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俺とキリトが広大なテラスに着いて数分。
今思えば、走る必要などなかったのではないかと思えてくる。
だって、翅があるのだから、飛んで行けば良かったんだ。
と思わず遠い目をして、空を眺めていると、遠くから飛んでくる人影が見えた。
「キリト、来たぞ。」
キリトがこちらを見る。
リーファは大きく一回深呼吸すると、意を決したように彼の前へと舞い降りた。
「……やあ。」
キリトは、リーファを見る。
少し強張っているもののいつもの飄然とした微笑を交えながら短く彼女に言った。
「お待たせ」
リーファも笑みとともに言葉を返した。
しばしの沈黙。
風の音が俺たちの耳に届いていた。
「スグ……」
やがてキリトが口を開き、瞳が真剣な輝きを帯びる。
だが、リーファは軽く手を上げてその言葉を遮った。
翅を一度羽ばたかせ、すとんと一歩後ろに下がる。
「お兄ちゃん、試合、しよ。あの日の続き。」
そう言いながらリーファが腰の長刀に手をかけると、キリトは軽く目を瞠った。
俺は少し下がり、成り行きを見守ることにした。
なぜなら、ここからは彼ら2人の問題だ。
キリトの唇が動き、何かを言いかけるが、すぐに引き結ばれた。
彼はしばらくリーファを見つめていたが、数秒後にはこくんと頷き、翅を動かして距離を取る。
「ーーいいよ。今度はハンデ無しだな。」
微笑を消さぬまま言い、背中の2つの柄にに手を添えた。
抜剣は同時だった。
涼やかな金属音がふたつ、重なって響く。
リーファが愛刀を中断にぴたりと構え、まっすぐにキリトを見つめていた。
キリトは腰を落とし、2本の剣で威圧を醸すかの如く構えている。
2本抜いた時点でキリトは全力でリーファと戦うつもりだ。
いっさいの手加減を抜いて、持てる全ての力をつかい彼女と戦おうとしているのが見てとることがてきる。
「寸止めじゃなくていいからね。
ーー行くよ!!」
そう言うと同時に、リーファは地を蹴った。
距離を詰め、高く振りかぶった剣を、リーファは一直線に斬り下ろした。
スイルベーンでは不可避と言われたリーファの斬撃。
だが、キリトは空気が動くように僅かに体をずらすだけでそれをかわし、その直後、唸りと共に右手を跳ね上げる。
リーファが引き戻した長刀でそれを受けるが、ずしんと思い衝撃に両腕が痺れたのだろう、一瞬顔を顰めた。
そこを、すかさずもう一方の刀で攻める。
しかし、リーファもすぐに剣を引き戻しもう一方の斬撃受け止める。
そして武器が弾かれる勢いを利用して、2人は同時に地を蹴り、背中の翅を震わせる。
二重螺旋状の軌跡を描きながら急上昇し、交錯点で剣を打ち合う。
爆発にも似た光と音のエフェクトが宙に轟き、世界を震わせる。
リーファも勿論、剣士として、また剣道選手としてとても強いのだが、剣を交えるキリトの動きは、無駄が一切無い。
舞踏のように美しい動作で攻防一体の技を次々に繰り出している。
すごい戦いだ。
やがて、何度目かの激しい撃剣によってリーファの体が弾かれた時、彼女はそのまま宙を後ろに跳ね飛んで大きく距離を取った。
翅を広げてぴたりと静止し、高く、高く、大上段に剣を構えている。
これがリーファの最後の一撃だ。
それをキリトも感じたのか、彼も体を捻り、後方に大きく剣を振りかぶる。
一瞬、凪いだ水面のような静謐が訪れた。
そして、同時に2人は動いた。
空を焼き焦がす勢いで、リーファが宙を駆け、長刀がまばゆい光の弧を描く。
キリトも同じようにダッシュし、両手を振りかぶりその剣もまた純白と漆黒を輝いて、空を裂いて飛んだ。
リーファの愛刀が頭上を僅かに越えたところでーーリーファは長刀を手放した。
主を失った剣は、光の矢となって空高く飛んでいく。
しかし、彼女はそれに目を向けることなく、両腕を大きく広げ、キリトの2本の剣を迎えようとした。
恐らく彼女は、自分がキリトを傷付けようとしたことに対し、謝罪の意を込めて彼の剣の下に、自分の分身であるその身を差し出したのだろう。
でも、そんなこと……キリトは望んではいないし、寧ろ彼も……。
俺はそう思いながら、2人を見つめた。
リーファは両手を広げ、眼を半ば閉じてその瞬間を待っているようだった。
しかしーー飛翔しているキリトの手にも、2本の剣はなかったのだ。
「「……!?」」
リーファとキリトが同時に愕然と目を見開くのを見ながら、やはり兄妹だな……と笑みがこぼれた。
実はキリトもリーファと同じタイミングで両手の剣を手放していたのだ。
2人はそのまま宙で交錯し、同じように両腕を広げたキリトとリーファの体が正面から衝突する。
2人はエネルギーを殺し切れず、お互い重なって、そのまま回転しながら吹き飛ばされていった。
「どうしてーー」
「何でーー」
そう同時に言う2人が沈黙し、視線を交差させたまま、しばらく慣性に乗って空を流れ続けていたが、やがてキリトが翅を広げ、姿勢を制御して回転を止めながら口を開くのが微かに見えた。
「俺ーースグに謝ろうと思ってーー。
でも……言葉が出なくて……せめて剣を受けようって……」
キリトがリーファの背に回した両腕にぎゅっと力を入れる。
「ごめんなーースグ。
せっかく帰ってきたのに……俺、お前をちゃんと見てなかった。
自分のことばかり必死になって……お前の言葉を聞こうとしなかった。
ごめんな……」
その言葉を聞いたリーファの両眼からは迸るような涙が溢れていた。
「あたし……あたしのほうこそ……」
それ以上は言葉にならなかったようで、リーファの泣き声だけが響く。
落ちてきた2人の剣を回収した俺は、2人の元まで飛んでいった。
まだリーファは泣き止んでいないようで、キリトはそっと頭を撫で続けている。
俺が降り立つと、キリトが話し始めた。
「俺たち……本当の意味では、まだあの世界から帰ってきてないんだ。
終わってないんだよ、まだ。
ーーアスナが目を醒まさないと、俺たちのの現実は始まらないんだ。
だから、もう少しだけ待っていてくれないかな……?」
キリトの言葉に、リーファは小さく頷き、呟くように言った。
「あたし、2人を待ってるよ。
ちゃんとあたしたちの家に帰ってくる、その時を。
……だから、あたし手伝う。
説明して、アスナさんのことを……なんで、この世界に来たのかを……」
その言葉に俺たちは顔を見合わせて、リーファに頷いた。