小説『追憶は緋の薫り』
作者:因幡ライア()

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「ようこそ、民芸部へ」


『その部の名は、民芸部と言う』


 喧騒は遥か遠くのように思え、耳に聞こえてくるのは風車のからからと回る音と記憶の切れ端に残るもの

とは違う年相応のテノールを少し低めにした男の声だった。

 こいつではないのか、いや……しかしと、自問自答を繰り返したところで堂々巡りになるのは目に見えて

いた。

 それならば何故あの妙に強調された鼻筋といい、こちらを品定めでもしているようなつり上がった金色の双眼

といい、彼が被っている狐の面はあの人物が顔を覆っていたものとああもそっくりなのだろうか。


「……まいったな」


 どのぐらい時間が過ぎただろうか、口の端をつり上げると右手でその面を外す。

 中から現れたのは何とも冷ややかにこちらを見ている青年だった。

 視線が合った瞬間にあの時とまったく同じ感情が紫紺(しこん)の胸の中に滲む頃、彼が次に発した言葉に

目を疑った。


「女子高生に見つめられるとはな」


「誰が女だっ!」


 咄嗟の事で思わずカウンターツッコミを入れてしまったことに些かなショックを覚えながら、くっくっと

喉の奥で笑う青年をキッと睨む。

 受話器越しの彼が言っていた通りだ。


『民芸部部長の校倉聴(あぜくら ゆるし)は成績は良いんだが、……何と言うか癖の強い男でな。まだ二年だ

が早くも来年再来年のことを考えると頭が痛い』


 会えば直ぐ判る筈だと言っていた事も頷けるこの人を食った言動は、目上の者には従わなければいけないと

いう桎梏(しっこく)を掛けられた記憶を凌駕するほどの威力がある。


「………………さて、こちらにおいで」


 一通り笑って気が済んだのか、こちらに向かって手招きをする。

 その様は艶かしく、妙な緊張がある意味あっちに行ってはいけないと数歩後退りをさせた。

 いや、真っ昼間にオカルトが出しゃばって来たとしても高高素人が演ずるものなど日輪の下に透かしもしない

だろう。

 問題はねんねこを羽織っているだけでも充分怪しいと言うのに、更にあの手つきだ、要素を含んでいないと

してもお近づきにはなりたくない。

 かと言って本来この場にいる理由を忘れているわけではない。

 本能と使命の狭間で揺れていると不意に、大きな掌が頭に乗せられた。


「後輩をいじめて遊ぶな、校倉(あぜくら)」


「遊ぶとは酷いな。……俺は見たまんまの感想を言ったまでだぜ、半(はした)」


「余計に悪い」


 やれやれと言った調子で誰かが息を吐くのが聞こえたが、今の彼にはそんなことよりも切実な問題がある。


「……いい加減退けてくれませんか?」


「あっ」


 それまで遠慮なく置かれていたそれを指で示すと簡単に相手は悪いと言い、その場から退いた。


 「……じゃあな」


 「あっ!……ちょっ……待ってくださいっ!!」


 「何だよ」


 如何にも不機嫌な顔で良いですよと口にしても相手には筒抜けだっただろう、少しグレーの入っている瞳を

細めてからその場を後にしようとするのを今度は紫紺(しこん)の方から呼び止める。

 呼び止められた方は実に不愉快そうで、こちらをじっと見ているだけであろうその視線さえも睨んでいる

ように思えてしまうのは心がすっかり萎縮してしまっている所為だろう。


「いっ……一緒にっ……僕と一緒にいた奴はどうしたんですか?」


「ああ……奴なら今頃餅を搗いている筈だ。「親友にここの団子を腹いっぱい食わせてやりたいんだ」と」


 よかったなと言う京輔の声は耳に入らなかった。

 初対面の彼から言われた時、どういう顔をすれば良いのか解らなくてそっぽを向いてしまう。

 <親友>と言うカテゴリーの中に自分がいるからこそ、当の本人は今もあの店の前で体中汗でグッショり

濡らしながら餅を搗いているのであって、最初から……例えクラスメートとして知り合ったとしても<親友>で

なければきっと、わざわざこの十一月の寒空の下で労働に勤しむことはなかった筈だ。

 そう紫紺(しこん)が堂々巡りから抜け出せずにいる最中、すうっと手が伸ばされたことに気づいたのは

きれいな黒髪を梳かれ、左のこめかみ辺りに何かを挿された後だった。


「っ!?」


 ひんやりとした感触に飛び跳ねそうになるのを堪え、その異物を確かめようと伸ばした指と目の前に手鏡が

翳されたのはほぼ同時だった。

 その中に映し出されたものを見て思わず言葉を失う。

 店先を飾る赤い風車の四分の一サイズのものがこめかみの辺りから挿され、今にも風を追いかけてからからと

乾いた音を立てて回りそうだ。

 きっと、雅味豊かなそれに異性ならば次に起こすアクションは悦びを表現する確立が高いのだろうが、生憎

このシーンのヒロインは女ではない。


「なっ!いきなり何するんですかっ!?」


「やっぱり……君には赤がとてもよく似合う」


「嬉しくありませんっ。男ですよ」


「良いんじゃない?今の時代性別関係なくアクセ着ける人多いんだし」


 ねっと、それまで会話に割り込んでこなかった無口な傍観者に相槌を求めるが、当の本人は一瞥をくれただけ

で先刻の彼のようにそっぽを向いた。

 それに識別不能な感情が顔を擡げようとしたが、くっくっと喉の奥で笑う声が聞こえてくると一気に色を

変え、隣にいる人物を睨むが逆にこちらをあの怪しい目つきで見返してくる。

 一々癪に障る男だ。


「君、紫紺(しこん)君だろ。東雲(しののめ)先生が言ってた」


「父さんがっ!?」



 父が自分のことを誰かに話してくれてなんて…。



 今までそのことを本人に確認したこともなかったし、況してしようとも思わなかったから…………………

どうしよう………………今、めちゃくちゃ嬉しいっ!!



「『一応男子高生なんだが、見た目は街中を歩いている女子高生よりも可愛い』と豪語するだけはあるな。

一目で判った」



(………………父さん)



 何と言う紹介をしてくれたんだ。

 話の内容まで期待していなかったが、嬉しかっただけに上昇していた気持ちがきれいなシュプールを描いて

一気に下降していく。

 昔からこの容姿のおかげで散々な目に遭って来た。

 今更このことで褒められたとしても、バカにされているか相手が何かを企んでいるかと昔と比べて随分と捻く

れたことを考えるようになってしまった。


『貴方が桎梏(しっこく)だと感じることはないのですよ』


 真倖の言葉だけは素直に受け入れられた。

 ……しかし、…………もう、彼はいない。

 その真実をあの双子から聞かされてどれほど泣いたかは数えてはいない。

 だが、しばらくの間、依頼前後に墓所の中で涙を流していた。


「おはよう、真倖」


 十一月の風に撓らせる枝には全て枯れ落ちてしまい、もう葉は一つも残っていない梅の樹を見上げる。

 決して受け入れていないと言うわけではないが、墓所にくれば彼に逢えるような気がして朝夕を問わずここに

来るのが紫紺(しこん)の新たな日課になっている。

 最後に会ったあの日にくるめられたままの所為だろうか、気持ちがまだ追いつけずにいた。


「確かに似合うが、どちらかと言うと俺は白が良い」


 左耳に挿された風車と対を成すように今度は右耳の辺りに何かを挿し込まれ、我に返る。

 思わず見上げた先にはやはり不機嫌な顔をした京輔がいた。

 伸ばした掌には瑞々しい花弁の弾力が感ぜられ、一重や況して人の手によって作り出されたものではない

ことを知る。


「白山茶花……ね。まあ、それもありだな。ぐっと来る」


「………………校倉(あぜくら)が言うと犯罪っぽく聞こえる」


 何だとっと、声を上げるが別段顔は怒っておらず、相変わらずけらけらと笑って先程の手鏡に彼を映す。

 そこには一点のシミのない純白の山茶花が紫紺(しこん)を見ており、その様はまるで仰々しくお辞儀をして

いる花嫁ようだ。

きれいだ、思わず綻びる瞳に彼も静かに口元を緩めていることに気づいたのはやはり、その姿に魅せられて

いた校倉聴(あぜくら ゆるし)しかいなかった。


「シコンにいちゃーんっ!」


「なっ!?」


 風で店先を彩る赤い風車がからからと回る音が辺りを占める頃、パタパタとこちらに駆け寄ってくるであろう

小さな足音が聞き覚えのある声を発して足元に抱きついた。

 その衝撃に少しよろめいたが、何かにぶつかったことで無様な格好で転ぶのはどうやら免れたらしい。


「……危ないだろ」


「えっ…半(はした)さんっ!?」


 どうしてと言いそうになる彼に答えず、その足元でカタカタと小さな体を震わせている幼稚園児の少年と

視線を合わすように長身の体を折り曲げて屈む。


「お前、名前は?」


「……っ………………セイジ……」


 一体どうしたのだろう、常にと言うわけではないにしろ以前、最初に会った時も根岸満月(ねぎし みつき)

と一緒だった筈だ。


「青磁(せいじ)……君、今日は一人?根岸……君は一緒じゃない………………の……?」


 普段無口で、開いたとしてもまるで褒められた言葉を使わないため、妙にたどたどしかったかと気になったが

彼の方はそれどころではないらしく、首を力強く左右に振った。


「ミツキにいちゃんもさがしてくれてるのっ。……おねがい、シコンにいちゃんもいっしょにさがしてっ!」


「ちょっ……待って!何か失くしたの?話してくれなければ分らんない……よ。少し落ち」


 次の言葉を発する前にその小さな体には似合わない大きな瞳でこちらをキッと睨んでくる。


「おちついてなんかいられないよっ!いまもどこかでチトセがないてぼくをまっているんだ。ぼくがおにい

ちゃんなのにチトセをまいごにさせちゃっ……たから………………っく……」


 語尾に近づくほど思い出してしまったのか、その瞳に波紋が広がり今にもわんわんと言って泣き出しそうだ。

 僕が泣かしたのかと、ショックで身を固まらせている彼の足元からは深いため息が聞こえてきた。

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