小説『D.C.〜Many Different Love Stories〜』
作者:夜月凪(月夜に団子)

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Scene37

純一「おい、音夢」
あの後、さっさと家の中に入ろうとする音夢を純一は追い、声を掛けるが彼女は振り向こうともしない。
純一「おい……」
部屋の前まで言った所でようやく追いつき、彼女の肩を掴む・
音夢「……」
振り向かれた彼女の目にはうっすらと光るものがあった。そんな彼女の眼差しが純一に突き刺さり、無意識の内にその手を離してしまう。
解放された音夢は無言で自室へ入り、その戸は静かに閉められた。
純一は、ただそれを見ている事しか出来なかった。


「ねむー!」
音夢は両親を事故で失い、初めて朝倉家に来た頃、どこか家族に遠慮しているようだった。
そんな音夢は、ある日家出をした。
一日経っても帰ってこず、純一も探しに出ていた。
空は日もとうの昔に傾き、暗かった。
どれぐらい歩き回ったかは純一も分からなかった。初音島と言えど、幼い純一にはとても広く感じた。でも、少年は諦めずにひたすら少女の名を呼んで歩いた。
どれぐらい探し回っただろうか。桜公園を探していた純一は一本の桜の木にもたれるよう座っている音夢を見つけた。
「音夢!」
彼女に駆け寄ってみると、彼女は寒さから身を守るよう縮まって眠っていた。
いくら春でもまだまだ気温の低い寒い時期だ。
「お兄ちゃん、おはよう……」
純一に気付いた音夢は薄く目を開きそう呟くように言った。
「昨日から、ずっとここにいたのか?」
純一の問い掛けに無言で空を見上げる。
この公園でも一番大きな桜の木。純一達の秘密の遊び場所だ。
その桜の木の枝が突然吹いた一陣の風で大きく揺さぶられ、多くの花びらが夜空を彩った。
「気持ちいい……春一番だよ」
音夢はその風を全身で楽しむかのように背筋を伸ばし、目を閉じた。
「知ってる?この桜の木の下でね、約束すると、必ず願いが叶うんだって」
「何呑気な事言ってんだ。みんな心配してるんだぞ――」
そこまで言って口をつぐむ。
音夢の目には涙が浮かんでいた。
それはすぐに彼女の眼から溢れ、そして流れた。
「とても恐かった……だから、お兄ちゃんが助けに来てくれますようにって……桜の木に……そうお願いして……」
「だったら……何で家を出た?」
「だって……私がいると、お兄ちゃんに、迷惑をかけるから……お兄ちゃんのお父さんとお母さんにも、迷惑ばかり、かけて……すごく、泣き虫で……」
涙がとめどなく溢れ、途切れながらも小さな胸に溜め込んでいた気持ちを吐き出す。
「……心配かけるな、バカ」
そう呟いた純一の一言に音夢の身体がびくりと震えた。
「余計な心配するな!失敗しても、俺が何とかしてやる!いじめられたら、そいつをぶん殴ってやる!嫌いな食いもんがあったら、俺が食ってやる!」
言ってるうちに、純一もだんだんと自分の目が熱くなるのを感じた。
「何でも俺が助けてやる。お前は俺の妹、俺が守ってやる……ずっと、お兄ちゃんだ」
「お兄ちゃん……」
それを聞いた音夢の何かが外れた。歯止めの外れた目からはより一層涙が流れ出て、夜空に小さな泣き声が響いた。
彼女は小さいながらも、悩みと孤独、その両方と戦っていた、そんな彼女に気付いてやれなかった自分に、純一は腹立たしかった。
この時純一は誓った、ずっと音夢を守ろう、と。
何があろうと……兄として。


どれくらい経っただろうか。昔を思い出していたら外はもう薄暗くなっていた。
純一「……」
あの時から、純一は音夢とは兄妹なのだと、自分に言い聞かせてきた。
純一「……かったるい」
こうしていても仕方ない。時間も時間だし、夕食にしようと思った。
純一「あ……音夢」
キッチンに降りて来てみれば、そこには既に音夢の姿があった。
音夢「兄さん……」
彼女も純一と同じ娘と考えていたのか、傍らにはカップ麺が一つお湯を注がれた状態で置かれていた。
純一「えっと、その……腹減って……」
音夢「うん、私も……」
気まずそうに言葉を交わす二人。
そして、テーブルにカップ麺一つ挟んで向かい合いに座る二人
三分を計ったタイマーが刻むカチッカチッといった音が薄暗い部屋に響いている。
音夢「ごめんなさい。買い置き、切らしちゃってて……」
純一「……いいって」
相変わらず、二人の間に会話らしいそれは無い。ただ二人とも目の前のカップ麺を見つめていた。
このまま永遠に続くかと思われたこの時間だが、三分後にタイマーは正確に鳴った。
音夢「……兄さんが、先に」
純一「いや、音夢の方こそ、先に」
お互い譲り合う。そんなこんなで一つのカップ麺を分けて食べたのだが。
純一「中途半端に食ったから、余計に腹が減った……」
流石にカップ麺半分で足りるはずも無く、二人はソファに座り込む。
音夢「……」
純一「……」
また始まった沈黙のひと時、そんな中、純一は気付いたように手を握った。
イメージしてそれを開くと、そこには一つの和菓子。
純一「……食うか?」
自然に音夢にそう聞いた時純一はある事を思い出した。
純一「……悪い。和菓子、嫌いだったよな」
そう言って、出したはいいが和菓子を持て余す。
音夢「嫌いなわけじゃないよ。嫌いな……振りをしてた」
純一「……嫌いな振り?」
言葉を反芻しながらも、純一はその訳は理解できなかった。
聞かれた音夢は頷く。
音夢「……兄さんが和菓子出せる事も、知ってたの。本当は好きなの。でも、ずっと意地を張ってて」
純一「意地?」
音夢「兄さん、昔よくさくらちゃんにねだられて和菓子出してあげてたよね。私だけが知ってる秘密を、さくらちゃんだけが知っている。さくらちゃんが羨ましかった。だから嫌いになったの」
純一「……」
彼女のそんな告白を聞いても、純一は何も返す言葉は無く、たださくらに和菓子を出し与えていた時の事が思い出された。
音夢「……だから」
音夢はそう呟いて俯く。
純一「……!」
純一が見てみると、音夢の頬を涙が伝っていた
音夢「何もしなければ、またあの時みたいに兄さんを取られてしまう。さくらちゃんに兄さんを取られてしまう……」
純一「……音夢」
音夢「どうして、さくらちゃんなの……?さくらちゃんだけは、嫌!!」
涙ながらにそう叫ぶように言った音夢はそのまま純一に抱きついた。純一は動揺はしなかったが、突然の事だけに驚きはあった。
音夢「兄さんが悪いんだから……!兄さんが……兄さんが!」
そう繰り返しながら純一にすがる。
純一「ね、音夢、熱でもあるのか?きっと疲れてるんだ。だったら早く――」
音夢「疲れてなんかないよ!!」
純一の言葉は一瞬にして遮られた。
音夢「兄さんはずるいよ!そうやっていつも誤魔化す!私の気持ちを感じるとすぐに逃げて……答えて、兄さん……!私は――」
もう音夢がその言葉を口にすることを止める術はなかった。
音夢「私は兄さんの事が好きなの!」
ああ、遂に聞いてしまったか。無意識の内に避けていたその言葉を。
泣きながら自分の胸の内をすべて吐き出した音夢の顔を、俺はどんな顔をして見ているのだろうか。
音夢の気持ちには大分前から気付いていた。
音夢は、いつも俺の事を見ていた。
だからこそ、気付いていたからこそ、気付かない振りをしていた。
その気持ちに気付く事で、二人の関係が崩れる事が嫌だった。
あの時に誓い、始まった兄と妹という関係が。
だから、音夢への想いも閉じて置くつもりだった
音夢「兄さん……ずるいよ」
純一「……ずるいよな。気付いてたのに踏み出さなくて」
でも、もうそれも終わりにしなければいけない。
音夢の気持ちを直に聞いてしまったのだから。
そして自分も限界だという事に気付いてしまったのだから。
音夢「兄さんの……バカ」
純一「ああ……バカだな、俺は」
自分も、自分の心に素直になる時が来たのかもしれない。いや、来たのだ。
音夢「バカ。大バカ」
純一「……大バカだ。本当に」
自然と向き合う二人、目に涙を浮かべて少女と、もう自分の気持ちを偽らないと決めた少年。
二人がそれぞれ秘めていた想いは、ようやく実を結ぶことができた。
夢のような、現実。
これは間違いのない現実だ。
明日からの一日は今までとは違った物になるだろう。
でもそれはもう二人の心に偽りのない、自分の気持ちに正直なった、本来あるべき生活に、きっとなるだろう。

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