小説『D.C.〜Many Different Love Stories〜』
作者:夜月凪(月夜に団子)

しおりをはさむ/はずす ここまでで読み終える << 前のページへ 次のページへ >>


Scene40

「朝ですよ。兄さん」
 そんな柔らかく優しい声に導かれて、朝倉純一は夢から目覚めた。
純一「ん……」
 まだ重い瞼を強引に開けると、妹の……いや、今はそういった関係以上に大切な存在となった少女が視界の片隅に映った。
純一「おはよう……音夢」
 傍らの目覚まし時計に目をやる。
純一「まだこんな時間かよ……もう少し寝かせてくれ」
 道理でまだ寝足りないと思った。目覚ましがその役割を果たすまで、まだ数十分ほどの余裕がある。
音夢「だって、いつも通りだと、時間なくなっちゃうんだもん」
 口を尖らせる音夢に、純一はのそのそと半身を起こしながら首を傾げた。
純一「時間……?それならまだ全然余裕だろ」
 そう不満を言うと、「分かってないなぁ……兄さんは」と呆れられた。
音夢「こうする時間」
 そして唐突に、そのまま顔を純一に近づける。
 あの日、純一と音夢は義理の兄妹という壁を越え、二人の内に秘めた思いを通い合わせた。
 何分かなり突然のことだったので、純一自身、次の日目覚める時、全て夢だったのではないかと疑ったほどだ。
 しかし、こうして音夢と時間、空間を共にしていると、全部現実なんだと、改めて実感する。
 どれ位経っただろうか、二人の顔は離れ、音夢ははにかむように微笑み、純一もそれに応えるように頬を緩めた。


 ちょうどその頃、朝倉家の隣家で、芳乃さくらが表情を曇らせていた。
 その理由は、この間――純一を家に招いた日の夜――、ただならないほどの嫌な予感が頭を過ったからだ。
――もしかしたら、音夢ちゃんとお兄ちゃんの間に何かあったのかもしれない……
 二人とは幼なじみである彼女の勘がそう告げるのか、それとも彼女の身体の内に流れている――純一にも流れている――魔法使いの血が知らせているのか。
 とにかく気が気でならず、すぐにでも朝倉家に行こうと思ったが、自分の勘が当たっていた時のことを思うと、今日まで何もできずにいた。
 だが、今日は休日明けで学校がある。一緒に登校するという名目で、二人の前に出られる。
――うにゅ……なんか嫌な感じ……
 そう思ったが、そう言い聞かせでもしないと、二人に会えない。さくらの心中では、確かな恐怖感があった。
 何かの勘違いであって欲しい。今考えていることが間違いであって欲しい。だが、それが叶わぬ願いだということは、さくら自身がよく分かっていた。


音夢「もう、時間全然ないよう!」
純一「誰のせいだ!」
 気づいたら遅刻ギリギリになっていた。これではいつも純一が家を出ている時間と変わらない。頼子はというと、藤倉智也に料理を教わりに行くため、かなり以前に家を出ていたので、純一と音夢の二人は慌てて外に飛び出した。
純一「お……さくら」
 飛び出した先で、さくらが家の前にいることに気付いた。ずっと二人を待っていたのだろうさくらは、無言で、じっと二人を見ていた。いつもの彼女らしくなく、純一に飛びつくようなこともしなければ、その表情もどこか硬い。
 当然、音夢もさくらに気付いていた。彼女もさっきまでとは一転して、さくらと同様に表情を硬くし、彼女を見つめている。そんな二人の為か、周りの空気さへも重く感じられた。
さくら「……そんなにくっついちゃって。今日は二人、すごく仲が良いんだね?どうして?」
 挨拶もなしにさくらが先に口を開いた。それは二人に、いうよりは、純一に向けられているようにも感じられた。
さくら「手なんか繋いじゃって……恋人同士みたいに思っちゃうよ」
 二人の返答を待たずにさくらは言葉を続ける。
純一「あのな……さくら――」
 途中で遮られた。純一の隣にいる音夢が、彼の腕に抱きつくようにして寄り添ったからだ。まるで、さくらに見せつけるかのように。
さくら「音夢ちゃん!」
 思わず叫んだ。対する音夢も真っ直ぐ見つめて逸らさない。三人の周りだけ、時間が止まったかのように緊迫していた。
さくら「――っ!」
純一「あ、おい!さくら!」
 しばらくの沈黙の後、さくらは突然身を翻し、純一の制止も聞かずに、一人走って行ってしまった。


頼子「本当に、今までありがとうございました」
 学園へ向かう途中、歩きながらも頼子は頭を下げ、一緒にいた智也は思わず面食らっていた。
智也「そんな大袈裟な。俺はそんな大したことしてないし」
 少し前、芳乃家で開かれたお泊り会がきっかけで、頼子は智也に料理を習っていたのだが、それも今日の朝で終了した。
智也「本当なら昨日までで終わってる筈だったのに、こっちの都合で変更になって、俺の方こそ申し訳ないよ」
頼子「いいえ、卒業パーティーのお手伝いなら仕方ないですよ。もともと私が頼んだことですから」
 頼子が智也に料理を習うのは、先週いっぱいまでの予定だったのだが、昨日は智也がことり達のバンドの練習に付き合っていたために、今日に延期になっていた。
頼子「本当にありがとうございました。これで、お料理の幅が広がります」
智也「俺なんかより鷺澤さんの頑張りの結果だよ」
 頼子の上達の早さには、智也も驚くばかりだった。初日にキッチンを爆破してた子が、終盤には綺麗な形のオムライスを作れるまでになっているのだ。
頼子「ですけど、やっぱり藤倉君のおかげです」
智也「でも……うん、どういたしまして」
 結局頼子に押し切られる形になった。照れを含んだ笑いを挙げているとちょうどこちらに向かってくる見慣れた姿が智也の目に入った。
智也「あ、芳乃さん。おは――」
 軽く片手を上げながら朝の挨拶を交わそうとしたが、それは途中で遮られた。さくらは智也と頼子の横を走りながら通り過ぎてしまったからだ。
智也「よう……と」
 すっかり意味を失った片手を所在なさげにしながら過ぎ去った彼女を見送る。
頼子「さくらさん、どうしたんでしょう?」
 智也の隣で頼子も首を傾げる。
智也「さあ……どうしたんだろう?」
 走り去ったさくらは他の登校している学生に交じって、もう見えなくなっていた。
 何があったのかは分からないが、智也は横を通り過ぎて行く途中ちらっとだけ見えたさくらの表情に、どこか寂しそうというか辛そうな感じがした。
頼子「なんだか、悲しそうなお顔をしてたように見えましたけど……」
 頼子もそのことには気付いていたようだ。今はさくらの姿の見えない、登校道の向こうを心配そうな顔で見つめていた。
智也「鷺澤さん、何か知らない?」
頼子「そうですね……あ」
 そう頼子さんは少し考える素振りを見せ、何かに気付いたように声を上げた。
頼子「でも……」
 しかしすぐに俯き小さく頭を振った。
頼子「いえ、特に心当たりは……」
 そしてその後すぐに「すみません」と小さく付け加えた。
智也「そっか……。いや、頼子さんが謝る必要はないよ。知らないなら、仕方ないんだし」
 頼子はそれでも俯いたままで、智也もそれ以上訊かなかった。
さくらは大切な友人だ。その友人が目の前で辛そうにしているなら助けになってやりたいと思う。だが、頼子の表情を見て、何となくだが、訊いてはいけないような気がした。
智也「鷺澤さん、行こう。そろそろ急がないと遅刻する」
 智也がそう言うと、頼子は小さく頷き、二人は再び、学園へと歩き出した。

-40-
<< 前のページへ 次のページへ >> ここまでで読み終える