小説『最後の運転』
作者:STAYFREE()

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 大野駅を出発してから二十五分。最後の運転の半分が終った。改めて、今までの自分の運転手の仕事を思い返してみると、職業という二文字の言葉では表せない、たくさんの思い出がある。そんな仕事についていた私は本当に幸せ者だなとしみじみと思い耽った。
 バスは田島高校のバス停を過ぎ、だんだんと上り坂になる道へと入っていく。私はこの道から見える景色がとても好きだ。西から差し込む、澱みのないオレンジ色の夕日が優しく町を照らしている。右手には、そんなきれいな夕日に照らされた建築中の大きな一軒家が見えてきた。いい場所に家を建てているな。以前から、ここを通るたびにそう思っていた。この家の施工主もきっとこの夕日が見える景色が好きなのだろう。
“次は山道入口、山道入口です”
 ここにはボーイスカウトの宿泊施設がある。毎年、九月の初めに参加する小学生たちが、駅からバスに乗って、このバス停で降りてゆく。
 そして、この施設の館長を務めているのが、私の飲み仲間の大槻だ。大槻は止まったバスの運転手が俺だと気付くといつもバスの中に顔をだして、次の休みはいつだ?と飲みに行く予定を聞いてくるのだった。子供たちがいる前で酒の話なんてするなとよく注意をしたものだ。
 次のテープの声は大槻かな? 確信めいた予想をしていると案の定、野太い大きな声が流れてきた。
“高橋、仕事辞めたら何時でも飲みに行けるな。楽しみにしてるぞ!”
 今まで、感動的なメッセージばかりだったのに、オチでもつけたような言葉で笑ってしまった。
 そうだなあ、もう休みの前の日じゃなくても酒が飲める。でもなあ大槻、こないだ話したろ。俺は仕事を辞めたらこの町を離れることになるんだよ。うれしいようなさびしいような複雑な気持ちだった。
 山道入口のバス停を過ぎると、いよいよ残すバス停はあと一つとなった。残り十五分ほどで最後の仕事が終る。
 皮肉なことに最後の運転となるこのバスには未だにお客さんが誰も乗っていなかった。でも、かえってよかったのかな。おかげで恥ずかしい思いをすることもなく思い出に浸ることができる。

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