小説『vitamins』
作者:zenigon()

しおりをはさむ/はずす ここまでで読み終える << 前のページへ 次のページへ >>

冬のカンガルー


< TAKE1 >

 子どもたちから絶大な人気を誇るアカカンガルー、クララちゃんが市の動物園を逃げ出してから、すでに二ヶ月が過ぎていました。市職員や警察、消防署の懸命な捕獲作戦はことごとく失敗、でも、クララちゃんの行く先々、話題は事欠かないのです。

 派手なデビュー戦は、逃げ出した当日の出来事でした。

 その日、吉田町(よしだちょう)の郵便局へと刃物を持った強盗が押し入り、現金を略奪したあと、エンジンをかけたままの車へ乗り込もうと走りながら、散歩中のクララちゃんと出くわしたのです。言葉を失った強盗は、およそ三秒間思考迷路をさまよったあと、ようやくわれにかえりクララちゃんを突き飛ばそうとしました。
 で、そのとき、クララちゃんの強烈なパンチがさく裂、そしてスローモーションのコマ送り、強盗の手から解き放たれた袋から、略奪された現金が桜満開、春らんまんとばかりに、宙へと舞い上がり、強盗はもん絶しながら後方へと転倒していく、なんてしている間に郵便局の職員と居合わせたお客さんたちが息を切らしながら強盗を捕らえました。

 クララちゃん、お手柄であります。でも、みんなが気づいたときには、クララちゃんは風のごとく姿を消していました。

 午後四時を過ぎて、街のあちこちに設置されたスピーカーから、市の公共放送が伝えられます。今日の当番は、市立第三小学校、六年二組、小糸ちゃん。 緊張しながらも、今日のお知らせ、クララちゃんの偉業をちょっと興奮しながらも、あどけない声で、自ら仕上げたニュースを朗読します。

 『 本日、午後一時過ぎ、吉田町(よしだちょう)の郵便局へと強盗さんがやって来ました。
 深い事情はあるかと思いますが、決して許されないことです。でも、そんなわたしたちの気持ちをクララちゃんが代わりに答えてくれました。クララちゃんが強盗さんを止めてくれたのです。
みなさん、もし、勇敢なクララちゃんを街のどこかで見かけたのなら、次のように呼んでもらいたいと、わたしは思います。

 パンチクララちゃん、と大きな声で呼んであげてください 』

 夕暮れ、たそがれ色に染められた街のあちこちから拍手喝采、子どもたちの歓声が聞こえてきたことは、いうまでもありません。



 次の事件、いえいえ、クララちゃん騒動は強盗さんをパンチしてから二日後のことでした。

 街を見渡せる丘に建てられたしゃれた洋館、買い主が見つかり改装を始めたのは良かったのですが、そこはそれ、窓という窓に金属の板を貼(は)り付けたかと思うと監視カメラを設置しはじめ、さながら要塞(ようさい)を思わせる風体が無言の圧力を街に暮らす人々へと放っていました。テレビで聞いたことのある暴力団がある日突然、わたしたちが暮らす平和な街へ転居しようとしているのです。反対すれば、どんな報復があるか、まったくわかりません。街に暮らす人々の不安は募る一方です。

 事態は深刻の様相を呈しています。警察当局の中止勧告を無視して、暴力団幹部やトップたちへのご披露会なる催しが強行されたのです。黒光りした背広、こわもて、屈強な男たちが洋館への道路両脇、異国の軍隊みたいに整然と並び、業界最高幹部たちを乗せた黒塗りの高級車、ベンツやらジャガーの威嚇色の美を誇示しながら、低速走行していきました。

 その道を阻んだのが、いうまでもなく、クララちゃんだったのです。

 屈強な男たちの怒号や鳴り響く車のクラクションへと何ら怯(ひる)むことなく、待ちかまえるクララちゃん。 法律の制約から、ことの成り行きを見守るしかない警察当局も、想定外の展開、なぜか知らないけれど、心臓の鼓動が早まり、高揚しつつあるのです。

 唐突にクララちゃんは暴力団幹部の乗った車へと飛び乗り、最高幹部の目の前で、こともあろうか、粗相をしたのです。軍隊のごとく整列していた屈強な男たちは怒号をあげながら乱れ、クララちゃんを追いかけ始めたのです。なかには拳銃やらドス、そんな物騒なものをだしながら、クララちゃんを追いかけました。 そして監視していた警察当局が総動員で介入、銃砲刀剣類所持法違反で、組員やら幹部たちを一斉摘発、丘のうえの要塞(ようさい)設立は、頓挫したのでした。

 午後四時を過ぎて、街のあちこちに設置されたスピーカーから、市の公共放送が伝えられます。今日の当番は、市立第三小学校、六年二組、小鉄くん。 緊張しながらも、今日のお知らせ、クララちゃんの偉業をちょっと興奮しながらも、あどけない声で、自ら仕上げたニュースを朗読します。

 『 本日、午前十時ごろ、丘のうえの建物へ引っ越そうとしていたヤクザさんが警察さんに誘われて、やめたそうです。クララちゃんが説得したのです。

 みなさん、もし、勇敢なクララちゃんを街のどこかで見かけたのなら、次のように呼んでもらいたいと、ぼくは思います。

 ファイトクララちゃん、と大きな声で呼んであげてください。』

 ( 二度目でほんとうに申しわけないのですが…… )
 夕暮れ、たそがれ色に染められた街のあちこちから拍手喝采、子どもたちの歓声が聞こえてきたことは、いうまでもありません。


 市立第三小学校、六年二組の担任である桂木仁美さんは、ある日を境に給食がまったく残らなくなったこと、不思議には感じ始めていたのですが、ま、良いことだから、と自分に言い聞かせ、日々の業務に埋没していました。

 本日の日課がすべて終わり、帰りのホームルームの時間、桂木先生は、六年二組、クラス全員を見渡しながら話します。

 「 クララちゃんのことなんですが…… 」

 学級委員である小糸ちゃんは、指先をまっすぐ伸ばした手を上げながら訂正を求めました。

 「パンチクララちゃんです! 」

 窓際の席に座る小鉄くんは、何か言いたげな表情を隠せません。

 ちょっと動揺しながらも桂木仁美先生は話を続けます。

 「 もし、もしもですよ。クララちゃんを見かけたのなら、近くの大人たちに知らせてください。

  なぜかわかりますか。

  人間社会を理解していないクララちゃんをこのまま自由にしても、国道や県道を走る自動車にはねられて、大きなケガとか、場合によっては死んでしまうからです。そうなる前に、先生は、わたしは、クララちゃんには家、暖かい動物園に帰ってもらいたいと思うのです 」


 教室西側、窓ガラスの外、給食時間を待ちわびるクララちゃんの両耳が左右にそっと動いています。気づいていないのは桂木仁美先生、ただひとり。

 市立第三小学校、六年二組の秘密であることは、いうまでもありませんよね。
 




< TAKE2 >

 子どもたちから絶大な人気を誇るアカカンガルー、クララちゃんが市の動物園を逃げ出してから、すでに三ヶ月が過ぎていました。
 山の麓(ふもと)、戦時中の海軍研究施設を一部流用している市立第三小学校の校舎は、山へ登りかけるように建てられていました。校舎の北側、細長い葉をつんつんと揺らすオオシラビソの林(はやし)、裏山を奥深くまで登ると、時代から忘れ去られ朽ち果てた研究用プール、子どもたちから『お化けプール』と呼ばれている場所がありました。

 しんとした山の奥、街の喧噪やら自動車の走り抜ける音は冬の乾いた青空に吸い込まれてしまい、遠い記憶のような風の音だけが残る不思議な場所です。 市立第三小学校、六年二組、秘密のアジト、いえいえ、アカカンガルーのクララちゃんがひっそりと暮らす場所でした。

   *

 ちょっと待ってください。耳を澄ますと、なにやら枯れ葉を踏みしめる足音が聞こえてきました。わたしたちは息を潜めて、オオシラビソの細長い葉や北風に姿を変えて、様子をうかがうことにでもいたしましょう。

   *

 二人の子ども、市立第三小学校六年二組、小糸ちゃんと小鉄くんが大きな荷物を携えて歩いてきました。

 冬空の下、枯れ葉を踏みしめる乾いた音と、『 パンチクララちゃん 』、『 ファイトクララちゃん 』と言いあう白い息がオオシラビソの林に吸い込まれていきます。資源ゴミ回収ステーションからいただいた、まだまだ使える毛布は小糸ちゃんが持ち、熱々の湯たんぽを手提げ袋に入れて枯れ葉のうえを引きずる小鉄くん。
 
 「 もう少しで卒業 」

 小糸ちゃんがつぶやくと小鉄くんは何か言いたいけれども言葉が浮かびません。冬の青空、オオシラビソの林には言葉や時間を吸い込む不思議なエネルギーがあるのです。

 いろんな季節のなかで、雲となり青空を自由に泳いで、羽ばたく鳥のしなやかさで駆け抜けていく子ども時間、小さな胸の奥にあるたいせつな未来地図、描けるけれども手に取り眺めることはできません。

 「 ずっと、このままでいいのかなぁ 」小糸ちゃんはつぶやきます。

 小鉄くんと小糸ちゃんの間を北風が吹き抜けていきます。枯れ葉が乾いた音をたてています。

 子ども時間には、オトナ社会とのすき間に透明な壁が高くそびえていて、懸命に手を伸ばしてみても、パントマイムのしぐさみたいになってしまうのです。

 ほんとうに不器用でふぞろいの思いが、せつないほど満ちあふれているのです。


 「 ぼくは、動物園ではなくて、クララちゃんを故郷(ふるさと)、生まれた場所に返してあげたい 」

 「 できるわけないじゃん 」と小糸ちゃんが反論しました。

 せつないくらい小糸ちゃんの小さな声。気づけばいつのまにか遠いところ、あともどりできない思いに吹かれて、オオシラビソの林がそっと揺れています。


 お化けプールすぐ横、小屋のなかで、アカカンガルー、クララちゃんの両耳が左右にそっと動いています。冷たい北風のなかで感じる確かなぬくもり、遠い異国の街暮らしも、わるくない、なんてしぐさかもしれません。

 もっとも、わたしたちの希望的観測であることは否定できませんが……



 Tomorrow is another day.( 光陰、矢のごとし )



 
 街にさまざまな騒動を引きおこしたクララちゃんが自ら動物園に戻り、小糸ちゃんと小鉄くんが市立第三小学校を卒業してから、十一年の月日が流れていきました。

 さて、準備はよろしいでしょうか。わたしたちの視点は大空を自由に舞う鳥となります。

 午後四時を過ぎて、オーストラリア大陸のウルル国立公園、世界最大級の一枚岩、夕日に染められて赤茶けた『 エアーズ・ロック 』が見えてきました。

 舗装されていない国道から砂塵が舞っています。ちょっと急降下していきましょう。

 そしてクローズアップ

 荒れた大地、砂塵を巻き起こしながら疾走する真っ赤なピックアップトラック、かつて少年であった小鉄くんが運転をし、かつて少女であった小糸ちゃんが助手席に乗っています。ガラスの小さな瓶に入れられたクララちゃんをたいせつに携えて、子ども時間の描いた未来地図に案内されて、まだ見えぬクララちゃんの故郷(ふるさと)をめざしています。

 乾燥したオーストラリア大陸、巨大な雲となったクララちゃんの両耳がそっと前後に動いています。

 小糸ちゃんと小鉄くんの目的地が、あらゆる意味で遠くないことは、いうまでもありませんよね。



----------------------------------------------------------------------------------------------------

 このたびの東北地方太平洋沖地震により、お亡くなりになられた方々の、ご冥福をお祈り申しあげますとともに、被災された皆さま、そのご家族の皆さまに対しまして、こころよりお見舞い申し上げます。

 ほんとうに、ほんとうに、一日も早い復旧・復興をこころより、お祈り申し上げます。




-25-
Copyright ©zenigon All Rights Reserved 
<< 前のページへ 次のページへ >> ここまでで読み終える