小説『D.C.〜Many Different Love Stories〜』
作者:夜月凪(月夜に団子)

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Scene48

 分かれ道から一人になった後、自然と足早になった気がする。
 いや、いつもより早く家に着いたのは、そうではなくて、ずっと考え事をしながらだったのかもしれない。
 家に上がっても人の気配はない。どうやら姉はまだ帰ってきてないらしい。
それもそうだ。いつもならともかく、今日は早く帰って来たのだから。
部屋に入ると、着替えることもなくそのままベッドに倒れ込む。
 彼女には非常に珍しいことであったが、それくらいに今日の彼女は疲れていた。
 肉体的というより精神的に。
 しかし、彼女は申し訳なく思っていた。自分のことを心配してくれている全ての人に。
 その人達は何も悪くない。いや、むしろ感謝しなければいけないくらいだ。
 だが、今の彼女は、『今の彼女』を続けていかなくては、自分を維持できないような気がしてならなかった。そうしなければ、自分の中にある大きな不安に押し潰されそうな気がしていた。
 彼に対してもそうだ。彼も彼女のことをすごく心配している。それだけは今の自分にも分かる。
 だが、それもいつまで続くか分からない。いずれ、分からなくなるかもしれない。
 それが一番、彼女は怖かった。
 そして、彼女は分からなくなっていた。
 周りの人に対する自分の本当の気持ちが。
 彼に対する、自分の本当の気持ちが。
 小さく息を吐き、全身の力を抜く。
 今まで張りつめていたものが、一気に緩んでいくのを感じた。
 それでも、彼女の中にある例えようのない不安は消えなかったが、それでも彼女はこの脱力感をもう少しだけ味わっていたいと感じていた。せめて姉が帰ってくるまでは。
 しかし、突然鳴り響いたインターホンがそれを妨げる。
 姉が帰って来たのだろうか?いや、まだそれはないだろう。来客のようだ。
 正直、出たくはなかった。まだしばらくこうしていたい。
 耳障りな音が続く。このまま動かなければ直に帰ってくれるだろう。
 だが、それは彼女の、白河ことりの性格が許さなかった。
 彼女はその重い体をゆっくりと起こした。
――いつもの彼女に戻って。



工藤叶は考えていた。
それはことりのことだ。
叶も、最近の彼女の様子の変化に当然気付いていた。だが、そんなことは今までの付き合いで一度もなかったことで、原因も分からない。それはおそらく叶よりも付き合いの長いともちゃんとみっくんもそうだろう。
原因を聞いたところで彼女のことだ。大丈夫と答えるに決まっている。今日の彼女の様子がまさにそうだった。何かを我慢して、いつもの彼女であるよう見せているのはすぐに分かった。
だから、いつも通りに接するしかない。
 それはすごく歯がゆい。
 叶は彼女にすごく感謝している。だからこそ何とかしたかった。
 でも、どうすればいいか分からない。
 だから叶は、彼に任せることしかできない。
 文化祭の時でも、自信のなかったことりを元気づけたのは彼だったと聞いていた。
 だから、帰る方向が一緒でも、わざと彼らとは違う道を選んだ。
 だけど、本当にそれでいいのだろうか。
 苦しんでいる友人を前に、自分は本当にこれでいいのか。
 本当に何もできないのか。
 気付けば叶は彼女の家の前に立っていた。
 結果は分かっている。
 それでも、彼女と話がしたかった。
 インターホンを鳴らす。反応はなかった。
 もう一度鳴らす。反応はない。
 まだ暦先生は帰ってきてないようだ。では今彼女は一人でいるのだろうか。
 それともまだ家に帰ってきていないのだろうか。
 それとも――
 そんなことを考えながらもう一度インターホンを鳴らす。
 これを最後にしようか。そう思った時、受話器の外れる音が聞こえた。
『はい?』
 インターホンから聞こえてきたのは彼女の声だった。
工藤「……ことり?工藤だけど」
ことり「あ、工藤君でしたか。ちょっと待っててくださいね」
 彼女の声は普段通りで、学園での時と何ら変わりはない。
 受話器が置かれる音がして、しばらくすると玄関から彼女が出てきた。
ことり「こんにちは。どうしたんですか?」
 家から出てきた彼女の様子は制服から私服に着替えられている以外には何も変ったところはないように感じられた。
工藤「うん。特にどうこうっていう用事はないんだ」
ことり「?」
 ことりが小首を傾げる。それもそうだろう。
工藤「ことり、大丈夫か?」
 ここに来るまでいろんな言葉が浮かんでいたが、実際に口から出たのはこんな簡単なものだけだった。
工藤「最近、ことりの様子がいつもと違う気がしたから、何か悩み事があるんだったら、俺達に話してほしいんだ」
 ことりは息を呑んだ。しかし、それを工藤に悟られないように、すぐに力のない笑みを浮かべた。
ことり「あ、あはは……心配、かけちゃったみたいですね」
工藤「ことり……俺、いや、俺達は――」
ことり「でも、大丈夫ですよ」
工藤「ことり――」
ことり「大丈夫です」
 彼女は言い切った。
工藤「そう、か……」
 結局、工藤はこれ以上追及することができなかった。
工藤「何か辛いことがあったら、何でも俺達に言ってほしい。ことりは俺達の大切な友達なんだから」
 工藤には、言い切った時の彼女の眼に、決意に似た何かが秘められているような気がした。だから、最後にはそう言うしかできなかった。
 こんなことは最初から分かっていた。
 分かっていたが、こうして改めて突き付けられると、工藤は自分の無力さを痛感せずにはいられなかった。



信「それにしても珍しいな。お前が俺の誘いにすぐ乗ってくるなんて」
智也「……誘っといてそれかよ。今日はそういう気分なんだ」
 さっきまでいたゲームセンターを背にしながら、話す二人の表情は対照的だった。
 信は店に入ってから出る時までにこにこ。
 智也は逆に終始どこか浮かない表情を浮かべていた。
 傍から見れば若干異様にさえ感じる二人組である。
信「そんな顔で気分って言われてもねえ。まあ、かなり勝たせてもらったからいいけど」
にこやかな表情を崩さない信に、智也は気だるそうな視線を送っていた。
智也「今日は調子が悪かったんだよ。ゲーセンなんて久しぶりだったからな」
 ことりと別れた直後に、智也の携帯電話を鳴らしたのは信だ。
 用件は単純なもの。
「暇だからちょいと付き合え」
 このまま家に帰り、いろいろと考え込んでしまうよりは気分転換にでもなるかと思い、二つ返事で承諾した。しかし結局、もやもやした気分は晴れず、思惑通りにはならなかったわけだが。
信「調子がねえ……。そういやお前、今日は例のバンドの練習なかったのか?」
 そんな質問を掛ける信に、智也はジト目を向けた。
智也「今日は早めに切り上げたんだよ。じゃなきゃここにいない」
今日はその話題にはあまり触れてほしくない心の内が表情に出た。
信「いいねえ。青春青春。羨ましい限りだ」
智也「……そういうお前は何もしないのか?ほら、文化祭の時にやったってやつ……何だっけ?」
信「相談所だな。そのことを聞かれるのは二度目だが、今回は客側に徹することにしたんだ」
 智也は意外そうな顔を信に向けた。
 しかし、その表情もすぐに何か理解したかのように変わる。
智也「へえ……そうか。なるほど、春が来たんだな?」
信「……お前、喧嘩売ってんのか?」
 今までにこやかだった信の顔が険しくなる。
智也「ゲーセンの仕返しだ。でも、違うのか?」
信「だったらいいんだけどなぁ……」
智也「その反応、もしかして当たらずも遠からずってやつか?」
信「あ、いや、そんなんじゃない……と思う……いや、どうだろう?んん?」
 智也としては冗談のつもりだったが、信は動揺しているのか一人でぶつぶつと唸り出した。
智也「……」
 そんないつもとは違う信の姿に物珍しさと聞いてはいけないことを聞いたのかと複雑な気分になった。
信「ん、んん!俺の話はいいとしてだ。俺が今日聞きたいのはお前のことで――」
智也「なんでお前のことは良くて俺のことなんだよ……」
信「い・い・ん・だ!なっ?」
智也「わ、分かったよ……」
 珍しく感情的になる彼に智也はたじろいで白旗を上げた。
信「で、だ。今日こうしてお前を呼んだのも、お前に聞きたいことがあるわけで……」
智也「やっぱり理不尽な気が――」
 そこまで言って、信がもの凄い目つきが智也に突き刺さったので、彼は不服ながら口を噤んだ。
信「それでいい。回りくどく聞くのも無駄だから単刀直入に聞く」
 そういう信の顔からふざけた様子が消えた。
信「お前、水越のことをどう思う?」
智也「……眞子?」
 正直智也にとって眞子の名が出たことは意外だった。
信「意外って顔をしてるな」
 顔に出ていたのか、信は智也の心境を見透かした。
智也「……にしたって、どうしてあいつの名前が出るんだよ?」
 以前にも彼女の名前が出たことがあった気がするが、その時を含めて、智也にはその意図は理解できなかった。
信「はあ〜……お前って奴は」
 皆目見当もつかないといった智也の様子に信は溜め息をついた。彼としてはこの反応は大方予想通りではあったが、溜め息をつかずにはいられなかった。
智也「む。何なんだよ」
 そんな彼の態度に智也は不満の声を上げた。よく分からないことで溜め息まで疲れたのだ。当然と言えば当然と言えなくもない。
信「もういい。俺が知りたいことはだいたい分かった」
智也「はあ?俺はまだ何も答えてないぞ」
 智也は溜め息までつかれ、何にも分からないうちに一人で勝手に完結しつつある信に良い気はしなかった。
信「自分で考えろ。第一、俺の口から言えるようなことでも、言うべきことでもないしな」
 ここまで言い切られたら智也もこれ以上は追及できなかった。
信「……ま、ヒントと言うか俺から言えることはだ――」
 そんな智也に、信は慎重に言葉を選びながら言った。
信「後悔だけはするな」
 一言だった。だがその一言だけは、智也の心に確実に響いた。頭の中で何度か繰り返し再生されるほどだ。
 それまで何も分からなかったことに少し道筋が開かれた気がした。意外だと感じたことすら、意味のあるものに思えてきた。
 信がこの話を切り出した理由までは分からない。その一言だけ、今の智也には重く感じられた。
 結局、信の目的が何なのかは分からなかったが、智也はもう気にしていなかった。
信「んじゃ、俺はそろそろ帰ろうかね」
智也「ん?もう帰るのか?」
信「ああ。勝たせてもらったし、用事も済んだからな。満足満足」
 そういう彼からはさっきまでの真剣な表情は消え、元のにこやかな顔をしていた。
智也「そうか、じゃ、俺も帰るか」
信「おう、帰れ帰れ」
智也「お前……この借りはいつか何倍にもして返してやるからな」
信「はいはい。また返り討ちにしてやるって」
 最後はそんな軽口を言い合い二人は別れた。
 智也自身、この時はまだ気づいてなかったが、彼の中で初めにあった暗くもやもやした気持ちは確実に薄れていた。

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