小説『D.C.〜Many Different Love Stories〜』
作者:夜月凪(月夜に団子)

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Scene49

 いつもの放課後の練習。
 今日も早めに切り上げようと切り出したのはともちゃんだった。
工藤「そうだね。俺もその方が良いと思うよ」
 すぐに工藤が賛成する。
みっくん「うんうん。演奏もまとまってきてるしね」
 日々の練習の積み重ねの成果で、練習開始当初に比べればミスもほとんどなくなり、バンドとして十二分に機能していた。
ともちゃん「ことりも復調してきたみたいだけど、ここで無理しても意味ないしね」
みっくん「そうそう。調子が良いなら、それを卒業式まで持続してもらわなきゃ」
 そう軽い調子で言う二人にことりは、苦笑いを浮かべて答える。
ことり「で、でも、藤倉君まだ来てないし、何も言わないで帰っちゃうのは悪い気が……」
 彼女の言うとおり、この場に智也はいない。
 卒業式が間近に迫ってくるということで、卒業パーティ関連の最終的な打ち合わせのためだった。
工藤「藤倉ならここに来る前に俺から言っといたから、多分来ないと思うよ」
 ことりの懸念も工藤によってすでに解消済みだった。
 といより、このことは練習が始まる前から決まっていて、全ては事前に仕組まれていたことだったのだ。
ことり「……」
工藤「ことり?」
 と、工藤がことりの変化に気付いた。
 彼女は何か考え込んでいる様子で、彼が声を掛けたこともどうやら気付いていない。
ことり「……あ、そっか」
 そして、何か気付いたのか、他の二人には聞こえないような小さくそう呟いたのも工藤は聞こえていた。いや、もしかしたら他の二人も気付いてはいるのかもしれない。
ことり「ひどいなあ。私以外はみんな知ってたんだね」
 そう言って、ことりが口を尖らせる。
ともちゃん「みんなそれだけことりが心配ってこと。ぼやかないの。ね、工藤君」
工藤「え?あ、うん。ことりに言ったら絶対反対するだろうからね」
みっくん「そういうことそういうことー」
ことり「うー……」
 ことりは不満そうに口を尖らせる。工藤が先程気付いた少しの違和感もない。
最終的には、親友二人に折れるのも彼女らしかった。そこの所はいつも通りの彼女たちだ。思い過ごしか、考えすぎだったのかと思えるくらいに。
みっくん「そうだ!これから久しぶりに買い物でも行かない?」
ともちゃん「いいねー。最近のことりは誰かさんにご執心みたいだったし」
 そう言って、ともちゃんがいたずらな笑みを浮かべる。
ことり「――っ!と、ともちゃんっ?」
 音楽室に笑い声が響く。どこも変わったことはない。何も心配することもないのかもしれない。実際に、この後全員が音楽室を出るまでも、出てからも、彼女達は普段通りだったのだから。
 こうして、この日の練習は終わった。


「――以上で連絡を終わりまーす」
 卒業パーティ前の最後の連絡事項等の通達、確認が終わり、集まっていた生徒達が帰り出し、教室が騒がしくなった。
 代表として出席していた智也もその例に漏れず、座り続けて凝り固まった体を解しつつ、帰宅を始めた。
 音楽室の練習もすでに終わっているだろう。今朝、工藤から聞かされて、今日の練習が早めに終わることは知っている。本番も近く、最近のことりの調子を考えれば、それは妥当なことだとも理解している。しかし、練習に立ち会えなかったのはやはり少し寂しい感じもした。
 そんな感傷に浸りつつ、下駄箱に差し掛かった時、見慣れた生徒が智也の目に留まった。
眞子「藤倉じゃない」
智也「おー眞子か」
 そして、二人は自然と一緒に帰ることになった。
 帰り道、他愛のない雑談をする中で、智也はふと昨日の信の言葉を思い出した。
――何だってあいつ、あんなことを……
智也「……」
眞子「ふ、藤倉?」
智也「え?な、何だ?」
眞子「や、やけにこっち見てくるから……あたしの顔に何か付いてた?」
 そう彼女に言われて、智也はようやく知らぬ間に彼女の顔を見つめていたことに気付いた。
智也「え、あ、いや……ちょっと考え事をしてて……」
 咄嗟に取り繕うが、込み上げてきた恥ずかしさを隠せているかどうかは、自信がなかった。
眞子「そ、そっか……」
 途端に気まずい空気が二人を包み、しばらくの間、お互い何も話さないまま歩いた。
智也「なあ――」
眞子「ねえ――」
 お互いの声が重なり、そして同時に口を噤む。
智也「な、何だ?」
眞子「藤倉こそ、何?」
 そんな、まるで漫画のようなやり取りの後、智也が先に言うことにした。
智也「そういや何で眞子がこんな帰り遅いのかなーって思ってさ。まあ、だからどうってことはないんだけど……」
 智也としては沈黙を打開するための質問だった。結果は裏目に出たが。
眞子「あー、言ってなかったっけ?卒業パーティで音楽部も演奏するから、その練習に顔出してたのよ」
智也「……初耳だな。眞子も演奏するのか?」
眞子「ううん、演奏は後輩達だけだから。今日はちょっと練習に付き合ったってぐらいかな。元々は、あたし達卒業生のための演奏ってことになってるからね」
 その後輩達のことでも思い浮かんだのか、眞子はその目を優しげに細めた。そんな彼女を見て、智也も、普段とは違う音楽部員としての眞子に新鮮さに似たものを感じていた。
眞子「な、なによ。また人のことじろじろ見て」
智也「こうして聞くと眞子も先輩してたんだなと思ってな」
眞子「なによそれ。……まあ、いい先輩してかどうかは分からないけどね」
 彼女はそういうがそれは謙遜だろう。普段から何かと面倒見のいい彼女を知っている智也には後輩の面倒をよく見ていた彼女の姿は容易に想像できた。
眞子「ま、帰宅部のあんたに言っても分からないでしょうけど」
智也「……人が折角褒めてやったのにそれかよ。で、お前は何を言おうとしてたんだ?」
眞子「あたしもあんたと同じようなことよ。今日は練習なかったの?」
智也「今日は集まりがあったからそっちに出てたんだよ」
眞子「……へえ、意外とちゃんとやってるのね」
智也「意外は余計だ。俺は音楽のことはまるっきり分からないし、こういうことしかできないからな」
 今日は座りっぱなしで疲れたけど……と、智也は身体を伸ばしながら付け加えた。
眞子「あはは、ごめんごめん。でも、練習まだやってるんじゃない?顔出さないの?」
智也「ああ、それは――」
 智也は、昼休みに工藤と話して、今日の練習はいつもより早く終わらせたことを眞子に簡単に説明した。
眞子「そうだったんだ……大丈夫なの?白河さん」
智也「そうだな……昨日見た時は……」
 そう言いながら、智也は昨日のことを思い出した。
 確かに、練習中のことりは、彼女がそう言うだけあって大丈夫そうではあった。
 しかし、あの時。
――本当に、心配してくれて、るんですよね……
二人で一緒に帰り道を歩いたあの時の、彼女らしくない言葉とその様子が、智也の頭から離れないでいた。
そんな片隅にこびりついたような小さな不安が、智也が今日彼女と一度も会えていないことを悔やませた。
智也「……」
眞子「藤倉……?」
 いつの間にか黙り込んでしまった智也に、眞子が心配そうに声を掛ける。
智也「あ、ああ、ごめん……えっと」
眞子「……白河さん、そんなに調子よくないの?」
智也「……よく、分からない」
 思わず、智也の本音が零れた。
 昨日の練習中でのことりは、普段と何ら変わりのない、いつもの彼女だった。
 だが、その日の帰り道や、それまでにも所々見せた、さもすれば気付かないような小さな違和感が、彼の中にずっと引っかかっていた。
 だが、それを感じたところで、どうすればいいのか分からない。何とかしたい、力になりたいとは思うが、彼女にどう接すればいいのか分からないでいた。
眞子「……心配なんだね。白河さんのこと」
智也「当り前だ。ことりは……大切な、友達だからな」
眞子「……そっか」
 そして再び沈黙が訪れた。さっきの時とはまた違う。嫌で長い沈黙だ。
眞子「でも、それだけ……?」
 そんな重い空気を眞子の小さな声が裂いた。彼女は歩いていたその足を止めた。
智也「眞子?」
 智也も足を止める。沈黙は破られたが、空気は重いままだった。
眞子「友達だからだけで、藤倉は白河さんのこと、心配なの?」
 眞子の声は、普段の彼女からは想像できないくらい、消え入りそうな、弱々しい。そんな彼女の様子に、智也は困惑した。
眞子「答えて……本当にそれだけ?」
 彼女は続ける。彼女の表情は、真剣だった。いや、悲痛ともとれるかもしれない。智也を見る視線は強かったが、声は微かに震えていた。
智也「い、いきなりどうしたんだよ」
 そんな彼女の表情に、智也は戸惑った。ついさっきまで茶化し合っていた空気から正反対の、彼女の様子に。
眞子「智也にとって、それだけじゃないんじゃない?」
智也「ちょっと待て。どうして、そんなことを……」
眞子「……どうして?」
 彼女が視線を落とす。
眞子「そんなの――だからに決まってるじゃない」
智也「え?」
 ひと際小さく、弱々しい声を聞き取ることができず、智也は聞き返した。
眞子「そんなの……あんたが好きだからに決まってるじゃない!」
 震える声で発せられたそれは、悲痛な叫びにも似ていた。智也を捉える彼女の眼は潤んでいて、声だけじゃなく、その身体も震えているようだった。
 彼女の突然の告白に、智也は完全に平常心を失っていた。困惑というレベルではない。頭が真っ白になるとはまさにこの事だ。
智也「…………」
そんな状況で、咄嗟の言葉が出るはずもなかった。
目の前の彼女は今にも泣きだしそうだった。何か言わなきゃいけない。でも、頭の中に言葉が全く浮かんでこなかった。
眞子「――っ!」
 眞子が我に返ったように目を見開いた。
眞子「え……?あ、たし……今」
 状況を把握していないのか、その目はひどく泳いでいた。
眞子「……」
 眞子が再び智也を見る。その目にさっきまでの力は全くこもっていなかった。
智也「……眞子」
 そんな彼女に、智也は辛うじて彼女の名前を言うことしかできない。何とも情けない限りだった。
眞子「……ご、ごめんっ!」
智也「あっ眞子!」
 彼女は走り出して行ってしまった。智也も声は出せど、足が全く動かなかった。まるで自分のものではないように、地面に張り付いたままだった。
 まもなく、彼女の姿は道の向こうに見えなくなり、それでも智也は、しばらくその場から動けないままだった。


 家に帰ってからも、智也の頭には、あの時の眞子の言葉がぐるぐると回っていた。
智也「眞子が……俺のことを……」
 そう呟いてみたが、それでも信じられなかった。
智也「はあ〜っ」
 息を吐きながら意味もなくベッドに倒れ込む。
智也「……信の奴は、気付いてたってことか……」
 昨日の信とのやりとりを思い出しながら、もはやどうでもいい答えに行きつく。
智也「……」
 眞子の言葉を思い起こす。彼女は、ことりの事を聞いていた。自分のことりに対する想いを。
 こう聞かれるまで、智也自身でも深く考えたことはなかった。ことりのことは心配だ。でもそれは自分はバンドのマネージャーだから、いや、彼女の友人だから当然だと思っていた。
 でも、眞子にはそうは見えなかったということだろう。智也も今問えば、自信を持って答えることはできない。
 ふと、ことりの顔が頭に浮かんだ。いつもの元気な表情、そして最近、ほんの一瞬だけ見せる沈んだような、何かに怯えているような表情……。
――俺は……
智也「――っと!」
 ベッドの上でひとしきり考えていると、ポケットの中の携帯電話が着信を伝えるべく震えだしていた。
 急いで取り出してディスプレイを確認すると、珍しいことに工藤からだ。
智也「もしもし」
工藤『ああ、藤倉か?』
智也「俺の携帯だからな。どうした?お前から電話なんて珍しいな」
工藤『ああ……そうだな。えっと……』
 電話の向こうの工藤の声は何だか歯切れが悪かった。
智也「……もしかして、ことりの事か?」
工藤『あ、ああ……実はそうなんだ。よく分かったな』
 工藤が驚いたように声を上げる。
智也「まあ、何となく」
 その後、電話を通じて工藤は、智也も感じていた最近のことりの小さな違和感を、彼も気にしていることを話した。
工藤『どうにか助けになりたいんだけど、俺にはどうすればいいのか分からないんだ』
 電話の先の彼の声から、ことりのことを本気で心配していることは容易に汲み取れた。それは、智也も全く同じ気持ちだからだ。
工藤『藤倉、ことりを……彼女を助けてくれないか?』
智也「……え?」
工藤『彼女を救えるのは、多分藤倉だけだ。俺は、そう思う』
智也「……工藤」
 懇願する彼に、智也は何も答えれない。どうにかしたいのは智也も同じ気持ちだった。しかし、彼もどうすればいいのか分からないでいるのだ。工藤がそう断言する理由も分からなかった。
工藤『……あ、ごめんな。急にこんな電話して』
智也「いや、お前がことりの事を心配してるのはよく分かったから、俺もそれは同じだ」
工藤『そうか……うん、それを聞けてちょっと安心したよ』
智也「ああ」
工藤『でも、彼女を救えるのは藤倉だけなんだ。それだけは伝えたかった。……急に悪かったな。それじゃ……』
 そう言って、電話が切られた。
 規則的な電子音を耳にしながら、工藤の言葉を反芻しながら、智也は1つの情景を思い出していた。
 いつの日か、日暮れの公園でことりと会った時の事。あの時、一瞬の彼女の表情と、歌声から初めて感じた違和感。
 それらを思い浮かべながら、智也は、自分ができる事は何かを考えた。
 そして、彼女の、眞子の事も。
 智也は、自然のまどろみにその意識が落ちるまで、ひたすらそれらの答えを探し続けた。

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