小説『D.C.〜Many Different Love Stories〜』
作者:夜月凪(月夜に団子)

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Scene46

  いよいよ卒業の日が迫ってきた三月。校内にどこか寂しさが漂うのは勿論だ。
だがこの学園では、卒業式と同時に開かれる、学園目玉行事の一つ、卒業パーティから来るワクワク感も同居しているところが、この学園らしい独特の感じを醸し出していた。
工藤「はあ……」
 そんな、傍から見ればどこか不思議な雰囲気は、登校道にまでどこか漂っていて、その道中、工藤叶は小さく息を吐いた。
智也「ん?どうしたいきなり」
工藤「いや、もうすぐ本番かと思うとな……」
 どことなく不安げな表情に、智也も納得はした。工藤は、卒業パーティでことり達と演奏を披露する一員だ。
智也「あー、まあ、俺には分からない緊張感やらもあるだろうな」
工藤「でも、藤倉を見てると、だからと言って裏方が良いとは言えないけどな。だけど……お前にもこの気持ちを分けてやりたいよ」
智也「受け取りたい気持ちは山々なんだけど……俺は音楽関連はまるっきし駄目だからな。練習に付き合うっていっても、結局はみんなを応援することしかできないし」
工藤「いや、藤倉はよくやってくれてるよ。練習以外のことは全部やってもらってるし。だからこそ、俺達も演奏に打ち込めてるっていうかさ」
智也「というか、それぐらいしかできないんだけど。まあ、今回が二度目だし、それほど大変なもんでもないさ」
 そう智也が言い終わると、工藤はぽかんとした表情を彼に向けた。
智也「な、何だよ?」
工藤「いや、何だか藤倉が凄く見えたから、つい」
智也「凄いってな……そんなこと言われるほど、俺は何もしてないぞ?」
工藤「うわあ、まさかお前の口からそんな言葉が聞けるなんて思わなかったよ」
 二重で感心する工藤に、今度は智也が溜め息を吐いた。
工藤「ああそうだ。意外ついでだけど、あのニュースはもう知ってるのか?」
 一部の単語にもう反論しないと決めつつ、智也は工藤の言おうとしていることにはすぐ見当がついた。
智也「ああ、桜のことか?」
工藤「そうそう。ニュース見た時は驚いたよ。でも、本当に枯れ始めてるんだな」
 そう言って、感慨深げに並木道の桜に目を向ける。
 島中の桜が枯れ始めている。ずっと枯れないでいた初音島の桜が枯れるというニュースは少なからず衝撃を与えるのに十分過ぎる内容だった。
 風に舞っている、もしくは路上に積もるように落ちている花びらの量の多さからも、枯れ始めているというのは現実だということを示していた。
智也「そうだな。ま、ずっと枯れない桜ってのも不思議だったんだろうけど」
工藤「……へえ、藤倉はあまり驚いてないんだな」
智也「そりゃあ、最初聞いた時は驚いたけど、島の外じゃ桜は枯れるのが当たり前なわけだしな……」
――そうだよな……変わるんだな。
 智也も散り積もった桜の花びらに目をやる。
 いつもは日常の風景の一部としてしか捉えていなかったが、いざこのまま散ってしまうとなると、それとはまた違い、しみじみと感じるところは彼にはあった。
 そういった日常とは変わりつつある桜を見て、無意識のうちに、智也は自らを重ね合わせていた。
 いや、本来、桜が枯れるのが普通なのならば、これは変わるのではなく、それに『戻る』ということになるのだろう。
――だとすれば、今の俺も……
工藤「どうか、したのか?」
智也「へ?何が?」
工藤「いや、柄にもなく思いつめたような顔してたからさ」
智也「……失礼な奴だな。俺だって、たまには散っていく桜を見て感傷に浸ることくらいあるさ」
工藤「そうか……なら、いいんだけどな」
 智也の軽口に、工藤は乗ってこず、並木道の向こう側にその視線を戻した。
――いかんいかん……
 そんな工藤の反応に、どうやら彼が自分に何かを感じたらしいと思った智也は心の中で自分を戒めた。
 この学園に入って、智也はマイナスの部分を見せないように努めてきていた。それはクラスメイトに対しても、彼の友人たちに対してもだ。
 このことは、自分の口から話さない限り、誰も知ることはない。もちろん智也自身話す気は毛頭無い。
 だが、あの時――クリスマスパーティーの時に起きたアクシデントの中で、ことりにその部分を見せてしまった。そして今この時も。
 どちらも何とか取り繕うことができたみたいだが、これまでの平穏な学園生活の中で、どうもすっかり気が緩んでしまっているようだ。
最悪でも彼らだけは、巻き込みたくない。
そうならないためにも、智也はもう一度気を引き締めなおした。



――さて、今日も終わり、だな……!
 HRが終わり、智也は大きく伸びをしつつ、卒業前でもこの一日が終わる瞬間はいつもと大して変わらないことを実感した。
 変わったことと言えば、音夢と純一の席が相変わらず空席だったことぐらいだ。その点は智也を含めた彼らの友人、そしてこのクラスメイトの大半が憂慮していたことだったが、今朝、杉並から音夢が快方に向かっていることを聞いて少し安心した。
 なぜ杉並がそこまで詳しいのかはいつものことなので気にもしていないが、眞子も一緒に見舞いに行っていたみたいなのでより安心できた。別に杉並のことを疑っているわけではないが、それはあれだ。気持ちの問題というやつだ。
――さて、そろそろ行くか
暦「藤倉、ちょっといいか?」
 ちょうど席を立った時、教壇にいる暦から呼び止められた。
智也「あ、はい」
 突然の呼び出しに、若干戸惑いながらも、智也は行き先を教壇に変更した。
――呼び出しを食らうようなことは何もしていない……はず、だと思うが
 これまでの学園生活で染み付いた癖のような不安を纏いながら彼女の元へ向かったが、その表情を見て、その不安は解消された。
智也「暦先生、どうかしたんですか?」
暦「あ、ああ……そうだな……」
 呼び出した本人がどうも、歯切れが悪かった。普段の彼女らしくなく、どこか不安げでもある。
暦「藤倉、今日ことりと話したかい?」
 逡巡の後に出た言葉も意外なものだった。
智也「いえ……そう言えば、話してないです」
 言われて今日一日を振り返ってみたが、確かに今日はことりと話すどころか、その姿を見てすらもいなかった。別に授業の合間の度に会っているというわけではないが、卒パも近いこともあり、顔を合わすことも増えていたので、意外といえば意外だ。
暦「そうか……」
 暦はどこか気落ちしたように言葉を吐くと、また何か考え込むように口を噤んだ。
暦「実は、今朝のことりがちょっと気になってね。君なら何か知ってるんじゃないかと思ったんだが」
智也「ことりが、どうかしたんですか?」
暦「気になるかい?」
 何やら含みのありそうな顔を向けた。
智也「そりゃ、友達ですから」
暦「友達ねえ……。最近、いろいろ話は聞こえてきてるよ。マネージャーさん」
智也「……はあ」
 どう反応していいのかといった様子の智也を見て、暦の表情は普段のそれに戻っていた。
暦「……とまあ、それは置いといて。私の気のせいかもしれないしね。そんなに深く考えなくてもいいさ」
智也「そう、ですか」
暦「でも、君たちみたいに気に掛けてもらえる友人がいてくれると私も安心だ」
智也「それは、ことりの性格のおかげもあると思いますよ」
暦「なるほどねえ……。ま、人当たりの良さもあの子の良い所の一つではあるんだけど……」
 そういう暦はなぜか眉を少し寄せていた。少しではあるが。
暦「話はこれだけだ。忙しいのに引き留めて悪かったね」
智也「いえ、たまにはこういうのも新鮮でいいですよ」
暦「まさか藤倉からそんなことが聞けるなんて、教師はやってみるもんだね」
 暦は笑いながらそう言うと、教室を出た。
――なんだかなあ……
 智也は先程の暦と、今朝の工藤の言葉を思い出した。
 自分ではあまり自覚がないのだが、どうやら二人によれば最近の自分は『らしくない』ようだ。
 確かに、今の自分の状況は自分自身でも多少驚いてはいる。
 一年前の自分では、こうも学校行事のために懸命になっているとは想像もつかなかっただろう。杉並とつるんで一つやらかそうとはするだろうが。
――俺も変わりつつあるんだろうな
智也「……と、こんなところにいる場合じゃなかったな」
 今日の智也は、放課後にちょっとした用事があった。マネージャーとしての雑務の一つだ。
 すぐにでも行かなければと思ったが、さっきまでの暦との話で、ことりのことが少し気になっていた。
――音楽室に寄ってみるか?
 彼女たちは今日も卒パに向けて練習に励んでいるだろう。だが、工藤に今日の練習には付き合えない旨は報告済みだった。
智也「いや、そうすると遅れるよな」
 今日は当日、体育館のステージを利用することで中央委員会から連絡があるとのことだ。そこで利用時間の配分なども決めるらしい。遅れるわけにはいかない。
智也「ま、明日になれば分かるだろう」
 智也はそう自分に言い聞かせて、頭の片隅にある小さな不安を振り切った。



智也「すっかり遅くなったな……」
 集まりは予想以上に長引いて、日が短いとはいえ、学園を出た頃には辺りはもう暗くなっていた。
 長引いた原因はステージ利用の順番や利用時間の決定なのだが、終えてみて、それは当然だとも思えた。みんな、それぞれの出し物を成功させたいと必死なのだ。
 それはもちろん智也も同じで、長引きはしたが、最後は各々の折り合いもついて決定することもでき、一仕事終えた満足感もあった。
智也「さっさと帰るかな……と?」
 桜公園に差し掛かった辺りだ。
智也「歌……?」
 微かではあるが、公園の中の方から歌らしき声が聞こえた。
 「らしき」というのは、その声が途絶えがちで、弱々しいからだ。
 その声は、どこか寂しげで、自信なさげに聞こえた。
智也「この声は……」
 桜も散り、静まり返り、いつもと違う雰囲気を漂わせた公園に、智也はそのどこか聞き覚えのある声に誘われるように足を踏み入れた。
 小さく、途切れがちの声を辿るように公園の奥へと進む。
――……!
 智也の視界に、ひと際大きな桜の木が写り込んだ。
 島内で最も大きな桜の木。そして、この木に願いを掛ければ叶うという伝説じみた話もある、神秘的な場所だ。
 智也自身、話では聞いたことがあるが、実際に目にするのはこれが初めてだ。
そして、周囲の桜の木が散りかけている中、未だに満開の花を付けているその大きな存在に、思わず圧倒されていた。
「藤倉、君?」
 名前を呼ばれて、我に返る。暗くてはっきりと見えないが、その声の主が想像通りであることは確信できた。
智也「やっぱり、ことりだったか」
 そう言いながら彼女に近づく。
ことり「藤倉君、どうして……?」
顔がはっきり分かるくらいまで近づくと、そこには驚きと不安が入り混じったような彼女の表情があった。
智也「ステージ利用のことで帰りが遅くなって、そうしたらことりの声が聞こえてきてな」
ことり「そう、だったんですか……」
智也「まさかとは思ったけど、驚いたよ。ことりは、歌の練習か?」
ことり「は、はい……そんな、ところです」
 言葉を交わして、智也は違和感を感じていた。
智也「相変わらず熱心だな。あんまり長くいると風邪ひくぞ?」
ことり「そうですね。でも、もうそろそろ終わりにしようかなと思ってたところなんですよ?」
智也「そうか。だったら、俺はお邪魔虫だったかな」
ことり「いえ、そんなことないです。藤倉君が来てくれて、安心しましたから……」
智也「ちょっとオーバーな気もするけど、それなら来て良かったよ」
 交わす言葉が増えるに連れ、ことりもいつもの様子に戻っていた。
智也「でも、やっぱり女の子がこんな時間に一人でいるのは感心しないな」
ことり「あはは……反省します。心配、させちゃいましたか?」
智也「そりゃ、当然だ。きっと、ともちゃんとみっくんもこのこと知ったら心配すると思うぞ。ついでに工藤もだ」
ことり「もう、工藤君に悪いですよ。……でも、そうですね。絶対心配してくれると思います」
 そう言いつつ、ことりはその顔を微かに俯かせた。
ことり「……でも、今日は三人に悪いことをしちゃったから……」
 そして、小さく言われたその言葉を、智也ははっきりと聞き取ることはできなかった。
智也「ん?最後の方、聞き取れなかったけど、何?」
ことり「……ちょっと、冷えてきちゃいました。もう、帰りますね」
 智也の問いかけには答えず、顔を上げたことりにはいつも通りの表情があった。
智也「ああ、そうだな。もし良かったら、送っていくけど?」
ことり「ううん、一人で大丈夫ですよ。それじゃ……」
 ことりはそう言うとぺこりと頭を下げて、行ってしまった。
智也「……」
 一人残された智也は、さっきまでのことりとの会話を思い返した。
 彼女の様子は、普段と変わらない。だが、智也には何か分からない、ただ、喉に小骨が刺さったような感じも、同時に受けていた。
――そうだ、あの歌……
 ここからことりが歌っていたあの歌声。それだけは確実に、いつものことりのそれとはかけ離れたものだった。
 とても物悲しく、歌うことを躊躇っているかのような。
 だが、どんなに思い返しても、その原因までは分からなかった。
――実は、今朝のことりがちょっと気になってね……
智也「何だったんだろうな……」
 放課後の暦の言葉を思い返しつつ、智也は傍らの桜の木に問いかけるように呟いた。当然答えなど返ってくるはずもないことは十分分かっているのだが。
智也「……帰るか」
 不意に吹いた冷たい風に身体を震わせ、どこかもやもやした感じを抱きながら、智也も桜の木に背を向けて、家路に就くことにした。

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