小説『追憶は緋の薫り』
作者:因幡ライア()

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「まさかっ……千歳はっ」


 賑やかなBGMと笑い声が遠くで聞こえる。

 そこの入り口から四号館の中を突き抜ければ、先程までいたグラウンドに出る。

 しかし、校舎を伝って洩れるボリュームはその場にいる四人には道化に過ぎなかった。

 きっと、今頃は京輔の所属する剣道部も書き入れ時なのかもしれない。

 彼には本当に妙なことに巻き込んでしまった……と言うと本人は怒るだろう。


「そう。お察しの通り、この子は言霊だよ」


「ただの言霊じゃない」


 そう発したのは、彼ら四人より少し離れた場所からこちらに向かって来る根岸満月(ねぎし みつき)

だった。

 その姿を見つけるや否やうっ!と、短く呻く彼の声が聞こえた。

 あれ以来、左近(さこん)がこの少年に苦手意識を持ったのは言うまでもない。

 その荒い口調とは打って変わり、少しウェーブの掛かった前髪を認めると、とてもアンバランスだが不似合い

だとは思わなかった。

 十三時を既に回った駐車場には陽が傾いた所為もあり、先程よりも風が肌寒く感じられる。

 紫紺(しこん)は何かに誘われるようにそっぽを向くと、小さくくしゃみをした。

 年頃らしく豪快に披露しても良いのだが、それでは話の腰を折る気がしてどうしても避けたかった。


「うわっ!?」


 鼻を啜ると目の前がいきなり紺色に染まり、思わず声を上げてしまう。


「……少し風が冷たくなってきた。そのままでは風邪を引いてしまう」


 これでも着ていろと言わんばかりに、黒のデニムジャケットの上から自分の着ていたセーターを羽織らせる。

 仄かに右近(うこん)が纏う品のある匂いが一緒に小柄な青年を温める。

 キツ過ぎず、甘すぎない彼の合わせる香はその日ごとに違う。

 紫紺(しこん)が羽織るとあまりにもサイズが違いすぎて、恰も子供が父親のものを身につけているように

見えるだろうが、残念ながら観客はこの三名しかいなかった。

 青磁(せいじ)は医療関連の会社社長の父とホステスの母との間から産まれた。

 だが、単なる<お気に入り>に過ぎなかった彼女が子供を孕んだことを知ると、産む事は許可されたが認知

されることもそれ以後彼が姿を見せることもなかった。

 彼との結婚を心の底から信じて疑わなかった彼女は酒浸りになり、………………若すぎた母親はその矛先を

息子にぶつけることにした。


「っ!?」


 すっかり重たくなってしまったであろう満月(みつき)の口も緩みだしたのか、その語る声色も先程よりも

軽かったがやはり憚れるのだろう、終始唇を噛む仕草が彼の誠実さを物語っている。

 それに反応したのは二人の兄弟の間で聞いていた実年齢よりも幼く見える紫紺(しこん)だった。

 体を小刻みに震わせ、まるで何かに耐えるように自らを抱きしめる姿はその場にいる全員に伝わってしまった

だろう。

 この青年が彼を哀れんでいるのではない事に…。


「……」


「……」


 震えている頭に手のひらが乗せられたのはその時だった。

 自分より明らかに大きいそれは骨で角ばってごつごつしてはいるが、その不器用な動きはよく知っていた。


「……大丈夫だ。紫紺(しこん)には俺たちがいる」


「左近(さこん)……」


「………………気を静めろ」


「右近(うこん)……」


 交互に撫でられて頭が少し重いが、今はこの重ささえ暖かく思えた。

 青磁(せいじ)にとって千歳だったように二人の存在に救われている自分に知らぬフリをしているのは単なる

強がりだろうか。

 彼女は突然少年の前に現れた。

 それまで話し掛けられはしたが、その姿を目にすることは無かった。

 姿形こそ違えど旋毛までそっくりな双子の妹……千歳に宛がわれた役回りはそれだった。

 彼女のことは母親がまだ正常の頃、よく胎内に話しかけてくれていたのでもう一人の存在の名を知っていた。



 ……けれど、千歳が産まれてくることは出来なかった……あの人の所為で。



「聞いた話だと、どうやら死産だったらしい。……それだけ精神的に追い詰められてたんだろうな」


 だが、それで我が子を虐待していいという事にはならない。

 勿論、あの壮絶な苦しみも、感動も、知る者はこの場にいない。

 それでも、例え無責任だと罵られようが、他に道は無かったのかと考えてしまう。

 青磁(せいじ)は産まれつきの言霊使いだ。

 嘗て日本には言霊信仰があり、口に発せられたそれに内在する力によって実現すると信じられ、今でもその

影響力は人々の心に根付いている。

 その中でもとりわけ彼はその恵みを多く受けているのか、はたまた一人分の才を取り込んで生まれた所為なの

か、どちらにしろ元々魂魄のまま浮遊していた妹に肉体を与え、自分以外の他人にも見えるようにするなどの

力を有している。

 ただ一人、実母だけ除いて…。


「きっと、無意識だったんだろうな。千歳ちゃんだけは守らなくちゃ……てね」


 小さくてもやっぱり男だね君のお兄ちゃんと、背中に向かって視線を動かす聴に一同は凍りついた。

 ねんねこの不自然な膨らみは彼に何か囁いたのかスルスルとその場から降り、代わりに宙に浮かんだ赤い風車

が目の前に現れた。

 それは聴の後ろに隠れると、ちょいちょいと遠慮がちに裾を二度引っ張る。


「ああ、解っているよ。青磁(せいじ)君の力が衰えているわけではないけれど、もう時間が無いのでね。俺が

彼女の代わりに話そうか」


 約束だしねと、付け加えた青年は背にしていた方に向かってまるでパントマイムををするかのように長身の

体を折り曲げて一礼をする。

 大気はそれをどう思ったのだろうか、深々と頭を垂れた後に上げた面は先程までの校倉聴(あぜくら ゆる

し)に戻っていた。


「話って…アンタっ、千歳と話が出来るのかっ!?」


「そうみたいだね」


「みたいって・・・」


 食いつくように胸倉を掴む満月(みつき)を涼しい顔で軽くいなすと、二人の間でそれを聞いていた中性的な

青年に視線を走らせた。

 何だろう?、そう瞬きを数回繰り返した刹那だった。


「『あのトキはごめんなさい。おねえちゃんとまちがえて』だって」



 それかーっ!



 何かと思えば、何時ぞやの迎え火のことを彼を通して謝罪してきたことに何だか眩暈がしてきた。

 喉の奥で笑う銀髪の青年の足を思い切り靴底で踏んでやると、言葉にもならない声を上げてその場を跳ね

回る。

 ……全く、主の気にしていることを堂々と笑う従者もいたものである。


「時間が無いって……どういうことだよ…」


 依然として彼の胸倉を掴んだままの少年の手が震えている。


「本来ならばあの時死ぬはずだった。でも、ただ一人の兄を残して逝くのを拒み、この五年間ずっと傍にいた

が、もう彼は独りではない」


「だからって、勝手に逝くのかよっ」


「彼女が決めたことだよ?こっちがどうこう口出しするのは野暮だ」


「うるさいっ!おいっ、千歳っ!そこにいるんだろ?何で喋んないんだよ?どうして隠れているんだよ?今すぐ

出てくるなら兄ちゃん怒らないから出て来いよっ」


「もういいよっ、ミツキにいちゃんっ!」


「青磁(せいじ)っ!?」


 その声が発せられた方には学園祭の賑わいに背を向けて俯く幼い少年とそれを宥めるわけでもなく、ただ

様子を遥か高みから見下ろしている京輔の姿があった。

 その場からゆっくりとアスファルトの地面を踏みしめ、校倉(あぜくら)の背後にいるであろう妹の元に歩く

彼の顔は何かを堪えているように思えるが、キッと前を向いている。


「ぼくがナくとおもった?」


 彼と同じく空気に話し掛けている、やはりそこにいるのだ。

 言霊使いの青磁(せいじ)とあのお得意の人を食ったような笑みを絶やさない青年にしか見えない存在は今

どんな顔をし、何を語っているのだろうか。

 残る者にはその姿も声も認められないが、三人だけはそこに何かがいることを感じることが出来る。

 それは人ならざる力を持っているためか、それとも……。


「うん、わかった…。でもっ、さいごにもういちどだけ……わらって。みんなにみせたいんだ、チトセのかわい

いえがおっ」


 そう言った途端、砂塵をまき散らかす嵐が起こり、思わず強く目を閉じた。

 両サイドから自分を挟む形でがっしりと二人が抱きしめてくれるのをその瞬間に知った。

 それが当然のことだと解っていてもやはり悔しい。

 小柄の男子高生が二人の長身の青年にすっぽり覆い隠されているのだ、風圧も砂埃も最小限に抑えられたが、

問題はそこではない。

 右近(うこん)と左近(さこん)の神通力を以ってすればそんなことをしなくとも三人を、若しくはこの場に

いる全員を見えない壁で守ることが出来るが、それでは彼らに紫紺(しこん)が華衣(はなごろも)だと知られ

てしまう。

 そして、それは二人が人間ではないことを知られることにも繋がる。

 それは歴代の主たちの死守するべき掟であり、共通の願いでもある。

 彼らはあくまで従者ではなく、時を経て巡り会う友人なのだから…。


「セーちゃん……みんなっ………………ごめんなさいっ。どうかっ……おにいちゃんのことを………………

よろしくおねがいしますっ」


 拘束を解かれて自由になった彼の先には、とても純粋な涙を瞳いっぱいにして微笑む可憐な少女の姿が

あった。

 それは黄昏が見せた幻だったのだろうか、その姿は一瞬にしてあのオレンジの世界に解け、もうあの存在は

この世のどこにも感ぜられない。


「もういいぞ」


 それまで何も口にしようとはしなかった寡黙な青年がそう呟く。

 その言葉が皮切りとなったのか、小さな両肩を震わせていた青磁(せいじ)の顔が一気に歪み、ボロボロと

涙を頬に伝わせた。

 きっと、今まで兄として妹を見送ろうと先程から堪えていたのだろう。

 言葉にならない声が駐車場内に響くほど、本来の年頃の少年に戻っていくようだった。


「ふう……危なかったですね」


 その頃、五号館の屋上では一人の男性がオレンジ色の空を仰いでいた。

 裸眼で見上げた先には彩雲が広がっている。

 そろそろ終了のアナウンスが無機質なスピーカーを通して校内を駆け巡るだろう。


「………………ここにいたんですか」


「おや?お久しぶりですね。その後、単位の方は大丈夫ですか?」


「お蔭様で…」


「ははは……相変わらずですね。キミの弟君もかなり力をつけているようですし、隠れる身としては些か骨が

折れますよ」


「……」


「おっと、どうやらまた喋りすぎたようですね。そろそろ時間ですし、俺は退散しましょう」


 ジャケットの胸ポケットにしまい込んでいた黒縁の眼鏡を再び装着すると、踵を返して屋上から出て行った。

 残された長身の青年はその後姿が消えても尚、じっと見たままポツリと呟いた。


「……弟なんかじゃありませんよ。………………生贄ですから」


 しかし、その声は学園祭初日の終了を告げるアナウンスにかき消されてしまう。

 空には早くも夕星がその存在を輝かせていた。

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