小説『D.C.〜Many Different Love Stories〜』
作者:夜月凪(月夜に団子)

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Scene41

師走「さあ藤倉、大人しく事の詳細を吐け」
 昼過ぎの食堂。食事の途中、唐突に師走がそう食事を共にしていた智也に詰め寄った。
 ちなみに、二人の他には、信、美春も同席していて、師走と同様、智也の返答を心待ちにしているようだった。
また、砌と環も同じ場にいたりしているのだが、智也を中心とした取り巻きには入らず、だが食事を続けながらも耳を傾けているといった具合でこの突如発生した尋問会には、消極的ながら参加している。
 今更だが、急にこんな異様な状況に立たされた智也が驚いたのは言うまでもない。
智也「な、何だ?何だよ?突然みんなして」
 実にもっともな答えを返した。
美春「何って……音夢先輩と朝倉先輩のことに決まってるじゃないですか」
 取り巻き側も、美春が代表してさも当然のことのように返し、師走と信は頷いている。
智也「朝倉と……音夢さん?」
 意味が分からず、首を傾げる。自分が何を訊かれているのかいまいち理解できない。
信「最近、二人の様子がおかしいだろ?」
智也「そう……か?」
 一同が期待していたのとは見当違いの彼の反応に、師走と信と美春は明らかに肩を落とし、環は苦笑いを浮かべ、砌は特に表情を変えることなく食事を続けていた。
 というのも、全ては最近の純一と音夢の学園内での様子の変化に由来する。
 信の言っていたとおり、最近、ここ数日の純一の音夢の様子が今までのそれとは違っていた。
 毎朝一緒に登下校していることは勿論のこと、授業の合間や昼食など、明らかに二人一緒にいることが多くなったし、目が合えば微笑み合い、楽しそうに会話しているのが多数見かけられる、といったことなどだ。
 そんな二人の様子の変化を受けて、当然学園内では様々な噂が飛び交っていて、今回の師走達も、そんな噂話の真相をどうなっているのかと、二人と同じクラスである智也に白羽の矢を立て、こうした尋問会が開かれる次第となっていた。
師走「クラスが……いや、それどころか学年まで違う天枷でも知っていることが、なんで同じクラスのお前が気付いてないんだよっ」
信「ま、こいつらしいと言えばそうだが……」
美春「藤倉先輩に期待していた美春達が馬鹿だったんですよ……」
環「もしかすると、近すぎて逆に気付かなかったのかもしれませんよ?」
砌「いや、そうだとしてもここまで知らないのはさすがにおかしいだろ」
 突如、巻き込まれた智也にしてみれば、口々にとひどい言われようだった。
智也「何なんだよ。いったい……」
信「……まあいい。本来ならお前の口から詳細を聞き出そうかと思ったのだが、そもそもお前に訊いたのが間違いだった」
 溜め息をつきながら、そう信は唯一何も分かっていない智也に純一と音夢に関する簡単な事情を説明した。
智也「はあ?兄妹の仲が良いのがそんなに珍しいのか?」
 信の説明に智也は眉をひそめた。彼としても、数日前に頼子と一緒に見たさくらの様子にちょっとした異変を感じた時もあったにはあったが、さくらもそれっきりいつも通りに戻っていたので、深く気に留めず、今ではその事すら忘れてしまっている。
環「私もそう思います。むしろとても素晴らしいことだと思いますけど……」
砌「そうだな。そこまで騒ぎ立てるほどのことか?」
 そんな三人の意見に信が首を横に振って答える。
信「普通に、『兄妹の仲が良い』程度ならここまで噂も広まるわけないだろ。さすがに度を越している」
 彼の言うとおり、今や二人の噂はいろいろふんだんにくっつけて学園全体に広まっているのだ。
 しかし、噂の真相を探ろうとした一向は、頼みの綱の智也が何も知らなかった(気付いてなかった)こともあって、完全に暗礁に乗り上げてしまった。
信「一時的な物かもしれんからな。ここは様子見にしとくか」
 結局、信のこの一言で二人の話題は一時終了。各々再び食事に戻った。


 噂話――その対象者はだいたい自分の噂が広まってることに気付いてないことが多い。
 以前、智也が工藤に同様のことを言われたのは今から二カ月くらいの話だが、今回も例外ではなかった。
 放課後、学園中に自分たちの噂が飛び交っているとは露知らないであろう純一と音夢は、今日も仲良く並んで校門を後にした。
 と、そんなその時唐突に、音夢が自分の手を純一の手に絡ませる。
純一「……おい」
 顔を赤らめ、声を潜める。桜並木の入り口には、同じ下校中の生徒も多かった。噂には気付かないが、人目はさすがに気になっていた。
音夢「……だって」
 音夢も彼と同様に、頬を朱に染めていたのだが、絡ませた手を離す気はないようだった。
 そう感じた純一も諦めて、そのまま帰宅するちょっとした決意を固めた。
「音夢せんぱーい!朝倉せんぱーい!」
 その矢先、二人の後ろから聞こえた声とだんだん近づいてくる足音に、思わず飛び上がりそうになって振り返った。
音夢「み、美春」
 急いで駆けてきた美春は、息を乱すどころか、キラキラ輝かせたその両目を目の前の二人に向けていた。
美春「お二人方、本当におめでとうございます!」
音夢「え……?」
美春「今、学園中どこに行ってもお二人の噂で持ち切りですよ」
純一「……噂?」
 そこで二人は、ようやく自分達が周囲からどう見られていたかに気付いた。
美春「そうやって手なんか繋いじゃったりして、もうラブラブじゃないですか!」
 興奮している美春から出る言葉に、二人は顔を真っ赤にさせ、どちらともなく即座に繋いでいた手を離す。
 そんな様子を見て、美春は少し不満げにしたが、その興奮を鎮めるまでにはいかなかった。
美春「美春はお二人に気持ちにはずっと前から気付いていました!だから美春は、心からお二人を祝福しています!」
 こうなった美春は誰にも止まらない。そんな彼女の声にだんだん周囲の視線が集まり始めていた。
純一「み、美春少し落ち着け――」
美春「いいじゃないですか!禁断の愛!例え世界中が敵に回っても、美春は、美春は永遠にお二人の味方です!」
純一「なっ……」
音夢「禁断……っ?って、美春声が大きい!」
 すでに三人の周りにはちょっとした人だかりが形成されていて、二人の羞恥心はピークに達した。だが、そんなことには全く気付いていない美春はまだ何か言っている。
 二人は同時にこの場から逃げ出すことを決めた。
純一「じゃ、じゃあな美春!」
音夢「ま、また明日ね!」
 どんどんその言動がエスカレートし、完全に自分の世界に没頭している美春にそう告げるとともに、即座にその場から退散した。
 しばらくして、美春が現実世界に戻ってきたときには、二人の姿はほとんど見えなくなっていた。


 二人が家に着いた時には、二人の間にはこれまでとは違った空気が流れていた。美春と別れて以来、一言も言葉を交わしていない。
純一「頼子さん、買い物に行ってるみたいだな」
 一足先に帰っていたのだろう。テーブルに置かれた頼子の置手紙を見て純一がそう言うと、音夢は「うん……」とだけ呟くように言って頷いた。
 どことなくぎこちない空気が流れ、二人のただ何も言わずにいた。
純一「あのさ、ね――」
音夢「――あ、私、宿題やっちゃわないと!」
 しばらく続いた沈黙を破って純一が何か言おうとしたその瞬間、音夢がまるでそれを遮るように突然そう言い出し、彼が何も言わない内にリビングから逃げるように出て行ってしまった。
 それはとても不自然なことであったのは、二人とも分かっていた。だが、純一も彼女を追おうとはせずに、自室に戻る。今日一日が、二人をそうしていた。
 純一と音夢が互いの気持ちを確かめ合ったあの日、『兄妹』の壁を超えたあの日から今日まで、二人はただ幸せを噛み締めた日々を過ごしてきた。
 しかし、この日美春が言っていたことで、二人は夢の世界から現実に気付いた。そう、本人達がどう思おうと、二人は、世間的には『兄妹』のままなのだ。
 この認識は変わらない。
 二人がその事に気付いた時、ただ単に幸せだけを感じることができなくなっていた。別の感情……不安。
 だからこそ、互いに、次に口にすることを聞くのが怖かったのだ。
 互いがその事に気付いているのが分かっているから。二人はそこまで互いの気持ちを通い合わせていた。分かり合っていたのだ。
 二人の想いは本物だ。だからこそ、不安だった。
 今この時が、もしかしたらただの夢なんじゃないだろうか。現実にあってはならないことなんじゃないだろうかと。
 一度は超えたはずの『兄妹』という壁。いや、二人は乗り越えたのだと思っていただけで、まだその壁に阻まれたままだったのだ。


 次の日の朝を迎えても、二人の間に流れた微妙な空気は拭えないままだった。
 これまでの、ただ甘い雰囲気は感じられない。二人の間にどこかぎこちなさがある。それは学園でも同じで、その変わりように、さすがに周りも動揺した。
 昨日まで校内を飛び交っていた噂が、『噂のまま』になろうとしていた。
 そして、二人がまともに話さないまま一日が終わろうとしている。
音夢「じゃあ兄さん。私、今日委員会があるから……」
純一「ああ、じゃあ先に帰ってる」
 昨日までとは違う、あまりに素っ気ない会話。お互い、このままではいけない、今は少しでも一緒にいたい。本心では新たな不安と共にそう感じていた。
音夢「あのね、兄さん――」
さくら「お兄ちゃーん!」
 別れ際に音夢が口を開いたが、それは別の方向から飛んできたさくらのいつもの弾んだ声に掻き消された。
純一「おっ!?」
 まっすぐ走ってきたさくらはそのまま純一に抱きつく。あまりにも自然に。
純一「お、おい。さくら」
 純一の咎めるような口調にもさくらは笑顔を浮かべたままで、離れようとはしない。
さくら「いいじゃんいいじゃん減るもんじゃないんだし。あ、そうだお兄ちゃん。この後デートしようよ」
純一「はあ?あ、いや、俺は――」
音夢「もう、さくらちゃん。兄さんは――」
さくら「……駄目だよ」
 その時、音夢と純一は、被せるように言ったさくらの言葉に思わず口をつぐんでしまった。
 同時に、音夢とさくらの目が合う。そこからはさっきの声音と同様、直前までの無邪気さは感じられず、真剣で鋭く、どこか冷たい視線があった。
さくら「駄目だよ……兄妹なんだから、イケないこと考えちゃ」
 追い打ちをかけるような言葉に二人は言葉を失った。
さくら「兄妹なんだから、妹はお兄ちゃんの邪魔しちゃだめ」
 時が止まったんじゃないかと思う一瞬が過ぎた後、さくらはいつもの調子に戻っていた。
さくら「ボクとお兄ちゃんのデートを邪魔するために、委員会をサボろうとか考えちゃだめなんだぞー?」
 その口調もいつも通り無邪気なものだった。まるで数秒前のさくらが別人のように。
純一「あ、はは。なんだ、そんなことだったのか」
さくら「うにゃ?どんなことだと思ったの?」
 純一は安堵を伴う笑いながら「何でもない何でもない」と彼女に答えていた。
 だが、音夢は違った。さっきのさくらの態度、特にあの視線、彼女の本心をそのまま表したようなあの視線が、彼女の中にくすぶっている不安を一掃掻き立てていた。
さくら「じゃあボク、校門で待ってるねー」
 そう言って走り去るさくらの後を慌てて追いかける純一の背中をただ見つめる音夢に、先ほどの純一のように笑うことなど到底できないでいた。


純一「ふう……とんだことになったな」
 結局さくらに押し切られる形になってしまった純一は、彼女の待つ校門に向かっていた。
杉並「ふん、彼女を妙な噂の隠れ蓑にでもするつもりか?芳乃嬢も気の毒だな、そんなことに付き合わされるとは」
 その途中、まるで来るのを待っていたように、杉並は純一の姿を見るなりそう言葉を掛けた。
純一「俺は別にそんな――」
杉並「つまらん言い訳はいい」
 反論しようと口を開きかけた純一の機先を制するよう、杉並は遮り、そのまま続けた。
杉並「お前と朝倉妹の関係は周知の事実だ。お前も知らぬ存ぜぬではないだろう?」
純一「……」
 何も答えない純一を見て杉並は鼻で笑った。
杉並「どうした?遂に朝倉妹と血の繋がりがないことを実感したのか?」
 その言葉に純一はハッとなった。音夢と自分が本当の兄妹じゃないことは、自分達以外はさくらぐらいしか知らないことだったからだ。
純一「お前……知ってたのか?」
 そんな純一の反応に、また杉並は鼻で笑う。
杉並「この程度、非公式新聞部に掛かれば造作もないことだ。だがな朝倉、そうだとしても、彼女はお前の妹だ」
純一「……」
 その事は杉並に言われずとも純一は十分すぎるほど承知していた。それを踏まえてでもと、彼は覚悟していたはずだった。
杉並「……何を考えてるか知らないが、夢から覚めるなら早い方が良い」
 杉並はそう言うと、純一の返答を待たずに、彼の目の前から立ち去った。


 その杉並の一件の後、さくらとのデート中も純一はずっと考え込んだままだった。道中さくらばかりが話し、純一はほとんど口を開いていない。それどころか、彼女の話の内容も頭に入ってなかった。
杉並に言われたこと、確かに純一が努めて音夢の兄でいようとしていたあの時のことを思えば、この一時はまるで夢のようだった。
 それだけに、ふとした瞬間に壊れてなくなってしまいそうな気さえする。そう、それこそ夢から覚めるように。そう思うとたまらなく怖かった。
さくら「もう、お兄ちゃん!」
純一「おわっ?」
 唐突にさくらが純一に抱きつき、彼は思考から強制的に引き戻された。
さくら「ボーっとして、デートの最中にレディをほったらかしにしたらだめなんだぞ?」
純一「あ、ああすまん。少し、な」
 純一がそう答えると、さくらは表情を少し曇らせた。
さくら「……音夢ちゃんのこと考えてたの?」
 図星を突かれた純一は咄嗟に返答できなかった。実際それだけではないのだが、音夢の事を考えていたのは事実だ。
純一「……あのな、さくら。俺は――」
さくら「それでも、駄目だよ」
 またもさくらに妨げられ、純一は彼女に言うべきことを言うことができなかった。
さくら「音夢ちゃんだけは……駄目なんだから」
純一「さくら……」
 この前さくらの家を訪れたこともあって、さくらの純一に向けられた想いは痛いほど感じていた。それだけに、彼は彼女に対してこれ以上強くいうことができないでいる。純一にとって、さくらもかけがえのないほど大切な存在だったから。
 そんな時、純一の携帯電話が音を立てた。
 慌てて取り出し、通話ボタンを押す。
美春「朝倉先輩!今どこにいるんですか!?」
 電話の相手は美春だった。その声は慌てていて、切羽詰まってるという感じがした。
純一「美春か?どうしたんだ、大きな声出して」
美春「すぐに学園に戻ってください。音夢先輩が倒れたんです!」
純一「っ!?」
さくら「!」
 純一は背筋が凍るような感覚に襲われた。美春の悲鳴にも似た叫びは、すぐ近くにいたさくらの耳にも届いていた。
純一「分かった。すぐ戻る」
さくら「……音夢ちゃん、倒れたの?」
 通話を終えた純一が携帯をしまう時、そう恐る恐るさくらは訊いた。
純一「ああ。さくら、悪いが置いてくぞ」
さくら「え?」
 純一はそう言うや否や、さくらの返事を待たずに走りだす。
さくら「あ、待ってよ。お兄ちゃん、お兄ちゃん!」
 彼女は純一の姿が見えなくなるまで叫ぶように言い続けたが、その言葉はもう彼には届いてなかった。

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