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歩き出すこと数分。
俺たちの眼前には翡翠に輝く優美な塔が現れた。
ユイとレイはキリトの肩に座りおしゃべりしながら、その塔を眺めている。
キリトを見ると、自分が危うく張り付きそうになった辺りの壁を嫌そうな顔をしながら見ていた。
『出発前にブレーキングの練習でもしとくか……?』
「……いや、いい。今度は安全運転でいく。」
キリトが苦笑し、リーファに問い掛けた。
「それはそうと、なんで塔に?用事でもあるのか?」
「ああ……長距離を飛ぶときは塔の天辺から出発するのよ。」
『ここではそうすることで、高度を稼ぐんだ。』
「ははあ、なるほどね。」
頷くキリトとリーファが歩き出す。
「さ、行こ!夜までに森は抜けておきたいしね。」
「俺はまったく地理がわからないからなあ。2人とも案内よろしく。」
『全く……』
「任せなさい!」
そして、リーファはふと視線を塔の奥へと移す。
俺もそちらへ視線を向けると、そこには、シルフ領主館の壮麗なシルエットが朝焼けに浮かんでいた。
その館の主はサクヤという名の女性プレイヤーで、リーファの旧知の仲だ。
きっとリーファは、しばらく街を離れるので、挨拶に行こうかと考えているのだろう。
だが、今現在、建物の中心に屹立する細いポールにはシルフの紋章旗が揚がっていない。
基本は滅多にあることではないが、領主である彼女は今日一日留守ということだ。
「どうかした?」
首を傾げるキリトに、リーファは何でもないと首を横に振った。
気を取り直して風の塔の正面扉をくぐって内部へと進んだ。
一階はロビーになっており、周囲をぐるりと様々なショップの類が取り囲んでいる。
ロビーの中央には魔法力で動くエレベータが2基設置され、定期的にプレイヤーを吸い込んでは吐き出している。
アルヴヘイム時間では夜が明けたばかりだが、リアルでは夕方に差し掛かる頃だろう。
もうそろそろ行き交う人の数が増え始めるはずだ。
リーファに手を引かれて、ちょうど降りてきた右側のエレベーターに駆け込もうとした。
その時だった。
傍から数人のプレイヤーが現れ、行く手を塞ぐ。
激突する寸前で、2人の手を引き、踏みとどまった。
先ほどから感じていた視線は彼奴か。
シルフにしてはずば抜けた背丈、荒削りだが整っている顔。
体をやや厚めの銀のアーマーに包み、腰には大振りのロングソード。
額に幅広の銀のバンドを巻き、波打つ濃緑の髪を肩の下まで垂らしている。
恐らく、この容姿を手に入れるのにかなりの投資をしたのだろうな。それか、ただの幸運か。
数週間前の大会からリーファのパーティーメンバーで、確か名前は、シグルド……だったか?
「ちょっと危ないじゃない!」
反射的に文句を言うリーファは、眼の前に立つシグルドに気づいたようだ。
レコンもいるのかと見渡していたが、彼の姿はなかったようで、彼女は視線をシグルドへと戻す。
確かこの男はシルフの最強剣士の座をいつもリーファと争っていたんだったな。
それと同時に、政治的にも実力者で、現在の(月に一回の投票で決定され、税率やその使い道を決める言わば指導者のプレイヤーだ)はサクヤだが、奴はその側近としても名を馳せている。
リーファの前にずしりと両足を広げて立つシグルドの口許は、彼の最大限の傲慢さを発揮させる時特有の角度できつく結ばれていた。
ああ、これは面倒なことになるぞ。
リーファも同じことを思ったようで、ゆっくりと口を開いた。
「こんにちは、シグルド。」
リーファが笑みを浮かべながら挨拶したのだが、シグルドはそれに答える心境ではないらしい。
唸り声を交えながらいきなり要件を切り出した。
「パーティーから抜ける気なのか、リーファ。」
こいつはかなりご機嫌ナナメのようだな。
リーファはシグルドの問いに一瞬考え、こくりと頷いた。
「うん……まあね。
貯金もだいぶできたし、しばらくのんびりしようと思って。」
「勝手だな。残りのメンバーが迷惑するとは思わないのか。」
「ちょっ……勝手……!?
ちょっと待ってよ!
デュエルイベントの時、はっきり言ったはずよ!
“パーティー行動に参加するのは都合のつく時だけ。抜けたくなったらいつでも抜ける”
束縛されるのは御免だって!」
「ーーリーファ。お前はオレのパーティーの一員として既に名が通っている。
そのお前が理由もなく抜けて他のパーティーに入ったりすれば、こちらの顔に泥を塗られることになる。」
「…………」
リーファは言葉を失ってしまった。
シグルドは、リーファを戦力としてスカウトしたのではなく、自分のパーティーのブランドを高める付加価値として欲したのだ。
さらに言えば、自分に勝ったリーファを仲間ーーいや、恐らく配下としてアピールすることで勇名の失墜を防いだつもりなのだろう。
俺が口を開こうとしたときに今まで黙っていたキリトが口を開いた。
「仲間はアイテムじゃないぜ。」
「え…………?!」
言い淀むリーファの肩をポンポンと叩き、俺に任せろと言った表情でリーファを見た。
リーファも眼を見開き、此方を見たのと同時に、シグルドが唸り声をあげる
「……なんだと……?」
キリトは一歩踏み出すと、俺たちとシグルドの間に割って入り、自分よりも頭1つ分背の高い男に向き合った。
「他のプレイヤーを、あんたの大事な剣や鎧みたいに、装備欄にロックしておくことはできないって言ったのさ。」
「きッ……貴様ッ……!!」
キリトの真っ直ぐな言葉に、シグルドの顔が瞬時に赤く染まる。
肩から下がった長いマントをばさりと巻き上げ、剣の柄に手を掛けた。
「屑漁りのスプリガン風情がつけあがるな!
リーファ、お前もこんな奴らの相手をしてるんじゃない!どうせこのスプリガンも領地を追放されただろうが!」
ここで、黙っていた俺も口を開いた。
「おっと!
もし抜刀してみな。こちらも敵と見なし容赦はしない。」
「ふん。なにかと思えばダークエルフではないか!
攻撃できぬくせになにが容赦はしないだ。」
「そう思うか?ならためしてみるか?」
実は俺は昨日レイに手伝ってもらって俺だけ他種族の領地でも攻撃ができるようにプログラムをいじっておいたのだ。
「ダークエルフがなめるなーー!」
シグルドは抜刀をして、サイトに斬りかかってきた。
サイトが軽やかに跳躍をして、シグルドの頭で逆立ちをする。
「おそい!」
「ぐぬぬぬぬ……なめやがって!」
「死ねー!」
シグルドがサイトを振り落とそうとし、再び剣を向けてきた。
サイトも闘鬼神も抜き、シグルドの両腕を切り落とした。
「うぎゃああー!バカなこの俺が……」
擬似的な痛みが彼を襲い、一時的に彼の両腕がなくなる。
「だから、遅いと言った。安心しろ命までは奪おうとはしないた。だが、二度と俺たちに構うな!次は容赦はしない。」
いつの間にかあたりには人だかりがてきている。
シグルドは顔面蒼白だ。
「せいぜい、外では気をつけることだな、」
シグルドの最後の負け惜しみに腹がたった俺はそのままシグルドの首を跳ね飛ばしキルした。
他の手下どもがシグルドを蘇生させようと近づこうとしたが、俺の剣幕に押されて動けなかったようだ。
結局、蘇生猶予時間が過ぎリザーブポイントまで転送された。
「全くサイトは……」
キリトも相変わらずだなという感じだ。
リーファに至っては驚きと疑問が脳内をぐるぐるとかけめぐっているらしく言葉がでないようだ。
「とにかく、進もう。」
俺たちは野次馬の輪を擦り抜け、ちょうど降りてきたエレベーターに飛び乗る。
最上階のボタンを押すと、半透明のガラスでできたチューブの底を作る円盤状の石が、ぼんやりと緑色に光り始めた。
そして次の瞬間にはもの凄い勢いで上昇し、数十秒後エレベーターが停止すると壁面のガラスが音もなく開く。
白い朝陽と心地よい風が同時に流れ込んできた。