小説『vitamins』
作者:zenigon()

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  鬼ヶ島



 ヒトよりも巨大な手、その青白い指が妖しくうごめきながら近づいてくる。食指が定まると目にも止まらぬ早さ。逃げまどう人々をつかみ上げると暗鬱(あんうつ)たる大空へと連れ去り、また舞い戻る。蛇ににらまれた蛙のごとく身動きできないぼくは許しをこう。

 タスケテ

 イヌのようにひざまずき、手のひらを地面に這(は)わせる。ぼくの爪がゆっくりと土を囓(かじ)りとる。そして目を見開きながら顔を上げていく。 巨大な手、手首からきれいに切断された鬼の手のひらが風圧と共にぼくの視界を埋め尽くしす。


 なんて厭(いや)な夢なんだ。ベッドのぬくもりに安堵(あんど)しながらも天井を見つめる。窓からさし込む月明かり、ビジネスホテルの天井は白くかすんでいた。
 子供のころから何度も見る夢。明日になればオサラバ。そんな気がする。そして自分に言い聞かせるようにつぶやく。

 アシタ ニ ナレバ


 まだ年端も行かぬころ、ぼくの島では神隠し、つまり行方不明になる人々が続出、親からも一人では絶対に遊ぶなときつく言われていた。そんな事を言われなくても十分怖かったし、何よりも一人で遊ぶなんてつまらない。学校から帰り家にランドセルを放り込むと一目散に駆け出し友だちの家へと向かう、それが日課だった。
 あの男と出会ったのも、何の変哲もない曇り空に埋もれた日のことだった。
 川沿いの小高い山、てっぺんにある神社、みんなで遊んでいた。鳥居は何度も塗り込められた鮮やかな朱色、たとえ暗鬱(あんうつ)たる曇り空でも奇妙に感じるほど鮮やかな朱色が記憶に残っている。幾重にも連なる朱色の鳥居、くぐり抜けた神社の境内に男が立っていた。この村の者ではない。年はそう、今のぼくと同じだろうか。三十手前、風に飛ばされそうな痩躯(そうく)な身体を包むしゃれた背広、黒く磨かれた革靴が鈍く光っていた。
 窪(くぼ)んだ目の部分、黒目がちな瞳の妖しい光はぼくらの身体の内側へと向けられている。内蔵や血管、末梢(まっしょう)神経まで引きずり出すような目つきだった。正直、ヒトではないと感じ恐れた。そんな希有な予感、ぼくだけが感じていたようだ。

 その男はぼくらに告げた。ここで遊んではイケナイと。

 ぼくらは無視して遊び続ける。だって、そんな理由なんて、あるワケ無い。ここはぼくらの空間なんだから。男は、それならば、それで構わないと言い放ち、唇の端を半月状に上げた。とても笑顔とは言えない、そんなほほ笑みともつかぬ表情だった。男の舐(な)めるような視線を浴びながらも遊び続けるぼくら。我慢できなくなったぼくだけが一足早く家に帰った。

 それ以来、みんなとは会っていない。まさかその日が最後なんて、気づく術(すべ)などあるわけない。


 あの男の裁判は続いている。日本における犯罪史上、もっとも冷酷、残忍な大量殺りくの罪を問われている。天にも見捨てられるべき犯罪だ。ぼくはもちろん、極刑、すなわち、あの男の死刑を望んでいる。あの男が生きている限りぼくは苦しみ続ける。だから、消滅を望む。
 
 しかし、ぼくの願いは届かなかった。

 あの男は無実、冤罪(えんざい)と法律は判断した。もちろん検察側は控訴する意向だが塀の外に仮釈放されることは間違いない。被告席から振り向いたあの男はぼくを見つけニヤリと笑う。そう、あの時と同じように唇の端を上げた。

 こみ上げる恐れが胃を刺激したのか嘔吐(おうと)したくなりトイレへと駆け込む。洋式トイレの端に両手をあてながら何度も吐いた。唇に付いた何かをぬぐいながらも、じゃりじゃりとした違和感がぼくを襲う。ぼくの両手は土だらけ。囓(かじ)りとったような土が爪にめり込んでいる。水道の蛇口を全開にし、びしょぬれになりながら何度も顔を洗った。

 そして鏡に映る顔を見つめ驚愕した。ぼくはあの男と同じ目つきになっている。どこからともなく声が、鬼の手のささやきが聞こえる。
 

 オマエガ アノ オトコ ヲ コロスンダ

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