「久しぶりだな…姉者…。しかし、こんな形で会うことになるとは…私も正直言って残念だ……。
知らぬ間に変わってしまったのだな…」
「ふんっ…変わったのはそっちもでしょ?こんな平和ボケしたところに、
いつまでもおとなしくいられるなんて、今までのあなたじゃ考えられないことだわ…。
この男に何をされたのか知らないけど、今すぐに魔界へ戻ってきなさい!
大魔王様がカンカンになっているわよ?」
「そうだろうな…。だが、私はもう戻るつもりなど全くない…。あの真っ暗な冷たい世界には帰らない。
もう、ほっといてくれ…」
「そうはいかないわ!私の目的は人間界にいる護衛役全員を連れ帰ることと、
メアリー様を魔界へ連れ帰ることなんだから…」
澪はそう言って、剣を握っている霄の手をつかんだ。
「くっ、何をする!離せ!!」
「何度も言わせないで!私には時間がないの!さぁ、急いで帰るわよ!!」
「や、やめろ!!」
霄は剣を握った状態で手をつかまれているため、うまく剣が振るえなかった。
なぜなら、つかまれている手が彼女の利き手だったからだ。しかし、理由はそれだけではなかった。
「ダメだ…。手に力が入らない…」
そう、手に力が入らず剣が振るえないというのもあったのだ。
「そりゃそうよ…。何せ、あなたの手を握っているこの手には、
痺れ粉を液体化させたものを塗っているからね…。力が入らないのも無理ないわ…」
澪はふふっと勝ち誇ったような顔をして言った。
「無念…ここまでなのか…」
「何言ってんだ…。諦めんな霄!」
「響史…」
「何言ってるのはあなたの方よ…。これ以上、何をしようっていうわけ?
言っておくけどさっきは油断しただけ…今度は負けやしないわよ?」
「そうか…。じゃあ、遠慮なく攻撃してもいいんだよな?」
「えっ…そ、それは…」
彼女は俺が前に一歩踏み出すと急に焦った表情で後ずさりした。
「どうしたんだ?やっぱ負けたのが怖いんだろ?」
「そ、そんなことない!!」
澪は顔を真っ赤にして否定の言葉を述べた。しかし、その目はあちこちに視線を逸らして明らかに怪しい…。
人はよく嘘をつくとき、相手と目を合わせられず目を逸らすという…。
―いや待てよ?今思えばこいつ、悪魔じゃん…。まぁとにかく、
彼女の挙動不審さには警戒するべきだ。いつなんどき何をしでかすか分からない!
俺がそんなことを心の中で思っていると、澪の体に異変が生じた。
「ぐぅぁ!」
「な、何だ!?」
澪は胸をぎゅぅっと掴み、せき込み始めた。突然のことに澪は焦り、
霄のことなどお構いなしで自分の異変に集中した。霄を掴んでいた手を離し、両手で胸を押さえ始める。
しかし、痛みはさらに強くなっているようで、ついに彼女はその場に倒れた。
横向きになって丸くうずくまり、悲痛の声をあげる。
「うぅうぁああ…!!」
「どうなってるんだ!?」
「私にもわからん…」
霄も俺もこれはまさにお手上げ状態だった。
「ゴホゴホ…、ガハッ!!!」
彼女は口に手を置き、またせき込んだ。彼女は目を半開きにして、すごくつらそうな顔をしていた。
彼女の手をふと見てみると、その手には真っ赤な血がついていた。
「!?」
驚いたのは彼女自身もそうだが、俺達も驚いた。そう、どうやら彼女の胸に刻まれた紋章から、
毒が流れ始めたようだ。つまり、大魔王は気づいたのだ。彼女が俺に負けたことに…。
―しかし、大魔王は魔界にいるはず…。一体、誰がどうやってやつに教えたんだ?
俺はそれが気になって仕方がなかった。だが、今はそんなことをしてる暇はない。
一刻も早く澪を助けなければ…。俺は彼女を抱き上げ、リビングに運び込んだ。
「お、おい…。響史、何してるんだ?」
「何って、こいつを助けるんだよ!」
「なっ…しかし、姉者はお前を殺そうとしたんだぞ?」
「そんなの関係ない!今はそんなことを言ってる暇はないんだ。お前だって実の姉を助けたいだろ?」
「……ぁぁ」
彼女は小さな声でボソッと返事をした。俺は額の汗を拭い、腕組みをして考えた。
しかし、どうすればいいのか見当もつかない。相手は魔界の強力な紋章だ。
そう簡単には消すこともできない。しかし、残り時間は一日しかない。今発動したと考えて、大体、
後二十三時間三十分と言ったところか…。
「なぁ、霄はどうすればいいと思う?」
「う〜ん、これだけはしたくはなかったんだがな…」
「何かあるのか?」
「危険な賭けだ…。それでも、やるかどうかは姉者の気持ちしだいだ…」
霄の目は最初に会った時の彼女の目と、同じだった。昔の血がざわついているのだ。
「お前はどうしたいんだ?」
俺は、はぁはぁと苦しみながら、口の端から赤い血を垂らしている澪に聞いた。
「くぅっ!…どちらにせよ、このまま死ぬ体……。私はどちらでも……、構わないわ」
澪は未だに胸を強く握りしめるようにつかんでいる。服に彼女の指が食い込み、
その痛みの強さがよくわかる。毒に侵され彼女の体はどんどん悪くなっていった。
元々肌が青白かったが、それ以上に顔もすっかり青ざめてしまい、血色も悪くなっていた。
「あぁっ!!!お願い…やるなら…早く…やって……」
彼女は訴えかけるように涙目で言った。
「分かった……霄、お前がやれ!」
「えっ、わ…私がやるのか?」
「ああ…。ここは、お前の方がこいつも少しは安心するだろ?」
「分かった…。そういうことならば、私がやろう…」
そう言って霄は俺から聖剣をとった。
ーそういえば、危険な賭けと言っていたが、一体何をするのだろうか?
「姉者…。すまぬが、少し服を脱ぐぞ?」
「…はぁはぁ…えぇっ?」
彼女は既に何が何なのか分かっていなかった。しかし、そんなことはお構いなしに、
霄はさっさと彼女の服の第二ボタンに手をかけた。そして、そのボタンを外し終えると、
胸に刻まれた紋章がよく見えるように、カッターシャツをはだけさせた。
白くやわらかそうな柔肌と胸の谷間があらわになり、また事の元凶である蠍の紋章もよく見えていた。
彼女はその位置をしっかりと確認すると、瞑想に映るためか、目をゆっくり閉じた。
「そ、霄…?」
「話しかけるな…。気が散る…。これから、集中力を高めるのだ…。しばらくは話しかけてはならぬぞ?」
「分かった…」
俺は霄にそう忠告され、言われた通りにした。霄は聖剣を振り回し、
重さや剣の振りやすさなどを確かめていた。一体何をするのだろうか?未だに理解できていない俺…。
瞑想が終わったのか、霄は目を開け、キリッと目を光らせると剣を構えた。
「ふぅ〜…では、行くぞ姉者!!」
「…え、ええ…。きなさい!!!」
「ちょ…、何を…―」
「やぁあああ!!」
グサッ!!
「ぅぐうぁああ!!!」
ドサッ!
「……」
さっきまでの澪の荒い吐息が途絶え、リビングには、壁にかけてある時計の秒針の、
カチカチという音のみが残った。
「おい、霄何やってんだよ!それじゃ、助かるものも助から…―」
「ふっ…これでいいんだよ」
「何言って…」
俺は彼女に
「息してねぇじゃねぇか!第一、剣刺したら普通死ぬだろ!!?」
と言おうとしたのだが、その前に澪の体にさらなる変化が起きた。
「ゴホゴホッ!!はぁはぁ…」
そう急にせき込み始めたと思ったら再びあのはぁはぁという吐息を始めたのだ。つまり、
彼女は生きていたのだ。
―しかし、どういうことだ?確かに今、剣を刺して貫いたはずなのに…。それに、
剣にもちゃんと血がついてる。
「な、なぁ…霄。一体どうなってるんだ?どうして、こいつ生きてるんだ?」
「ああ…。どうやら、姫はお前に言い忘れていたようだな…。この聖剣にはもう一つの力があるんだよ…」
「もう一つの力?」
俺はその言葉を聞いた瞬間何か素晴らしい力でもあるのかと一瞬わくわくしてしまったが、
それはどうやら違ったようだ。
「それは癒しの力だ。相手を助けたいという気持ちを持ってこの剣を振るえば、
その対象者はあっという間に癒しの力によって回復するんだ。そしてその力量は、
剣を使った人間の心の強さに比例する…。つまり、例え魔界の施した、
魔法のようなものだろうがなんだろうが、簡単に治すことが出来るんだ。
だから、この剣を振るうことで姉者の体から紋章が消え、体内の毒も浄化されるだろうと、
そう踏んでいたのだ」
なるほど、彼女は頭がいい。そんなことまで、この剣には可能だったのかということに、
改めて気づかされたのだ。何とか二時間ちょっとで、彼女を助けることが出来て、
本当によかったなと思う慌ただしい一日だった。彼女はその後、しばらくの間は、気を失ったままだった。
俺は疲れ果てて、その場に座り込んでしまった。
しかし、まだ瑠璃と麗魅の二人の戦いが終わっていなかったのだった……。