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「それでは今日はここまで。
課題ファイル25と26を転送するので来週までにアップロードしておくこと。」
鐘の音を模したチャイムが午前中の授業の終わりを告げる。
教師が大型パネルモニタの電源を落として立ち去ると、広い教室には弛緩した空気が漂った。
俺は出された課題を確認して、端末に保存した。
それにしても、この学校のチャイムは始まりの街にあったチャペルの音に酷似していると常々思うのだが。
もし、それを知っていてこの音色に設定したのなら、この校舎の設計者は手鋸んだ悪戯をするのが好きなのだろう。
まぁ、笑えない冗談ではあるが。
もっとも、揃いの制服を纏った生徒たちは誰もそんな事を気にしてはいないようだ。
和やかに談笑しながら、三々五々連れ立って教室を後にしている。
恐らく、カフェテリアにでも行ったのだろう。
「お、彩斗に和人、カフェに行くなら席の確保をお願い。」
「無理無理、この2人は今日も姫との会食だぜ。」
「ちくしょう!あの美人双子姉妹と恋仲なんてうらやましい限りだぜ」
「ま、そういうわけだからまたな。」
「すまないな。」
そう言い、俺と和人は教室を後にし、二人の待つ中庭へと向かった。
真新しい煉瓦の敷かれた小道が、新緑に萌える木々の間を塗って伸びている。
梢の上に見える校舎はコンクリートの地肌が剥き出しの素っ気ない外見をしているが、総じて統廃合で空いた校舎を利用したとは思えない立派なキャンパスとなっている。
ふんだんに花壇の配されたその外周には白木のベンチが幾つか並び、その内のひとつに、2人の女子生徒が空を見上げている。
2人は同じ濃いグリーンを基調にしたブレザーの制服。
そのブレザーの背に、ブラウンの長い髪が真っ直ぐに流れている。
肌の色は抜けるように白くはあるが、最近漸く頬に薔薇のような赤味が戻りつつある。
どうやら2人で話をしているらしい。
その微笑ましい光景に思わず歩みを止めて見守ってしまいたくなるほどだ。
しかし、せっかく待っていてくれるのに悪いので俺たちは声をかけた。
「お待たせ。アスナ。」
「アスハ、遅くなった。」
「ううん。私たちも今来たとこなの。ね?アスハちゃん?」
「うん!」
俺はアスハの隣に和人はアスナの隣に座った。
間にテーブルを挟んだちょうど晴れた日のピクニックで使うといい感じの場所だ。
「ああ……疲れた……腹減った……」
『なんだか年寄り臭いぞ、和人。』
「んー……実際この一ヶ月で5歳くらい歳取った気分だなぁ……。」
「確かに色んな事があったものね……キリト君たちのおかげで、私も助けられたし……」
「そうだね、お姉ちゃんも無事帰って来たし……」
『うん……助けられて良かった……。それとーー』
『此処ではキリトじゃなくて、和人だぞ?』
「ここじゃ一応キャラネームを出すのはマナー違反だからな。」
「あ、そっか。つい……って私はどうなるのよ!バレバレじゃないの」
「そうよ、私もバレバレだし」
『2人とも本名をキャラネームにしたりするからだよ、』
「そうだよ」
「ってどうして彩斗君はばれないの?」
「それは私も気になる。」
「あ、俺もだな。」
アスハ、アスナに和人と3人から同じ質問を受けて一瞬困ってしまった。
「それはだな、俺はSAOにいた頃とは髪の色が違うし、何より名前がな。
SAOにいた頃のサイトと今の俺、彩斗・クロスフォードが同一人物なんてみんな夢にも思わないだろう。」
そう、リアルの俺は遺伝で金髪なのだ。
「ま、金髪っていうだけで今もかなり目立ってはいるがな」
実際、SAOプレイヤーのほぼ大半は日本人である。
俺みたいなハーフはかなり珍しいと自分でも思う。
それに、この特殊なに通う生徒は全て、中学、高校時代に事件に巻き込まれた旧SAOプレイヤーだからな。
しかも、顔は同じなんだからバレてても可笑しくはない。
だから、リズやシリカといった俺たちの知り合いも少なからずいたのだ。
因みに、積極的殺人歴のある本格的なオレンジプレイヤーはカウンセリングの要有りということで、1年以上の治療と経過観察を義務付けられている。しかし、俺たちを含む自衛の為にプレイヤーを手に掛けた者は少なくないし、盗みや恐喝といった犯罪行為は記録に残っていないのでチェックのしようがない。
だから、基本的にアインクラッドでの名前を出すのは忌避されているのだが、先ほども言った通り、顔がSAO時代とほぼ同じなので、アスナやアスハに至っては入学直後に即バレしていたし、和人や俺も一部の旧上層プレイヤーの間では古い通り名を含めてかなりの部分が露見してしまっている節があった。
まぁ、もっとも、全てが無かった事にできるかと言われればそうではない。
あの世界での体験は夢や幻ではなく、現実に起きたことだし、その記憶にはそれぞれのやり方で折り合いをつけていくしかないのだから。
俺と和人も目覚めた当時は必死に体力を戻そうと躍起になってリハビリをしたが、最近目覚めたアスナは入学に間に合わせる為に相当過酷なリハビリを行ったらしい。
松葉杖なしで歩けるようになったのはつい最近の事だし、今でも走ることを含め、運動の類は禁止。
彼女が覚醒後も俺たちは頻繁に病室を訪れ、歯を食いしばり涙をにじませながら歩行訓練を続けるアスナを見守っていた。
その甲斐あってかなんとか入学式には間にあったようだ。
「さて、お昼にしよっか!」
アスナの合図でお昼の会食となった。
俺はバスケットからパンを4つ取り出した。
俺にあわせてアスナもバスケットから包みを4つ取り出した。
俺とアスナはそれぞれ包みを1個ずつ配った。
配り終え全員で「いただきます」と合図をまずはアスナのハンバーガーから食べた。
「こっ……この味は……」
ガツガツと咀嚼、そのうちにごくんと嚥下してから和人は目を丸くしてアスナの顔を見た。
「覚えてたのね、偉い!」
「忘れるもんか。74層の安地で食べたハンバーガーだ……」
「いやー、ソースの再現に苦労したのよこれが。
ふふ、理不尽よね。現実の味を真似ようとして、向こうで死ぬほど苦労したのに、今度はその味を再現するのにこっちで苦労するなんて。」
「ってことは、こっちのも………」
和人は早々とアスナのハンバーガーを食べ終えもう一つの包みに手を伸ばした。
勢いよく、かぶりつきこれまた目を丸くした。
「この味は、やっぱり!」
「ああ、そうだ。あの時と同じサンドイッチだ。」
「ほんとだ!あの時、食べた彩斗君のサンドイッチだ。」
「すごーい!彩斗さん、あの時の約束、必ず作り方を教えてくださいね。」
「ああ、そう言うだろうと思ってレシピ書いてきたよ。」
俺はアスナにメモを渡した。
「ありがと!作ってみますね!」
俺たちはなんと、全員同じ学年だ。
そういったズレも俺が干渉しているせいだろう。
「っと、そういえば章三氏はどうしてる?」
「うん、会社は彩斗さんのおかげで潔白が証明できたけど、人を見る目がなかった、って落ち込んでるよ……」
「たしかにね、でも2人はすごく感謝してるって言ってたわ。」
「けど、驚きだな。まさか彩斗があの世界的マルチ企業のクロスフォード社のアミューズメント関連の社長だなんて。」
「悪かったな。以外で!」
俺は和人にわざと嫌味ったらしく言ってやった。
「まあ、そのうち趣味でも見つければ元気になるよ。」
アスナの言葉にそうだな、と頷き食事の続きを楽しんだ。
ちなみに、あのあと須郷は傷害及び銃刀法違反で逮捕された。
その折に彼の行っていた非道な研究も追求された。
当初の彼は一切の事実を黙秘していたが、部下の1人が証言を始めるとあっさりとその全てを自白し最後には自分の行いは全て茅場のせいだ主張をする始末だそうだ。
それにより須郷の在籍していたレクトプログレスも管理責任を追求されかけた。
だが、彩斗や和人のおかげで、レクトプログレスは一切関与をしていないこと証明でき、提携している会社、即ちクロスフォードアミューズメントの確固たる証拠によその難を逃れることができた。
最後に、茅場はアインクラッド崩壊と共に自らの脳に大容量のスキャニングを行い、ネット世界に意識を解き放ったみたいだ。
成功確立はごくわずかしかないのに……
和人が世界樹の上でみた茅場の幻影はおそらく本人だろう。
そこで託されたらしい。
世界の種子。
俺たちは相談した結果、それをエギルの店に持ち込み海外のサーバーにアップロードしてもらった。
俺たちは2年という長い年月をデスゲームという過酷な状況で生きてきた。
けど、そこにあるのは憎しみや怒りだけではない。
そこにいったことにより経験し得た掛け替えのないものもある。
現にこうして大切な人とも出会えたし。
俺たちの日常はまだ完全に戻ったわけではない。
アスナはまだ当分はリハビリが続くだろうし。
それでも俺たちは生きている。
この世界で、最愛の人と共に。
だから、この先も前に進んでいくだけだ。
ソードアート・オンライン〜1人の転成者〜
第一部・完