小説『フェンダー』
作者:あさひ()

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翌日、秋山と未央は、リストアップされた製薬会社の従業員の事情聴取にあたった。製薬会社の社員は当然ではあるが、みな暗い顔をしており、高度な技術でもって有名な会社において自己実現を果たしている人間の顔とは到底思えない有様だった。被害者である森野を恨んでいる人間はたくさんおり、特にその部下に関しては殺意を抱いた人間は数多くいたが、有力な情報を得ることはなかなかできなかった。
「あの製薬会社、何かあるわね。従業員みな口止めされているから、何も手がかりがつかめそうにないわ。」
秋山は車の中で溜息をつきながら未央につぶやいた。
「できれば首を切られたくないのが普通だし、この就職の困難な時代に再就職なんて厳しいから。昇進も危うくなる。なにしろあんな男が上に立っていられる会社ですよ。首を切られた方もこれ。」
未央は左手の人差し指と親指で輪っかを作った。
秋山はこくりとうなずいた。

2人は、数々の家を訪問し、やがて真山の2階建ての一軒家を訪れることとなった。

秋山がインターンホンを押すと、真山の奥さんが玄関の扉を開けた。小柄で控えめな60歳くらいの女性であった。
「真山さんのお宅ですね?警察署の者です。ちょっと話を伺いたのですがよろしいでしょうか?」

未央が警察手帳を見せながらそう言うと、奥さんは小さくうなずき、ドアを大きく開き2人を引き入れた。中は広々としており、天井は高く、質素で落ち着きのある家であった。2人は奥さんと一緒にリビングにあるソファーに座り、話を聞くこととなった。

2人はメモとペンを取り出し、まず秋山が奥さんに質問を投げかけた。

「20日の金曜日、18時?20時の間、真山久さんは何をされていましたか?」

「18時頃には夕飯を食べていました。私も一緒に。19時すぎてからはソファーに座って新聞を読んでいました。」
「その間外出は一切されていないのですか?」
「はい。」
「娘さんは?」
「14時頃に美術館へ行くと言って外に出かけていきました。帰ってきたのは19時くらいです。」

「旦那さんがお勤めになっている会社のリストラ対象の候補にあげられていたのはご存じですか?」
今度は未央が奥さんに質問を投げかけた。
「ええ・・・。お酒に酔っている時だけ、そのことについて話を聞いていました。うちの人が逆恨みで森野課長を殺したんじゃないかと疑っているのですか?」

「森野課長は社内で大変問題を起こしていると有名な社員でして、特にリストラにあった人あるいはあいそうな人すべての方のお宅に対して重点的に事情聴取を行っています。何もしていなければ、自然に疑いは晴れますので、ご安心ください。」

奥さんは下を向いてうなずいた。
「急に業績不振に陥ったのは、私も被害者のせいだと思っています。うちの人のアイデアを根こそぎ盗んで、あたかも自分が見つけ出したかのように商品開発に利用するんです。私の主人はつくづく運の悪い人だと思います。」

「それはいつから?」
「もう18年ほど前からそれが始まったようです。最初のうちは気が付かなかったのですが、だんだん口数が少なくなってきて顔色が悪くなってきたこともありまして、飲酒の頻度が増してきたんです。うちの人がお酒で口数が増える人だったおかげで、それが分かりました。」

未央は一つ一つをメモに取った。そしてその手を止めて奥さんに
「娘さんは今いらっしゃいますか?」
と尋ねた。
「美佳ですか?」
「はい、真山美佳さんです。」

秋山はふと未央の方を見やった。

「2階で本を読んでいます。」

「失礼ですが、美佳さんにお話しを伺ってもよろしいでしょうか?」

「えぇ・・・、構いませんが・・・。」
「ちょっと2階にあがらせてもらいますね。」

未央はそう告げて秋山を1階に留まらせて階段を上った。リビングから階段を上りきると短い廊下があり、廊下の左側の壁に扉があった。未央はそのドアをノックし、

「刑事の緒方という者です。ちょっとお話しを聞かせてもらえないでしょうか?」
と尋ねた。

すると木琴のような高い声が小さく返事をした。
「どうぞ。」

未央が扉を開けると、こじんまりとし、綺麗に整った書き物机とベッドがある部屋で、机の横の椅子にちょこんとこしかけた少し小柄でほっそりとした、目の大きなショートヘアーの女の子が座っていた。年齢は19歳である。

「真山美佳さんですね?」

未央は美佳のそばに行き、床に正座した。美佳はこっくりとうなずき、その様子を大きな目でじっと見つめていた。未央が部屋の中を見渡すと、一つ花びらがピンク色のマーガレットの油絵が壁に飾ってあった。

「へ?、この絵は美佳さんが?」

美佳は、今度は照れ笑いを浮かべながらうなずいた。
「上手?。私絵は滅法苦手で、上手な絵を見ると感心する。」
「私絵が好きで、高校生の時、美術部で夢中になって絵を書いていたんです。高校出ても描き続けたくて、こういうのを描いては飾っています。」
「大学に進学しようとは思わなかったの?」
「私、絵は好きだけど、絵を勉強するのは嫌だったんです。高校の時は先生に習うことも多かったけど、今度は自分のオリジナリティを追求したかったんです。なんていうか、こういうのって人の言うことばかりに従っていたり、人の真似ばかりしていたら、だめなんです。」
美佳は真剣に話をしていた。

「独自に自分の腕を磨いているというわけね。」

美佳は再びうなずいた。

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