小説『追憶は緋の薫り』
作者:因幡ライア()

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『…うっ……うっ……く』


『泣いてもダメだ、花桜(かおう)』


『うーちゃんはきびしすぎるよっ!ほら、もうなかないで……ね?』


 お気に入りのピンクのトレーナーを気にせず、その袖で涙と鼻水を拭う姿に一人は呆れながら、もう一人は

それに憤慨しながら目の前で泣きじゃくる少女を必死に宥めている。

 その周りを行き交う大人たちはこの喧騒で気づかないのか、はたまた単に某国のように面倒事に関わりたくな

いだけなのか躊躇うことなく足の向くままにどこかへと消え去ってゆく。


『だって……アレっ』


 小さな指先で指したのは駄菓子屋の景品である一つの人形だった。

 彼らには理解不能だが、今も昔も変わらぬ不動の人気を博する20cmぐらいの大きさのそれは、緩く背中

まで伸びた赤みを帯びたブラウンの長髪がよく似合う女の子だ。

 幼女は勿論のこと、大人の女性にもコレクターがいることをこの二人の少年は勿論知らない。

 だから、何故妹が懸命に欲しがっているのかどうしても解らなかった。


『ダメだと言ったらダメだ。…それに景品だぞ、当たらなかっ』


『あてるもんっ!』


『……』


 子供ならではの何の根拠のない意気込みが返ってきて、余計に嫌な顔をする兄に一瞥をくれてからまだ幼い

割には整った顔立ちの彼は何度も頷いてからその小さな頭を撫でる。

 その優しさに泣きべそで見上げる彼女の瞳には、信じて疑わなかったもう一人の兄の笑顔が映っていた。

 十一月中旬の白梅町ともなると季節を通り越した寒さに覆われ、朝の通勤通学時にはマスクを着用している者

がちらほらと目立ち始めていた。

 駐車場に停めてある車にはうっすらと霜が降り、その様は恰もそれを纏っているようだ。

 明け方に少し雨が降ったが、金と銀を別々にその身に宿した双子が朝食の支度を済ませ終えた頃には垣根の

椿の葉の先に光る露だけを残して止んでいた。


「右近(うこん)、今日の予定は?」


 昔ながらの丸型の卓袱台を部屋の隅から引っ張り出し、食器を数枚並べれば日本の朝の始まりだ。

 先日母が編んでくれたオフホワイトのセーターはこの頃着る頻度が多くなった、朝な夕な冬の足音を聞かない

日はない。


「………………別に無いが……どうした?」


「ん……いや、今日から二日間うちの大学で学園祭があってさ」


「却下」


「左近(さこん)っ!」


「お前、忘れたのかっ。先月襲われたばっかだろーが!学校の行事なら判るが、そうでもねーのに無闇に

出歩くんじゃねーよ」


 一ヶ月前、あの月光も届かない宵闇の中で逢った狐の面を被った人物はあの言葉を残し、紫紺(しこん)の

右隣を通り過ぎていった。

 鳥居を明々と照らす篝火がくゆりと妖艶に踊る姿を最後に、彼が次に目覚めたのは東の空が少し明るくなって

も尚厚い雲に覆われている翌朝だった。

俺は反対だ、と主の紫紺(しこん)に対し顔をそっぽに向け、わざと大きな口を開けて茶碗に装った白飯を

貪る。

 卓袱台はそれなりの大きさだが、体格のいい二人が囲むと一気にままごとセットのものへと変わる。

 人間の生きる醍醐味とも言える飲み食いや就寝などしなくとも病気や死に至ることはないのだが、敢えて

こちらに合わせてくれている。

 最初は主の命だと言う気持ちからだったが、今ではそれが日課になってしまったらしい。

 彼は何となく想像できるが、あのいかにも唯我独尊な弟の従順な姿は今となってはまるで理解できない。


「でも……見た目はあんなだったけれど、そんな悪い奴じゃない気がするんだ」


「……それも華衣(はなごろも)の力か?………………それとも」


「解らない。見ようとは思っているんだが、……それらしいものは迎え火の時だけで後は仕事で憶えているくら

いだ」


 空になった茶碗を卓袱台に戻し、つけ合わせのおみおつけの中に浮かぶわかめとキャベツを見る。

 あれから約二ヶ月、やっと落ち着いたからとあの老夫婦が置いていった一品だ。

 華宵殿(はなよいでん)では依頼の報酬は金銭ではなく、昔ながらのご近所付き合いと同様に余ったおかず

と代々決まっているが、経済的に厳しいと言う家庭は今でも珍しくはない。


「ったく、……全てを思い出したんじゃねーのかよ」


 そっぽを向いたままズズっとおみおつけを啜る左近(さこん)を睨むが本人は気づいてないのか、涼しい顔で

中の具を口内にかっ込んでいる。

 覚醒したあの時、確かにそう思っていた。

 しかし、あの墓所で恩恵を得て初めて「全て」であり、「すべて」ではないことに気づかされた……なんて

自分でもバカだと反省している。



(確かに僕は「全て」を思い出した。でも、あの夢と言い「全て」であって「すべて」ではなかった?)



 それに答えるかのように少し開けていた障子の隙間から甲高い野鳥の鳴き声が響いた。

 先月まで制していた虫たちは知らぬ間に消え失せ、今では夏以前の静寂が白梅町に戻りつつあった。

 大学の正門には何かの祭を催している寺院のように幟が何十本も立て掛けられてある。

 既に数人の客が受付を済ませ終えている中、あからさまに彼はため息を吐いた。

 高等部の倍はあるグラウンドには最早判別不可能な屋台が軒を連ね、己の自慢の味を競い合っている。

 受付で貰った学園祭のパンフレットのページを開くだけで胸やけしそうだ。


「何だよ、東雲(しののめ)。ため息なんか吐いて」


 いかにも不満そうな顔でこちらを見る彼の目は逆に、この日を待っていましたと言わんばかりに輝いている。


「どうもこうも……まだ十一時十分だ。まだ昼には早いだろうが」


「そうだけどさ。お前、家の人に言われてるんだろ?」


「うっ…」


「なら、楽しまなきゃ損だぜ。そう言う俺は食いたくて食いたくてうずうずしている」


「この幸せ者」


「何とでも言えっ。よーし!まずは手始めに甘いものから攻めるかっ!」


「えっ?……って、おい!」


 返答を待たずにスタスタと歩き始める太一の後姿をいつもとは逆に追う羽目になった原因は、昨夜掛かって

きた父からの電話だった。


『ど、どうしたんですかっ?』


『ああ、夜遅くにすまないな。実は明日なんだが、予定はあるか?』


 唐突な発言に紫紺(しこん)が戸惑う様が受話器越しに伝わったのか少し息を吐かれた。

 それにあたふたと騒ぎ出すのもきっと十年以上もの間、親をやっている彼だからこそ何かを言うであろう前に

当たり障りのない言葉がやんわりと見えない手でこちらを宥めてくれる。


『明日明後日と大学で学園祭があるんだが……紫紺(しこん)には二日とも参加してもらいたい』


『えっ?』


 意外な言葉で驚いたが、別段想定しなかった訳ではない。

 東雲(しののめ)家に引き取られてから何ヶ月か過ぎたある日、普段忙しくてどこにも連れて行ってやれない

ことを不憫に思ったのか、勤め先である大学の学園祭に連れて来てくれたのを今でも少し覚えている。

 新しい両親、新しい妹、……そして、………………新しい兄。

 あの頃は何も知らないままただ差し伸べられた手に引かれていたが、今はあれから自分は何か変われたの

だろうか。


『驚かせてしまってすまない。実は、今年から部活の顧問を引き受けてな。私は当日出張が入っているから

顔を出せないのだが、代わりにお前に見てきてもらいたいのだ』



 ああ、そう言うことか。



 そう、ほっと一安心したのも束の間、父が次に発した言葉は彼が案じていたそのものだった。


『それとな、先日と言い、お前の食生活が心配でな。ちょうど学園祭があるんだ、友達でも誘って腹いっぱい

食べて行きなさい』


『でっでも、父さんっ!?』


『心配するな。その分今月の小遣いは母さんが奮発してくれただろ?それを使いなさい』


『そんなことっ!それにそんなに食べれな…』


『……紫紺(しこん)』


『はいっ』


『これは母さんと話し合って決めたことなんだ。…お前に拒否権は無い』


『…………はい』


 急に温度を下げてきた彼の声に虚を衝かれ、背筋にゾクリとしたものが走った。

 特にこれと言って厳しいと言う訳ではないが、普段放任主義の父を怒らせてしまうことは家族内でもタブーと

されていた。

 家のために毎日忙しく働いてくれる夫への気遣いなのか、幼い頃母に口酸っぱく言われてきたため、当初から

物怖じ気味だった彼が更に誰かに接することを避けるようになったのは最早必然だったのかもしれない。

 味噌団子に何度か息を吹きかけながら食べる紫紺(しこん)の視線の先にはいつ喧嘩をし始めてもおかしく

ないくらい睨み合っている二人の青年いる。

なんだなんだと時が経つに連れ、野次馬もため息も増えて行く。


「もうやめろよ」


「いいや。……俺はやる」


「臨むところだ、ガキ…」


 高等部の中でも背の高い方に入る彼の目の前には、剣道部二年の半京輔(はした きょうすけ)が拳の関節を

ボキボキ鳴らしながら見下ろしている。

 日頃の鍛錬の違いなのか体格はその上を優に越えている。

 その瞳は顔を突き合わせている男子高生と同じく勝負事に燃えている。

 腰の辺りまで伸ばした髪をヘアゴムで一つに結んでいる以外は硬派そうに思えるのだが……他人の見た目など

大して当てにならないものである。

 グラウンドを占める大体の学生たちは私服や場合によってはコスプレをしているのもちらほらと見かけるが、

 この部は全員剣道着姿で防具さえ装着してさえいればきっと物々しい光景だっただろう。

 せーのと言う掛け声がどこからとも無く聞こえてきた瞬間、二人の拳が風を切る。


「あーーーっ!くそっ……負けたぁ」


「出直して来い」


 勝負は一瞬にして終わりを迎えた。

 太一がチョキを出し、彼はグーを出した。


「あっ!待った待ったっ!!」


 顔をシワくちゃにして心底悔しがっている敗者と態度には出さずとも満更でもない勝者が踵を返そうとして

それを奇声が阻止する。


「……まだ何かあるのか」


 そう振り返った本人は実にうんざりとした表情で、焦げ目がうっすらと表面についた団子の串を一本掴んでは

蜜壷に少し浸し、ケースの中にある空の紙皿の上に丁寧に並べていく。

 きっと根は真面目なんだろう。


「んや、仕方ないから買うよ。今度はみたらしと味噌」


「あいよ」


 手際良く紙皿に並べられた二種類の団子のソースの照りがキラキラしてまるで、その不器用なやり取りを

笑っているようだ。

 二本分の代金を支払おうとしてそれをため息交じりで彼に制される。

 そうされた方はぽかんと口を開けたままこの一見融通の利かなそうな青年の顔を見上げている、何ともバカ面

なことだろう。


「<部員とジャンケンで勝てば一本タダ!>だが……お前が餅つきを手伝うんなら奢ってやらんでもない」


「本当かっ!?」


「ああ、ちょうど昼時も過ぎて客足も途切れてきた頃だ。ここらでうちの目玉の餅つきでもやって売り込まな

ければ来年の部費に影響出るだろうしな。お前体力には自信ある方か?」


「おう!これでもサッカー部で鍛えているぜ。餅つきの一つや二つ引き受けてやろうじゃんっ」


「良く言った。だが、生憎うちは二人で餅を搗くことになっているんだ。解ったらとっとと始めるぞ」


そう言うのが先か、半(はした)はテントの奥にいる他の部員に二言三言何かを言うとかなり年季の入った

臼と杵二本を運んでくる。

 蒸したもち米を臼の中に放り込む頃には人だかりがそれを囲むように出来始めていた。


「ほい、東雲(しののめ)」


 味噌団子が一本乗せられた紙皿と太一が着ていたダークブラウンのジャケットを差し出される。

 見上げなくとも彼がやる気満々なのは声色からも察せられた。


「……はあ……行って来い」


「おうっ!力の続く限りタダ団子Getしてやるぜっ!」


 一々恥ずかしい奴だ………………だが、紙皿の上に乗せられた味噌団子を見ると毒気が抜かれる。


「あっ、これ旨い」


 親友の後を追いかけた先には、テントを支える骨組からあの荷造りでお馴染みのビニール製の紐で固定された

団子屋の暖簾が見えた。

 店頭のケースに並べられてある品目の中で昔家族で山登りに出かけた時に食べた味噌団子を見つけて買って

みたのだが、いざ口にしてみると結構イケ、思わずそう呟いてしまった本音を忠犬の…。


「って、おい!また俺に非常に失礼なこと考えていただろっ」


 ……どんだけ自己中なんだろ、胸の内で厭きれながら掌を宙に翳して上下に降り、シッシッのポーズをする。

 バカを相手にするほど自分は寛大ではない。

 今も会計の近くに立てかけられてある<部員とジャンケンで勝てば一本タダ!>と言う色とりどりの文字で

書かれたポスターを見た俄か、売り子をやっていた半(はした)に後先考えずに啖呵を切った彼にどう接すれば

と考えを巡らす紫紺(しこん)を見ている影に気づきもしないほど戸惑っていた。

 リズミカルに杵が餅を搗く頃、人ごみの歓声の中、僅かに耳を掠める風に呼ばれるまま歩みを進める内に

いつの間にかグラウンドの中央から移動してしまった様で辺りは人気も疎らだ。

 目の前には他の模擬店から離れて佇む一軒のテントがあり、店頭にはその時代を生きていない者でも何故か

ノスタルジアにも似た懐かしさが漂う駄菓子の他に無数の赤い風車がからからと回っている。


「いらっしゃい」


 一歩…また一歩……、と踏み出す彼の目の前にはいつの間にか現れたのか狐の面で鼻まで隠した青年が店先に

立っていた。

 その面はいつか見たものと瓜二つだった。

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