その名に相応しく月の初めから雨の日が続いた五月下旬、小高い山の上に一人の青年の姿があった。
時刻はまだ早朝の所為だからか、彼以外の人気はない。
身なりと言い品のある顔立ちと言い、高貴な生まれであることは確かであろうが、このような刻限に共の者を
つけずに外出するものだろうか。
眼下には碁盤目のような形を成す都が広がっている。
そろそろ朝餉の支度の時間であろう、家々から白く細い煙が天上を目指しては宙で消えてゆく光景が次第に
増えてくる。
今頃、邸でも家人たちが支度をしていることだろう。
軽く腹の虫が鳴った気がするが、今は何も口にしたくない。
「……朱華(はねず)、お前がイってからまた夏が来ようとしている」
「同い年だったはずだったのが………………いつの間にか俺の方が年上になってしまったな」
目頭に熱いものを感じた頃には既に、頬を伝う涙で濡れていた。
一年経ったというのに今も尚、受け入れ難い。
……いや、幾年の夏を迎えようとしても、この胸の隙間は埋まることは無いだろう。
それほどの影響力があの存在にはあったのだ。
今でもふらりと現れ、肩を並べてここからの景色を一緒に眺めるのではないかと期待している自分がいる。
この場所は二人が初めて出会った場所であり、彼の一番好きな場所だった。
「……朱華(はねず)はいつも勝手だっ」
そんな思いを自分に残したままイってしまった。
着物の裾で拭いもせず、軽く握った拳を見下ろす。
その掌には小さな葉があった。
それはあの華宵殿(はなよいでん)で見事な花を咲き誇らせる梅の葉だった。
主のいないその場所は既に閉ざされている筈だが、彼は一体何者というのだろうか。
青年は何かをぼそぼそと呟くと、それを風に乗せた。
言の葉を乗せた小さき船は、荒波にもまれながらも航路を真っ直ぐに進んでいく。
それは恰も、主の固い決意を表しているようだった。