小説『斑鳩』
作者:雪路 歩()

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  胡鳥の夢

 ――……愚かな。

 悪しき者共は、時を追う毎にその数と醜さを増して行く……
 其れでは、いつまで経っても呪いから解放される事は在り得ない……
 永劫に苦しみが続くだけ……
 負の連鎖が生じ、呪いが拡大して行くだけだと云うのに……

 ――……愚かな。

 悪しき者共の一派は、今度は生贄たる一族の虜たる娘に呪いを移そうとしていた……
 余命幾許も無い赤子の呪いを……
 虜と言う戒めを意味する名を持つ九代目の呪巫女は……
“鳥子”と言う名の娘は、寸での所で逃げ出した……

 ――……哀れな。

 虜たる“鳥子”が加護の外へ飛び出した所で、羽ばたく事は叶わず……
 其の翼は、遠く飛んで行かぬ様、既に手折られていた……
 其れでも空を目指さずには居られぬのが鳥の性か……
 行き着く先は、更なる絶望しか在らぬと云うのに……

 ――……哀れな。

 逃げ果せても、虜を“帰りみる者”は一向に現れぬ……
 夜道を一人歩いていても、具合を悪くしていても、何者も虜を“帰りみる”事は無かった……
 加護の内で飼われていた“鳥の子”が身を潜めるには、此の時代は余りに厳しかった……
 悲しみに暮れ、絶望を体現するその姿を見ても、虜に声を掛ける者は一向に現れぬ……

 ――……虚しきかな。

 一月が経った。虜はどうにか逃げ果せていた。併し、遂に力尽きてしまった……
 路傍に横たわる雀の亡骸の様に、黒い人工道の上に倒れ込んでしまった……
 辺りには誰も居ない。此のままでは、虜が余りに哀れだった……
 戯れに、慰みに、情けに、誰かを魅入って助けて遣る事にした……
 魅入った者を操って、哀れで、虚しい虜を、今一時、救って遣る事にした……

 ――……無益な。

 我は黄土色の砂塵舞う広場へと降り立ち、人工の箱を見詰め、其の時を待った……
 暫し待ち、ようやく一人、我の姿に気付く者が現れた……
 併し、どう言う訳か、其の者は魅入られる事無く、意識の刷り込みを跳ね除けてしまった……

 ――…………?

 幾百年もの時を経て、幾百、幾千もの呪いが寄り集まった……
 呪いの化身たる、我の眼差しを跳ね除けた者は久方振りだった……
 人工の石で造られた建物が立ち並ぶ時代になってからは、初めての事だった……
 併し、其の者も又、此の灰色の時代に“鳥残された”無力な一羽の小鳥に過ぎなかった……

 ――……青きかな。

 併し、其の小鳥は自身の力で、懸命に羽ばたこうとしていた……
 まるで“鳥子”の様に……
 飛べないのであれば、せめてもと、地を駆け始めた……
 魅入りには失敗したはずであった……
 なのに、在ろう事か、其の小鳥は自らの意思で外へと飛び出していた……
 時間に追われ、柵(しがらみ)に追われ、終われる現世(うつしよ)の中に在って尚……
 其の小鳥は、健気にも、愚かにも、哀れにも、果敢に、高空を目指そうとしていた……

 ――……まさかな。

 その小鳥は魅入られた訳でもないのに、虜を捜していた……

 ――……貴様如きに何が出来よう。

 小鳥は諦めなかった。虜を求め、黒い人工道を駆け続けた……

 ――……無駄な足掻きを。

 小鳥は諦めなかった。息が上がっても尚、頑なに進み続けた……
 そして、青き小鳥は、遂に虜を見付けた……

 ――……愚かな。どうせ貴様も……あの者共の様に此の娘を更に追い込むのであろう!?!?!?!?!?

 死を振り撒く“鳥子”に近付こうとするとは愚か極まりなかった……
 此の場の惨状を見れば、我の姿を見れば、其の小鳥は逃げ出すものだとばかり想っていた……

 ――……どうせ此奴も、臆病な、無力な人間の一人に過ぎない筈。

 併し、在ろう事か、小鳥は尚も此方へと進んで来た……
 無数の蝉の骸が転がる、死の蔓延る地を踏み越えんと、臆する事無く駆け出した……

 ――……今更貴様如きに何が出来ると言うのだっ!?!?!?!?!?

 幾百、幾千、幾万……
 幾日もの時が巡った……
 今更、救いなど求めてはいなかった……
 もう全てを諦めていた……
 
 ――……此の娘に手を出すと云うのであれば容赦はしないっ!!!!!

 併し、青き小鳥は、はっきりと口にした……

 ――助けたいんだ!

 ――……!?

 其の瞬間、我は立場が逆転している事に気付いたのだった……
 其の小鳥の囀りに、果敢な雄叫びに、怯んでしまったのだった……
 虜を護っている積もりだった筈なのに、我はいつしか虜を閉じ込める側になっていた……
 我は其れに気付いてしまった。そして、其れだけでは留まらなかった……

 ――退けぇえええええええええええええ!!!!!

 在ろう事か、小鳥の今際の想念により、我を構成する呪いの一部が奪われてしまっていた……
 次の瞬間には、ごそりと、広範に渡り、我と云う存在を構成する“何か”が奪われてしまっていた……
 その奪われた“呪い”が何なのか、我にも判らなかった……
 長い年月の間に、我は其れを形容する言葉を忘れていた……
 無数の絶望の中に、一つだけ在った其れ……
 遍く、犇く、無数の絶望の中からたった一つだけ生じたもの……
 たった一つだけ転がり出た“まじない”……
 我はもう長い事、其れの呼び名も、其れの意味も、忘れ果ててしまっていた……
 今、此の時までは……

 ――……赦さぬ。

 呪いを自ら引き受け様とする者は稀有であった……
 虜の代わりに呪いを負うと云うのであれば、都合が良い筈だった……
 其れでも、其の呪いだけは大切なものであった……
 我が抱え続けねばならぬものだった……
 今更、此の矮小な鳥に奪われても良いものではなかった……
 併し、其の小鳥に近付けば近付く程、触れれば触れる程、我の力は失われて行くのだった……
 微かに、ほんの微かにだが、呪いの一部が浄化されて行くのだった……
 長年抱き続けて来た、虜を護りたいと云う想いに、我は負けてしまったのだった……
 たった一つ、頑なに抱き続けて来た其の想念が、今、此の矮小な鳥に打ち破られたのだった……

 ――……ならば貴様に託そう……絶望するなよ……青き鳥の子よ……

 我は空へと舞い上がった……
 其れから、我は二人の行く末を見守り続けた……
 先ず、虜の夢に現れて、あの言葉を告げた……
 其れは我が先代の虜から、かつて言われた言葉でもあった……

 ――一人の時間はもう終わり。後は貴方次第。歩み寄るも、拒むも、今まで通り生きるも、貴方が決める事――

 人工の石の箱の上で、泣き叫ぶ虜の姿を見た……
 其の後、夜の街を進む二羽の鳥の子の姿を見た……
 次には、細長い、角ばった蛇の様な形をした物に乗る所を見た……
 我も其の上に乗って、二人の目指す場所を目指した……
 二人が辿り着いた場所は、あの場所だった……
 其処は、我にとっても、虜にとっても、特別な想い入れの在る場所だった……
 併し、二人は争い始めてしまった……
 目的の場所へと着く前に、仲違いを始めてしまった……

 ――……此れでは先が思い遣られる。

 併し、我はただ、見守るしかなかった……
 託すと決めた以上は、ただ、見守るしかなかった……
 其の後、力尽きた虜を、矮小な体で支え、歩く、青き鳥の子の姿を見た……
 頑なに、果敢に、尚も其れを手放そうとしない、其の姿を見守り続けた……
 次の日、山の上で、夫婦者の様に暮らし始める二人の姿を見た……
 虜は其の日から、生気に満ち溢れ始めた……

 ――……ずっと、其のまま、二人で暮らし続ければ良い。

 我は其れで良いと想っていた……
 併し、悪しき者共の手は、此処にまで及んでいた……
 嘗ての我達の様に、二人は引き離されんとしていた……
 見過ごす事は出来なかった……
 悪しき者共の放った傀儡を蹴散らし、赤子の呪いが移り始めた虜を、寸での所で鳥込む事に成功した……
 如何にか、虜の身に、赤子の呪いが完全に移る事は免れた……
 併し、鳥込んだ虜が此の魔性の聖域から一人で抜け出せるか如何かは判らなかった……
 助けが在れば、其れは可能かも知れなかった……
 矢張りと云うべきか……
 現世の中に在って尚、頑なに愚かさを貫く青き鳥の子は、其の聖域へと足を踏み入れんとしていた……
 今一度、我は此奴を試さねばならなかった……
 もし此の鳥の子が、真に虜を救える者であると云うのであれば……
 虜を、そして、悪しき者共を救える可能性を秘めた者であると云うのであれば……
 今、此の時も又、我に打ち勝つ筈だった……

 ――……矮小で……未熟な……青き鳥よ……其れ程までに虜を望むのであれば……今一度その意志を我に示して見せよ!!!!!

 小鳥は呪われた腕を振り翳し、それを契約の証とし、我を難無く其の腕に止まらせた……
 矢張りと云うべきか、奪われた呪いは我に帰る事は無かった……
 我が込めた有りっ丈の憎念を込めた呪いは効力を発揮せず、撥ね退けられてしまっていた……
 今、又、我は此の青き鳥の子に敗北を喫したのだった……
 ならば迷う事は無い……

 ――……我も、貴様も……もう迷う事は無い。

 今、漸く其れが訪れたのだ……
 其れを確信した……
 虜が呪いから、其の柵(しがらみ)から解放される時代が、今、漸く訪れたのだ……
 ならば邁進させるしかあるまい……
 見守り続けるしかあるまい……

 二人は無事、現世へと帰還した…
 其れから二日後の事、併し、二人は再び離れ離れになってしまった……
 青き小鳥は、虜の元を飛び去ってしまった……

 我は青き鳥を恨んだ……
 矢張り現世の者は信用ならぬ……
 転々と考えを変えて行くのだから……

 其の七日後、二羽の鳥の子は再会を果たすも、今度は虜から青き鳥の元を飛び去ったのだった……

 何故望まぬ……
 共に居るだけでは救われぬと悟っているからか……
 其れならば初めから手は伸ばさぬとでも云うのか……
 絶望だけを甘受しようと云うのか……
 虜は其の日から伏せってしまった……

 虜は再び悪しき者共の居る加護の中に戻された……
 そうしている内に、虜の体には新たな呪いが刻まれ続けた……
 併し、虜は其れを以前の様に嫌がる事は無かった……
 寧ろ、積極的に受け入れる様になっていた……
 時折、左腕の傷跡を見下ろしては、鬱屈とした表情をしているのを見た。幾度も見た……
 そして、或る日の事。虜の許婚である者が、虜を外へと案内した……
 案内した先には、虜の義理の妹である娘と、其の娘の…………義理の父に当たる者が待っていた……
 彼等は虜の将来に付いて話し合っていた。虜の身の振り方を熱心に話していた……
 併し、虜は頭を振るばかりで、前向きな返答を一切しなかった……
 頑なに、一人で居る事を望み続けた……

 或る日の事だった。虜の体に異変が起こった……
 虜は其の日から片足の自由を失ってしまった……
 もう、全てを諦めたかの様に、悟りを開いたかの様に、虜は何も望まなくなってしまった……
 ただ、惰性の様に、取り敢えず生きて行くだけの日々が続いた……
 夏が終わり、秋が終わり、冬が終わり、春が訪れても……
 虜の顔に笑みが浮かぶ事は無かった……
 左腕の傷痕を擦りながら、ただ見下ろすだけの日々が続いていた……

 そんな或る日の事だった。新年を迎え、暫くしてからの事だった……
 虜が映像を映し出す箱を見ている時の事だった……
 虜は何を見たのか……
 虜の顔に、今一度生気が満ちていた……
 虜の顔に、遍く感情の揺らぎが生じていた……
 笑っているのに、涙を溢すと言う、珍妙な様相を呈していた……
 虜は涙を拭うと、杖を突いて、許婚を呼びに行ったのだった……



 ――……そうして、幾らか時は流れ、今に到る。



 ――鳥子さん!

 ――なぁに?

 ――鳥子さん!!

 ――なぁに!
 
 ――鳥子さん!!!

 ――だからなぁにっ!

 ――鳥子さん!!!!

 ――もう! だからなぁに?

 ――鳥子さん!!!!!



 ――……煩きかな。



 ――僕……鳥子さんより背が低いけど、それでも良いの?

 ――わたしね、わたしより背の低い人が好きなの! 

 ――僕……お金持ちじゃないけど、それでも良いの?

 ――それが何なの?

 ――僕……年下だけど、それでも良いの?

 ――わたしね、わたしより年下の人が好きなの!

 ――鳥子さんは……僕の事嫌いじゃないの?

 ――何の事かしら?



 ――……莫迦莫迦しい。



 ――灰羽鳥子さん……あなたの事がずっと好きでした。僕と付き合って下さい!

 ――はいっ!



 ――……ふん……

 もう見ては居られなかった……
 早々に飛び去る事にした……

 ――……青き小鳥よ。その日まで……どうか、絶望してくれるなよ……



 ――黒き胡鳥は青い空を目指し、空高く舞い上がった。


    斑鳩 =第一翔=
                 了

-44-
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