ、狂った世界に合わせるように、適者だけが生存していく、熾烈な進化競争の中で、開始から二ヶ月半経った今、そんな人間が生まれ始めたのだ。
そして、そんな彼らがどこに潜んでいるか。それは分からない。
 だからこそ、不意に増えた足音に、二人は備えたのだが、足音は二つ三つではない。
 三十、四十以上あるだろう。あまりの多さに、身構える事よりも隠れる事を優先した。手近な柱の影に隠れて、様子を窺っていると、ザクザクと床を踏み鳴らし、石畳の回廊を歩いていく。
 先頭を歩くのは、グリーンを基調とした一団だ。この三層にあるクエストをクリアすると、正式にシステムに登録されたギルドが結成できる。尤も、既に命がけという異質な状況下に放り込まれた中で、少なからず助け合いの精神があるような同好の志は、一層の時点で在る程度固まっている。それでも、正式に登録する事で、ギルドとしてのボーナスも得られるのだから、使わない手はないだろう。
 グリーンを基調にした一団は、そんなギルドのメンバーだろう。先頭を行くサボテン頭の男が何とも印象的だ。
「随分と、多いな……、ボスでも狩りに行くのか?」
「あ、そういえば、何かイベントの話が出てたな」
 互換性を強引に使って入ってきたハセヲ達は、この世界と、この世界の存在に干渉は出来るが、イベントにまでは食い込めない。どうしても、そのシステムが違うからだ。
 対して、脱出方法の在る正規プレイヤーであるトキオは、ちゃんとイベントに参加する事が出来る。メッセージが届くのも、正しい方法でアクセスしてきた者の特権である。今となっては、本当に特権であったかどうかは、神のみぞ知るというところだが。
「イベント?」
 トキオの思い出した話に、ハセヲが興味深げに食いついた。
 確かに、今日はクリスマスである。何とも面倒だが、もうすぐ新年である。卒業が掛っている身としては、ハセヲもあまり『世界』の攻略ばかりにかかずらってはいられない。十七のときに、それで留年寸前まで成績を落とした経験があるからだ。
 それは別としても、クリスマスにイベントをするというのは、どのネットゲームでも御馴染みで、半ば公然の事実として扱われている。この(ソードアート・オンライン)でも、それは変わらないようだ。
「何でも、規定のモンスターを狩れば、その数に応じてプレゼントが貰えるとか……」
「それを三十人でか?」
 幾らなんでも多いだろうと思うハセヲ。ボスを倒すならいざ知らず、あれだけの数を投入してまでも欲しいと思わせるような代物なのだろうか。勿論、ボスだけが強いわけではない。えてして、このようなゲームは出現が稀なモンスターがいる。小さくて、すばやかったり、思いっきり防御力が高かったり、それは千差万別だろう。
 トキオがウィンドウを開き、見せたのは、そんなモンスター。
 緑と赤でカラーリングされたクリスマスカラーの服を着た、凶悪なトナカイみたいなモンスターだ。正直、デザインセンスの悪さに引く。
「これは、ない」
「ええ! 可愛らしくないか。一週回って」
「一周、回らないといけない時点で、ダメだろ」
 そうは思いつつも、興味がないわけではない。どの道、期間中は際限なく湧き続けるモンスターだろう。様子を見に行ってもバチは当たるまい。それに、今の時点で、これだけの数のメンバーを揃えられるなら、リーダーにカリスマがあるのだろう。
 二人は、足音を殺し、追跡を始めた。

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そーどあーと☆おんらいん。 1 (電撃コミックス EX 176-1)
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