“次は左陣池、左陣池です”
このまま、一人もお客さんが乗らずに最後の運転は終わるのかな。そう思ったその時だった。左前方、左陣池の畔に十五人ほどの人だかりが見えてきた。
あれは……。その人だかりの顔はすべて私がよく知っている顔だった。その顔はみんな笑顔で得意げな表情をしている。
バス停に着いて乗車扉が開く、待っていた十五人がぞろぞろとバスに乗って来る。照れくさくて、後ろを見ることができなかった。
「高橋さん、四十七年間、本当にお疲れ様でした。僕たちに高橋さんの最後のお客さんにならせてください」
同僚の運転手の笠原の声だった。
「私、一度は高橋さんのバスのお客さんになってみたかったんです」
事務の沖田さんの声だった。
バックミラーから見える、同僚たちの顔をのぞき見る。今度は皆、優しい穏やかな笑顔を浮かべている。
「運転手さん、早く発車しないと定刻通り着かないよ」
大山所長の声だった。今まで自分以外、誰もいなかったバスの中に笑い声が響いた。
「そうか……。みんなで俺をはめたんだな」
「はめたなんて人聞きの悪い。こういうのをサプライズっていうんですよ」
「英語なんか言われたってわからないよ」
「アイム・ソーリー」
整備士の津田さんがおどけたようにしゃべる。二度目の笑い声がバスの中に響いた。
「大野駅に誰もいなかったのも、みんなで仕組んだのか?」
「ええ、駅員さんに協力してもらってね。高橋さんのバスが来たらバスから見えないように隠れてくださいってお願いしたんです。その時に駅にいたお客さんにも協力してもらってね」
「そんなことまでして、ずいぶんと大がかりなものだ」
私は呆れたように笑った。でも、その言葉は涙で詰まって語尾がかすれてしまった。