小説『斑鳩』
作者:雪路 歩()

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  第十一章  水色のサマーバケーション1

 ATMで貯金を下ろした後、幾つか県を跨いだ田舎駅までの切符を買った。格安の夜行列車を利用する事にした。切符を買い繋いで行くのではなく、先にそこまでの運賃を支払ってしまう事で、余計な手間や買い間違えを防いだ。
 その手際を見て、その理由をこちらから聞いて、鳥子はポツリと漏らした。曰く――
「――しっかりしてるのね……」
 ――いや……普通ですよ?
 もしかすれば、母親がいないからしっかりしてるのかもしれないけれど……

 ――電車に揺られながら、四人用の座席の対面に座る鳥子に質問をした。
「鳥子さんは、ここまでどうやって来たの?」
「徒歩よ」
 驚きだった。隣の県から、あの高校まで徒歩でやって来たと言うのか。
「お金は無いの?」
 一見した所、仕立ての良い服を着ているのでお金が無さそうには見えない。
「手持ちの分はほとんど使ってしまったの」
 彼女はそう言いながら、小さな財布をポケットから取り出して見せた。中を開いて見せるくれる。そこにはお札が一枚も無かった。その際、カード類も一切見受けられなかった。どうやら彼女は自分の預金通帳や預金カードを持っていない様だ。
「いつからそんな状態だったの?」
「昨日手持ちのお金ギリギリまでネットカフェに居たの。物凄くヒヤヒヤしたわ。もし寝過ごせば、お金が足りなくなるんだもの」
 これはいずれ聞いておかねばならない事だと思っていたので、訊いておく。
「鳥子さんは……その……家の人とは仲が良くないの?」
「良くないわ。わたしの事が好きな一族はいないわ。わたしは代々呪いを受ける役目の人間で、世話のかかるで、そして……色んな意味でお金のかかる存在だから。それによく言うでしょ? 臭い物には蓋をしろって。自分達の呪いを一身に請け負っている醜い人間なんて、誰だって見たいとは思わないわよ……」
 何とも理不尽な話だった。それは、一族総出で彼女を虐待していると言えた。
「母親以外に……家族はいないの?」
「一度も会った事が無い父がいるはずよ。何処にいるのか知らないし、もしかすればもう死んでるのかもしれないけれど……もし生きていたとしても、正直会いたくないわ。母を妊娠させるだけさせて、姿を眩ませる様な人なんだもの」
 彼女の話によると、呪いを受け継ぐ者を産ませる為だけに“子供”を作らせたのだと言う。そこには愛なんて全く無かったのだと言う。鳥子の父は、種馬の様な役目だけを負って、姿を眩ませてしまったと言う。そんな彼女の母は、幼少の頃から世間一般的な常識から離されて育ったのだと言う。だからこそ、それに抵抗する事も無く、自然とそれを受け入れたのだそうだ。
 さすがに情報メディアの広まった現代ではそんな事はしていないそうだが、彼女の母はそのしきたりの最後の犠牲者だったらしい。まだギリギリ、それほど世の中が情報化社会になっていない頃の話だそうだ。
「……どうして鳥子さんはそんな話を知ってるの?」
 臭い物に蓋をするなら、その情報は当人達には隠しておくべきである。特に、次の“子供”を産む役目を持つ鳥子にはなおさらそうするべきであった。なのになぜ彼女がそれを知っているのであろうか。
「嫌でも耳に入って来るのよ……わたしの事が嫌いで、わざわざそんな話をわたしの前でする人間だって一族の中にはいるの――『お前が生まれたのはそういう理由だ。お前はそれ用に作られた人間だ。そんな人間だから贄を務めるのは当然だ』――と言う感じよ。後で知ったけど、その人は自分の子どもの呪いをわたしに移す為に莫大な御布施を払わなければならなかった事を恨んでいたらしいの。そのせいで、玉の輿に乗った後の人生設計が狂ってしまったそうなの。それ以後は、自分も働きに出なきゃならなくなって、わたしに恨み辛みを言いに来たそうよ」
 呪いを受ける事が出来る者は、家畜だとでも言うのだろうか――知らぬ内に、見も知らぬ人々に対し、殺意を抱いていた。
「信じられないかもしれないけれど、そういう一族がいるのは本当の事よ」
 彼女はプイッと顔を反らしてしまう。窓の外を見て、移り行く景色を細めた目で眺めている。あの待合所で話をした時の彼女とは、態度が一変していた。こちらに対し、素っ気無く、つっけんどんな態度を取る様になっていた。
 何ともわかりやすい。彼女はそうする事で、自分から嫌われ様としているのだろう。二人の“帰さない合戦”は既に始まっているのだ。
「どうしてわたしがこの話を世間に公表しないかわかる?」
 彼女は外を見詰めたまま、ポツリと漏らす。相変わらず口調は冷たげだった。
「…………多分だけど、お金とか、生活とか、それ以外にも、自分以外の人間が不利益を被るからでしょ?」
「――何でわかるのよ?」
 彼女はこちらに向き直って、怪訝な表情をした。彼女の目を見れば、彼女は驚いているのだと気付けた。彼女の目は、彼女の本心を映し出す。それは彼女の本意ではなくとも――
「――わかるよ。ただ、よくわからないのは、その因習が一族の中でどれだけ重要で、固執する価値があるのかって点だけ」
 彼女一人に一族全体の不都合なものを押し付けられるのであれば、それは莫大な富となるはずだ。彼女以外の者が全て健康であれると言う事は、金銭的なもの以上に計り知れない利益を生むはずだ。
「固執する価値はあるわ。この“呪い”はわたしより八代前の世代に生じたものなの。その一代目の“呪い”が生じた理由は、ある者達を、不当に、惨く、虐げた者達がいたからよ。その結果、その虐げた者達と、その子孫に今度はその呪いが降りかかる事となった。――ひとを呪わばあなふたつ……ひとを呪った者は、いずれ我が身にそれが帰って来る……」
 彼女は一度そこで言葉を切り、しばし余韻を残してから、再び話し始める。
「今日まで、わたしの一族は、連綿と呪いを相続し続けて来た。それは原因不明の病や肉体に欠陥を抱えて産まれて来ると言う形、あるいは、怪異的な不幸に見舞われると言う形で顕在化した。一代目の時代の人々は願ったわ――『どうか許してくれ。せめて子ども達だけは呪いから解放してくれ』と。そんなある日の事よ……一代目の人々の前にその僧が現れたのは」
「そう?……お坊さんの事?」
「ええ、僧侶の僧よ。その僧は、呪いに苦しむ者達の前に現れた。一人の赤子を抱えて。その赤子は、その者達が虐げていた者達の間に生まれた娘だった。それこそが、わたしの遠い御婆様にあたる人よ」
 ――嫌な予感がした……
「その僧は苦しむ人達を見兼ねて、その赤子を差し出したのよ。『この赤子はお前達が虐げていた者達の子だ。ひとを呪わばあなふたつ。ひとつ帰せばあなひとつ。この赤子に全ての呪いを帰せば良い』と――」
 その話を聞いている内に、自分は嫌な汗をかいていた。目線を上げてそちらを見やれば、話をしている鳥子もまた、不機嫌そうに、どこか具合悪そうにしながら、眉間に皺を寄せていた。右手で、左の二の腕をさすっていた。
 ――左腕の傷が、疼く……
「『――ただし、条件がある。この赤子と、この赤子から先に続く子等を虐げてはならない。もしそうすれば、その呪いは再びお前達の身に帰って来る事になろう。そうなれば、お前達は未来永劫、その呪いから解放される事は叶わぬ。お前達が不当に虐げた者達と、再び歩み寄れた時……その時はじめて、お前達は真の意味で呪いから解放されるであろう――』…………そうして、その“秘儀”が僧から伝えられた。呪いの受け皿となる女性に、一族の呪いを移す事が出来る“贄の儀”が伝えられた」
 それはまるで御伽噺の様だった。酷くおぞましい、嫌悪感を抱く昔語だった。
「それ以降、虐げた者達、その“一族”は結託するより他無かった。大切な呪いの受け皿となる子を養う為に、呪いを受ければ受ける程に不自由となる“贄”を養う為に、金を出し合う様になった。けれども時代は移ろい行くもの……“贄”に呪いを移す者は、莫大な御布施をしなければならないと言う決まりがいつしか出来てしまっていた。さっきの話は、そこに繋がるのよ」
 鳥子はそこで、自分の着ている服の袖を摘まみ上げて見せた。
「わたしに呪いを移すと、わたしの管理をしている者達に莫大な利益が出るの。何故こんな仕組が出来てしまったのかと言うと、ちゃんと理由があるのよ。八代続いた間に、一代目達の子孫はその数を増やしていたの。呪いを他者に移せるからこそ続いた命……その中には、今では、金持ち、医者、政財界に名を連ねる者だっている。それは、我が子を呪いから救う為に努力した者達でもあった。中には汚職に手を染めた輩もいたけれど、それは我が子を守ろうとする為に必死だったからこそよ」
 もしかすれば、時折世間を賑わせている汚職事件の一部は、彼女の一族に関わる者の起こした事件なのかもしれない。
 一代目の人々が悪いのは確かだが、時が経った今となっては、はたして誰が悪いと言えるのであろうか? そもそも、これは最早、誰それの責任として、一個人の責任として、転嫁出来る問題ではない気がした。
「けれども、世代を追う事に、その数が増えれば増える程に、呪いを持つ者は更に増えて行く。全ての者の呪いを“贄”に移していては、すぐに限界が来てしまう。呪いが蓄積されれば、やがては“贄”の意識は失くなり……心が壊れてしまう。そうなれば、それは人形と一緒。生きている者でなければ、呪いの依り代にはなれない。そうなれば、呪いは元ある場所へ帰るだけ。ひとつ帰せば、あながひとつに戻るだけ。だから、より多くの御布施を出来る者だけが“贄の儀”を執り行えるの。そして、その得た利益によって、呪いを移せない者を養うのよ。これが……莫大な御布施を見返りに求める理由と、わたしの一族が結託する理由よ」
 壮絶な話だった。今まで健康に生きて来られた事が、人並に幸せに生きて来られた事が、どれだけ幸せな事だったのかと、自分は噛み締めていた。
「だからわたしは言えないの……」
 そこで鳥子は自嘲気味に笑った。それは酷く渇いた笑いだった。
「結局は怖くなって逃げ出してしまった……母が死んで、もう誰もわたしを守ってくれる人がいないから。でも調度良かったわ。逃げた矢先に、代わりが見付かったんですもの」
 ――下手な芝居だった。
「――帰さないよ」
 彼女はそうやって、自分の前で悪女を演じているのだ。こちらに嫌われようと、露骨にそんな事をして見せているのだ。
「……そう」
 彼女はポツリとそう漏らした。再び顔を反らした。かすかに奥歯を噛み締めながら、外の風景を見詰めていた。
 その嘘は、彼女の不器用な優しさだった。もしそれすらも計算の内で、先程の発言が事実本心であったとしても……その時は騙されても構わなかった。“彼女のために何かをして上げたい”。その思いだけを、ひたすら抱え続けた。
 もうじき、乗り換えの駅に着く……そこで夜行列車に乗れば、また眠りに就ける。一時の安息が得られる。
 ――自分達はこれから、どこへ行くのだろうか……

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