「はっ!?」
しかし、彼女はギリギリのところで、思いとどまった。
澪は言葉を溜めて、霙に忠告した。
霙はいまいち理由が理解できずに、首を傾げている。
澪は、霙に嫌味のように言った。
澪は霙の顔の目の前に人差し指を縦にして置き、念押しした。
―ってなことを言ってたな…。ちっ…メンドイな…。
「くぅっ!」
霙は、トラックのギリギリ手前で踏みとどまり、進行方向とは逆の方向に重心をかけるようにした。
何とか勢いが収まり、彼女は、重力に引っ張られて、太陽の熱い日差しを浴びる前の、
少し冷えた状態のアスファルトの地面に、ペタンと座り込んだ。
「ふぅ〜…」
彼女が額から鼻に伝ってくる冷や汗を腕で拭い去りながらため息をついていると、
トラックの運転手が小麦色に日焼けしたでこを摩りながら窓から姿を現した。
どうやら、慌てて急ブレーキを踏んだために、ハンドルか何かに額をぶつけたようだ。
「っててて…。ったく、あぶねぇな!気をつけろぃ!!」
そう言って運転手は大きなエンジン音を響かせ、走り去って行った。
去り際に浴びせられた真っ黒な排気ガスを浴びた霙は反射的に後ろに退いた。
「ゴホゴホッ!!ったく、何しやがんだ、てめぇ!!…っていない!?」
彼女がそう言って、前に歩こうと片足を上げた瞬間、彼女の体は後ろに傾いた。
「な、何だ!?」
彼女がふと後ろを振り返ると、そこは、川だった。そう、ここは川のすぐ近くだったのだ。
そして、彼女はその淵にいたのだ。それが、先ほどの排気ガスによる後ろへの退き…。
とどめの、彼女の前へ進むための一歩が原因で川に落ちることになってしまった。
「し、しまっ…―」
ザバーン!!
川の真上に吹き上がる水しぶき…。
「ぷは〜っ!くっ…アタシとしたことが、しくじったか…。こんな無様なことになるとは…」
霙の身長的に考えて、水深は彼女がその場に立ちあがって、首くらいまで深さがある。
ちなみに彼女の身長は157cmくらいである。霙は四角いコンクリートの板が敷き詰められた防壁を、
その隙間に手を伸ばしてロッククライミングのようにして、上って行った。
「よ…いしょ…っと!ふぅ…」
霙はゆっくりとその場に立ちあがった。服が水で濡れてしまい、服の裾や水色の長い髪の毛から、
水滴がポタポタと落ちる。地面が水滴でどんどん濡れていき、彼女の足元には、
いつしか小さな水たまりができていた。
「あ〜ぁ…、どうすっかな〜…。このままじゃ、風邪ひいちまうだろうし…。何か、ないかな〜…」
霙は、ぶつぶつと独り言のようにつぶやき、人間界に来て彼女が最初にいた場所である、
路地裏に入って行った。そこから、まるで野良猫のようにゴミ箱などをあさくり始めた。
「おっ…これいいじゃん?」
霙は少し嬉しそうに、笑顔でそれを手に持ち、目の前に広げてみた…。それは少しボロい感じの毛布だった。
「仕方ない…か。まぁ、風邪ひくよりはマシかもな…」
ぶつぶつと文句を言いながらもぼろ毛布を羽織り、それにうずくまる霙。
髪の毛ごと毛布にくるまり、毛布を頭にもかぶせた。帽子は邪魔なため、
自分の持っているバッグにしまった。そして、霙は路地裏から空を見上げた。
「こんな恰好じゃ、下着が服の上から薄く見えちまうし、標的に会うのは服が乾いてからにすっか…。
あれ…そう思ったら、だんだんと眠く……なって……―」
彼女はコックリコックリ頭を傾けさせながら、気づくと路地裏の中で眠ってしまっていた。
時刻は午後六時…。すっかり日も暮れ、辺りも暗くなっていた。毛布にくるまった状態の霙は、
完全に毛布の中のために、路地裏にゴミを捨てに来た近所の人も、全く気付かなかった。
まぁ、それは今の彼女にとっては少しばかりありがたかったかもしれない。
「ん……ふぅぁあ〜〜あ…。あっ!?しまった、つい気持ちよくて寝てしまった!!
いっけない…今何時だ?くそ…時計か何かあればな…」
彼女が腕を見て、時計がないのを少し残念そうに思いながら話していると、
表通りの方が騒がしいことに気が付いた。
「なんだ?朝とは違って随分と騒がしいな…」
おそるおそる彼女がゴミ箱の陰に隠れながら表通りを見てみると、そこにはたくさんの人が、
行き来していた。お年寄りや、旅の人。買い物帰りの主婦や、学校から家に帰宅する学生…。
ありとあらゆる民間人が、あんなに静かだった朝方の道路を埋め尽くす。
「す、すごい…。これが人間界の朝と夜の違いなのか…」
霙がほぉ〜っと首を頷かせながら納得して、見ていると彼女の目の前に標的が出現した。
都立光影学園の制服に銀色の髪の毛…。それが賑やかな商店街の街灯に照らされ、光っている。
そう、神童 響史…俺だ。
―くっ…ふふふふふ…。まさか、向こうからやってくるとはな!絶好の狩り時じゃないか!
見てろ…。神童 響史…。お前の首…必ずこのアタシが狩ってやる!
霙はそう言って、表通りに飛び出した。
「神…―」
彼女が俺の名前を呼ぼうとしたその瞬間、彼女の肩を誰かに人差し指でつつかれた。
「んだよ…今、取り込み中なんだよ!」
「ちょっと、署までいいかな?」
それは、警官だった…。
「い…いや、ていうか、誰だよあんたら…」
無論、初めて人間界を訪れた霙に取って、住民の治安を維持している警察が理解できるわけもなく、
意味不明と言った表情で彼らを見つめた。
「その、格好…。恥ずかしくないのかい?」
「何かのコスプレ?」
男警官の二人が霙のボロっちぃ毛布を見て、言った。その表情は少し彼女をバカにしてるようだった。
「こすぷれ?」
霙は謎の言葉にさらに?が増える…。
「いや…アタシはただ、その…あっ、そう川に落ちて、それで服を乾かそうと思って、これ着てて…」
「だったら、家に帰って着替えればいいじゃないか!」
警官の言葉に霙は次に言おうとしていた言葉を言えなくなってしまった。
「……それは―」
「とにかく、署に来てもらおう…」
「そ、そんな〜!や、やめろ!アタシに気安く触んな!ていうか、あんたら何なんだよ!あんたらこそ、
何だよその格好…。カッコつけちゃってさ!!」
「こら!大人をバカにするんじゃない!いいから、来るんだ…」
「くぅ〜!!い、いや〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!」
霙は澪に言われた言葉を守るため、本来の力を出すことが出来なかった。
結局、霙はそのまま交番に連れて行かれてしまった。