小説『D.C.〜Many Different Love Stories〜』
作者:夜月凪(月夜に団子)

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Scene45

 カレンダーの上ではもう三月に入ってはいるが、まだまだ外は肌寒く感じる日が続いている。
 屋上に到着した直後の智也と信も、そんな肌寒さを感じたが、二人に気付いた頼子の弾けるような笑顔に、そんな寒さも消し飛んでしまったように感じた。
智也「ごめん鷺澤さん。待たせちゃったみたいで」
頼子「いえ、私が急に呼び出したんですから、仕方がないですよ」
 そして信の方を向く。
頼子「深見さんも、来てくれてありがとうございました」
信「いや、どうせ今日は一人だったからな。むしろこっちが感謝したいくらいだ」
智也「それで、今日はどうしたの?」
頼子「あ、はい。ちょっとお二人にお話ししておきたいことがありまして。でもその前に、深見さん、藤倉さん、これを食べていただけますか?」
 頼子は頷きつつ、持っていたカバンから、何かを二つ取り出す。それは両方とも布で綺麗に包まれた弁当箱だった。
智也「これを……?」
頼子「はい。あの、もうお昼ご飯済ませているかと思うんですけど……」
 これは智也にとっては思いがけない幸運だった。
智也「いや、用事済ませた後すぐに信と来たから昼はまだ食ってなかったんだ」
信「それに、頼子さんの手料理とあらば、学食のうどんを何杯食べた後でも十分食べられる」
 揃って、包みを解き、蓋を開ける。
信「おお、炒飯か」
智也「鷺澤さん、これ」
頼子「はい、藤倉さんに初めて教わったものです。お二人に食べてもらいたくて、今朝作って来ました」
 二人の弁当箱の中身は炒飯だった。以前、智也が頼子に炒め物を教える際に最初に作ったのが、これだ。当初は卵どころか、ご飯までまんべんなく焦がすなど、それは目も当てられないほどだったが、今二人の前にあるのは、ご飯の一粒までむらなく卵にコーティングされ、見ただけで美味いだろうと思えるほどの、文句なしの炒飯だった。
信「じゃあ早速」
智也「いただきます」
頼子「はい」
 スプーンを受け取り、ほぼ同時に口に運ぶ。
信・智也「美味い!」
 ほぼ同時に声を上げた。
頼子「良かった。作るのは久しぶりだったから、上手く出来てるかどうか不安でしたから」
智也「いや、また上手くなってる。逆に俺が教えてもらいたいくらいだよ」
信「藤倉より美味いのは当然として、確かにこれは十分店で出せれるレベルだ」
 この時ばかりは、智也も信のそんな軽口に、何も言わない。全くもってその通りだからだ。智也が彼女に料理を教えていた時でも、実際彼が彼女に教えたことは少なかった。彼女の目覚ましいほどの上達は、彼女自身の努力の賜でもあるのだろうが、その前に、彼女ができなかったのは単にやり方を全く知らなかったからなのだとも言える。
 そんな彼女の炒飯は見た目以上にその味も抜群で、二人が完食するのに時間はかからなかった。
智也「ごちそうさま。本当に美味しかったよ」
信「ああ、お世辞じゃなく、こんなに美味い炒飯を食べたのは初めてだな」
頼子「ありがとうございます。そう言ってもらえると、作ってきた甲斐がありました」
 その後、二人は弁当箱と引き換えのように、彼女から出されたお茶を飲んで一息つく。
智也「それで鷺澤さん。俺達に話って?」
頼子「あ、はい……」
信「?」
 少々なごんだ所で話を戻した時、信は頼子のちょっとした反応が気になった。さっきまでの笑顔が、少しばかり影が差した気がした。
頼子「今日お二人をお呼びしたのは、お礼を言いたいと思ったからなんです」
智也「お礼?」
 二人は首を傾げる。二人に、彼女から呼び出されてまで感謝される覚えはなかったからだ。
頼子「まずは、藤倉さん。貴重な時間を割いて、私にお料理を教えてくれて本当にありがとうございました」
智也「え?い、いや、それは頭を下げられるほどのことじゃ……」
頼子「それと、深見さんには、怖くて外に出られなかった私が、こうして学校に通えるようになるまで、手伝って下さいました」
信「確かに、あの場に俺はいたが……」
 丁寧にお辞儀までする頼子に、二人は驚くのではなく、ただ戸惑っていた。
智也「感謝されるのは嬉しいけど、今の鷺澤さんがあるのは、鷺澤さんが一生懸命努力した結果だと思うよ?料理だって、最後の方は、俺は見てるだけだったし」
信「俺も同意見だ。あの時、頼子さんが外に出られるようになったのは、誰のおかげでもない。頼子さんが頑張ったからだ」
頼子「いえ……」
 頼子は静かに首を振る。
頼子「皆さんがいなければ、私は何もできないままだったと思います。今日は、お礼が言いたくて……本当にありがとうございました」
 もう一度頭を下げる頼子に、二人はもう何も言えなかった。
智也「……鷺澤さん、なんで――」
 少しの沈黙の後、智也が口を開いたが、その瞬間、昼休みの終わりを告げる鐘が鳴った。
頼子「もう、午後の授業が始まりますね。深見さん、藤倉さん、今日は私に付き合ってくれてありがとうございました」
 彼女はもう一度だけ丁寧にお辞儀をすると、藤倉が言おうとしたことも聞かず、屋上を後にし、智也と信の二人が残された。
智也「……何で鷺澤さん、あんなこと言ったんだろうな」
 彼女に掛けるはずの言葉を、隣にいる信に掛けた。
信「さあな……」
 信はポツリと答え、二人はさっきまで彼女のいた空間をただ呆然と眺めているしかなかった。


 その夜。
 今朝の約束の通り、純一と頼子はデートをしていた。
純一「でも、本当にこんなのでいいの?」
頼子「はい」
 夜の商店街。純一の隣で歩く頼子は微笑みながら頷いた。
 今夜デートするとあって、純一もそれなりに考えたりしていたのだが、家を出る際に頼子から「島の中を歩きたい」と言われたのだ。
 しかし、すでに時間も遅いので手近な商店街に来ているのだが、正直純一は面食らっていた。
頼子「これだけでも、私には十分すぎますから」
純一「……そっか。よし、じゃあ今夜は楽しもう」
頼子「ふふ、はい!」
 それから二人は、いろいろな店を見て回った。
 ウィンドウショッピングをして回ったり、途中買い食いをしたりもした。
 夕飯の買い物以外で、商店街を訪れた事の無い頼子にとって、ほとんどの物が目新しいらしく、戸惑いを見せながらも終始目を輝かせていた。
頼子「はあ……」
 一通り見て回った後、学園への登校道でもある桜並木を歩きながら、頼子は感慨深げに溜め息をついた。
純一「疲れた?」
頼子「少しだけ……でも、すごく楽しかったです。こうやって出歩いたのは初めてでしたので」
 このデートで彼女の顔に浮かんでいる笑顔は、いつもには見られない、無邪気なもので、そういった彼女の新鮮な一面を見て、純一も時間を忘れるくらいに楽しむことができた。
純一「そう言えば、こうしてここを頼子さんと歩くのって初めてだな」
 頼子は風見学園に通うようになったが、登校時には大抵音夢やさくらと一緒だ。頼子と二人きりで歩くのはこれが初めてだった。
頼子「そう言われれば、そうですね」
 風が吹いて、多くの桜の花びらが夜の宙を舞う。その光景は、いつもの登校時とは違う、なにか幻想的なものを二人に感じさせた。
純一「もう夜も遅いし、そろそろ帰ろっか?」
頼子「そうですね……でも最後に付き合ってもらってもいいですか?」
純一「うん、ここまで来たんだ。どこにだって付き合うよ」
 そう答えると、頼子は安心したようにそっと息をつく。
頼子「ありがとうございます。では、付いて来て下さい」


純一「ここは……」
 頼子に連れられてきた場所は、純一もよく知る場所だった。
 しかし、その光景は彼が見慣れていたものとは全く違っていた。
 この島一番の大きさをもつ桜の木。純一にとっていろいろな思い出のあるその桜の木。
 一年中枯れることなく咲き続けていたその桜の木が、枯れていた。
 純一は思わず言葉を失っていた。ずっと枯れることのなかった桜が、完全に散っていたのだ。
頼子「驚きましたか?」
 彼女の言葉に、純一はハッとなって彼女の方を見る。
 頼子は桜の幹に背を預けるようにして立っていた。
 枯れ落ちた大量の桜の花びらが彼女を包むように、風に舞う。その姿はとても神秘的で、儚げだった。
純一「驚いたよ。そうか、枯れたのか……」
 よく考えれば、桜が枯れるのは当然の現象で、今までが不思議なものだったのだが、いざ枯れてしまうと、その衝撃は相当大きいものだった。
頼子「純一さん、私は……今夜でお別れしないといけません」
 ポツリと吐かれた、思いもよらない彼女の言葉に純一は再び驚かされた。
純一「え……?」
 枯れた桜の木、頼子の言葉。予想外のことが続いて、純一は何が何だか分からなかった。
純一「頼子さん、突然何を――」
頼子「――一人の、少女がいました」
 頼子は純一の言葉を遮るように口を開く。
頼子「その少女は、外へ出ることができなくて……窓の外の風景だけが、彼女の全てでした」
 桜の花びらに包まれながら、誰に語りかけるでもなく、彼女は言葉を続ける。
頼子「そんな少女がある日、窓から見たある人を見て恋をしました。あの人と話したい。一緒に歩きたい……」
――っ!
 純一の脳裏に、いつか見た夢の光景が広がった。部屋の一角に座り、窓から外を見続ける少女。その夢の光景と、頼子の話が重なった。
頼子「でも、どうしてもその少女は一歩を踏み出すことができませんでした。そして、そんな少女の想いを、この桜の木と、一匹の猫が受け取った」
純一「頼子さん……君は」
 頼子はうっすらとその眼に涙を浮かべながら小さく頷く。
頼子「私は、帰らなければいけません……それは私のためでもあります」
純一「……!そんな――」
 純一が一歩彼女に近づくと、彼女は強く、悲しそうに首を左右に振った。
頼子「……見ての通り、もうすぐこの島の桜は枯れてしまいます。音夢さんを助けるために……さくらさんが、そう決断しました」
 あの日、さくらが話したことが思い起こされた。
頼子「さくらさんを、責めないで下さいね。このことは、私も望んだことですから……」
 もとより、純一にそんな気は微塵も起こらない。自分よりもはるかに強い思い入れのあるこの桜の木を、自らの手で枯らしたのだ。きっとたくさん悩んで、悩み抜いて、そして決めたのだろう。そんな彼女を誰も責めることなどできはしない。
頼子「夢は……魔法は、いつか解けるものです。私がここにこうしていられるのも、全ては桜の木の魔法の力があってこそ。私は、もう戻らなければなりません」
 彼女の話を聞きながら、純一はゆっくりと彼女に近づいていた。すぐ近くまで来ると、彼女は目に溜めた涙を流すまいと、儚げな笑顔を向ける。
頼子「私は、いろいろな思いを作ることができました。こんな私が、学園にも通えるようになって……たくさんのお友達を、作ることが……できました」
純一「俺も、頼子さんが来て、とても楽しかった。このことは、絶対に忘れない」
 涙をこらえ、詰まりながらも言葉を紡ぎだす彼女に、純一も自然と目頭が熱くなるのを感じた。
頼子「純一さん、あなたが好きです。そして、さようなら――」
純一「――っ!」
 彼女がそう言った瞬間、今までより強い一陣の風が吹き、純一は咄嗟に彼女を抱き締めようと手を伸ばしたが、そこに彼女の姿はもうなく、持ち主を失ったメイド服だけがその場に残されていた。


 次の日、これは純一自身、学園に来きて、さくらから初めて聞いて知ったことだが、頼子は退学届を学園に提出していた。自分が去ることを知っていた彼女が事前に用意していたのだろう。
 彼女の退学を知った信と智也が純一に聞きに来た時、彼は退学の理由を都合で島を出ることになったと伝えた。頼子自身が伝えていないことを自分の口から話してはいけないと考えたからだ。二人も、それ以上は聞かなかった。


さくら「うたまる……これでよかったんだよね?」
 屋上、一人たたずむ彼女は肩の上にいる友人に訊ねるようにつぶやき、うたまるは応えるように短く鳴いた。
さくら「……そうだよね。頼子さんは、幸せだったよね」
 彼女はしばらくの間、散りゆく桜と、その花びらを眺めていた。

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