小説『D.C.〜Many Different Love Stories〜』
作者:夜月凪(月夜に団子)

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Scene31

年が明け、新年を迎えた初音島。
昨年は期待されていた雪も結局降る事はなかったが、外はまだまだ暖気の訪れる気配はなく、年明けから一ヶ月以上過ぎた今日でも寒い日が続いている。
その中での睡眠、これほど幸福な事はない。出来る事ならいつまでもこの一時を噛み締めていたい。そう思っている人も多数だろう。
朝倉純一。彼もその一人であり、ついさっきまで彼の意識は楽園の中にいた。
しかし、今は何やら不思議な体験の中にいる。
どうもさっきから身体の様子がおかしい。全体的に重いと言うか、動きずらい。
――こ……これはまさか……!?
不吉な不安を覚えつつ、うっすらと目を開くと。
――うおっ!?
目の前に無数に積み上げられた物体。詳しく言うとどこから集めてきたのかさえ理解しづらい程の数がある分厚い辞典。
音夢「おはようございます。兄さん」
その隙間からとても爽やかな笑顔を浮かべている音夢がいた。
純一「朝っぱらから何やってくれてんだ……」
音夢「新学期早々遅刻されては困りますから」
と、これまた笑顔で言い放つ。
純一「爽やかな笑顔で恐ろしい起し方をしないでくれ」
そう言いながら、身体に積み重なっている辞典を払う。
国語辞典、漢和辞典、英和辞典、和英辞典、植物図鑑、動物図鑑、フランス語、アラビア語、エトセトラ、エトセトラ。
純一「……いつも思うが、この家は何でこんなに辞典が多いんだ?」
音夢「さあ?そんな事より早く着替えて降りてきてくださいね」
音夢はそう軽く流すとさっさと部屋から出て行った。
純一「……かったりぃ」
純一はそう呟きながらベッドの上に残っていた最後の辞典「新録!象形文字辞典」を払いのけると、のそのそと着替え始めた。


着替え終わり居間に降りてきた純一はあくびをかみ殺しながらテーブルに着く。
音夢「兄さん、早く食べないと時間なくなっちゃいますよ?」
純一「ああ……」
咎めるように言う音夢に適当な返事を返すと目の前の目玉焼きに箸をつけ、そのまま口に運ぶ。
――……っ!?
純一「ぐはぁっ!!?」
音夢「きゃあ!?」
突如聞こえた叫び声に音夢が振り返ると、椅子ごと倒れている純一が目に映った。
音夢「に、兄さん!?」
純一「うう……何なんだ。この目玉焼き、は」
途切れ途切れにそう呟きながらよろよろと立ち上がる。
純一「頼子さんは俺に何か恨みでもあったのか……?」
音夢「何言ってるんですか?兄さん、頼子さんは今日は居ませんよ?」
その音夢の言葉に、純一は全てを思い出し、そして状況を理解した。
純一「この目玉焼き……お前が作ったのか?」
音夢「はい、そうですよ。昨日の夜そうするって言ったじゃないですか」
当然だと言わんばかりにはっきり言う音夢。
純一「……はぁ」
純一は朝飯を抜く事を決意した。
音夢「え?兄さん、朝ご飯食べないんですか?」
いそいそとリビングを退出しようとする純一。
純一「ああ、今さっき決定した」
殺されたら叶わんからな……と、その後に呟いたのを音夢は聞き逃さなかった。
音夢「兄さん、誰に殺されるんですか?」
純一は音夢の笑顔の後ろに禍々しい何かが見えたが気にせずにいった。
純一「妹の料理食ってあの世に言った時には、ばあちゃんやその他の御先祖様に会わす顔が無い」


純一「そうだよな。確か頼子さんは今日――」
さくら「藤倉君の家に行ってるんだよね?」
一通り音夢との口論を済ませた純一が言おうとするとさくらが口を挟んだ。
純一「そうそう……て、何でお前がここにいるんだ?」
さくら「むう。それがずっと待ってたレディーに言う言葉?」
と、口を尖らせるさくら。
音夢「え?ずっとって、いつから待ってたの?」
音夢が聞くと、さくらは口に手を当ててしばらく考え。
さくら「えーっと……いつからだろ?でも、太陽は昇ってたよ」
そう言うさくらに二人はある意味感心していた。
純一「それはともかく、何でお前が頼子さんの事知ってるんだ?」
いくらさくらが隣人だからといっても、昨日の事は家の中で話していたので、まず聞かれる事はない筈だ。
さくら「えっとね、昨日の夜にうたまると散歩してて、お兄ちゃんち横ぎったら、なんか騒がしかったから」
純一「あ……もしかしてあの時のか」


純一「ふう……食った食った。ご馳走様、頼子さん」
頼子「お粗末さまです」
音夢「頼子さん。今日の煮魚、とっても美味しかったよ」
食後のお茶を持ってきた頼子に音夢が言った。
頼子「本当ですか!今日初めて挑戦したんですよ」
音夢「今度作り方教えて?私も作ってみたいなあ」
その音夢の一言に、純一はビクッと身体を震わした。
純一「うう……そ、想像しただけで、寒気が……」
ガタガタ震えながら言う。
音夢「え?兄さん風邪引いたの?だったら早くお風呂にはい……」
純一「違う!お前の目には、あまりの不味さに泣く子も黙るような料理に怯える兄の姿が見えないのか?」
音夢の言葉を遮るように言った。
音夢「む。兄さんだって今日の煮付け美味しいって言ってたじゃないですか」
純一「あれは頼子さんが作ったからだ」
そうきっぱりと言い放つ。
音夢「レシピは一緒なんだからそんなに変わりませんよ」
純一「いや、お前が作ると食えるもんも全て毒薬になる」
音夢「兄さん!」
頼子「まあまあ、お二人ともどうか落ち着いてください」
無言で睨み合う二人を宥めていた頼子だったが。
頼子「あ、そう言えば……」
と、思い出したように言った。
頼子「音夢さん、純一さん。お二人にちょっとお願いがあるんですけど、いいですか?」
頼子の急な言葉にしばし停戦して頼子の方を向く。
純一「ん?どうしたの、改まって」
音夢「頼子さんの頼みだもん、良いに決まってるじゃない」
そう言っていた二人だが、次の頼子の一言に。
頼子「明日の朝、藤倉君の家に行くので……」
揃って驚いた。
純一「藤倉の家にねぇって、何!?」
音夢「ふ、藤倉君!?」
頼子「はい、藤倉君がフライパン料理を教えてくれるという事なんで、それで」
その言葉を聞いて、同時に安堵の溜め息をつく二人。
純一「なんだ、そういう訳か」
音夢「藤倉君に限ってと思ってたけど、驚いちゃった」
そんな二人の前で状況を理解出来てない頼子が小首を傾げる。
頼子「そ、それで、明日の朝ご飯の用意が出来ないんですけど……」
本当に申し訳なさそうに言う頼子。
音夢「あ、いいよ、頼子さん。気にしないで」
純一「そうだな。頼子さんにはいつもお世話になってるんだ。たまには俺達でやらないと」
頼子「あ、ありがとうございます!」
音夢「うん、じゃあ兄さん。明日の朝食は私が作りますから、楽しみにしていて下さいね」
笑顔で純一に言う音夢。
純一「ちょっと待て。どさくさに紛れて何を言いだすんだお前は」
音夢「何って……別に普通の事だと思いますけど、ねえ?頼子さん」
頼子「え?……あ、はい」
そう音夢に聞かれて、いきなりだった頼子は思わず頷いた。
純一「頼子さんまで同意しないでくれ!音夢!朝から殺人事件を犯す気か!」
音夢「大丈夫です。死ぬような事はありませんから」
そんな音夢の言葉はそれはそれで別の恐怖心が湧いてくる。
頼子「えっと……純一さん。何だかよく分からないんですけど……頑張って下さいね」
この言葉を聞いた純一は明日の名誉?ある戦死を覚悟したのだった。


さくら「へぇー、そういう事だったんだー」
音夢「もう、兄さんがあんな大声出すから。近所にも聞こえてるかも知れないじゃないですか」
そう言って音夢はキッと純一を睨む。
純一「……あのなぁ。元はと言えばお前があんな恐ろしい事言わなければ」
さくら「まあまあ、落ち着いて。それで音夢ちゃんは朝ご飯作ったの?」
さくらは二人を落ち着かせた後、音夢にそう聞いた。
純一「俺が断固反対して阻止した……と言いたいところだったが、忘れててな」
思い出したくないことを思い出したと、純一の表情が崩れる。
さくら「にゃはは……そうなんだ」
と、そんな純一を見てさくらは苦笑いを浮かべた。
音夢「もう、私だって前よりちょっとは上達したんですから」
純一「何を根拠にそんな事が言えるんだ……」
音夢「さくらちゃんも、今度食べて見ます?」
そう聞かれたさくらは「えっ?」と声をあげ。
さくら「え……と、え、遠慮しとくよ。ボクまだやりたい事たくさんあるし……」
苦笑いを浮かべたまま答える。そんなさくらに「そうした方がいい……」と頷く純一。
今のさくらの言葉の意味に音夢が気付いたのはその直後だった。

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