小説『D.C.〜Many Different Love Stories〜』
作者:夜月凪(月夜に団子)

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Scene43

 世の中諦めが肝心だ。
 真っ直ぐぶつかって、それでも結果が望んだものではないのなら、それは素直に受け止めるべきだ。
さくら「いつまでも、うじうじしてるなんてボクらしくないよね?うたまる」
 さくらはそう、朝食を共にしていた友人の不思議猫に語りかけ、その友人は答えるように鳴く。
 彼女の言葉が分かっているのかそうでないのかよく分からない鳴き声を、さくらは自分に都合よく解釈することにした。
 いつも通り。そう、いろいろあったけど、今日からは普段の芳乃さくらとして振舞おう。
 彼女はそう、決心した。


 したのだが。
さくら「はあ〜……」
 無意識に吐くため息とともに、さくらは一人、桜並木を歩いていた。
 いつものように、元気に、明るく、三人で学園に行こうと思っていた。昨日までの、あのギスギスした感じではなく、それ以前の関係に戻したかった。
 しかし、できなかった。
 家の前までは何ともなかったのだが、どうしても、呼び鈴を押すことは出来なかった。どうしても、あと一歩の勇気がなかった。
 でも、それだけじゃいけない。
 純一が自分を選んでくれなかったのは、とても悔しくて、悲しいことだったが、それ以上に、これであの二人との関係が切れてしまうことの方が嫌だ。
――よし、お昼ご飯でも誘ってみよう
 どんよりした気分の中にも新たな目標を定め、さくらは学園へと足を進めた。


 そしてその昼休み。
 授業が終わると真っ先に二組に向かった。こういうのは勢いが肝心なのだ。
 扉越しに教室内の様子をうかがう。
 授業終わり直後であったため、クラス内にはまだ多くの生徒が残っていたが、純一と音夢の姿が見えなかった。
――もう、行っちゃったのかな……
 などと、思っていると、見知った生徒が近くにいたので訊いてみることにした。
工藤「ああ、芳乃さん、こんにちは」
さくら「にゃはは、こんちわー。工藤君、お兄ちゃんと音夢ちゃんはいないかな?」
 そう訪ねると、彼は少し不思議そうな顔を見せた。
工藤「あれ?朝倉と朝倉さんなら今日休んでるけど、知らなかった?」
 それは知らなかった。
さくら「にゃはは……そうだったんだ。今日はお兄ちゃん家に寄らずに来たから……二人して風邪でも引いたのかな?」
杉並「ふむ、芳乃嬢が知らなかったとは、少々意外だな」
さくら「わっ?」
 突然どこからともなく現れた杉並に、さくらは素直に驚いた。
工藤「す、杉並。ホント驚くから急に出てこないでくれよ」
杉並「ん?驚いたか?」
 同じく驚いていたさくらに目にも目をやり、にやりと笑ってみせる。これは分かっててやってる顔だな。と、さくらは思った。
さくら「はは……いつも通りだね、杉並君」
杉並「ふふ、俺はいつだって絶好調だ。しかし、芳乃嬢が知らないとなると、やはり妙だ」
工藤「妙って……朝倉と、朝倉さんのこと?」
 一転して考える素振りを見せる杉並に工藤が訊ねる。
杉並「この歳になって、はしかやおたふく風邪をうつし合うものか……それに、奇妙な話も耳にしたしな」
 そんな杉並の語り口に、さくらは若干の不安を覚えた。
工藤「奇妙な話って?」
杉並「ああ、何でも朝倉妹が桜の花びらを吐いて倒れたとか……」
さくら「っ!?」
 杉並の言葉を聞いた瞬間、自分でも、血の気が一斉に引いていくのが実感できた。
――桜の、花びらって
 そのフレーズが、さくらの中に芽生え始めていた若干の不安が何倍も大きく膨れ上がらせた。
工藤「芳乃さん?大丈夫?」
 さくらの異変に気付いた工藤が心配そうな目を向ける。しかし、もう彼女の耳に、彼の言葉は届いていなかった。
――行かなくちゃ
さくら「ごめん……ボク」
 呟くようにそう言い残すと、さくらはその場から駈け出した。
 自分が行かなければならない場所、純一と音夢の元に向かって。


 朝倉家に駆け付けたさくらを出迎えたのは頼子だった。どうやら頼子も純一と共に学園を休んでいたらしい。頼子は、突然のさくらの来訪に驚きはしたものの、特に何も訊くこともなくさくらを家の中に通した。
 その時の彼女の言葉で、杉並が言っていたことが本当であることが分かった。
 純一は昨晩からずっと、音夢のそばに付き添っているのだという。
 頼子に連れられて、音夢の部屋に入ると、さくらはその光景に愕然とし、言葉を失った。
 音夢はベッドの上に寝かされていた。寝顔だけ見れば、本当にただ眠っているだけのように穏やかな感じを受ける。
 しかし、彼女の周りには、異常が満ちていた。
 大量の桜の花びらが積もっていたのだ。これが全て彼女の口から吐き出されたとは、到底信じられないくらいに大量の。
純一「さくら……」
 純一がさくらに気付く。しかし、その声に覇気はなく、その表情には疲れと不安が入り混じって浮かんでいた。
さくら「これ……全部音夢ちゃんが?」
 さくらが散らばっている花びらを指して言うと、純一は視線を下に落とした。
純一「最初は、見間違いだと思ったさ……」
 純一は、ベッドの傍に落ちている花びらを掴みながら呟くように言った。
純一「だけど、何度起こそうとしても……全然目を開けてくれないんだ」
 次第にその表情に苦悩さが浮かぶ。純一は、ただ眠り続ける彼女に、何をしていいのか分からない自分が、とても歯がゆく、不甲斐なく思っていた。
さくら「……こんなのって……こんなのって、ないよ」
 さくらは、ゆっくりと、眠っている音夢に近づく。
さくら「嫌だよ……。どうして……?嫌だよ音夢ちゃん!目を覚ましてよ!」
 悲痛な叫びと共に眠っている音夢の身体を揺するが、彼女はそれに反応する素振りすら見せることはなかった。


純一「さくら、大丈夫か?」
 あれからしばらくして、音夢の部屋を出て、リビングにいたさくらに、純一は心配そうに声を掛けた。
 純一にとって、音夢を心配に思うのは当然だが、それと同様に、あの取り乱したさくらを放っておくこともできなかった。
 だが今のさくらにとって、その優しさは、嬉しいよりも、辛さの方が大きかった。
純一「俺は、音夢の傍にいても何もしてやることができない。情けないよな……」
 そう話す純一に、さくらは話さなければならないと思った。音夢のこと、そして、これまでの自分のこと。
さくら「お兄ちゃん……音夢ちゃんの病気、ボクのせいかもしれない。やっぱりボク、どこかで音夢ちゃんのことを邪魔だって思って――」
純一「馬鹿なこと言うのはやめろ。そんなこと、あるわけないだろ?」
 純一がそう言うが、さくらは首を横に振った。
さくら「お兄ちゃんは分かってないよ。ボクの周りに起こることは、全部、桜の魔法の木のせいなんだ」
 これまでさくらは、枯れない桜の木の魔法を誰よりも近く、そして強く感じてきていた。何か良いことが起こっても、それは桜の木の力が起こしたものなんだと、後ろめたさを感じていた。
さくら「……ボクをいじめてた子が事故に遭った時も、ボクのせいじゃないと思おうとした。でも、そうなんだ。ボクがどこかでそれを望んでたから……桜の木が叶えちゃうんだよ」
 だからさくらは、必死だった。もっと良い子になろう。もっと人に優しくしよう。そう努めてきた。しかし、そうするのは簡単なことではなく、だから彼女は、ずっと子供でいることを願った。自分がずっと無邪気な子供でいることで、誰も傷つかずに済む。だから、彼女はアメリカに渡った後も、子供のままでいられるように、桜の木に願ったのだ。
 しかし、それじゃ駄目なんだとも思っていた。このままではいけないと。
さくら「そう思って帰って来たのに……何一つ、変わってなかった」
純一「さくら……」
 さくらの告白に、純一はなんて声を掛けていいか分からなかった。ただ、下手な慰めの言葉は言ってはいけない。それだけは、さくらの雰囲気で分かっていた。だからこそ、何も声を掛けてやることはできないでいた。
頼子「純一さん、冷たい水を持って来ました」
 しばしの沈黙を破ったのは頼子だった。
さくら「お兄ちゃん、音夢ちゃんの傍にいてあげて」
 そう言うさくらに、純一は少し躊躇ったが、最後は彼女の言うとおり、リビングを後にした。
頼子「……さくらさん」
さくら「ん……じゃあ、ボクもそろそろ帰ろうかな。それじゃあね、頼子さん」
 頼子が何かを言おうとした瞬間に、さくらは立ち上がると、そのまま頼子の傍を通り抜けようとする。
頼子「さくらさん」
 再び頼子が口を開く。今度はさくらを呼び止めるように、その口調は強く、さくらは彼女に背を向けたまま、その場に立ち止まった。
頼子「……ごめんなさい。私、さっきの話を」
 頼子は聞いていたのだ。さっきまで、さくらと純一が話していた、桜の木の魔法にまつわる話を。
さくら「あは……聞こえちゃった?」
 頼子は申し訳なさそうに頷いた。
 さくらはその後何を言うわけもなく、しかしその場を去るわけもなく、沈黙が続いた。
頼子「……桜の木を、枯らしてしまってはどうでしょうか?」
 次に沈黙を破った頼子のその言葉に、さくらを思わず彼女の方に振り返った。頼子の真剣な眼差しが、自分に向けられていた。
頼子「そうすれば、魔法の力は消えるんじゃないですか?そうしたら、音夢さんも良くなるかもしれません」
さくら「そんな……そんなこと、できないよ。それは、ボクだけのことじゃないから。それに桜を枯らすってことは、同時にこの島の人たちの望みも消してしまうってことなんだよ?そんなことをしたら、頼子さんだって――」
頼子「私のことは、気にしないで下さい」
さくら「駄目だよ!ボクが何とかするから!もっと他の方法を探すから――」
頼子「もう、いいんですよ?」
 穏やかな頼子の声が、さくらの言葉を遮る。声色と同様に、彼女の表情もまた、穏やかなものだった。
頼子「私は、音夢さんが大好きです。それに、これ以上、あんなに辛そうな純一さんを見ていられません」
さくら「頼子……さん」
頼子「私には十分過ぎるくらい……良い夢を見させてもらいました。でも、夢はいつか覚めなければいけません。さくらさんは今まで頑張ってきたんです。もう、頑張らなくてもいいんですよ?」
 そう言って、頼子は優しい笑みをさくらに向けた。


 その夜
 さくらは、この島で一番大きな桜の木の下にいた。
 頼子の話を聞き、彼女のおかげで、彼女は決心することができた。
――お兄ちゃん……音夢ちゃん……もう、大丈夫だからね
 さくらはそっと、優しく、その木の幹に手を当て、甘えるようにその身体を擦り寄せる。
――おばあちゃん……今まで、ありがとうね
 さくらはしばらく桜の木に身体を預けていたが、そっと身体だけ離れると、その目を閉じ、静かに、その両手に祈りを込める。
 間もなく、桜の両手から淡い光が漏れ始め、そしてそれはすぐに木全体を包むようにして、それはまるで、木自身が光っているようにも見える。
 さくらはずっと祈り続け、それに呼応するように、辺りに舞っていた桜の花びらは、ゆっくりと、しかし確実に、その数を増していったのだった。

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