小説『D.C.〜Many Different Love Stories〜』
作者:夜月凪(月夜に団子)

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Scene44

頼子「あ、純一さん。おはようございます」
 珍しく早起きした純一が降りてくると、すでに頼子は朝食の準備を終えるところだった。
純一「うん、おはよう。頼子さん、いつもありがとう。助かるよ」
 今では当たり前になりつつあるが、朝倉家の家事のほとんどは頼子がやっている。純一や音夢も時々手伝ったりするが、頼子の貢献度は言うまでもないほど大きい。食事面では特にだ。
頼子「いえ、私は好きでやってますから。それに、ここに置いて下さっている、純一さんや音夢さんへ少しでも恩返しできればと思ってますし」
純一「恩だなんて……頼子さんはもう家族同然なんだ。これからも協力し合っていけばいいさ」
 そんな純一に、頼子は何も言わずに、一見すれば驚いたようにも見える眼差しで純一を見つめていた。
純一「ん?……何か、おかしいこと言ったかな?」
頼子「あ、いえ、そうではないんです。……そうですよね。それでは早速ですけど、純一さん、料理を運ぶのを手伝ってくれませんか?」
 そんな頼子の反応を少し不思議に思いながらも、然程気にすることもなく、純一はハムエッグの乗せられた皿を受け取った。
頼子「音夢さん、良かったですね」
純一「ああ」
 二人で朝食の準備を進める中、何気なしに言う頼子に、純一も頷く。
 倒れてから、どうやっても目を覚まそうとしなかった音夢が、昨晩、急に意識を取り戻したのだ。
 と言っても、完治したというわけではないので、まだまだそう楽観もできないのだが、とりあえずは全身の力が抜けるくらいホッとした。
頼子「音夢さんにはおかゆを作りましたけど……食欲、ありそうでしたか?」
純一「そうだな……多分食べると思うよ」
頼子「そうですか。それでは、音夢さんの部屋に持って行ってきますね。純一さんは、先に召し上がっていて下さい」
 柔らかな笑顔を向けてそう言うと、頼子はお粥の入ったお椀を乗せたお盆を持って、リビングを出る。
 そんな彼女の後姿を見て、一時はどうなることかと思ったものの、またいつもの毎日が戻りつつあることに、純一は自然と笑みが浮かんだ。
しかし、この日はいつもとは違うことも起きた。
 それは、頼子と純一が朝食を食べ終えた直後、頼子がどこかそわそわと落ち着かない様子で、ちらちらと純一の方を窺っているのだ。
純一「どうした?頼子さん」
頼子「えっ、あ、えっと、その……ですね」
 見かねた純一が聞くが、頼子は、なおも言いにくそうにもじもじとしている。
頼子「あの……こんな時に何なんですけど、一つお願いしたいことが……」
純一「なんだ、他ならぬ頼子さんの頼みだ。遠慮せずに言ってよ」
 純一がそう言うものの、しばらく遠慮がちにしていた頼子だったが、意を決したのか、思い切って言い放った。
頼子「純一さん、お給料下さい!」
純一「あ、給料ね。給料……給料!?」
 今まで彼女の口から聞いたことの無い単語に純一は文字通り驚き、動揺した。
 しかし、本来頼子は、メイドとして朝倉家に居候しているのであって、今回彼女の言っていることは至極当然のことのようにも思え、純一は言葉に詰まる。
純一「えっと……いくら?」
 動揺は続いたが、とりあえず彼女の希望を聞くことにした純一に、今度は頼子が慌てたように、手を振った。
頼子「え!あ、いえ、違うんです!私が欲しいのはお金じゃなくて……その……」
 そこまで言って、一瞬、純一から顔を逸らすが、再び視線を戻し。
頼子「純一さん。今晩、私とデートしていただけませんか?」
 そう言う彼女の両目には言い表せないほどの真剣さに満ちていた。
純一「デ、デートね。そうだな……頼子さんもずっと頑張ってくれてることだし、今度の休みにでも――」
頼子「駄目です!今晩じゃないと!」
 今までに見せた事の無い、彼女の鬼気迫る様子に、純一は思わず口を噤んだ。
頼子「お願い、します……」
 そして、顔を俯かせ、今度は消え入りそうな声で言う彼女に純一はただ頷くことしかできなかった。


 今朝の頼子の様子のことを、純一はずっと考えていた。
 しかし、午前の授業そっちのけで考えても、今朝のやり取りだけでは彼女の真意を読み取ることはできなかった。
――頼子さん、どうして急にあんなことを……
さくら「おにー……ちゃんっ」
 と、視界の端に見慣れたツインテールが映り込んだ。
純一「ああ、さくらか……」
さくら「ああ……って、その反応、なんかひどいなぁ」
 さくらは、そんな純一の淡白なリアクションに、頬を膨らます。
さくら「せっかくボクが心配してあげてるのに」
純一「心配には及ばんよ。音夢だって――」
さくら「元気になったんでしょ?良かったよね」
 言葉をさくらに先取りされた純一は目を丸くした。
純一「なんだ、知ってたのか」
さくら「そ、知ってるんだなー。もう一つ言わせてもらうと、お兄ちゃん、今日は寄り道せずに帰ってよね。今夜は特別なんだから」
 意味深に言う彼女の言葉に、純一は数秒推考して、また驚いた。
純一「お、お前、なんでそんなことまで知ってる?」
 そんな純一の反応に、さくらは無邪気な笑顔を浮かべる。だがそれは一瞬のことで、次の瞬間にはその笑顔も消えた。
さくら「ボクが言えた義理じゃないんだけど、今夜は、特別な夜だから……優しくしてあげてよね?」


智也「しかし、何というか……」
 昼休みの一時、智也は廊下を歩きながらそう独りごちた。その両手にはそれぞれ大きな紙袋が三つ下げられている。
 彼は今、音楽室に向かっている。理由は近々行われる卒業パーティ準備の一環。彼にとってはことり達のマネージャーの仕事、というより雑務で、この両手に抱えている物を届けている最中だった。
何でも、今度のライブでは、付属最後ということもあるとかで、家政部に衣装を特注したのだそうだ。
みっくんからその事を聞いた時には、文化祭の時とは違う規模の大きさと家政部連中の懐の大きさに正直驚いたが、後者の方は、物を受け取る際に一応解決はしている。
智也「届けるついでに、そこんところを確認しとこう、と」
 そんなことを考えてる間に音楽室に到着。
 そのまま戸を開けてもいいのだが、みっくんに頼まれる際に、このことはことりには内緒だとも言っていた。衣装を受け取る前はサプライズか何かなのかとも思ったが、今となっては自分の考えを確定させるに十分な要素の一つとなっている。
 そう言うわけなので、ことりもいるかもしれない室内に堂々と入っていけるわけもなく、事前の打ち合わせ通り携帯で、到着のメールを送信する。
 程なくして、みっくんが出てきた。
智也「受け取ってきたよ。かなりの力作揃いらしい」
 力作というのは受け取る時に家政部連中が満足げな顔して言っていたので間違いないだろう。
みっくん「ありがとう藤倉君。ごめんね、こんなことまで任せちゃって」
智也「どうってことないよ。みんなには練習に集中してもらいたいし、俺には雑務ぐらいしかできないから」
 智也は音楽のことに関しては素人以下の知識しか持ってないので、練習に加わるといった協力はできない。だから、せめてその練習が少しでもしやすいように、練習場の確保や楽器の運搬といった雑務など、環境作りに務めることにしていた。
智也「それはそうと、みっくん、これについて少し確認したいことが」
 抱えている袋を指す。
みっくん「あ……やっぱり、分かっちゃったかな?」
 みっくんは、智也が全て話す前に、ばつの悪そうな笑みを浮かべる。
 智也が確認したかったのは、この特注の衣装を受け取るにあたって家政部員から言われた一言だった。
――それじゃあ、ミスコンの方もよろしくお願いします
 それを聞いた時、訊ねるまでもなかったが、どうやらこれらの衣装は、ことりのミスコン出場が条件だということが、その家政部員を問い詰めたところ判明した。
つまり取引だったというわけだ。
智也「さすがに無償は太っ腹過ぎるだろと思ってたからな。驚きはしなかったけど。ことりは知ってるの?」
みっくん「はは……事後報告ってやつかな。ことりには悪いけど、せっかく付属最後のステージだから」
 それは智也も理解できるところだ。それに、ことりなら多少膨れるだろうが怒りはしないだろう、と確信もできた。ともちゃんとみっくんも、付き合いが長いだけに、そこのところもちゃんと分った上で、なのだろう。
智也「じゃあ、説得役は二人に任せるかな」
みっくん「うん、この衣装を見れば、ことりも機嫌直してくれるだろうしね」
 この後、三人は衣装合わせをするというので、後のことは任せて智也は退散することにした。昼もまだ食べてないので、その方が丁度いい。
智也「うーん……この時間じゃ学食かな」
 食堂に向かいつつ時間を確認する。スタートダッシュに遅れてるので、購買は碌な物は残ってないだろう。
 早々に方針を固めつつ、食堂手前まで来ると、見知った顔がそこから出てきた。
信「よお、遅いな。今から昼か?」
 一人で食堂から出てきた信も智也に気付き、軽く片手を上げる。
智也「ちょっと、卒パの準備でさ。お前も一人で飯なんて珍しいな。砌と師走はどうした?」
 信が昼休みに一人でいるのは正直意外だった。彼と、砌、師走を含めた三人は、よく一緒に行動していることが多いからだ。今は、他の二人は見当たらない。
信「砌は胡ノ宮さんと中庭。師走はちょっと前に天枷と月城に引っ張って行かれ、そして俺は一人さびしくうどんをすする。どうだ、同情したくなるだろ?」
 どこか芝居掛かった信の言動に、智也は苦笑いを浮かべることで返す。というより、それしかできなかった。
信「はん、お前も青春を楽しんでる一人だからな。俺の気持ちは分からんか」
智也「い、いや……。あ、うどんもいいな。俺もそれにしよう、そうしよう」
 露骨に話題を反らそうとする智也に、信はジト目で返す。
信「誤魔化すにしても下手すぎるだろ。でも、まあ美味いのは確かだ。それに安い」
智也「うんうん。俺達のような一人暮らしの学生は値段も重要だ。じゃ、うどん買ってくるから、これで」
信「……でだ藤倉、逸れた話を戻すが、俺のこのどこか虚しい心境をお前を使って晴らしたいんだが……うん、ちょっと付き合え」
 全く話を逸らせれなかっただけでなく、何とも露骨な誘いを言ってきた。
智也「心配しなくても、その内杉並辺りから悪巧みの誘いが来るだろ。それに早く食わないと昼休みが終わっちまう」
 当然そんな誘いを受けるはずもなく、智也は彼の横を通り抜けようと歩を進める。
信「まあ、待て。昼の一食くらい抜いても死にはしないだろ」
 信はそんな智也の肩をがっしり掴み無理やり進行を止める。
智也「あほかっ。昼飯食うのと食わないとじゃその後のテンションに天地の差が出るんだよ!そんなことに付き合ってたらホントに昼休みが終わるだろうが!」
信「まあまあ、さっきのは半分冗談だ。実は飯食う前に頼子さんに頼まれてな。お前と一緒に屋上に来てほしいと」
智也「え?鷺澤さん?」
 予想外の人物の名前が出てきて、智也は抵抗を止め、信はそんな智也の反応を見て、肩を掴んでいた手を離す。
信「ま、そういうことだ。正直俺も驚いてるんだが。なにせいきなりだったからな。これ以上待たすわけにも行かんし、昼休みが終わる前に、とっとと行くぞ?」
智也「あ、ああ……分かった」
 いつしかふざけた様子の消えた信の表情と、頼子の突然の呼び出しに戸惑いつつも、智也は彼の言葉に頷き。屋上へと進路を変えた。

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