小説『D.C.〜Many Different Love Stories〜』
作者:夜月凪(月夜に団子)

しおりをはさむ/はずす ここまでで読み終える << 前のページへ 次のページへ >>


Scene42

純一「ったく、電話じゃ美春のやつ、お前が死にそうな勢いだったんだぞ」
音夢「ごめんなさい。心配かけて……」
 日も傾きかけた頃、純一は音夢をおぶって、いつもより遅めの帰路についていた。
 突然のことらしかったので、美春もさぞ驚いたことだろう。学園で今にも泣きそうな彼女を見た時はさすがに焦った。実際、心配損であったのだが。
純一「だいたい、頑張り過ぎなんだよ。ただでさえ、ここの所はしゃぎ気味だってのに」
音夢「……はしゃぎ過ぎなのは、誰のせいかな?」
 そんな答えの明白すぎる返しに、純一は返す言葉がなかった。そんな反応に彼の背後でくすくすと笑う音夢。
音夢「でも違うの。今日の委員会は全然話も聞いてなくて、ずっと兄さんのことばかり考えてて、そうしたら急に頭がボーっとしちゃって……」
 そこまで言って、音夢はより密着するように、顔を純一の背中に埋めた。
音夢「こうしてると、安心する。……ねえ、兄さん。私達、いけなくないよね?」
 震えた音夢の声に、純一は背中越しからでも、彼女の不安そうな表情が容易に浮かんだ。
音夢「私、兄さんの恋人でいて、いいんだよね?」
純一「当り前だ。あの日に、もうお互いの気持ちに嘘はつかないって決めたんだ。その時から、お前は、俺の……」
 そこまで言って純一は言葉を止めた。自分の内から何か熱いものが上がってくる感じがした。
音夢「俺の……?」
 言葉の続きを音夢は求めた。彼が何を言わんとしているかは、彼女も分かっていたが、彼の言葉で聞きたかった。しかし、純一はなかなか口にすることができない。顔が熱くなるのが分かる。照れ臭いのだ。
 結局、彼は苦しく誤魔化すだけで、音夢もそれ以上何も言わなかった。


その夜。
 芳乃さくらは、焦りにも似たものを感じていた。
 彼女には分かる。
 感じるのだ。純一と音夢の距離が、どんどん近くなっていることを。
さくら「どうして……お兄ちゃん」
 よりによって彼女とだとは。さくらは認めるわけにはいかなかった。


 次の日、放課後。
眞子「音夢、一緒に帰ろっ」
音夢「あ、ごめん眞子。私、今日は兄さんと……」
 そんな音夢の返答に、カバン片手の眞子は小さく溜め息をつきながら肩を落とした。
眞子「今日も、でしょ?最近付き合い悪いぞう?」
杉並「というよりは、朝倉兄妹同士が異常に付き合いが良すぎるのだが」
純一「杉並、変なことを言うな」
眞子「あー、やっぱりねー」
音夢「もう、眞子ったら」
 そんなやり取りを続けていると、教室の入り口から聞き慣れた声が響いた。
美春「音夢せんぱーい」
音夢「美春、どうしたの?」
美春「はい、なんでも、至急風紀委員に配らなければいけないプリントがあるとかで」
 どうやら急ぎの用らしく、すぐに職員室に向かわなければならないようだった。
音夢「ごめんね。兄さん」
純一「プリントを受け取るだけだろ。早く行って来いよ。待ってるから」
 そう答えると、音夢は微笑みながら、眞子と共に美春の元へ向かった。
杉並「……ふむ、どうやら決めたようだな」
 二人が離れた後、頃合いを見計らったように、杉並が言う。
純一「何のことだ?」
 純一がそうとぼけてみせると、杉並は鼻で軽く笑うだけで、それ以上追及してこず、純一を残して教室から出て行った。
 こうして級友のほとんどが帰った教室で、純一が、音夢の出席している委員会が終わるのを待っていると、入口に見慣れた姿がひょこっと出てきたのを見つけた。
純一「さくらか。昨日は、悪かったな」
さくら「ううん。さっき教室の外で見かけたけど、音夢ちゃんも元気そうで良かったよ」
 それを証明するように、彼女の表情にはいつもの笑顔があった。
純一「それで、どうしたんだ?」
さくら「うん。お兄ちゃん、ちょっといい?」


 純一がさくらに連れられるまま来た場所は屋上だった。
 純一は音夢のことが気になりはしたが、昨日のこともあり無下に断るわけにもいかなかった。
 それに、彼にはさくらに話さなければならないこともある。
 だが、まずは彼女の話を聞く方が先決だった。
純一「で、話って?」
さくら「うん、ちょっと前にね、お兄ちゃんと音夢ちゃんが恋人同士みたいだって言っちゃったこと、謝ろうと思って」
純一「ああ、そのことか」
さくら「冗談でも言っちゃいけないよね。二人は兄妹なんだもん」
 純一は今が話す時だと、話さなければいけない時だと思った。
純一「あのな、さくら。お前にはちゃんと話さないといけないと思ってたんだけど、俺と――」
さくら「冗談だよね?」
 しかし、全部言う前にさくらが制すように挟んだ。
 さくらが純一を見る。その表情にいつもの無邪気なものはなく、真剣な、鋭い視線が向けられていた。
さくら「音夢ちゃんとなんて、嘘だよね?」
 純一は何も返すことができない。その沈黙で、さくらは確信した。
さくら「どうして?どうして音夢ちゃんなの?妹だよ?妹なんだよ?音夢ちゃんは」
純一「……分かってる」
さくら「だったら……どうして?」
純一「俺は、今まであいつの兄でいようとばかり思っていた。あいつの兄さんになると決めてから、ずっと。これからもそうするつもりだった……」
 だが、二人は気付いてしまった。いや、もう、自分達の想いを偽りながら過ごすことに耐えられなくなってしまっていた。だからあの日、二人は自分自身の想いに正直に生きることを選んだのだ。
さくら「……お兄ちゃん、約束、覚えてる?枯れない桜の木の下で交わした三つの、約束」
純一「……ああ」
さくら「そう、よかった……」
 さくらは安堵の表情を見せた。純一が、昔の、それも子供の頃に交わした約束を覚えていてくれたことに安心した。
 六年前、さくらがアメリカに渡ることになった時に結んだ約束だ。忘れるはずもなかった。
 一つ目の約束は、必ず再会すること。
 二つ目の約束は、困っている時は助けに来てくれること。
 三つ目の約束は――。
さくら「三つ目の約束。今度会ったら恋人になること……。一つめの約束、お兄ちゃんはちゃんと守ってくれた。三つ目の約束も、守ってくれるよね?」
 そんなさくらの願いに純一はただ沈黙を続けた。
さくら「どうして黙っちゃうの?」
純一「もちろん約束は覚えてる。でも、今の俺は――」
さくら「嫌だ!」
 語気を荒げたさくらの声が響く。まるで純一の言葉を最後まで聞きたくないかのように。
さくら「……他の誰かなら、お兄ちゃんがその人を本当に好きになったなら、諦めれるよ?でも……音夢ちゃんだけは嫌なんだ!」
「さくらちゃん!」
 さくらがそこまで言った後、屋上の入り口から二人とは違う声が割り込んだ。二人がそこに目を向けると、その声の主は音夢だった。
さくら「お兄ちゃん。三つ目の約束、守ってくれるよね?恋人になってくれるよね?」
 さくらは音夢を一瞥した後、すぐに純一の方に向き直り、そう続ける。
純一「さくら……」
さくら「どうして?……ボクのこと、嫌いなの?」
 その言葉に純一は即座に首を横に振って答えた。
純一「違うんだ、さくら。そういうことじゃないんだ。俺は――」
さくら「駄目だよ、お兄ちゃん。お願いだから……」
 さくらは尚も純一にそう懇願し続けた。そして、もう一度、音夢の方に顔を向ける。
さくら「音夢ちゃんはずるいよ!お兄ちゃんと恋人の両方を手に入れるなんて……ボクの気持ち、分かってるくせに!」
音夢「……さくらちゃんだってずるいよ。私がさくらちゃんの気持ちを知ってるのと同じように、さくらちゃんも私の気持ちを知ってた。だから、兄さんと約束をしたんでしょ?あの、桜の木の下で……ずるいのはさくらちゃんだよ!」
 音夢もさくら同様に声を荒げる。さくらは大きく首を振った。
さくら「そんなことないよ!音夢ちゃんはボクがアメリカに行っている間、ずっとお兄ちゃんと一緒だったじゃないか!それなのに、これからもずっと一緒にいたいだなんてずるいよ!」
音夢「さくらちゃんだって――」
さくら「ボクだって何?ボクだってお兄ちゃんとずっと一緒にいたかったよ。でも、できるの?お兄ちゃんと同じ家に住めるの?一緒に暮らせるのっ?」
 さくらは今まで溜め込んだものを吐き出すように言葉を並べて行った。
さくら「音夢ちゃんは妹なんだから、ずっとお兄ちゃんと一緒にいられる……ボクだって……妹になりたかったよっ!」
 そんなさくらの心痛な叫びに、純一は何も言うことができなかった。彼女の想いがそこまでだということに、気付けていなかった。
さくら「お願いだよ……ボクはお兄ちゃんが好きなんだ。今までずっと待ってたんだ」
音夢「……嫌。私だって、兄さんのことが好きなの!ずっと待ってたのだって、さくらちゃんだけじゃないよっ!」
純一「もう止めてくれっ!」
 純一が叫んだことで、二人の言葉は止んだ。
 普段からは考えられない二人の様子に、もう耐えれなかった。それがすべて自分へ向けられた想いから来るものだからこそ、これ以上続けさせたくはなかった。
さくら「でも、音夢ちゃんは……」
 しかし、さくらは止めることはなく、音夢の方へ歩を近づける。
純一「止めるんだ、さくら」
さくら「……っ!お兄ちゃん……」
 咄嗟に、さくらと音夢の間に純一が割り込む。そんな音夢を庇う純一にさくらは愕然とした。自然に、その両目から涙が滲み出していく。
さくら「!」
純一「っ!さくら!」
 さくらは純一を振り払い、音夢の横を抜け、屋上から走りだして行った。
純一「さくら……」
音夢「……」
 残された二人は、さくらが去って行った後を、ただ見ていることしかできなかった。


 その日の、朝倉家には、重苦しい空気が漂っていた。
 純一も、音夢も、口数は少なく、そんな状況を察した頼子も、二人に対して何も言うことはなかった。
音夢「さくらちゃん……泣いてたね」
 夕食終わり、リビングで純一と一緒にいた音夢はポツリと口にした。最後に見せた桜の涙は、純一だけでなく、音夢もショックだった。
音夢「……さくらちゃん、どうしてるかな?」
 音夢にとってさくらは、恋敵とはいえ、幼なじみでもあるのだ。その気持ちも十分に分かっているだけに、その心境は複雑でもあった。
音夢「兄さん、やっぱり……駄目なのかな?」
純一「……分からん」
 純一はそう言うことしかできなかった。今日ぶつけられた、さくらの本心。そして、音夢の気持ち。
 自分は音夢の事が好きだ。それは変わらない。しかし、妹同然に接してきたさくらも傷付けたくはない。相反する思いの中で、純一は自分の真意が分からなくなっていた。
音夢「私が……悪かったのかな?」
純一「悪いとすれば……それは俺だ」
 それだけは明白だった。今まで自分の気持ちがはっきりしなかったことがこの事態を招いていた。しかし、それでも、今どうすればいいのか、彼には分からなかった
音夢「いけないことしてると、思ってるの?」
 だから、音夢にこの言葉にも、答えてやることはできなかった。
音夢「……そんなことない。とは、言ってくれないんだね……」
 音夢の悲しそうな言葉にも、何も言ってやれない。
 悲しげな鈴の音を鳴らしながら部屋を去る音夢に気付いても、何も声をかけることはできなかった。
 音夢が部屋を去ってしばらく、純一は考えた。
 音夢もさくらも、彼にとって比べることなどできないくらい大切な存在だ。
――でも、俺は音夢が好きなんだ
 思い返せば、やはりその想いだけは変わりはなかった。さくらの気持ちも十分過ぎるほど伝わった。しかし、それでも揺るぎないくらい、音夢の事を想っている自分がいた。
 伝えなければならない。それが傷つける結果になったとしても、これは、自分の責任だ。これはちゃんと果たさなければならない。
 純一は、決心した。


 純一が、家の外に出ると、家の前にさくらが立っていた。
純一「さくら……今日は、すまなかったな」
さくら「……そんなこと、聞きたくなよ」
 確かにその通りだった。自分が言うべきはそんなことではない。
純一「……そうだな」
さくら「……ボクの気持は変わらないよ。ボクはお兄ちゃんが好き。音夢ちゃんには渡したくない。これだけはどうしても譲れないんだ」
純一「さくら、俺は……俺は音夢が好きなんだ。……ごめんな」
 さくらは何も言わず、その気持ちを代弁するかのように、突然雨が降り始めた。


 さくらと別れた後、純一は音夢の部屋に向かった。
純一「入るぞ」
 断りを入れてから、部屋に入る。
 電気はついておらず、室内は暗い。そこに一人うずくまっている音夢の表情を見て、純一は驚いた。
音夢「……酷い顔だよね」
 泣き腫らした目は真っ赤になっていて、表情は沈んでいた。
音夢「やっぱり……兄妹だもんね。こういうのって、いけない事なんじゃないかって思うけど、でも……やっぱり、兄さんのことが好きなの」
 晴らした目に涙を浮かべて言う音夢を、純一は何も言わずにだけ締めた。
純一「俺だって同じだ。お前を放したくない。ずっと、一緒にいてくれ」
 そう告げ、強く抱きしめた。
音夢「兄さん……兄さん!」
 それに答えるように、音夢の腕も彼をだけ締めるかと思われたが、その瞬間、それは力を失ったかのように垂れ下った。
純一「……!」
 それと同時に、音夢の体も崩れ落ちる。
純一「音夢……?音夢、音夢っ!」
 突然の異変に、驚愕した純一は繰り返し彼女の名を呼び、体を揺するが彼女に反応はなかった。
純一「……っ!」
 そして、純一は信じられないものを目の当たりにした。音夢の口から、一片の桜の花びらが吐き出されたのだ。
 何が起こったのか分からない。それに呼応するかのように、降り注ぐ雨はより一層強くなっていった。

-42-
<< 前のページへ 次のページへ >> ここまでで読み終える