小説『SWORD ART ONLINE Fifth Crisis』
作者:トモ(IXA−戦−)

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Vol.2 現界侵蝕

Side; Real 二〇二二年十二月三日 都内某病院
 ビル群の間をすり抜けるようにして、張り巡らされた道路を一台の大型バイクが走っていく。軽妙に停車中の乗用車やバス、大型トラックもスイスイと縫うようにして駆け抜けていく。時速は法定速度ギリギリの40キロ。このライダーは、ついこの間、切符を切られたばかりなので、少々、速度と法規に関しては気を払っている。
ライダーが着いた先は大学病院だった。
 着く前に、速度を扱けない限界まで落として、入院患者の迷惑にならないようにして駐輪場に止めた。そんな気を回さずとも、この病院にいる人間には、ライダーが鼓膜を敗れそうな爆音を出したとしても、目を覚ます事は無い。そういう人間が集められた病院なのだ。現在、この病院はある事件に巻き込まれた人間達で二ヶ月前から、パンクしそうになっている。緊急患者も、その事件の被害者に病床を占拠されているため、碌な治療を受けられていないと聞いている。事件が発覚してから、一ヶ月。事件の死者は二千人、その余波を受けた死者は、全国で二百人程度まで膨れて上がっていた。
 無機質な音ともに自動ドアが開き、ライダーは院内へと入った。
 一ヶ月も経てば、新年を迎えるということもあって、院内は、見舞い客も疎らだ。確かに入院している家族や、恋人、親友のことも大事だが、自分の生活まで疎かには出来ない。新年には新年の、年末には年末のしなくてはならない事が、彼らにもあるのだ。攻める事は出来ないだろう。
 受付で二言三言、話す。
「すいません、黒貝敬介先生は居られますか?」
 受付の女性は、現れた青年の整った容姿に、少し呆けたような顔をしながら、青年の目的である医師を呼び出した。数分待っていると、白い廊下の向うから、更に真っ白、余りの白さに清潔感ではなく、少々不健康さが滲んでいるような白衣の男が現れた。
「久方ぶり、かな。三崎くん」
「ああ、久しぶりです。黒貝先生」
 二人は出会い頭に固い握手を交わした。
 二人の呼び名は正しい呼び方だが、彼らにはもう一つ呼び方があった。
「そして、久しぶりだ。ハセヲ」
「ああ、久しぶりだな。太白」
 彼らは、嘗てサイバーコネクトカンパニーが発売した、MMORPGである『The world R;2』内で、ともに競い合い、協力し合い、高めあった仲なのである。ハセヲは亮の、太白は黒貝の、ゲーム内での呼び方、プレイヤーキャラの名前である。
 そして、黒貝は亮を自身の診察室へと案内した。精神科医、神経外科医でもある彼は、その筋では有名な医師であり、この大学病院に専用の部屋を持っている。
 黒貝はインスタントのコーヒーを二杯いれ、片方を自分に、もう片方を亮に渡した。席に着くやいなや単刀直入に話を始めた。普段から饒舌になる事の無い彼は、このようなストレートな話し方を好む。
「話があるんだろう? 恐らくは……」
 チラリと亮の顔を確認するように一拍間合いを於いて、
「茅場晶彦、そして、今回の事件について」
「ああ。一人、いや二人かな。知り合いが巻き込まれてる」
「ふむ、それは気になって当然か」
「そういうアンタも、随分とやつれたみたいだな」
 何気ない世間話である。
「無理も無い。何せ、一万人、いや、二千人程度減ったから、八千人か。その面倒を見なくてはならないのだからね」
 黒貝は、目の下の隈をなぞりながら、自嘲気味に呟いた。名医と呼ばれる彼にも、自らの限界はある。それを悟りつつも、こうやって何か出来ないかと、必死になっているのである。結局、出来る事といえば、被害者達のバイタルサインを確認して、毎日、生きている事を確認するという事。そして、生存報告を関係者に伝える事くらいである。
 一ヶ月前。二〇二二年の十一月六日、日曜日の午後十二時。
  この日、世界は一変した。
 その名前だけを、残して。
 この日、世界のネットゲーマー達が渇望した完全ダイブシステム搭載のMMORPGである(ソードアート・オンライン)が発売された。全世界で販売ロット数は僅か一万本というかなりの希少価値を持たせたゲームである。各地のゲームショップでは、販売を心待ちにして、四日も前から泊り込む中毒者も現れたくらいの人気だった。
 ゲーム、そして、ネットワーク技術というのは、二〇〇〇年代から極端に発展してきた。それに伴う犯罪行為というのも発生したが、凡そ一般人は齎される情報を享受し、悦楽に浸っていた。その中で、人間の発する神経信号を利用して、完全なる仮想現実を電脳世界へ構築する、そんなインターフェイスである(ナーヴギア)が販売された。
 だが、多くは知育ソフトや生活の疑体験という、凡そ、楽しみとは縁遠いソフトばかりであり、ゲーマーと呼ばれるような人種には満足の出来ないソフトばかりであった。
その中で販売されたのが、(ソードアード・オンライン)である。
 亮も、欲しいと思った。
 少し名の知れたゲーマーであった彼が、新しいシステムを搭載したゲームに心惹かれるのは無理からぬ話であった。だが、申し込んだ二千人分のβテスター、そして、一万本の販売。その両方に彼は見事に外れた。隣に住んでいる自分がネットゲームに引き込んだ少年が、その何万分の二千を引き当てた事は素直に悔しかったし、面白くなかった。
 だが、同時にそれ以上の面白さも感じた。ネットゲーマーというのは、このような緊密なネットワークが出来ていると、非常にその関係性を崩さないようにと、何故か頑張るのだ。
 何よりも、亮は今年二十二歳。
 就職戦線の最前線に立つ青年である。
 色々な所から誘いは着ているのだが、何となくコネで入るのは、卑怯な気がした彼は、周に一度のペースで会社を訪問していた。正直、誰も彼もが、この(ソードアート・オンライン)に夢中になっているようで、話題を提供してきていた。前向きに就職しようと頑張っている中で、学生にその気力を削ぐような事を言うのは卑怯だと思う。
 その中で、迎えた十一月六日。
 隣の少年には、「亮さんなら、すぐに追いつくさ」と言われ、彼の妹には、かなり嫌そうな顔を浮かべられた事を良く覚えている。もう一ヶ月も前だというのに、二人の顔は鮮明に思い出せる。
 その日は、亮は知り合いに逢っていた。
 既に十年来の知り合いである友人達とゲームの話で盛り上がったのだ。たまの息抜きは実に面白く、話は弾んだ。今回の件について、外した事についての愚痴の会ともいえる。近況報告などを済ませ、楽しいひと時を過ごした。
 だが、その日の午後。
 空は不気味なほどの夕暮れだった。
 亮の元に一本の電話が来た。
「もしもし」
『あ、亮さん? 私、スグだけど』
「珍しいな。電話してくるなんて」
 スグというのは、隣に住んでいる女の子だ。複雑な家庭環境のある家なのだが、そんなことも気にする事のない、真っ直ぐで、強い女の子である。本名を桐ヶ谷直葉というのだが、本人がそう呼ぶようにと言うので、周りの人間もスグと呼んでいる。
 彼女が電話してくるなど珍しい。
 毛嫌いされているというわけではない。だが、共通の話題がないために、どこか避けられている、避けている、そんな印象が拭えないのは事実である。代わりに彼女の兄とは、亮は仲が良かった。
「何だよ。和人の奴が興奮して、話し相手欲しがってんのか?」
 クスクスとからかいの笑みを浮かべ、亮は尋ねた。
『そう、じゃないの! 今すぐに、テレビ見て!』
「テレビ?」
 幸いな事に、ここには大きな電光掲示板がある。彼女が何を言いたいのか良く解らないのだが、取り敢えず、其方のほうへと目を運ぶ。周囲の雑踏は、大きさを増していた。
 その電光掲示板を見た瞬間、亮は驚愕した。声すら出てこなかった。
 その電光掲示板では、ニュースが流れていた。
 普段は冷静で、とちる事も無く、坦々とニュース原稿を読み上げていくことで有名なキャスターが、今回ばかりは青ざめた表情で読み上げている。
『本日、発売された(ソードアート・オンライン)ですが、これに関して、開発者である茅場晶彦氏より、発表がありました』
 もう肌寒い初冬の寒気に触れているというのに、亮の額には脂汗が浮かんでいた。
『このゲームは、誰かがクリアするまで、ログアウトする事は出来ない。なお、強制的に電顕遮断、ネット回線の接続を切断、そしてナーヴギアを破壊した場合は、ギアに搭載れている電磁パルスを最大出力にして、対象者の脳を焼き切る』
 何とも難しい言葉が並んでいるが、内実は簡単だ。
 殺す。
 過去に起きた意識不明などという事件の比ではない。比べるのは、間違っていると思うが、危険度が段違いだ。五年前の事件では、事件が解決しなくとも復活の可能性があった、
「は、ははは……」
 乾いた笑いが零れた。
「なんつータチの悪い冗談だよ……!」
 急ぎ、亮は駐輪してあった愛車に跨り、急いだ。
 三十分後、亮は隣の桐ヶ谷家に飛び込んだ。
 家の中では、直葉が青ざめた顔で泣いていた。母の方も、気丈に振舞って入るが、今にも泣き出しそうなのは、間違いない。父親が帰宅していないが、この調子ならば、すぐにでも帰ってくるだろう。何故か、そんな風に冷静に亮は考えていた。
「和人は?」
「亮さん……」
「部屋……、二時間だけ回線切断の猶予を与えるから、その間に病院へ移せって……」
 事実上、彼らは植物状態である。
 生きてはいるが、意識の無い状態。意識全て、オカルテッィクな言い方をするならば、魂、霊魂が、ゲームの中に取り込まれた状態なのだ。これは手出しが出来ない。本体破壊、電源切断、回線切断、どれを取っても、黒い騎士の兜を脱いだ瞬間に、被っている少年の魂は、電脳世界で、霧か霞の様に儚く消え去る。
 彼の容態を見て亮は素早く、電話を取り出し、番号をプッシュした。
「もしもし、火野か?」
 掛けた相手は、困惑したような素振など微塵も見せる事無く冷静に応対している。
 その様子に、亮は幾分苛立った空気を発しながらも、用件を伝える。そして、手に入れた情報を二人に渡す。
「この番号に掛けろ。知り合いの名医のいる大学病院だ」
「でも、お金……」
「気にすんな。何とかなる」
 確証はないが、何とかなる。
 今は、そういうしかなかった。その結果、自分がどうなるのか、ということもうっすらと亮は予想が着いていた。絶対に使うことの無い緊急回線を使用したのだ。そのリスクくらいは重々承知している。その上で、助ける為に使ったのだから。
 そのまま動かなくなった桐ヶ谷和人の体は、病院へと担ぎこまれたのである。こんな体験などした事がない救急隊員にコードの外し方、そして、病院へと付き添い、ネット回線の配線も整えた。後は、祈るしかない。無事に彼が現実世界へと帰参する事を。
「なるほど」
 黒貝と亮は、運び込まれた和人の体を見下ろしながら会話を続ける。
 傍から見れば、医者と患者を心配する家族のようにも見えるが、内実はもっと複雑で、深遠なのだ。それを知るのは、彼ら二人の仲間以外いない。
「彼の処置を行ったのは、君だったのかい?」
「まあ、ネットゲームに誘ったのは、俺っていう責任もちょっとだけ感じてた」
「責めるものではない」
 黒貝は、日課のように彼のバイタルサインを確認する。
 ナーヴギアから異常な電磁波の反応は出ていない。つまりは、今日も彼は無事に生きているという事である。いつ死ぬか解らないという恐々とした思いと、何も出来ないという無力感。それを現実世界の人間は味わっていた。
 この事件に慌てたのは、何よりも政府だった。
 次に開発メーカーである、アーガスである。開発者である茅場晶彦の行方が解らなくなった今、被害者の家族の怒り、憎しみ、やるせない悲しみの矛先が彼らに行く事は明白であったが、ゲームデザインしか請け負っていなかったメーカーは、責任を逃れた。
 警察が全力で茅場晶彦の行方を追っているが、影すら踏めない。既に高飛びして、この混乱を面白おかしく、箱庭を覗く人間のように、神にでもなったつもりで高所から眺めているのだろうか。随分なゲームマスター振りである。
 身代金目的でもない。
 社会的な混乱を引き起こすでもない。
 ならば、彼の目的とは一体何か。
 PRRR
「おっと、電話だ」
「全く、院内では電源オフ。基本だぞ」
「すまん」 
 黒貝の医者として当然の発言に一言軽く返して、亮は電話に出た。
『やあ、ハセヲ。久しぶりかな』
「火野、いや八蛇か」
『ふむ、君にその名で呼ばれるのは、何とも久し振りな気がするな』
 電話の向こうで笑っている火野拓海の顔が思い偲ばれる。亮とは同年でありながらも、彼はデイトレーダーとして一財産築いている。尤も、亮の方も、不自由しない程度には親の稼ぎもあり、本人の稼ぎもあるので羨ましくは無い。
『悪い事は言わない。大人しく智成同様に、CC社に就き給え』
「またその話か。断わったろ」
 亮は、アーガスを越えるコンピュータソフト開発会社であるCC社から直々に誘いを受けているのである。その理由は五年前のある事件が関係しているのだが、余りに露骨な口封じ策に、反発しているのである。そんな策を取らずとも、口外する心算は微塵もないのだが、不安に思う大人が多い事は十分に承知している。
『そんな風に袖にされると、ますます意欲が沸くのだが』
 ぞわっと、背筋に嫌なものが走った。
「気持ち悪い事を言うな」
『これは失礼。今回の件同様に、君も面白い』
 電話の向こうで、火野はクツクツと口の中へと含むような笑声を漏らした。面白くない。心の底から面白くない。褒められている気がしない言い方だ。彼は明らかにこの状況を面白がっている。嘗ての第二次、第三次のネットワーククライシス、そして、イモータルダスクのように、この男は楽しんでいる。
 亮には理解すべくも無いが、火野の本質は研究者だ。デイトレードはその研究資金を稼ぐための一手段に過ぎない。未知への探究心が、彼を駆り立てるのだ。もしかすると今回も、事件を探る事に楽しみを持っているのだろう。
「で、早く用件を言え」
『そういうな。黒貝先生、そして、日下千草を伴って、CC社の本社まで来て欲しい』
「今からか?」
『明日の、そうだな……。十時でどうだ?』
「……何でだ?」
 火野の真面目な調子の声に、眉根を亮は寄せる。
 明らかに不機嫌で、怪訝そうな顔が病室の鏡に写っている。
『……今回の件に関して、重要な会議を持ちたい』
「……それに俺や千草が関わる理由はないだろ?」
 火野の申し出をばっさりと切り捨てた。この病院において、意識不明者の治療に当る主任の地位にいる黒貝と違って、亮はどこにでもいる一般人だ。回復させる技術もなければ、治療脳でもない。精々、ネットゲームの腕前と大学卒業程度の技術と知識程度だ。
 だが、この程度の反論は彼も予想していたようである。
『そうでもない。それに、君には大事な理由がある』
「何だ、それは?」
『O・V・A・N』
 ただのアルファベットの羅列。
 だが、その四文字は亮にとっては大きな意味と、理由のある羅列であった。よくよくこの男には逆らえないと思う。こちらの神経を逆撫ですることも、昂ぶらせる事も、彼には容易なのだろう。苦々しい。
『詳しい話は、明日だ』
 それだけ言って、電話は切れた。
「どうかしたかね?」
 黒貝が尋ねてくる。
「……先生、確か車持ってたよな」
「まあ、持っているが」
「明日、九時に、この病院に集合で、十時にCC社に来いと」
「ふむ……」
 黒貝は少しだけ考え込んで、了承の返事を返した。後は、もう一人、日下千草へと連絡を入れておこう。彼女は亮が呼べば、すっ飛んでくるだろう。すぐに携帯メモリのアドレスから、彼女の名前を引き出して、連絡した。



Side; Real 二〇二二年十二月四日 東京都港区サイバーコネクト社正門前
 黒貝の運転する車に乗った亮と、日下千草は世界最大手ソフト会社、サイバーコネクトコーポレーション、通称CC社の日本本社の正門前に立っていた。お台場という都内の一等地に建つ会社だけあって、概観は近未来的で、目も眩むようなガラス張りになっている。
「何時見ても大きいですねー」
 そんな感じで、千草は呆けたような顔をしたまま、会社の天辺まで眺め上げた。都内の一等地に建つ五十階建ての建物は、ある種のランドマークとしてすら機能している。
「あ、黒貝先生、ありがとうございました」
「何、礼は後で良い」
「早く行こうぜ。時間ギリギリだ」
 CC社の玄関ホールは五階まで続く吹き抜けになっている。あまりの天井の高さに目が眩みそうだ。それだけこの会社が世界的に有名であり、また利益を上げているということの証左でもある。同時に、この豪華な装飾を手に入れるために、どれだけの人間が苦心したのかという事も窺わせる内容だ。
「待っていたわよ」
「遅い」
 三人を出迎えたのは、二人。デキル女という表現がこれ以上に似合う女性もいないだろう。そんな風にタイトなグレーのスーツを着込んだ女性だった。済ました切れ長の目が、その意志の強さと、自分に妥協を許さない、そんな雰囲気を窺わせる。
 もう一人は、何処でも売っているセーラー服の少女。将来的には、隣に立つ女性のようになるのではないかと、今から想像してしまうような、期待を持てる少女である。
「お久し振りです、佐伯さん。愛奈ちゃん」
「ちゃんは止せ、千草」
 この偉そうな口ぶりに千草は眉を潜めるでもなく、クスリと薄桃色のカーディガンに包まれた手を彼女の頭の上において、撫で回した。姉が妹を可愛がるような、そんな素振だ。愛奈のほうも、嫌そうな顔一つ浮かべずに、されるがままになっている。
 女性の方が、佐伯玲子。少女のほうは犬童愛奈。二人とも、亮たちとは切っても切れない関係にある。
「黒貝先生もお久し振りね」
「ああ、久しぶりだ」
 そんな簡単な挨拶だけを交わして、五人はエレベーターに乗り込んだ。
 目的地は三十八階の会議室。直通のエレベーターに乗った五人は、何れも神妙な面持ちで、言葉を発する事がない。これから起きる事について、想像を張り巡らせているのか、それとも、自分の言葉を纏めようとしているのか、傍から見ていると、想像が出来ない。
 三分ほどで三十八階へとたどり着いた。
「やあ、待っていたよ」
 出迎えたのは、学者然とした色白の男だった。歳は随分と若いのに、しゃがれた耳に残る老人のような声の持ち主だ。彼が件の火野拓海である。亮との付き合いは彼是、五年にもなる。何ともいえない腐れ縁の持ち主である。
「お前自らで迎えてくれるとはな」
 早速、亮は悪態を付く。これは二人の間の挨拶のようなものだ。
「何、久方ぶりに集うのだ。私としても興奮しているのだよ」
「久方ぶり?」
「詳しい話は後だ。まずは席に着きたまえ」
 議場の席は、既に幾つか埋まっていた。
 正面のモニターから見て、右側に五席、左側に七席、後ろ側に三席が用意されている。そして、正面の席に三つ。あれは議長席だろう。八席並んでいる席順の一番端に亮は座る。何となく、火野の考えた席順だと、自分はここに座る気がしたのだ。そして、亮の隣に千草が、議長席の一つに黒貝が座る。愛奈と玲子彼の手元には、紙のカルテが握られている。
 まだ時間には早いのか、席に座っている人間は誰もいない。
 それに集った人間も初対面が多く、無愛想な亮は、今ひとつ歩み寄る事が出来ない。
「なーに、しんみりした顔してんだよ!」
「ぐぇ!」 
 いきなり亮の首を絞められた腕。
「あ、香住さん」
「よ、アトリちゃん、ハセヲ。久し振りだな!」
 軽い調子で、現れた男は二人に挨拶をした。
「黒貝先生に、愛奈ちゃんも、久し振りかな」
「うむ、久し振りだな。香住君」
「そして……」
 ダダッと狭い会議室を一足飛びに掛けて、玲子の隣に香住智成は立った。
「久し振りだな、パイ。そろそろアドレス教えてくれないかな」
「嫌よ」
「あらら、手痛いね」
 そんないつもどおりの遣り取りをしているのは、香住智成。現在は、このCC社で働いている。普通のアルバイトから正社員へとランクアップした変り種でもある。亮が勧誘を受けている事と同じ理由で、彼もCC社に入っている。
「それよりもお出ましだぜ。俺達の先輩が」
 くいっと智成が出入り口を指し示す。入ってきたのは、スーツに身を固めた五人。手前を歩くのは、まだ二十半ばという所の男性が二人、彼らよりも少しばかり年上の男性、女性が一人。そして、髭面の男が一人。彼らが何者なのかということについて、亮はすぐに思い当たった。
(第二次ネットワーククライシスを解決した初代.hackers……、その中核の四人……)
 今から十二年前。
 二〇一〇年の事。
 世界各地に張り巡らされたネットワーク社会が危険な状態に陥った。
 国家レベルでいうならば原子力発電所や人工衛星、民間レベルでいうならば各地のセキュリティプログラム。生活の全てに、ネットを使用してきたツケは、その第二次ネットワーククライシスで、脆さを露呈した。各地の送電網は完全に麻痺。横浜を初めとした各都市で、セキュリティ停止による強盗事件や、火災事故などの続発。
 日本のみならず、世界各地で混乱が起きた。
 その世界規模の混乱を沈めた伝説のパーティ。
 それが.hackersである。今、目の前にしているのは、その伝説の中核となる四人のプレイヤー、そして、サポートに徹したCC社の幹部職員である。
(確か、名前は……)
「初めましての方も久し振りの方も。伊賀海斗、カイトです」
「新條康彦、蒼海のオルカなんて呼ばれてた」
「サブリーダーの速水晶良よ。ブラックローズって名乗ってたわ」
「蒼天の騎士と呼ばれていたバルムンク。本名は、高原祐樹だ。よろしく頼む」
「システム管理者から彼らを助けていた、CC社、芳賀健治だ」
 彼ら四人に、先程から列席者を出迎えているワイズマンこと火野拓海も加わる。彼らとは特に亮と智成は恩義と、因縁を感じる仲である。
「んー、飲食禁止なのかい? それは困ったな……」
 また一人。舞台へと上がってくる。眼鏡を掛けた痩身の男。
「団長、ちゃんと守ろうよ」
「それも、そうか……」
 ポリポリと頭を掻きながら、だらしのない男を先頭にまだあどけなさを残した少女と、少女と女性の境界線にいるような見事な黒髪の女子高生が現れた。女子高生だと一目見て、亮がわかったのは、彼女が近所の高校のサマーベストを着ていたからだ。決して変な趣味があるわけではない。
「どうも、皆様久し振りです。シックザールのフリューゲル、曽我部隆二、んで」
「リーリエ・ヴァイスだヨ。みんな、久し振り」
 それだけ名乗ると後ろに備えられていた三つ並んだ席に座る。最後の女子高生は名乗るどころか、時候の挨拶もなしだ。亮のように、眉間に皺を寄せて無愛想というよりは、単純に興味がないというような調子だ。
「さて、これで全員かな」
 十八席ある席のうち、十五席が埋まっている。
 全員を見回してから火野は満足そうに頷いて、話し始めた。
「一之瀬君は、現在、フランスにいるらしく急遽の帰国は出来ないそうだ。
 中河君の方も、受験前という事で、母上から断りの電話を受けている。
 彼らには、後日、この会議の内容について連絡する事にしている」
「待て、後の二人は?」
 亮たちの席の列の六番目に座るはずの一之瀬薫がいないのは理解できた。丁度、今フランスのアビニヨンで、彼は語学留学中である。いきなり帰国して、会議に参加せよと言われても、飛行機のチケットを初めとして、色々と問題が立ちふさがるだろう。
 だが、後の空席の二つ。
 その席に座るべき人間は。
「僕ですよー」
 いきなり会議室のパソコンの一つに、液晶の画面が現れた。その中に写っていたのは、青い髪の中に、硬質の龍の角を生やした小柄な少年。 
「欅!」
「はいはーい、久しぶりですね」
「私も、ね」
「ヘルバさん!」
 欅とヘルバ。
 欅のほうは、現実の素性が一切不明である。とてつもない、途方もない技術力を持っていることは確かだが、その実、一体どこに住んでいるのか、どんな人物なのか、それらは一切合財が不明だ。一説には、ゲームが用意したAIとも言われている。
 そしてヘルバ。『初代.hackers』のサポーターとして、数々の作戦を立案した他、ネットの吹き溜まり、最果てとも言われるネットスラムの管理人でもある。此方は、凄腕のハッカーである事が確認されているが、やはりどんな人間かは不明だ。
 そんな絶対にリアルを明かさない二人が出てきたのだ。
 事態の深刻さというのは、自然と解るものである。
「さて、既に聞き及んでいるだろうが、今回、君たちを招集したのは、茅場晶彦、SAO事件と付けられた今回の一万人のゲームプレイヤーの未帰還事件についてだ」
 火野が、今回の事件の現状。そして、あらましや事件背景についての解説を行う。
「先月、十一月六日、株式会社アーガスより、ナーヴギア対応のMMORPGソフトである、『ソードアート・オンライン』が発売された。だが、当日、開発者である茅場晶彦によって、初回ロットである一万人の精神が、ゲーム内に囚われた」
 確認を取るように、火野は議場全体を見回す。
 誰からも反論は出ない。寧ろ、彼らが待っているのは、それから先の話である。
「ゲーム開始から既に一ヶ月、死者数は二千、残るプレイヤーは八千人を切っている」
「政府の対応、病院の対応は?」
 海斗から質問が飛ぶ。
 その質問には、黒貝が答えた。
「政府は囚われた一万人を近くの病院へと緊急搬送、ネットワーク環境が整った状態で、生命維持に必要な最低限の栄養補給を点滴等で補い、回復を待っている。だが、病院としては、あまりこの状況は好ましくない」
「何故です?」
 黒貝の突き放すような発言に、晶良が噛み付いた。
「何せ、人手が足りない。医療行為なのだから、頭数だけあっても困る」
「なるほど。つまり、普段の医療行為を行いつつ、一万人の面倒も見なくてはならない。それに対して、従事者が足りないのね」
「そうだ。理解が早くて助かるよ。速水君」
 医療大国と呼ばれるだけあって、日本国内の病床数は世界でも有数だ。
 だが、それは緊急事態に備えての分も含めてであり、一万人も固定されてしまうと、咄嗟の事態に対応できない。そして、医療行為に携わる人間の少なさ。医者も看護師の数も絶対的に不足しているのが、現状だ。黒貝がやつれているのも、そのような理由だ。
「で、本題だ」
 遅々として進まない会議に業を煮やした亮が、話を進めろとせかす。
「何故、俺達は集められたのか?」
「そう急くな、ハセヲ。気になっているのは分かるが、急いては仕損じるぞ」
「チッ」
 乱暴に舌打ちして、亮は席に座りなおす。
「CCサンディエゴ本社は、NABを抱き込んで、今案件の解決を日本本社に指示してきた。日本国内に、これだけのネット事件に関して戦ってきた戦力がいる事を見越して、だ」
 この場に集った人間は、何れも過去のネットワーク事件。
 つまり、『.hackers』が解決した第二次ネットワーククライシス。
 つまり、『二代目』が解決した、第三次ネットワーククライシス。
 そして、この場にはいない時の勇者が解決したイモータルダスク。
 世界規模で発生した事件の解決に、この場に集った十七人は関与しているのだ。それは決して誇れるような成果ではない。その過程に、犠牲が在った事は言うまでもない。
「あー、ちょっといいか、火野さんよ」
「ああ、構わないが」
「じゃあ……」
 ポリポリと心底面倒だと言わんばかりに、曽我部は頭を掻いて、
「何で、俺の作った『VRスキャナ』が流れてんだ?」
 会議室に集った全員が驚いた。いや、いっそ凍りついたという方が正しいかもしれない。
 曽我部隆二の本職は、精神科医である。外科手術を行える黒貝とは異なり、カウンセリングなどによってPTSDなどの心的外傷の回復を手助けする論文も多数発表している。
 その彼が研究の過程で開発したのが、『VRスキャナ』だ。
 光学センサーを用いて、視神経と直結。それによって、患者の精神的な回復を手助けするのが、『VRスキャナ』である。その一次被験者が彼に寄り添うリーリエである。
だが、彼は二年前にCC社を退社した際に、一切合財の権利や開発データを売った。
 それが、何故か、『ナーヴギア』として、世に出ている。
 あくまでも医療機器としての役割の大きい『VRスキャナ』を、健全な人間に使用すればどうなるか。
例えば、高血圧の人間に血圧を下げる薬を打てば、健康値に保てる。しかし、健全な人間に使えば、あまりの血圧の低下に耐え切れず、死に至る可能性も存在する。曽我部が危惧したのはその点だ。
「あまり彼の研究を使って欲しくない、その点については私も同意します」
 曽我部の隣に座っていた女性が、此処に来てようやく口を開いた。
 彼女が、曽我部が心酔し、VRスキャナを作る基礎理論を組み立てた天城丈太郎の従妹である天城彩花だ。従兄の研究結果が、このような事件の引き金になったとは、信じたくないのだろう。
「まあ、今更、俺の過去の話についてウダウダと女々しく言う心算はないぜ。だけども、それを茅場のバカに売ったとなったら別だ」
「何故?」
 高原が疑問に思った事をストレートに聞いた。
「あ、だって、俺。アイツと同門なんだよ。そん時から、お互いに大嫌いでな」
 ケラケラと笑うような調子で曽我部は軽妙に言う。
「もう二人、後輩に須郷と神代って奴も居たんだけど、あいつらどうしてっかな〜」
 昔を懐かしむかのような調子で曽我部は暗い天井を見やる。
「君たちを呼んだのは、それだ」
「おいおい、火野さんよ。もう少しくらい感慨に浸らせてくれても……」
「話を続けるぞ」
 火野は、話の本旨を微妙にはぐらかしながら続ける。
「今回、『VRスキャナ』の技術が、『ナーヴギア』に流出しているのは間違いない」
「何故、気が付かなかった?」
「気付けなかったという方が正しい」
 火野は、当然であるというようなニュアンスを滲ませつつ、曽我部と天城へと向き直った。申し訳なさというのは、微塵もない。確かに日本本社の筆頭株主で、外部職員でしかない彼に、技術的な云々を叩きつけても、意味はない。同様にイベント運営に携わる五人に問うのも、ナンセンスである。この問題は技術開発部へと上申しなくてはならない。
「このような事態にならねば、おそらくCC社の全員が、気が付けなかっただろう」
 技術を流出させた裏切り者の存在。
 それが誰なのかのあぶり出し、それと平行して。
「だが、こうなってしまった以上、責任は我々にもある」
 事件の解決に当る。それが、今回、集められたメンバーへの指令だろう。
「我々の責務は、今回のSAO事件の解決、そして、ギアの全回収だ」
 火野は強い口調で言う。
「だが、どうやって解決する? まさか、サーバーぶっ壊して事件解決は出来ないだろ?」
 智成が尋ねた。
 確かに、現在、一万人の精神はネットの中、もっと言えばゲーム『ソードアート・オンライン』のサーバーの中に閉じ込められている。ゲームの中で百層の連なる浮遊城であっても、現実の世界からしてみれば、所詮はパソコンだ。ぶっ壊せば、事件は解決できる。
 だが、中の一万人の命は保障できない。
 つまり、最初から外からの解決方法は、ないと思っていい。
「それが可能なんですよ。何せ、皆さんは普通ではないんですから」
 欅の嬉しそうな顔が、画面から覗く。
 此方まで幸せになりそうな、朗らかな笑顔。きっと現実の世界へと現出すれば、美少年という事で人気者になるに違いないだろう。無愛想な亮とは大違いである。
「女神より頂いた黄昏と薄明の『腕輪』」
 右に座る五人。管理者は除いて、四人は女神のことについて良く知っている。
「反乱者が生み出し八相の碑文使いPC」
 此処にはいない三人を加えた、八人。女神への反乱者が生み出したネット世界の魔物。
「人の自損と自尊が生み出したシックザールPC」
 本来は治療のためにと生み出された、人間の精神を保つ二人。
 何れもが規格外の力を持つ、十六人のネット世界での仮装意思総体である。
「僕らで、皆さんをスラムから、SAO内のタウンと呼ばれる場所へと転送します」
 随分とザックリとした作戦である。
 しかし、欅の声は成功を信じて疑わない、というよりも、成功して当然。どうして失敗する事があろうかというような声で、顔だった。ニコニコと笑っているが、随分な毒の入れようである。だが、それら全てが事実なのだから、反論のしようがない。
「んじゃ、俺達は、この世界に飛び込んで、グランドクエスト上の最終ボスを撃滅する」
「それと、イモータルダスク以後、確認の取れていない女神の確認だ」
 彼らにとっての女神は、二年前の大戦で失われている。
 全てを電脳世界へと取り込もうとしたイモータルダスク以後、所在が不明だったはずなのだが。その女神について、この場の誰よりも気になる海斗が口を開いた。
「女神が、AURAが、この世界にいるという可能性が何故?」
「それについては、データを送ろう」
 火野はあくまでも事務的な対応に終始する。海斗の方も解っているのか、文句を言わず受け取ったデータを読み込んでいく。数分ほどの沈黙の後、海斗は短く、
「了解、これは行くしかないね」
「そうみたいね」
 そう言って、四人の騎士たちは立ち上がる。
「場所は、この下の階だ。案内しよう」
 そして四人の騎士を芳賀が案内する。
「んじゃ、リーリエ。行ってくるわ」
「帰ってくるヨネ?」
「当たり前だろ。お父さんは、娘を置いて死んだりしません」
「見せ付けてくれるわね」
 父娘の優しく、温かい会話。それに彩花は茶々を入れる。
 使用する『ナーヴギア』の対象年齢が十三歳以上という事もあり、リーリエはこの作戦に最初から参加することが出来ない。娘を一人残して、戦場へと旅立つ父親の背中をぐっと娘は、見送っていく。そんな彼女の肩を、彩花はぐっと優しく気遣った。
「ああ、ひとつ、貴方に伝えておかねばならない事があるわ、曽我部さん」
「なんだい?」
 一拍溜め込んでから、彩花は、
「向こうにトキオも居るわ。手を貸してあげて」
「おんや〜」
 その何となく、甘い香りの漂う彼女の言葉に、曽我部は嫌な反応をする。そして、リーリエも、彼と同じような反応をした。但し、此方はむっと睨みつけるような調子だ。
「あんな事に巻き込んじゃった責任感? それとも悲壮感?」
「ダメだヨ、トキオは私が貰うんだヨ!」
 そんなませた事を言って、リーリエは彩花を睨みつける。
「あらら、モテるね、彼も」
 曽我部はどうやら囚われている一万人の中に居る知り合いの事を思い浮かべて、楽しそうに口元を緩ませた。
「さて、G・Uのメンバーはどうする?」
「どうするって、何今更聞いてんだよ」
 亮は、苛立った心境を隠す事もせず、火野へと突っかかった。
「あれだけ思わせぶりな事、言っておいて俺に『行くな』なんて聞かねぇぞ」
「ちょ、亮さん!」
 思わず隣に座っていた千草が留めようと手を出すが、智成と玲子に止められた。二入とも諦めたような、そして、亮の事を理解したような顔で、千草の手を止めていた。亮に日野が耳打ちした事は、彼にとっては何よりも大事な事なのだ。
 O・V・A・N。
 オーヴァン。嘗て、リリースされた『The World R;2』に於いて、最強とまで渾名されたプレイヤーである。
 本名を犬童雅人。亮達七人同様に、欅の言う碑文たるイレギュラー要素を扱える。本来なら、愛奈の座っている席は、彼女の兄である彼の席であった。だが、五年前の第三次ネットワーククライシスの解決と引き換えに、以来、意識不明のまま病院の白いベッドの上で昏々と眠り続けている。
 彼は、亮にとっては師であり、友であり、仲間であり、敵である。
 その彼の事が、どこか亮は、引っ掛かったままだったのだろう。努めて仲間を増やそう、弟子を作って彼らを育てようとしたのも、彼のようになりたかったから。そんなオーヴァンの志の残滓が一滴でも残っていたからなのかもしれない。
「……このゲーム開始時点のデータがアーガスから送られてきた。その写真がこれだ」
「今、出すわ」
 ヘルバが何事か操作すると、『ソードアート・オンライン』のゲーム内写真が表示された。ゲーム雑誌に何度か掲載されていた『はじまりの街』の中央広場。その中に、おそらく捉えられたプレイヤー一万人が集合しているのだろう。ここで彼らは茅場晶彦から、恐ろしきデスゲームの始まりを告げられた。死、即ち、現世からの永久退場というサドンデス。
 その時の彼らの気持ちは、一体どのようなものなのか。
 ガラスの向うから見ているだけの亮には、想像も付かない。
「その中の一部を拡大したものがこれだ」
 航空撮影された写真を拡大していくと、画質は荒いが、赤毛の少年が空を見ているのに気が付いた。
「……彩花の言うとおりか」
 呆けたような、それでいて、これから始まる闘争の世界に、恐怖以上の高揚感を感じた顔で、九竜トキオがいた。どうやら、彼は既にSAOの中にいるようだ。
「そして、これが……」
 ちょうど、彼の反対側。
 広場の外周に、相変わらずの無表情で、左腕に鋼鉄のような巨大なギブスを嵌めて、不敵に笑っている男が、空を見上げていた。まるで、撮影している事などお見通しであると言うような顔だ。その男の顔を間違えるはずはない。
「オー、……ヴァン」
「兄様……」
 その顔に一番、見覚えのある二人。
「ああ、間違いなくオーヴァンの旦那だな。これは」
「どうするんですか、ハセヲさん」
 問われる必要などない。
「決まってるわよね」
「ああ」
 ジャケットを翻し、先に出た面々に追いつくような早足で階下へと向かう。
「やれやれ、俺はアイツが無茶しないようにしとかないと」
 そんな風にぼやきながらも、智成が後を追う。



Side; net 二〇二二年十二月四日 ネットスラム『タルタルガ』
 階下にあるネットサーバー。
 CC社日本本社における、内界と外界を接続する場所だ。
 今から行う事は、日本国内に於いては、立派な犯罪である。国家へ露見すれば、間違いなく、関係各員まとめて処罰の対象になるだろう。何よりも、面子という言葉が大好きな国家の官僚様たちの面子を粉微塵に砕いてしまうような難事に挑もうとしているのだ。
 ヘルメットにも似た形状の『ナーヴギア』を被り、ネットの世界へと飛び込む。
 目を開けた先に広がっていたのは、まるで都会の一等地からは隔絶されていて、それでいて、確かに社会にある吹き溜まりと呼ぶような場所だった。
 だが、ただの廃墟ではない。
 巨大な浮遊する亀の上に建てられた、打ち捨てられたビル群。
「懐かしいな……」
 こここそが、欅が本来、王として君臨し、管理する場所。
 ネットスラム『タルタルガ』である。
 事件解決の後期は、一般プレイヤーは知らないこの場所を拠点に、仲間達と最終の決戦に挑んだ事を亮、ハセヲは思い出す。既に五年も前の話だというのに、つい昨日のように、世界の危機へと立ち向かった事を思い出せる。
「あ、ハセヲさーん!」
 そんなスラムの露路、実際のスラムにいたら、二秒で追いはぎに会いそうな露出の高い、妖精のようなエメラルドグリーンを基調にした服を着た少女。彼女が、ネットの中における日下千草の意思総体、アトリである。
「その格好を見るのも久し振りかな」
「もう皆さん、集まっていますよ」
 タルタルガの中心には、金色の意匠を施された青い球体が鎮座している。
 その前に、懐かしい顔が揃っている。懐かしいといっても、二年ぶりである。
 赤いベレー帽の青年双剣士、伊賀海斗ことカイト。
 どこかの部族のような筋骨隆々とした肉体美を持つ斬刀士、新條康彦の蒼海のオルカ。
 浅黒い肌と姫騎士のような西洋甲冑を着込む、速水晶良のブラックローズ。
 まるで天使のような雰囲気を纏う斬刀士、高原祐樹の蒼天の騎士バルムンク。
 青い髪を黄色の髪留めで留め、傍らに銃剣を備えた、香住智成のクーン。
 アジアの武僧のように、肉体と思慮深い雰囲気を漂わせる妖扇士、火野拓海の八蛇。
 要所だけを覆うボンテージのような格好をしているのは、佐伯玲子のパイ。
 彼女に隠れ、白いゴシックドレスを着込んでいるのは、犬童愛奈のアイナである。
 片眼鏡、黒コートという何とも奇怪な出で立ちなのが、曽我部隆二のフリューゲルだ。
 ここにアトリとハセヲの二人を足した十一人。何れも、一般のPCとは一線を画す力を得たイレギュラーな存在である。リョースはシステム管理者、ヘルバと欅、太白は、関係者ではあるが、同じような力は持っていない。
「全員、集合してくれましたね」
 ニコニコと欅は楽しそうに笑っている。
「いいですか、皆さん。ゲートを潜れば、その先は『アインクラッド』です」
 楽しそうな笑顔の裏にも真剣な声音を滲ませながら、別世界へと侵入する十二人の勇者に向かって説明を始める。
「皆さんの限界稼働時間は一日六時間。それ以上は精神的に、肉体的に危険です。ここに戻れば、ログアウトできます。まさかレスキュー隊が溺れ死ぬわけにはいきませんしね」
 青く回転する門を前にして、欅は淡々と続ける。
 確かに、一万人がデスゲームに文字通り命を賭けている中で、自分達は安全圏にいるというのは、失礼な事なのかもしれない。だが、今はそんな美徳は不要である。この十二人は言ってしまえば、対茅場晶彦のための最後の砦。砦を守る為なら、何でもする。
 茅場晶彦の身柄確保。
 一人でも多くの人間の保護。
 それらに捧げる情熱とモチベーションを維持するには、彼らの命が大事なのだ。
「『アインクラッド』内で死ぬ前に、皆さんを僕が強制転移させます。実地には迎えない、通信の軸として、僕とヘルバさん、後、楓達も参加しれくれますから」
「私は、『知識の蛇』で情報収集に当たろう」
 欅・八蛇のバックアップ体制も完全に固まっている。これから赴く地は殺伐とした殺し合いの世界だ。もしもの時をどれだけ考えていても、考えすぎることはない。
「よし、行きましょう!」
 カイトの左腕が薄明に変わる。朱色を基調にしたオーバーオールの中でさえ、そのきれいな黎明の空の色は、輝いていた。見とれそうになる位の綺麗な色を纏ったカイトは、腕輪を展開させた。これから、この『薄明の腕輪』によって、強制的にネットスラム『タルタルガ』と『アインクラッド』の『はじまりの街』を繋ぐのだ。
「クーン」
「ん?」
 準備が整うまでしばらく時間が空く。太白が、クーンの肩を叩いた。浅黒い色に彫りの深い顔、そして、純白のマントを纏った太白は、王者というに相応しい貫禄を持っていた。
「これを持って行け」
「旦那、これって……」
 太白がクーンに渡したのは、禍々しくも、流麗で、作った者の技量の素晴らしさを一見で把握するに十分な銃剣であった。嘗て挑んだクエストで手に入れ、太白を最強の座へと持ち上げた、罪界の至宝、『魔剣マクスウェル』である。
「そうだ。私の罪の象徴、最強の象徴だ」
「いや、こんなもん……」
 その後に続く言葉を察知した太白は、強引にクーンの両手に押し付けた。
「持って行け。どの道、私は向こうへは行けんのだから、持っているだけ無駄だ」
「……なら、ありがたく。絶対返しにくるからな」
 クーンは、その最強の二つ名に相応しい貫禄と風格を兼ね備えた銃剣を仕舞いこんだ。紫色の光を引いて、魔剣はクーンのアイテム欄へと格納される。
「皆さんにも、餞別があるんです」
 この作戦のことを知っているのは、この面々だけではないという事か。
 あれだけ社会問題になっている事件だ。巻き込まれた犠牲者の中、犠牲者の家族や友人関係に、かつての仲間たちがいないとも限らないのだ。助けるのは、一万人だけではない。彼らの仲間や、友達、現実世界における存在なのだ。
「イコロや、ケストレル、月の木の面々だけじゃないです。ガルデニアさんに、昴さん、ミストラルさん、砂嵐さん、他にも色んな人から、沢山頂いています」
 欅が渡したアイテムの総量で、十分にアイテム欄はぎっしり詰まってしまった。
 それだけ、この十二人に賭ける期待が強いということだ。警察や行政体ではない、現実では、ほとんど役に立たないようなゲームの知識と腕前を持つ十二人を。
「ハセヲさん……」
 アトリが不安げに、それでいて希望に満ちた顔で、ハセヲの横顔を覗き込んだ。
「これだけお膳立てしてもらったんだ」
 アイテム欄を眺めていくと、共に戦った仲間たちの顔が思い出せる。
 最初は突っかかってきたが、今では大事な仲間の元気娘、揺光。
 初心者支援ギルド『カナード』で一緒だった、シラバスとガスパー。
 他にも大火、かび、ボルドー、松、柊……、敵だった奴も、味方だった奴も、全員が自分に、自分たちに期待を寄せてくれている。
「これで『失敗しました』なんて言えねぇな」
「ああ、そうだな」
 短くオルカが同意を示した。
 彼の持ち物にも、ほくとや、W・B・イェーツ達、最初期から共に、背中を預けて戦ってきた仲間たちからの贈り物が揃っていた。重い。だが、心地のよい重さを感じる。
「準備完了しました」
 青い門に向かい合っていたカイトが口を開いた。
「エンデュランスと朔望は、彼らの準備が整い次第、追軍させる」
 八蛇が短く、事務的な口調で告げた。
「ああ、分かった」
「行こう! 『アインクラッド』へ!」
 そうして、十一人の姿は消えていった。
「無事に帰ってきてくれたまえ……」
 どことなく空を見上げる太白。彼に釣られて、残った三人も瑠璃色へと落ちそうな色をした空を見上げた。此方の空は、いつでも黄昏だ。どれだけ時間が経ったとしても、くれることもなければ、明けることもない代わり栄えのしない空が広がっている。
 あちらの空は、時間によって変わるのだろうか。それならば、今は中天に懸かったくらいだろう。彼らの前に待ち構える困難、それがどんなものなのか。願わくは、易しきものであることを、祈らずにはいられなかった。

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