小説『追憶は緋の薫り』
作者:因幡ライア()

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 もう直ぐ今日が昨日に変わる八月十三日、古より残るお盆をどれくらいの日本人が墓前に手を合わせたことだ

ろうか。

 白梅町も普段は田舎同然の静けさに人々に忘れ去られているのに、前日のスーパーの混み具合はそれ事態が

幻だと言わんばかりの有様だった。

 進学や就職やらで都会に暮らしている子供に好物を拵える為、お盆に付き合わされてウンザリしている孫を

どうにか自分に振り向かせようとする為、年金暮らしのため供える花だけを買い求めるなどきっと人によってバ

ラバラだろう。

 スーパーの半透明の袋をキャリーケースに詰め込む顔が自然と緩んでいるかそうでないかでチェックしている

 暇人などこの町には居合わせてはいない。

 時刻は二十二時三十四分。

 八月中旬の夜は寝苦しく、節電の夏を乗り切るのに白梅町も四苦八苦していた。

 それに打って変わって涼しすぎる外界は真夏の割には既に日中の暑さを忘れ、星月夜をより冷たいものへと

感じさせた。


「集中しろよ」


「……お前が言うな」


 何をと、拳を握り締める左近(さこん)とは違って右近(うこん)は黙って空を仰いでいた。

 陽を宿したその瞳の先には当たり前だが月はない。

 その穴を埋めるかのように紺青色の帳を自前の輝きで主張するが星のそれは弱く、この町がどんなに忘れ去ら

れようともこれだけは都会と何ら変わりはない。

 雄黄(ゆうおう)と過ごした最期の日に昇っていた十六夜(いざよい)はいつ頃現われるのだろう。

 彼は主や弟ほどではないが、全く興味がないと言うわけでもない。

 ただ単に二人が描いている絵空事に追いつけないだけで、気がつけばいつも空を仰いでるだけだった。



 ……それだけでも彼は笑っていてくれてたから。



 こうして待っていると、ある姫を想い待ち続けた哀れな男を思い出す。

 当時は嘲笑いはしないが何も言わぬ月を見ながら時折、彼女の名を呟く空蝉の彼に理解しがたかったが、

今なら解るような気がする。


『ようやくお逢いできましたね』


『今度はここに刻まれたんです。……何やら…………恥ずかしいですね』


 雄黄(ゆうおう)はいつも笑顔だった。

 まるで、それが自分たちと巡り会うための対価であるかのようにそれ以外の表情を見せたことはなかった。

 しかし、それは幼い少年にいとも容易く破られた。

 最初から気づいていたのだろう、彼が何者なのか………………自分の死期が近づいていることを。


「何してんだ。今宵は月は出ていないぜ」


「……そんな夜も悪くはない」


 そうかあ?と、右近(うこん)と同じように空を見上げる左近(さこん)はやはり興味がないのか直ぐ視線を

紫紺(しこん)に移した。

 体を横たえ瞼を静かに下ろしたその顔は恰も夢を見ているようで、蒼蒼と運ばれた風に前髪をさらわれても

眉一つ動かさない。

 その体が気持ち良さそうな芝の上にあったのなら今宵だけはうなされずに深い眠りに落ちているようだと、

誰もが勘違いしてしまうだろうが、彼のそれは宙に浮かび上がっていた。

 二人の高さまでに固定された位置を紫紺(しこん)が知ったらきっと束の間だとしても大喜びしたことだろう

が、今はそんなことをしている場合ではない。


『……やっぱり横にならなきゃダメか?』


『ダメに決まってるだろ。いーからとっとと寝とけ』


『うわっ!?止せって……自分で出来る』


 腕をこちらに伸ばしてきた彼を一瞥してから渋々と言った様子でその場に横になる。

 彼が躊躇うのも当然で、ここは華宵殿(はなよいでん)の裏にあるあの梅林だ。

 初春には毎年見事な花を咲かせるその実体は歴代の華衣(はなごろも)が眠る墓所であり、そこで横になる

勇気も罰当たりな度胸も当然持ち合わせてはいない。

 だが、急を要する已むを得ない状況に目を強く瞑り、乱暴に音を立ててその上に横になった。

 依頼を何件か済ませて背伸びをしていた自分とは違い、早々とした様子でどこかに向かったのかと思えば、

どこの店にそのサイズが売っているのか割烹着に身を包んだ二人が台所に立っていた。

 ここに来て何週間も経つ紫紺(しこん)にはそれはあまりにも受け入れがたい真実だった。

 いや、今時「弁当男子」など料理上手な男性がいて当然なのは解る。

 それに偏見などはないが、この光景は似合いすぎて不気味だ。

 今まで三食は勿論のこと三時のおやつなど誰が支度をしているのか気にはしていたが、敢えて尋ねる事はしな

かった。

 重箱に手馴れた仕草でおかずを詰めている左近(さこん)と目が合う。

 ある意味衝撃を受けた彼は一つ咳をして退き気味のもう一人の自分に渇を入れる。


「何をしているんだ。これからどこかにピクニックにでも行くのか?」



 ………………あり得ない。



 自分で言っておいて自分にツッコむ。

 山の休憩場でビニールシートの上に座り、三人で何やら笑いながら弁当を広げる場面を脳裏に描いて背筋に

悪寒が走った。

 一人を除いて紫紺(しこん)も彼もほとんど無表情だ、そんな構図はあり得ない。


「アァ?何寝ぼけたことを抜かしやがるんだ。今日は「迎え火」だろーが」


 いーから部屋で待ってろと、台所を追い出されてしまった。

 毎年華宵殿(はなよいでん)では華衣(はなごろも)が在住の場合は三日間墓所に篭り、今も眠る彼らの

恩恵をその身に受ける決まりがある。

 本来力を得るためのお盆だが、いつしかそのことを知る人は限られていった。

 仕方なく部屋に戻ってはみるが東雲(しののめ)家から持参してきた夏休みの宿題に目を通しても初日から

少しずつやり始めていたため、残っているのは毎年ランキングに上位する読書感想文と自由研究しかない。

 八月も中旬、いつもならば小等部の頃からの腐れ縁である彼からSOSコールが掛かってくるのだが、今年は

どうしたことだか静かなもので逆に新学期が怖く思えた。

 読書感想文は教師ウケが良い文豪の作品から一作浚うとしても自由研究はどうしようかと毎年悩んでいた。

 苦肉の策で去年は何にしたかも覚えてないくらいだ。

 世間一般的にはその名の通り出品したい者だけが参加するのだろうが、白梅学院は違う。

 幼稚部から高等部まで自由研究は生徒ひとりひとりの個性と向上心と独立を育むとして他の科目と同様、

必ず期日までには提出しなくてはならない。

 毎年コレだけは颯爽と終わらせてしまう太一に交換条件で宿題を教えたり本当はいけないのだが、一部見せた

りして一緒に頭を捻ってもらうのだが……あのバカは今どこをほっつき歩いているのだろう。

 携帯電話の画面には新着メールも着信も表示されていない。

 高校入学と同時に両親に買ってもらった卵黄に牛乳を混ぜたような目に優しい黄色いボディは少し草臥れて

きてるのかメッキが所々剥げていた。

 小等部の頃から彼らに持てとは言われたことがあるが、頑として首を縦に振らなかった。

 それで縛られるのが嫌だと言うこともあるが一番の理由としては単に必要性を感じられないからだった。

 所有したとしても主に使用するのは彼かあるいは何らかの事情が生じて家族に掛けるくらいだ。

 その程度で今では珍しくなくなった携帯電話を持つなど電話代の無駄だし、月に一度あるかないかの朝会で生

徒指導の先生による違反者の吊るし上げには遭いたくないし、面倒だ。

 その点を踏まえて拒み続けていたのだが、花桜(かおう)も含めクラスメートたちもそれがお気に召さない

ようで

「良い子ぶって」と陰口を叩かれていた。



 ……虫唾が走る。



 くすくす笑いも大概にしろ。



 彼には教師におべっかを使うつもりは毛頭ない前にその職業自体が嫌いだった。

 平等であるはずの彼らは縛られすぎてそうではなくなっていることに気づいてはいない。

 実績のある者には教えを諭し、そうではない者にはもっと勉強しろと詰る。

 形は違えど大抵の教師なんてこんなものだと紫紺(しこん)は思っている。



 ………………アイツも同じだったしな。



 真夏の割にはどこにも日焼けをしていない白白とほっそりとした首を片手で摩る。

 まだ記憶に新しい恐怖はきっとこの人生に終焉を迎えても忘れることはないだろう。

 ギリギリと締められる感覚、次第に荒くなるなってゆく青野の鼻息、遠退く意識…。

 まるで、掌から離れた風船のようにこちらの言うことを聞かず、見ないフリをしていたかった柔らかい部分が

涙となりさめざめと頬を濡らした。

 生きたいと……生きていたいと無意識に生を受け入れていたなんて……なんて自分は弱いんだろう。


『そんなことないよっ!』


「っ!?」


『それがにんげんだもの』


 自室に宛がわれた四畳の世界に一人辺りを見回すがもちろん誰もいない。

 幻聴とは考えなくなったのは間違いなくあの双子の所為だ。

 耳にではなく心に直に響いてきたあの声はどちらも幼かった。


「誰かいるのか」


 縁側に出ると部屋の中ではムッと淀んでいた空気が日差しとセットになって彼を襲う。



 この季節は嫌いだ。



 無駄に汗を掻くし、人並みに日焼けをすれば跡に残るし、その前の過程ではジンジン鈍い痛みに耐えなくては

ならない。

 夏で唯一良い所と問われれば寝苦しい所と間髪入れずに答える紫紺(しこん)が奇異の眼差しで見られた

ことは言うまでもない。

 早々と雑草を踏み荒らす足音が聞こえたのはその眩しさに負けて四畳一間の世界に後ずさりしようとした時

だった。


「わぁ!みてみて、チトセっ。きれーなおねえちゃんがいるよ!!」


 空間を裂いて現われた4、5歳くらいの少年は見るからに血色の良さそうな頬を余計に赤く火照らせ、興奮

極まる様子で誰かの名を呼ぶ。

 一方、ぎこちない動作で振り向き辺りを見回すが目の前の彼は紛れもなく純白の花衣を身に纏った自分を

直視している。

 マセた子供だったら女装男やらヘンタイやら罵詈雑言を容赦なくぶつけてくるであろう。

 思いの外後足を踏んでいることに些か紫紺(しこん)は驚いていた。

 本来ならばここで何らかのアクションを起こしていて当然なのだが、相手が十以上も離れている所為だろう

か、決して場当たりを狙っているわけではないのにどうすれば上手くこの場から打開することが出来るのか旨く

頭に浮かんでは来ない。

 そうとは知らないこの名前の知らない少年はまだ疑いを覚えていないであろうキラキラとした瞳をこちらに

向けてくる。



 ………………視線が痛い。



「おい、青磁(せいじ)。勝手に先行くんじゃねぇっていつも言ってるだろうが……って!アンタっ?!」


「ど……どうも…」


 元気いっぱいで現れた彼とは違い汗を額からダラダラと流しいかにも疲労いっぱいの顔でその柔らかそうな

頭に片手を置いた人物には見覚えがあった。


『このことは秘密にしておいて欲しい』


 数日前に真剣な面持ちで双肩を掴んできた根岸満月(ねぎし みつき)。

 お互い「どうしてここに?」とでも言いたそうで、予想だにしない事態に口頭は追いついてきてはくれなかっ

た。


「ミツキにいちゃん?」


 無言で見つめ合っている二人を交互に様子を窺う少年の後方には峰の高い入道雲がそびえ立っていた。

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