小説『魏者の成り立ち』
作者:カワウソ()

しおりをはさむ/はずす ここまでで読み終える << 前のページへ 次のページへ >>

 何で自分がそう口走ったのか分からない。今となってはどうでもいいことなのかもしれない。彼女は黙々と後をついてくる。
正直、あまり歩きたくなかったし、彼女にもそういうことをさせたくなかったので、この場所と家からも遠くない場所の河川敷で食事をとろうと思った。
 彼女は否定もしなければ肯定もしない。本当に静かだ。後ろには誰も居ないんじゃないのかと思ってしまう位、ずっと一人で歩いている気になってしまう。足音すら聞こえないのだ。後ろを振り向こうとすれば、今度は不気味さが染み出る。背中だけが異様に冷たく、まるでオルフェウスはギリシャ神話だ。
 堪えに堪えて振り向くと、彼女は意外と近くにいた。思わず危惧してしまった。情けない。情けない以前に人として最低だと思う。
 説明を受ける間もなく、彼女はあたかも意図したものを感づくように、道から岸に降り、かの手前へと座る。やはり着物は大切なのか、地べたに座ることはなかった。
呆気にとられていたが、彼女はこちらを見上げ待っていた。髪が邪魔をしていたにも関わらず、エメラルド色の瞳は、焦ることさえ知らず、より輝きを放つ。きっと月の明かりもあってなのだろうか、輝きが輝きを増しているように見え、その瞳が万華鏡のようにさえ見える。
このまま眺めておきたいと思ってしまう。しかし、そうも言ってられない気がする。時間が限られてる気がする。あまり長追いが出来そうにない。そんな焦らされるように見えてしまう。
 静かに彼女の隣へと近寄り地べたに座ると、まだ仄かに温かい飲み物をまず先に差し出した。
両手でそれを受け取る時、彼女の手と触れることは無かった。決して期待をしていた訳では無い。寧ろ、彼女の方が意識的にそれを避けたのだ。不安定そうに受け取り、確実に触れることが無いという所で彼女はそれを安定させる。
多少は傷つきもしたが、彼女のことも思い、自分のものだけを取って、肉まんが一つ入った袋だけを彼女に渡した。
 気を使わせたことに不満を持つことは無く、彼女は袋ごと受け取り、まずは飲み物を飲もうとする。蓋をあけるのに苦戦している模様だったが、やがて蓋を開け、初めて哺乳瓶を持つ赤子のように、両手でしっかりと持ち、礼儀正しそうに飲み始める。
 俺はそれをただ眺めているだけだった。まるで変態のように。ただ、未だに彼女が不思議でしょうがない。それに、誘っておいてなんだが、彼女に何て話せばいいのか全く分からないのだ。そもそも話して答えてもらえるかどうかが分からないのだが…。確実に答えてもらえそうで、なるべく彼女の私情にかかわることのない事を聞かないといけないな。
 そうこう言い訳を言い訳として認めないような口実ばかり考えていると、彼女の方から声を掛けてきた。
「あなたにとって、この町は好きですか?」
唐突であったのは間違いではない。そもそもこういう質問を唐突なんてものは付きものだ。しかし、唐突以上に不思議に思ったことがあるとするならば、おかしな日本語の方であった。
「この町は好きですか?」と言う質問だけでも通じる筈なんだが、何故「あなたにとって」を付けたのかが、疑問で仕方ない。だからと言って、質問をしてくれたのに返さない訳にはいかない。
「嫌いじゃない」
 俺のこの返答は、自分でもとてもずるいものだと思った。嫌いと言うのではなく、好きと言うのではなく、端間、どちらでもない。普通、などと言う回答でもない。嫌いじゃないってのは、安易な逃げ言葉でしかない。そして、逃げてしかいない。
 その時の彼女の顔はどうだったのだろうか。確か、きっと悲しんでいたに違いない。

-3-
Copyright ©カワウソ All Rights Reserved 
<< 前のページへ 次のページへ >> ここまでで読み終える