小説『斑鳩』
作者:雪路 歩()

しおりをはさむ/はずす ここまでで読み終える << 前のページへ 次のページへ >>

  第十九章  水色のサマーバケーション9

 寺の離れの住まいから出る際に、色が案内を買って出てくれた。彼女は背中に荷を大量に背負って運ぶのに使うキャンプ用品(※名前はわからない)を背負っていた。
 それには鳥子の生活用品が入ったリュックサックに、大根が三本、白菜がニ玉、そして炭が五キロ詰まれていた。見事なまでのキャンプスタイルであった。ただし、巫女の格好ではあったが。
「――ハァッ、ハァッ……そんな格好で暑くないの?」
 こちらは住まいを出る際に全斎から追加で渡された味噌と塩、そして米を両手に引っ提げていた。彼はよりによって重たい物だけを選んで細々(?)と与えてくれたのだった。
「――いいえ。特には。山奥ですし、まだ涼しい時間帯ですから。私は普段から、あの寺から十キロほど離れた学校まで毎日通っているので山歩きは慣れています」
 つまり、毎日二十キロの道を歩いていると言う事か。それは凄い。道理で動きが機敏なわけだ。彼女とは基礎体力が違い過ぎていた。
 一方、一人だけ手ぶらの鳥子は、こちらを度々振り返っては、申し訳無さそうな表情をするのだった。
「ねえ、やっぱりわたしも持つわ」
「「だめ(です)」」
 色と自分の声がはもった。それを聞いて、もう何度目か、またも不機嫌そうな表情をする鳥子。
「鳥子様が持つのなら私が代わりに持ちます」
「また倒れたらどうするの? 今日は荷物が多いから、そうなると困るよ」
「何よ二人して!」
 口をイー―ッとして、そのままふんと顔を反らし、色よりも前へと行ってしまう鳥子。
 申し出はありがたいと思えるし、鳥子の性格上、気にもなるだろう。その気持ちは理解出来るつもりだった。けれども、鳥子についこの間新たに刻まれた呪いの話を全斎から聞いた後では、首を縦に振る事は出来なかった。
 鳥子に手を出すなよと言い含められた後に、実はもう少しだけ自分達は話をしていた――

「――なぜ呪巫女が、呪いをあんなに身に刻んでも生きていられるのかわかるか?」
 とりあえず、思い付いた事を述べてみた。
「普通の人なら致命的な呪いでも、呪巫女なら呪いに免疫があるから大丈夫、だからですか?」
 全斎は首を傾げて、唸りながら言った。
「ん??……当たらずも遠からずって所だな。呪いに免疫があるかどうかは、各呪巫女ごとに個人差があるから何とも言えん。特定の系統の呪いに対し、取り分け免疫がある呪い巫女がいた事もあるにはある。鳥子の母親であるハ鳥は病系の呪いに対する免疫が特に高かった様にな。だが鳥子は歴代の呪巫女達と比較すれば、特徴が無いのが特徴だと言える。何も無いんだ。つまり、鳥子の呪いに対する耐性はあくまで平均的なものだって事だ。普通の人間と何も変わらん」
 昨晩、全斎が鳥子に対し、鳥子は歴代の呪巫女の中で一番出来が悪いと言っていたのを思い出す。恐らく、今言った事も含めて、全斎はそう言っていたのかもしれない。きっと無関係ではないだろう。ただし、どちらかと言うと、あれは呪巫女としての心構えに対しての説教だったのだろうけれど。
「それなら、なおさら鳥子さんには呪いなんて移すべきじゃないじゃないですかっ!?」
 もう何度目になるのかわからなかったが、自分は癇癪混じりに声を荒らげていた。
「一つだけ……鳥子は取って置きのものを持っているんだ。何かわかるか?」
 自分は頭を振った。何も思い付かなかった。あの少女は長身であるにも関わらず、あんなに細身で、体も軽い。比喩ではなく、触れれば事実折れてしまいそうなほどに脆い少女なのだ。特別恵まれたものを持っているとは思えなかった。
「さっき、二日前に鳥子に死と病が混在した呪いが移された話をしただろ? それがヒントだ」
 ――死と病が混在した呪い?
 死と言う言葉に、すぐにピンと来た。
「――……一つ、訊いていいですか?」
 どうして全斎がすぐにこちらに答えを言ってくれないのかはわからないが、きっと何か理由があるのだろう。自分はそれに付き合うつもりだった。少しでも呪いの知識を得て、鳥子の力になりたかったからだ。昨日全斎に言った言葉は、嘘でも酔狂でもなんでもなかった。全て本気だった。
「普通の人が、あの呪いを移されていたらどうなっていたんですか?」
 全斎は軽く目を見開いて、口端をつり上げて見せた。
「お? 一番解答に近付く質問をしたな。中々見込みがあるな」
 その反応を見て理解した。全斎は呪いの勉強を自分にさせているのだろう。昨晩の『鳥子を頼んだぞ』と言う言葉に、彼もまた、嘘偽りは無かったのだろう。ならば、それには、全力で、真面目に取り組まねばならない。気を引き締める。
「もしその呪いが普通の人間に移されていれば……まぁ、それは不可能なんだがな。呪巫女にしか移せない呪いを持つからこそ、一族は結託するしかないんだからな。ついでにこれも言っておくぞ。一族の抱える呪いは呪巫女だけにしか移せない。そこは絶対だ。その代わり、呪巫女の呪いは、他人へと移す事が出来る。鳥子からお前に移った様にな。それじゃあ質問の答えを言うぞ? もし普通の人間にあの赤ん坊の呪いを移せていれば――“そいつは死んでいた”。当たり前だ。死ぬ呪いなんだからな」
 そこまで聞いて、自分はそれを思い出していた。ニ日前に見た、学校の裏庭の光景を思い出す。あの枯葉色の庭園の中で、たった一つだけ無事だった存在がいた――
「そうか――鳥子さんは“死ねない”んですね?」
 全斎は目をつぶって頷いて見せた。
「その通りだ。鳥子は不老不死だ。“死がない”存在だ」
 全斎の目の奥に、暗い光が灯った。それは暗に『他言はするなよ?』と言う意味も込められているのを感じた。
「ただし、完全な不老不死ってわけじゃねぇ。次の呪巫女を産むまでは、決して死ぬ事は出来ないと言うだけの代物だ。不老不死と聞けば羨む奴もいるかもしれねぇが、あれはあくまで呪いの一種だ。決して祝福でも加護でも何でもねぇ。あれは悪質な何かだ。時代の変化の中で生じた、取り分け性質の悪い呪いの一つだ。恐らく、呪いを受け続けると言う特殊な環境が数代続いた中で、呪巫女だけが持つに到った血統的特性と言うやつなのかも知れん。この呪いを持つ呪巫女は、歴代の中でも二人だけだ。その一人が鳥子だ」
 全斎はそこで遠くを見る様な目付きをした。こことは違う何かを、彼は見据えていた。
「………………」
 自分は何も言う事が出来なかった。全斎が続きを話すまで、ただじっと待っていた。
「――呪巫女の扱いは、八代目より前までも、そして今も、失敗の繰り返しばかりだった……一代目、二代目の頃は特に悲惨だった。呪巫女は何度も潰された。血統が途絶えなかったのは、奇跡か、幸運か……あるいは、それもまた呪いの為せる業と言うやつなのかもしれん。少しでも長く一族が呪いに苦しむ様にと、呪いと言うものが、敢えて呪巫女を生かし続けてくれていただけの話なのかもしれん。呪いと言うものは“意識があるもの”だからな。呪いとは、人の怨念そのものなのだからな……」
 呪いは、呪術的なものではなく、意識的なもの……?――それはまるで人間の様ではないか。もしかすれば、呪いとは対話する事が可能なのかもしれない。そこに微かな活路、可能性を見た気がした。とはいえ、そんな事はとっくにこの僧が試しているのかもしれなかった。
「我先にと呪いを移した所で、受け皿となる呪巫女の意識が無くなれば意味は為さない。溢れ返るだけだ。その溢れかえった呪いは、水の様に蒸発する事は無い。元のあなへと帰るだけだ。これをようやく理解したのは何度目の事だったのだろうな……」
 自分は全斎の言葉を聞いているだけで憔悴していた。それは想像するだけでも、酷くおぞましく思える話だった。
「鳥子のそれは、種を絶たんが為だけの不老不死と言うやつだ。救いでも希望でも何でもねぇ。苦痛を長引かせる性質の悪い呪いに過ぎん。覚えておけ……青羽。お前はこれから鳥子が苦しむ姿を見続ける事になる。それはこうして言葉にする以上に、壮絶なものとなるはずだ。不老不死とは言え、苦痛は普通に感じるんだ。お前はそれを見続ける事になる。鳥子が生きる事に絶望して、子供を身籠るその日まで……」
 それでは……それこそ誰も救われないではないか。その言葉を聞いた瞬間――目前に暗闇が広がった。自分はこの暗闇の中で、何をすれば良いのか、全くわからなくなってしまった。
「一族は今、鳥子が死なないのを良い事に、ありったけの呪いを移そうと考える者で溢れている。あの赤ん坊の親族はその最たる例だ。その親族以外にも、同じ様な考えを抱いている奴は大勢いる」
 全斎は恐らく、自分を早い内に打ちのめして、鳥子から引き離そうとも考えているのだろう。ある意味で、それは優しさだった。事実、それは効果的だった。確かに、気持ちが揺らぎ始めていた。
「お前は昨日言っていたよな? 鳥子の傍に居たいと。仮にそれをお前が続けられたとして、苦しみ続ける鳥子を見て、お前の心が病むのが先か、お前がそうなってしまう前に鳥子がお前の許から立ち去るのが先か、それはわからん。どちらかがそうしたとして、それは誰も責められん事だ」
 全斎はそこでこちらの左手を取って、一つの石を握らせた。
「これは殺生石と呼ばれる石だ。九尾の狐の話ぐらいはお前も知っているだろう? 九百年ほど昔、中国から渡って来た九尾の狐の化身である玉藻前が、数万の軍勢によって倒された話は有名だからな。詳しくは知らずとも、そういう話が存在しているのは知っているだろう?」
 自分は頷いた。九尾の狐の事は、確かに名前程度ならば知っていた。それはテレビゲーム等でよく見るモンスターの一種だった。
「倒された九尾は石になってしまったと伝えられている。だが、九尾は石化してなお、周囲に毒素を撒き散らし続けた。誰もが長い事、それをどうする事も出来んかった。まるで呪いの様にな……。しかし、その石は約三百年後、源翁心昭と言う僧によって遂に砕かれたと謂われている。今だと玄翁と言う名の方がよく知られているかもしれんな。その僧が砕いた石の破片の一つがこれだ――」
 言葉が切られると同時、全斎の手がこちらの手から離れた。左手の中に握らされたその石に、初めて視線を落とす。
 第一印象は直径四センチほどの丸い卵――と言うものだった。縦に裂け目の入った丸い卵。微かに青白くも、微かに黄金色にも見える、白い卵。それがその石に抱いた率直な印象だった。そして、その石の手触りは、どこかしっとりとして感じられ、そして滑らかだった。まるで絹の様な手触りだった。
「これはな……昔俺が、呪いに対して何か効果がある物はないかと探し歩いた頃に見付けた物だ。殺生石が散った地方には、こういう話が古くから伝わっている――『鳥獣近付けばその命を奪うは殺生石』とな」
 鳥獣――その言葉を聞いて、あの異形の鴉の姿が脳裏を過ぎった。
「もしかして……あの鳥が呪いの原因なんですか? 呪いの源なんですか? だからこの殺生石を手に入れたんですか?」
 全斎は頷いた。
「お前が暴走すると困るからあまり詳しい事は言えんが……あの鳥は一代目の頃から姿を現している。数百年間呪いと共に在った存在だ。時折人を傷付ける事もある、呪いを振り撒く事もある、一族からは忌み嫌われている存在だ。幾度退治しようとも、奴は確実に再生してしまう。捕まえて閉じ込めておくのも不可能だ。いつの間にか姿を眩まして、ひょっこりとまた現れて来やがる。その大きさと力は、徐々に大きくなってすらいる。そして、呪いがある限り、奴は不死身だ。親鳥が先か、卵が先かと言う言葉がある様に、あの鳥が居るから呪いが在るのか、呪いが在るからあの鳥が居るのか、あるいは二つで一つのものなのか、それはまだ分からん。一族の間ではあの鳥は凶鳥と呼ばれている。凶鳥は呪巫女に付き纏う習性がある。一本足に一つ目のあの鳥は、一族の間では呪いの象徴として畏怖されている、嫌悪されているものだ。今のお前に話せるのはここまでだ。間違っても、あいつをお前の力でどうこうしよう等と考えるなよ? 殺されるだけだ」
 三日前に会った鳥は、そんなにも恐ろしい存在だったのか。だが、あの時のあの鳥は、まるで鳥子を――
「――それじゃあ、僕の左腕の呪いは、鳥子さんのが移ったわけではないんじゃないですか? 実際これはあの鳥に付けられたものです。僕が先に触れたのはあの鳥の方です」
 もしかすれば鳥子が自責の念に駆られる要因が無くなるかもしれないと思い、そう尋ねたが、全斎は頭を振った。
「それはまだわからん。恐らくあの鳥は、お前に触れる前に鳥子の体に触れていたはずだ。そうなると、あの鳥を介して移された可能性もある。あの鳥は呪いの運び手でもあるのだからな。確かにお前の言う可能性もあるが、最悪、両方ともから移された可能性だってあるんだ。鳥子の分と、あの鳥自体が持つ呪いの計二つ。今後、その呪いの質は、お前の容態を診て俺が判断して行く事になる。何か異常があった際はすぐにここへ連絡しろ。呪いは何も肉体だけに影響するものだけじゃないんだ。そこを勘違いするなよ?」
 鳥子の気持ちを少しでも楽にする事が出来るのであれば、嘘でもいいから全斎には頷いて欲しかった。けれども、この僧は厳しい人であった。嘘偽り無く、ただ真実のみをこちらに伝えてくれた。
「確かにあの鳥は、裏庭で鳥子さんを見た時、その左肩に止まっていました。全斎さんの言う通りです。わかりました。今後、体の異常やそれ以外の事で何か気付いた時は、すぐに連絡します」
「そうしろ。遠慮するなよ? いつでもいいから、気付いたらすぐ連絡しろ」
 頷いて応じると、全斎は殺生石の話を再びし始めた。
「よし、じゃあ話を戻すぞ?――しかしだ、あの凶鳥は、たまたま鳥と言う形状を取っているだけで、従来の鳥獣とはまた違ったものであったらしい。呪いの化身とも言える存在なんだから、そりゃ当然だわな。それにな、実際の所、殺生石が散ったと言われている地方にあるその地帯は、昔から有毒なガスが自然に発生していただけの話に過ぎん。だから鳥獣がそこで死んでいるのは当たり前の事なんだ。『鳥獣近付けばその命を奪うは殺生石』と言われているのも、曰くでも何でも無く、あくまで当たり前の話なんだ。そうなると、殺生石には呪いに対する特別な力があるなんて保障は何も無い事になる。殺生石は、一族の呪いに対しては全く何の役にも立たん代物なのかもしれん。未だにこれをどう扱えば良いのか、どう有効活用すれば良いのか、全くわからん。今までどんな使い方をしても、呪いを払う事も、無効化する事も、あの凶鳥を倒す事も出来んかった。それ以前に、実はこれは殺生石ではなく、ただの石ころなのかもしれん。昔俺が偽物を掴まされただけの話なのかもしれん……だが――」
 全斎はそこでこちらの目を見据え、何かを託す様に、一言一句、はっきりと言葉にして行く。全斎のその目には、どこか、哀愁が漂っていた……
「――石には意志が宿る。これは一種の言霊だ。だが、俺にはそんな力は無い。早い話が、ただの言葉遊びに過ぎん。それでも俺はその遊びを続けるつもりだ。遊びとは本来、神の儀式を意味する言葉だ。とはいえ、実際に神の力が得られるわけでも何でもねぇ。あくまで言を担いだ上での、俺と言う不出来な僧の験を担いだだけの、狐が弧となりお前達を結ぶ弦となる様にと言う願いを込めただけの、弦を担いだだけの代物だ。だから効果は期待するなよ?」
「――――――」
 幾つもの言葉遊びに込められた、その意味の一つ一つを、自分なりに、胸の中に落とし込んで行く――

 ――硬き石の如く、意志を持ち続けよう――

 ――話す事で、遊ぶ事で、戯れる事で、鳥子を支えて行こう――

 ――この思いを言に込めよう――

 ――この僧の験を継承しよう――

 ――鳥子と自分と言う二つの点が結ばれるよう――

 ――弦を担ごう――

 ――そうして鳥子を担おう――

 目をつぶりながら、そう誓っていた。先程、二度感じた暗闇を、目をつぶる事で再現し、自分はその暗闇の中で、その誓いを立てた。暗闇の中で何をすれば良いのか迷った時は、誓いを立てれば良いのだと、それに気付けた。
 ――その“意志”を、硬く握り締める。
 目を開くと、全斎がニヒルな笑みをこちらに向けていた。
「その石をお前にやろう。お守りぐらいにはなるかもしれん。長年呪いと言うものの対抗具として、試し試しに色々使い込んで来た代物だ。実際、幾らかの呪い除けにはなる性質を帯びているかもしれん。ただし、鳥子には隠しておけ。あいつは名前に“贄”を意味する“鳥”の名を持っている。曲がりなりにも『鳥獣近付けばその命を奪う』と言われている殺生石では縁起が悪過ぎる。それに、呪いは呪巫女と言う存在の一要素でもある。呪いもまた、あいつの一部なんだ。あいつが呪い除けを身に着けると、それだけで具合が悪くなっちまう。だから、あいつには極力触れさせるなよ?」
 無言で頷いてから、自分はそれをズボンのポケットの中に入れた。今後この石は、常に肌に感触が伝わる所に忍ばせておくと決めた。ポケットの布地越しに、太腿にその石の感触が伝わって来る。
 それは事実大した物ではないのかもしれないが、今後、幾度も自分の今の気持ちを思い返すのに使える物ではあった。挫けそうな時にこの石を見れば、再び奮起する事も出来るかもしれない。
「鳥子はきっと、自分の“子ども”にこの苦しみを移す事はしないだろう。自分が苦しみから逃れる為だけに“子供”を作る様な真似はしないだろう。さっき、お前に鳥子に手を出すなよと言ったのはそう言う事だ。そうすれば、鳥子はお前の前からどの道姿を消す事になる。お前が鳥子の意志を汲み取り続ける限り、鳥子が死ぬ事は先ず持って在り得ない。そうなると、鳥子の苦しみが終わる事も在り得ない。そして、鳥子が幾らお前に気を許した所で、普通の女の様に、お前に肌を許す事も在り得ない。お前は昨日、そんな人間の力になりたいと言ったんだ。それがどんな感情から吐いて出た言葉なのか、それはわからんが、呪いは感情論だけでどうこう出来る問題ではないと言う事だけは伝えておく。つまり……もし変化があるとすれば、それは常にお前の側だと言う事だ。全てはお前次第だ。どうか、鳥子より先に絶望するなよ? 少しでも多く、鳥子の傍にいてやってくれ――」
 そう言うと、全斎は深々と頭をこちらに下げたのだった――

 ――気付けば、鳥子と色が目の前を歩いていた。二人は、怪訝気にこちらの顔を覗き込んでいた。
「――あ……え? 二人ともどうしたの?」
 少しだけ顔が赤くなるのを自覚する。女の子に顔を近付かれて平常心を保てるほど、自分は女性慣れしていなかった。嬉しさ半分、恥ずかしさ半分と言う感じだ。
「具合でも悪いの? 休憩する?」
「心ここに在らずと言った感じでした」
 自分は頭を振って笑い返した。
「何でもないよ……お昼は何を作ろうかなって考えてたんだ」
「湧き水の湧いた所には天然の川魚がいます。アユやヤマメが泳いでいます。小屋には釣具もありますので、それを使えばよろしいかと思われます」
「それは楽しみだね。でも、餌はどうしようかな……実は虫に触れないんだ」
「わたしもよ。鳥子って名前だけど、虫は苦手なの」
「御安心下さい。練り餌があるはずです。それを使えばよろしいかと思われます」
 そうして話していると、ついにそこへと辿り着いた。山の頂上には、全斎の言った通り、水場があった。その浅瀬が数十メートル先に見えた。木々の葉と、透明な水とが煌いている。薄らと、霧が立ち込めてすらいた。そこはまるで聖域だった。
 左右を見渡すと、左手の木陰にそれは見えた。水場から幾らか離れた場所にその物置小屋は建っていた。広さは二畳ほど。二人の人間がその中で暮らす事は不可能な大きさだった。
「僕さ、キャンプ初めてなんだ」
「わたしもよ。何をどうすれば良いのか、見当も付かないわ」
 その言葉だけを聞いてしまえば、自分達二人は不安に思っている様に見えたかもしれない。けれども――この顔を見て判断してほしい。彼女のその顔を見れば、キラキラとしたその目を見れば、ほころばせている口元を見れば、不安なんてこれっぽっちも抱いていないのだと気付けるはずだ。
 自分達は期待感に満たされていた。呪いの事なんて、これっぽっちも考えていなかった。

-21-
Copyright ©雪路 歩 All Rights Reserved 
<< 前のページへ 次のページへ >> ここまでで読み終える