小説『フェンダー』
作者:あさひ()

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第三章 約束


ある日、静かな住宅街の大きな公園の池の中から水死体が発見された。死体は、近くの製薬会社の管理職に就く従業員であり、誰に恨まれてもおかしくないくらいに、良識が欠落していたという。というのも、部下の業績を自分のものにすり替えたり、真面目に仕事をする従業員の揚げ足を取ったりしていており、社内で悪評高く、セクハラでも騒がれていたそうだ。しかし、それなりの地位にありついており、なぜか重役に買われていたため、誰も被害者の悪行を咎めることができなかった。死体の首にはロープの跡があり、どこかで絞殺されて1、2時間後、公園の池に捨てられたということが、死体解剖の結果明らかとなった。


 緒方未央は、研修という名のもとに、府川署から都内の船橋署を訪れていた。未央は、同年代の秋山志穂刑事との周辺の事情聴取を担当していた。秋山は未央より3つ年上であり、少し未央よりも背が高く体つきのしっかりとした女性で、柔道の腕には相当自信があるようであった。彼女は、都内の柔道の個人大会で優勝する経験があるほどだった。2人は車で署に向かっていた。

「誰に恨まれてもおかしくないけど、自分の仕事を犠牲にするほどなんだから、何か深い訳があって殺したんじゃないかしらね。」

秋山はコンビニで買ったおにぎりをほおばりながら未央に言った。2人は現場に車で向かっており、未央が運転を担当していた。

「目撃情報によると、犯人は黒ずくめの男だそうじゃないですか。仕事では、文句言いたくても黙って我慢してるもんですよ。じゃなきゃ一つも利益にならない。だから私もそう思いますね。・・・秋山さんは朝食いつも家で食べないんですか?」

「ううん、家で食べてるんだけど、今日はなんだかお腹が空いちゃって。空腹じゃ捜査にならないでしょ?まぁまだ男かは定かではないね。女だって私みたいなのもいるわけだし。」

「そうですね。捜査を続けているうちに分かってくることでしょう。・・・私ご飯がのど元通らなくなるような事件に出くわしたこともありますけどね。」

未央は苦笑いを秋山に向けた。

「あ、もしかして、ウイルス事件のこと?」
「よく御存じで。」
「あれは有名だよ。まだ見習いのうちにおぞましいものを見せられたね。」
「犯人には気をつけなくてはならないと思いました。手下に命取られかけましたから・・・。」
「何事も勉強勉強。」
秋山はいつも朗らかで気負いすることない気丈な女性であった。


午後は、2人は当事件の関係者が集う会議に参加することになっていた。

被害者の勤めていた製薬会社での事情聴取を担当していた刑事は、まだまだこれから本格的な捜査を進めることになっている。会議室の前方に座っている年輩の刑事が、会議を取り仕切っていた。

「では、相模くんと三島くんから。」

2人の刑事が席から立ち上がり、三島という男が、手帳を見ながら報告を始めた。

「はい。当製薬会社におけるリストラは大変頻繁であり、リストラされた従業員の逆恨みによる殺害という可能性がありますが、まだはっきりとした手がかりはつかめていません。これから、既にリストアップしたリストラされた、あるいはされそうな人間に関する情報を整理整頓し、彼らから事情聴取を行います。また、いくつか不倫騒動の経歴があるので、その辺りも洗いざらいにする予定です。殺された森野は、[ちょっと人と会う用がある]ということで具体的な用件については全く触れずに殺害された当日の17時に家を出ていたことが、奥さんの証言で分かりました。その20分前に公衆電話から電話がかかってきていました。従業員の証言によると、このところ、森野は社内での業績が伸び悩んでいることにイライラを隠しきれず、従業員にあたることが多々あったということでした。」

「周辺の情報は?」

「目撃情報がありました。黒ずくめでマスクとサングラスをした中肉中背の人間が、自転車で公園から出ていくところを目撃されています。男の可能性が大きいと思われます。周辺近くの住宅から自転車が1台盗まれていました。盗まれた自転車はまだ見つかっていません。他に目撃情報はなく、犯人は車で公園の前まで死体を運んだものと思われます。自転車も車に乗せて、どこか遠い所で処分したのかもしれません。また、池の近くから焼けただれたロープが発見されました。」
未央と秋山は席から立ち上がり、秋山がはきはきと報告をした。

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