〜 5 〜
「四八度」
奈美ちゃんの声が風呂場に響き渡る。
四五度から急に上がった気がするが、それはどうやら雫が能力を使い続けていた所為で温度が上がらなかった所為だろう。
「しかし、委員長。
さっきから何やってるん?」
そろそろ限界が近いのかふらふらと揺れながら真っ赤な顔をした亜由美が、隣の委員長に問いかける。
とは言え彼女がそう疑問を抱くのも不思議じゃない。
何しろ委員長は両手を湯の上にあげて、まるでシンクロの一姿勢のような姿勢を取り続けていたのだから。
「ギブアップ、じゃないよね?」
「……ええ。
そう大したことじゃありません。
ただ腕から汗を気化させて体温上昇を防いでいるだけです」
委員長はこともなげに言い放ったが、俺はその一言に震えを隠せなかった。
──気化冷凍法だと?
乾燥能力を有する彼女は、平然とした顔でまるでどこかの吸血鬼のような……洒落にならない能力を使いこなしているのだ。
無論、血流を凍らせて波紋の伝達を防ぐほど体温を下げている訳ではない。
けれど、こういう同条件下における我慢比べのような……僅かな差が勝敗を決する状況では……その超能力は絶対的とも言える。
「四十九度」
そんな中、奈美ちゃんの声がまたしても風呂場に響き渡る。
──キツい、ぞ、コレは……。
その声を聞いただけで、俺は心が折れかけているのを実感していた。
……何しろ、この勝負は我慢比べである。
相手と同条件であるという前提があって初めて「我慢しよう」という気力が生まれる……我慢比べと言うのはそんな、ギリギリの綱渡りのような勝負なのだ。
その状況で、こうして歴然とした差を見せつけられると……勝つために我慢しようという気すら起こらない。
そもそも俺は、この勝負に参加するだけで……テスト勉強を手伝ってもらえるという最低限の報酬は手に入れているのだ。
その挙句、この戦いに勝ったとしても……得られる報酬は委員長とレキのBくらいで、羽子のAは新しいバストアップマシンとやらで少しばかり底上げされていたとしてもそう期待するほどでもなさそうだし、亜由美のAAに至っては見る価値もないだろう。
──つまり、俺はこれ以上我慢する必要そのものが……
「……どうやら、勝てそうやな」
折れかけている俺の顔と、まだ余裕を残した委員長の顔を見比べて、羽子が頷く。
「ええ、負けるつもりはありません。
御膳立て、ありがとうございます」
「ええって。まぁ、面白かったし。
けど、流石にそろそろキツいから、先に出るわ」
委員長の声に笑い返した羽子は、そう言うとこともなげに湯から立ち上がり……
「……くそったれ」
その光景を見た俺は、思わず界王拳二〇倍かめはめ波が全く通じなかった孫悟空みたいな呟きを発していた。
何しろ、俺の眼前では羽子が全裸で立ち上がっているのだ。
だと言うのに、彼女は白濁した湯から立ち上がり裸体を俺の前に晒している筈なのに、彼女の身体は全くもって見通せない。
──こんな不条理、あってたまるか。
俺はその不条理に対して舌打ちをしたものの……彼女が何をしているのかは一目で理解出来ていた。
「……湯気、かよ」
「へへっ。当たり前や。
これでも一応、嫁入り前やしな」
まるで深夜アニメのTV放映版みたいなその光景は……俺の残っていた気力をごっそりと奪い去るのに必要十分な光景だった。
恐らく、湯気を彼女の超能力で液化する寸前まで圧縮し、胸部と股間部にまとわりつかせているのだろう。
水の羽衣ならぬ湯気の羽衣、という訳だ。
「……なら、私も」
そう告げながら、次はレキが立ち上がった。
「っ! ブルータス、お前もか……」
そして、やはり彼女の姿を見た俺は、そんな負け惜しみを口にすることしか出来ない。
──石を操るレキの超能力ではろくなことが出来ない。
……そう考えていた時期が、俺にもありました。
──畜生っ!
まさか風呂場の床タイルを身体にまとわりつかせるなんて……そんな荒業、誰が思いつくってんだっ!
隙間隙間がないように、上手く床タイルを身体にまとわりつかせた彼女は……その二つのBの輪郭すら見通せない始末である。
「この勝負では超能力の使用はオッケーやろ?
……何か間違ってる?」
「……っ」
羽子のその問いに、俺は返す言葉を持たなかった。
正直、今の俺は……炎の流法を操る柱の男の如く、「あぁぁんまぁりだぁああああああ」って泣き叫びたい気持ちでいっぱいである。
──だって、そうだろう?
羽子は兎も角、我慢さえすればレキのBを拝めるという報酬に釣られ、こうしてコマーシャルのために頑張るくらいの温度まで我慢し続けていたのだ。
……その結果が、コレ、だ。
去って行く二人の背中を眺めながら、俺はもう完全にやる気をなくしていた。
「ふふ。もうギブアップ、ですか?」
「くっ。だ、誰がっ!」
……だけど。
委員長の勝ち誇ったような笑みを見た瞬間、俺の内側からギブアップしようという気があっさりと消え去ってしまう。
ほぼ勝ち目のない戦いだと分かっているのに、それでも委員長のBという報酬がある限り、何度でも何度でも立ち上がってしまう。
……ただ勝利のために立てと、いくつもの夜を超えていつかきっとと、脳内で誰かが叫ぶのだ。
それが、男という、いや、俺という生き物なのだから……しょうがないだろう。
そうして我慢比べは続けられることとなった。
はっきり言って無駄以外の何物でもないと分かっていても、一度我慢すると決めたことは貫き通すのが俺の流儀だ。
ただ、こうして湯の中でたただ時間が過ぎるのを待っていると、頭が要らないことばかりを考えてしまう。
いや、熱さに意識が向かないよう、脳みそが本能的に防衛行動を取っていると言うべきかもしれない。
──なんか、変だな。
俺が頭に浮かべたのは、羽子・雫・レキの三馬鹿娘のことだった。
確かに委員長は同人誌だか同類誌だかを描くためにこの勝負を挑む必要があった。
亜由美はただ勢いに任せて巻き込まれただけだから良いとしても。
──羽子・雫・レキの三人が、こんな我慢比べの戦場を設ける必要が何処にあったんだ?
……考えれば考えるほど彼女たちに利益がないのだ。
委員長の頼みに身体を張るほど、あの連中は殊勝な連中でもない。
俺の全裸を見たいのが動機にしては……どう考えてもギブアップが早過ぎる。
つまり、自爆して滅んだ雫は兎も角、羽子とレキはどうも……あまり勝ちたいとは思っていなった節があるのだ。
──そうすると、あいつらがこの勝負を挑んできた動機って何だ?
考えれば考えるほど分からない。
──まさか、俺と混浴すること自体が目的でもあるまいし……
俺の脳裏には何故か「目的のためなら手段を選ばないどうしようもない輩も存在する」と語っていた『最後の大隊』指揮官である少佐の言葉が浮かび、それも熱気によって一瞬で消え失せる。
そうして俺が取り留めのない思考の渦に溺れていた、その時だった。
「五十度……もう、私もこれ以上は計れません」
足だけしか湯に入っていなかった奈美ちゃんが、ついにそう告げる。
その一声で……我慢比べは洒落にならないチキンレースの様相を見せ始めた。
と言うか、これ以上は流石に天下の大泥棒が処刑された拷問以外の何物でもない。
俺自身も、そろそろ世界がふわふわ時間って感じに、脳内がゆりゆららららと大事件な感じになってしまっている。
──ただ、ギブアップするにしても、被害は最小に抑えたいものだ。
早い話が、まぁ、ああいう特殊なPSY能力を有する委員長には勝てないにしても、せめて我慢比べで亜由美のヤツくらいは……
そう考えた俺は、さっきから茶々を入れることもなく静かに我慢している亜由美の方へと視線を移し……
「亜由美、お前はそろそろ限界じゃ……」
「……」
──って。
道理で静まり返っている訳だ。
……亜由美、動いていないぞ?
「衛生班っ!
衛生班〜〜〜〜っ!」
俺は素っ裸ということも忘れ、立ち上がって叫ぶ。
委員長も状況が状況だと理解したのだろう。
慌てて全裸のまま立ち上がり、亜由美の方へと駆け出そうと立ち上がり。
──あっ?
そのBの乳房が白濁したお湯から浮き上がろうとする、その一瞬を俺の動体視力は見逃さない。
……いや。
見逃さない動体視力と洞察力を持っていたが故に、こうなったのだろう。
──あれ?
俺の身体が、傾ぐ。
俺の視界が、揺れる。
……どうやら、俺も、湯あたり、している、らしい。
お湯で体温が限界寸前だったところに、勢いよく立ちあがったことで心臓に凄まじい負担がかかったのだろう。
その挙句、委員長のBが視界に入る寸前に俺の心臓が強く拍動したことも、その症状に拍車をかけた……という訳だ。
──畜生、せめて、一目だけでも……
俺は脳内でそう叫び、必死に目を見開く。
だけど……湯あたりによって俺の視界は何一つ判断できないほどに歪み、視界にあるハズのBを一目でも見ようと必死にもがき続けた俺の意識は、結局抗う術もなくただ暗闇の中へと沈んで行ってしまうのであった。